脇道3 :喫煙者は怒っているぞ。
私は喫煙者です。
そして、いじめを受けています。
うん、いじめですね。
”いじめ”の定義を
「不当な理由で精神的、肉体的ストレスを与えられる事」としたら。
立派ないじめです。
タバコを吸わない人、非喫煙者がタバコの煙を嫌うのは判ります。
喫煙者でさえ、タバコの煙がもうもうとした部屋には入りたくない。
かつては至る所で喫煙がされていました。
学校の職員室やエレベーターの中、果ては満員電車の車内でさえ。
国会議事堂の議員の席には灰皿が備えてありました。
それらがなくなり、街中や密閉したところで不快なタバコの煙を吸わなくて済むようになったのは、非喫煙者の長年の努力の賜物です。
それは素直に感謝しています。
おそらく全ての喫煙者も感謝しているでしょう。
ただ、それと”タバコ撲滅”は話が違います。
喫煙に対するネガティブな印象が多くなったおかげで喫煙者は減少しました。
「ここまで喫煙者を追い込んだんだ。
一気に殲滅するぞ。」
・・・・・・・・。
いますよね、こういう人。
勘違いしている人。
タバコを吸いたいと思っている人からタバコを無理やり取り上げるのは人権の侵害です。
明らかに典型的な”いじめ”です。
”いじめ”の最も悪質な類いです。
最初にはっきり言っておきますが、タバコは毒物ではありません。
高濃度のニコチンは毒物ですが、タバコの煙に含まれている濃度では毒物ではありません。
ですからタバコの煙の被害を「健康被害」というある意味ズルい言い方をするのです。
毒物による被害は「中毒」と言います。
「中毒」と断定できないから「健康被害」といういい加減な表現をしています。
「健康被害」=「毒」と勘違いさせるためでしょう。
汚いやり方だと思います。
「健康被害」の定義を、摂取すれば健康に被害を生じる、という定義ならば。
人間の食べるもので健康被害をもたらさないものはありませんよ。
「塩」を摂取すれば高血圧から脳溢血の可能性がありますね。
「砂糖」を摂取すれば糖尿病から失明に陥る可能性がありますね。
「脂質」を摂取すれば脂肪肝などから心筋梗塞に陥る可能性がありますね。
これらは必要栄養素だから摂取しなければ死んでしまう、というならば。
「アルコール」はどうです。
「アルコール」は摂取しなくても死にません。
アメリカはかつて禁酒法を施行しましたが、「アルコール」不足でバタバタ人が死んだ、ということはありませんでした。
それに「砂糖」はつい近年まで普通の人間には手に入らない高価なものでした。
摂取しなくても米などのデンプン質が代わりになります。
必要栄養素ではありませんよね。
ついでに言うと「アルコール」は摂取時に運動能力低下、判断力低下を引き起こし災害を起こします。
酔っ払い運転や暴行行為などが顕著な例ですね。
ちなみに私はタバコを吸って暴れた人の例を知りません。
ニコチンは健康に害をもたらします。
それは確かです。
おそらく適正量などはない。
微量なら微量なりに健康を害するでしょう。
でも毒物ではない。
毒物とは、その物の成分で人間の機能を壊す、または止める物質です。
青酸カリの場合は確か神経毒で、神経を麻痺させて呼吸などの不随意の生命維持活動を止めてしまうのだったかな。
身体に差し込まれた異物が生命維持活動に必要な臓器を破壊するように、毒物は化学反応で壊すわけです。
そこらへんがニコチンや砂糖と違います。
ではどういう影響があるかというと。
私も詳しくは知りません。
確か病気を防ぐ機能の動きを弱らせる、のだったかな?
