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(6)

「ただいまー!」


 ピヨマルの動画を見終わった後、数十分と経たないうちに母と兄の帰宅を知らせる声が聞こえた。


「おかえりー」


 僕はベッドに寝転んだまま返事をした。


「ご飯まだ食べてないでしょー?」


 母が話しを続けたので、重い体を起こし部屋のドアまで駆け寄ると、階段の下からこちらを見上げる母に向かって


「まだ食べてない」


 と返事をした。


「良かった、ポカ弁でお弁当買ってきたからみんなで食べようかー」

「あー、ほんと? ありがとー」


 母と兄は両手に下げたビニール袋の音をシャカシャカと響かせながらリビングへと消えていった。


 ポカ弁の食欲をそそる芳ばしい匂いが部屋まで昇ってきた。


 食卓に着くとポカ弁が綺麗に並べてあった。

 フタを開けるまでもなく匂いでわかる。

 僕の大好きな肉野菜炒め弁当だ。


「いただきまーす」


 仕事の日はメシを食うのもバラバラの事が多いけど、母と僕の休みが合う日はなるべく家族みんなで食べるようにしていた。


 いつも家を放ったらかしにしてパチンコやバイトに明け暮れていた日々に対しての、僕なりの償いでもあった。


「やっぱり新しい家は気持ちが良いねー」


 母は満足そうに新しい家の雰囲気を噛み締めながら言った。


「これもショウゴのおかげね」

「まぁ、運が良かっただけだけどね」

「ありがとう」


 兄もボソッと一言。


 それから母はしばらく黙った後、急に肩を震わせ始めた。


 どうかしたのかと母の方を見ると、母は泣いているようだった。


「あんな事があってから、ほんと……どうなる事かと思ったけど……ほんと良かった。ほんとに……」


 あんな事とは他でもない、僕の自殺未遂だ。


 しばらくの間、食卓には母の嗚咽だけが響いていた。


 兄は静かにうつむいていた。


 僕は力を込めて


「もう大丈夫……心配ないよ」


 と母に向かって言った。


 やっと手に入れた幸せだ。

 母も兄も、これからは僕が守り抜く。

 この手に入れた偉大なチカラで。


 誰にも邪魔はさせない。

 


「お疲れ様でしたー」


 仕事を終えると、残業で居残りしている同僚に一礼をして僕は会社を後にした。


 遅番の時は定時で上がっても二十二時。

 大体いつも残業だから基本二十三時は過ぎる。

 それでもさっきの同僚みたいにさらに遅くまで残って終電ギリギリに帰る人もいる。

 もちろんそうまでしても残業代はつかない。

 まぁ別にいいけど。


 地下鉄を降りて、いつもの路地を歩く。

 代わり映えのしない街並みに目をやりながら、足元の枯葉を踏み鳴らす。

 乾いた空気を震わせて、軽い音が僅かに響いていた。


「キャー!」


 突然、その他雑音のひしめきを突き破る程の大きな悲鳴が耳に飛び込んだ。

 と、同時に地面と擦れるタイヤの甲高い音が響き渡った。

 どちらかといえば鼓膜に突き刺さったのはこちらの方の音だろう。


 反射的に顔を向ける。

 視線の先で一人の女性が今にも大きなトラックに跳ね飛ばされそうになっていた。


【ストップ】


 周りの全てが一瞬にして停止する。

 そのまま女性の元に駆けつける。


 女性は今にも地面にへたり込みそうな体勢で停止している。

 そしてトラックのバンパーが女性の鼻先のわずか手前でピタリと止まっていた。


 輪郭線すら消し飛ばす程のヘッドライトで、女性の断末魔の表情が煌々と浮かび上がっていた。


 間一髪とはこの事だ。


 どうする?

 このまま女性の位置を少しだけズラし、トラックとの衝突を免れるギリギリの場所まで運ぶか?

 でも初めから見ていた訳じゃない。

 解除した時の車の軌道がハッキリとは予測できない。


 この時間でも人影はチラホラある。横を走る数台の車の運転手もその頭数に入るのは言うまでもない。

 それに大きな悲鳴のおかげでその視線が全てこちらに集まっているのは明白だ。

 目立つ事はしたくない。


 ならば距離はあるが判然たるセーフティーゾーンまでこの女性を運んだ後、僕だけ元の位置に戻ってチカラを解除するか?