ニコチンは肺がんを引き起こす、と思っている人が居るとは思いますが。
それは間違いです。
まず、ガンの発生するメカニズム自体がまだ明確には判っていないはずです。
引き起こす、と断定するにはメカニズムが明らかになっており、ニコチンの投与によりメカニズムに変化が生じる、という事が実証されていなければなりません。
因果関係が明確でなければ断定してはいけないのです。
判りにくいですか。
例えばあなたが車を運転していて、アクセルを踏み込んで速度を上げる。
これは因果関係がはっきりしています。
アクセルの踏み込みが因、原因で、速度が上がる、これが果、結果です。
またアクセルを踏み込むと燃料バルブの開度が大きくなり・・・・エンジンの回転数があがり・・・。
というようにメカニズムも明確になっています。
これが言ってみれば「毒」と「中毒」の関係です。
ところが走行中に窓を閉めたら速度が上がった、とします。
窓を閉める、が原因、速度が上がる、が結果として一見因果関係が成立しているように見えます。
ところが、なぜ速度が上がるか判らない。
即ち、メカニズムが判りません
つまり、窓を閉める、が原因かどうか証明されていないという事です。
でもスピードメータを見ると、確かにスピードが上がっている。
その後、何度か走行中に窓を開け閉めして、スピードが上がった事もあれば上がらなかったときもある。
これが因果関係がはっきりしていない、という事です。
ニコチンとガンの関係ってそんな関係です。
ニコチンを摂取している人は確かにガンにはなるけれど、ならない人もいる。
逆に、ニコチンをまるっきり摂取していない人、非喫煙者も肺がんになります。
うろ覚えであやふやで申し訳ないのですが。
ガンというのはいわゆる悪性腫瘍で、人体の維持機能から外れて無制限に増殖する役たたず細胞、だったと思います。
人間の身体は毎日更新しています。
古い細胞が死んで排出され、新しい細胞が産まれてそこを埋める。
何でも、人間の身体は2ヶ月でまるっきり新しくなるそうです。
なので毎日大量の細胞が作られているわけですが、中には欠陥品も一定数発生する。
それがガン細胞の最初の一粒になるわけで、逃して体内に放流してしまったらどこに引きこもって増殖するか判らない。
コミケの後のニートのようです。
そういう欠陥品をぷちっと殺す機能を人間は備えていて、毎日ニートをジェノサイドしている。
ところがニコチンはその勤勉な殺戮者に
「どう、一服」と勧めてニートを見逃させてしまう。
因みにこの殺戮者はプレッシャーにも弱いらしくて、ガンで死んだ人の経歴を見てみるとガンを発症したらしい頃に強いストレスを受けている場合が多いです。
会社の倒産の危機を乗り越えた経営者とか。
とんでもないスキャンダルに巻き込まれた俳優とか。
大事な人をなくした人とか。
ですから喫煙者が肺ガンになったとしても、ニコチンが原因なのかあるいはプレッシャーが原因なのか判らない場合もあるでしょう。
ニコチンがガンの発症率を上げるメカニズムは、どうもこのようらしいのですが。
もちろん、実証されては居ません。
ニコチンがガンの発症率を上げる、という説の根拠は統計です。
肺ガンの発症患者を調べてタバコを吸っていた人と、吸っていなかった人、どちらが多くガンになっているか、のデータを基にしているようです。
かなりの量のデータを、何度も、いろんな国で、条件を変えて採られているようなので、まず間違いないでしょう。
因みに、タバコと飲酒、両方していないと発症率は上がらない、という説も聞いた事があります。
この間、受動喫煙で死んだ人の数、というデータを見ました。
とても信じられないのですが。
どうやってデータを採ったのでしょう?
死んだ人の死因が肺ガンだったとして、その肺ガンの発症原因がタバコの煙だった、とどうやって証明したのでしょうか?
酷く乱暴なデータではないか、と思います。
世の中にはタバコの煙を吸った事がない人など居ない。
つまり全ての非喫煙肺ガン死亡者は”受動喫煙の被害者”である。
まさか、こんな論理ではないとは思いますが。
もしかして解剖したら、タバコを吸っていないのに肺がニコチンに冒されていた、とかかな。
それだったらある程度信じても良いですが。
データには必ず、このようにデータを採った、という採取方法を記していただきたいのですが。
良識ある人なら、証明されていないデータを信用する、使うなどしないのですが。
いろんなデータがいろんな団体から発表されていますね。
自分たちの主張を裏付けるために、自主的に、または外部機関に依頼して。
そうして発表する。
それを見たマスコミ当たりがそれを転載する。
一般的に信用できるデータというのは、学術雑誌に発表された論文に載っているような物で、それらは必ずデータの採取方法が記載されています。
なぜかというと他の研究者が追試、実証実験をするためです。
発表者だけでなく、無関係の他の研究者も行って同じ結果が出て始めて論文は信用に値すると認められます。
以前のスタッフ細胞のように、実証実験の結果再現されなくて間違いと判断された物は山ほどあります。
それはどのようなえらい人でも同じで。
例えば森鴎外は陸軍軍医総監とトップでしたが脚気の原因を細菌によるものと考えていました。
野口英世のいろいろな研究も、多くの物が後の世で間違いと証明され、否定されています。
それほど科学的研究というのは難しく、厳しいのですが・・・・。
まあ、マスコミは自分の仕事に責任持たないので、その様な事は気にしないでしょう。
もちろん、ニコチンは喫煙者に害があるものです。
肺ガンになる確率も脳卒中になる確率も、タバコをやめれば下がる事は判っています。
もっともこれだけ長い間喫煙してしまった結果、ニコチンは充分以上に体内に蓄積されています。
ニコチンを体外に排出するシステムは人間にはないはずです。
今更、という思いもありますが。
なので、まだ喫煙していない人たちには声を大にして言いたい。
「タバコを吸ってはいけません。
あんな物、ろくな物じゃない。」
では、私たちがタバコを吸い続けて後悔しているかというと。
実はそんな事はありません。
タバコの味が好きです。
くゆらすという表現が似合う煙が揺蕩う(たゆたう)のを見るのが好きです。
何かを一生懸命やって、終わった時に吸うタバコの達成感は堪りません。
綺麗な景色を眺めながら、苦労して作った物を眺めながら、タバコはその時々をはっきりと意識させてくれます。
なので、少なくとも私はタバコを吸った事を後悔した事も、やめようと思った事もありません。
言うなればある程度の肉体的なデメリットを甘受して、楽しみを取ったという所でしょうか。
死ぬ確率が上がる事は知っています。
それは覚悟の上ですし、死ぬ事になっても誰かを責めたりはしません。
たとえ肺ガンになって、苦しみながら死ぬような事になっても。
なので、余計なお節介はお断りです。
それは登山家に死ぬから山に登るのをやめろ、と言うようなもの。
レーサーに事故で死ぬからやめろ、と言うようなもの。
軍人に戦争になると死ぬからやめろ、と言うようなもの。
嗜好品と生きがいを一緒にするな、と?
ふぐが何故食べられるようになったか、想像がつきます?
毒があると判っていながら、何人もの人が”おいしいから”と食べて死んだからですよ。
では、他人の受動喫煙に対してどう思うか、というと。
嫌いなものを嗅がされて気の毒だとは思います。
でも、喫煙者は悪い事”悪事”を行ってはいません。
確かに現在では受動喫煙防止法だったかな、その法律で喫煙に対する法律ができて、その法律に従わない場合は喫煙行為は”悪”犯罪行為になりますが。
おそらく、この受動喫煙防止法自体間違っている。
「個人の自由」というと直ぐ「はき違えている」と返してくる人が居ますが。
少なくとも日本においては「嫌い」という理由で他人を排除、拘束はできません。
他人を排除、拘束、または他人の行為を制限できるのは、それによって他者が被害を受ける場合のみです。
例えば、夏の日に肥満した汗だくの男、厚化粧で凄い香水の匂いを振りまいている女、露出過多で平然と歩いている少女、垢じみた腐臭のするような不潔な男。
見るなりに嫌悪感を、殆どの人が覚える人間がいたとしても、それだけでは日本の法律は彼らを拘束はできません。
嫌なものからは逃げるしかないのです。
逃げられない、ゴミ屋敷、猫屋敷、騒音ハウス問題を解決するために、近隣住民や自治体がどれだけ苦労しているか。
仮にスウェーデン人の飲んべえが、上野の桜のお花見で、酒の肴にシュールストレミングを開けたとしても、彼が意図的に他人に迷惑を掛けようとしていないかぎり、彼を罪に問うことはできないのです、多分。
つまり、喫煙者が非喫煙者にタバコの煙を吸わさないよう、喫煙所を捜したり、我慢したりするのは。
喫煙者の”善意”です。
喫煙者が気を遣っているのです。
はき違えないで下さい。
喫煙者は、受動喫煙防止法などという法ができる前は、どこでも自由に吸える権利があるのです。
あなた方のために、喫煙者が犠牲を払っているのです。
それを何時の頃からか、タバコ嫌いの人でしょうが。
”喫煙は悪い事なので、喫煙者は隠れて吸っている”と勘違いしだしたのでしょう。
”喫煙”を”悪”にしてしまえ、と受動喫煙防止法を成立させたのでしょうか。
そして受動喫煙防止法は、ニコチン、タバコが「健康被害」を与える、他人に被害を及ぼすから、成立しているのだと思います。
ニコチンの健康被害が如何にあやふやな物かは、先ほどまでで説明しました。
おそらく、受動喫煙防止法は人権侵害である、と訴訟を起こした場合、おそらく結構良いとこまでいくと思いますよ。
場合によっては勝訴できるかもしれない。
裁判で立証するためには、受動喫煙が健康被害をもたらしたという証拠を提出しなければなりませんが。
できるのかな?