 そうすれば女性や他の人間からすれば超常現象が目の前で起こる事にはなるだろうが、僕という人間がただの通行人Cから昇格することは防げるだろう。


 だが女性とはいえ大の大人だ。

 通行人Cは腕力に自信のある方ではなかった。


 と言うか、腕力云々の前に、もっと重大な事に僕は気付いてしまった。


 息が続かない。

 急ぐ必要もないのに走ってここまで来たものだから、今にも酸欠でこっちが倒れてしまいそうになっていた。


 こんなんじゃ女性を遠くまで運んでさらに元の位置に戻るなんてとてもじゃないが無理だ。

 日頃の運動不足が恨めしい。


 仕方ない、周りの人間の目は諦める。

 気が付けば急に男が現れて女性を助けた。

 ように見えた。

 で終わりだ。

 そう願う。


 問題は女性の方だ。

 女性にはどうしてもそれなりのインパクトを残してしまう。


 いや、この人だって気が動転して車が突っ込んでくる前にすぐ近くに男がいたかどうかなんて憶えてないか?

 そうだ、そうに違いない。

 僕は半ば無理矢理に自分を納得させた。


 彼女を救うシンプルプラン。

 少し位置をズラして一度チカラを解除する。

 それでもまだこちらに突っ込んで来そうなら、息をたらふく吸ってまた停止してさらに安全な所まで移動する。

 それしかない。


 僕は後ろから女性の両脇に手を差し込んで抱きかかえると、力を振り絞って三、四歩分ほど引きずり車から遠ざけた。


 引きずった事で高そうなヒールの先を少し削ってしまったように思うが、それくらい勘弁してくれ。

 命が助かるんだから。


 てかこれならピヨマルみたいなチカラの方が向いてるだろ。

 ぶつかる前に車の軌道をチカラで変えてしまえばいいんだから。


 そんな事を考えながら、僕は抱えていた女性を地面に下ろすと「フーッ」と溜め込んでいた息を一気に吐き出した。


 脇を抱えて運んだものだから、彼女の両手は阿波踊りでも踊っているかのような格好になっていた。


 よし、解……


「グルンッ!」


 腕の中の女性は強風に煽られた風見鶏のように勢い良く首を振り、見上げるように僕を見た。


 バッチリと目が合う。


 ……除……「えっ?」


 と思わず声を漏らす。


 それは僕の方を振り向いた女性があまりに綺麗だったからじゃない。

 それはその動作の初動がチカラを解除する前だったように思えたからだ。


 周りの景色は何事もなかったかのように動き出していた。

 同時にものすごい摩擦音を発しながら、真横を巨大なトラックが駆け抜けていく。


 トラックに押し退けられた空気が強い風となって女性の髪を舞い上がらせた。


 僕は完全にシンプルプランの手順②の事を忘れていた。


 運良くトラックに働く慣性が、僕らのいる場所とは違う方向に働いてくれたお陰で、僕はこうしてアホみたいな顔をして綺麗な女の人を自分の腕の中に抱いている。

 そうでなければ二人して死んでいただろう。


 てか、えっ?

 いまチカラ解除してたか?

 僕は我に返るとつい先ほどの一コマを反芻する。

 でも、何度考えても解除する前だったとしか思えなかった。


 僕を見つめる女性の顔がゆっくりとシワクチャになっていく。

 瞬く間に二つの綺麗な目の表面が潤んで、街灯の明かりを強く反射した。

 それからヒクヒクと嗚咽を漏らし、下を向いて、小さくなって、震えていた。


「ハァ、ハァ、えっと……大丈夫ですか?」


 僕はありきたりな言葉を一つ吐く。

 女性は少しの間黙った後、またさっきみたいに急に顔を上げると、勢い良く僕に抱きついた。


 よほど怖かったのだろう。

 そりゃそうだ。

 男でもチビりそうな体験なんだ。


 僕は置き所に迷う自分の手を、操り人形さながら吊られてでもいるかのように、僅かに女性に触れない程度の中途半端な位置に置いていた。


 僕の息が荒いのは、間違っても綺麗な女性を腕に抱いているからじゃない。

 単に枯渇していた酸素を存分に体に送り込もうとしているだけだ。


「大丈夫でしたかー!?」


 後ろから中年男性のものと思われる野太い声が聞こえた。

 地面を蹴る音がこちらに近付いててくる。


「はい、とりあえずは……」

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