少なくとも個人の自由、行為を禁止するほどの有力な証拠提出は不可能だと思います。
でも受動喫煙防止法は、あれはあれで良いと思います。
今まで、喫煙マナーがなっていない人が多すぎましたから。
せめて携帯灰皿ぐらい持ち歩け。
そもそも受動喫煙防止法自体が「タバコが嫌いな人」が喫煙をやめさせよう、と作った法律だと思います。
世界的に禁煙運動がある。
日本でも喫煙反対が主流になった。
逆らうやつはいないだろう。
法律で決めて”悪”にしてしまえ。
そういうノリではないでしょうか?
おそらく「他人に被害を及ぼす」は建前で、自分たちの嫌悪を押しつけているのです。
多分、無意識に。
そして、自分は正しい事をやっていると思い込んでいる。
彼らは”最も悪質ないじめ”をする人たちです。
最も悪質ないじめをする人というのはどういう人か判りますか?
無自覚な善意の人です。
彼らは言ってきます。
「タバコは身体に害ですよ。
やめなさい。
貴方のために言っているのです。
従えないなら従えるようにしてあげましょう。」
そうして個人の意志や権利など関係なく、強引に自分の意見を押しつけてくる。
自分が正しいと信じているから、どんな方法を採る事もためらわない。
どこまでも残酷になります。
こういう人、中世の教会関係者にいたそうです。
異端審問官ですね。
・・・・・・・・・。
”魔女”が捕まった。
可哀想な娘だ。
本人は魔女ではないと言っているが、悪魔に憑かれた人間は皆そう言う。
このままでは天国に行けない。
ぜひ、幸せに天国に行けるよう、悪魔を祓ってあげよう。
まずは神の試練、責め苦を与えよう。。
悪魔はしぶといから、生半可な責め苦では払う事ができない。
最後には審判をする。
火炙りにして、確認する。
悪魔が憑いていたなら火に掛けても死なない。
無事払われていたならば、身体は焼けて魂は天に召されるはずだ。
ああ、良かった、娘は無事天に召された。
神よ、感謝します。
・・・・・・・・・・。
創作ではないですよ。
どこかで読みました、中世の教会の記録だったかな。
彼らは宗教の信念の元、善意で純粋に”魔女”だった娘のために行ったのです。
一部の創作では彼らは残虐なサディストと描かれる事が多いですが、殆どは善良な人たちでしかも人格者が多かったそうです。
恣意的に権力を振るわないように。
禁煙を押しつけている人たちがやっているのも、これと同じです。
もちろん。
禁煙法が成立したら、それに従って禁煙をします。
日本の国民として生きる事を選択した以上、法がそう定めるならば従います。
でも、今は喫煙は違法ではないですよね。
なら禁煙を強制される謂れはないのですよね。
なのにそれを強制するのは”いじめ”です。
受動喫煙防止法がタバコの煙を非喫煙者に吸わせる事を防止する法ならば。
きちんとした喫煙所を設けるべきでしょう。
なのに大抵の喫煙所は野外に放置されているだけ。
あれで受動喫煙を防げますか?
屋内に設けられた物も扉がなかったり、空気清浄機がなかったり、扉があっても隙間だらけで煙を防げなかったり。
私が最も優れていると思う喫煙所は東京帝国ホテル、17階に設けられた喫煙所です。
屋内禁煙が普通になっていたのに、敢えて新たに設けられました。
今まで17階はタバコの吸える場所はなく、我慢して一階まで戻るしかなかったのですが。
帝国ホテルは喫煙者も差別せず、ちゃんと客として扱ってくれて施設を準備してくれたのです。
帝国ホテルの喫煙所は2重扉でした。
普通、喫煙所に扉があっても、開けた瞬間タバコの煙が漏れ出すものです。
申し訳ないなあ、と思いながら出入りしていましたが、帝国ホテルの喫煙所は一旦小部屋に入って外気と遮断してから、喫煙室に入れる仕組みだったのです。
電子タバコは煙を出さない。
受動喫煙を起こさないから、どこで吸おうと他人に「健康被害」をもたらさない。
そうですよね。
なのに電子タバコまで受動喫煙防止法の対象になるのはおかしくないですか?
本当に受動喫煙を防ぐ気があるならば、きちんとした喫煙所を整備すべきです。
喫煙人口が少ない、とか、予算がないとか、言わせない。
私たちは高額なたばこ税を支払っている。
タバコは年々値上がりしていますが、これは製造原価が上がっているのではないですよね。
税率が上がっているのですよね。
たばこ税は目的税ではないから喫煙者のために使う義務はありません。
しかし、喫煙者が納めているのに喫煙者が必要とする設備を作らないのは。
税金返せよ、どろぼう。
強制していないというならば。
何故いいかげんな喫煙所しか作らないのですか?
しかもどうも屋外の喫煙所は、通行人が多いところに設けられているように思います。
通行人にわざとタバコの煙を吸わせて、喫煙を嫌悪させるように仕向けているとしか思えない。
または最初から撤去するつもりだから、いい加減に作ったのか?
本気で分煙を考えていたわけではなくて、建前上喫煙者に配慮しているように見せかけながら、徐々に喫煙者の居場所をなくしていくつもりだったのでしょう。
巧妙な手口ですね。
マスコミも”禁煙”の風潮に載って旗振っていますね。
マスコミというのは世間の風潮が一方向に流れようとする時、アンチテーゼを提示する物だと思っていました。
一方向への風潮というものは熱狂を引き起こし個々の判断力を鈍らせ、時にとんでもない間違いをしでかすからです。
アメリカの禁酒法もそういう感じで成立したのでしょう。
お酒もタバコも一般的には”悪いもの”と思われているものです。
”悪いもの”を糾弾する流れに逆らえるのは、本物の勇気ある報道関係者だけです。
まあ、日本のマスコミにそれを期待するのは無理でしょうか。
世間に迎合した提灯記事しか書けないのは、学生運動や2.26事件の時に証明されています。
2.26事件の時、最初日本の新聞は「昭和志士の壮挙」とか言って賛美したのですよ。
人ごとでないのですよ。
こういう連中は”悪”を見つけるのはうまい。
生け贄にして正義の味方を気取るのが好きです。
例えば、ニート。
もし彼らがニートを”悪”と認定して、キャンペーンを張ればどうなるか。
・・・・・・・・・。
新型コロナで経済が逼迫してどこも苦しい中、働ける能力があるものが家に閉じこもってニートをしているのは世界の損失だ。
ニートは彼らの家族はもちろん、本人も不幸だ。
私たちは彼らの社会復帰を応援してあげなければならない。
まずは家から出るための動機付けとして、扶養家族扱いをやめて税金の控除をなくそう。
彼らが精神的に立ち直れるよう、カウンセリングを準備してその受診料は割引にしよう。
仕事ができるように職業訓練を充実し、その授業料を割り引こう。
もちろん、カウンセリングも職業訓練も義務化だ。
義務を果たして社会復帰の意欲があるものは、扶養家族として認めよう。
それでもニートをやめない者は、重ニートと認定して特別処置が執れるように法律で制定しよう。
具体的には、彼らが依存するネット環境からの隔離だ。
彼らが”精神障害”と認定できるよう、研究も進めよう。
・・・・・・・・。
言っている事は正しく聞こえるでしょう。
おそらく彼らはニートである貴方たちのために、善意でこれらを実行します。
強固な意志で。
世間の風潮がそういう方向に流れたならば。
あなた方が「嫌だ」と言っても。
「判っていますよ。
貴方たちも本当は今のままではダメだと心の中では思っているはずだ。
でも、勇気が持てないのでしょう。
私たちが手伝いますから、さあ、頑張って。」
こんな感じでしょうか。
こういう個人の意志を踏みにじる行為は大嫌いなので、つい文調は荒くなりましたが。
(ついでに長文になりました。)
まあ、喫煙者に限って言えば、焦らなくてもあと30年もすれば日本から絶滅するでしょう。
若い人で吸う人はいなくなりましたからね。
ですから。
それぐらい、待ってて下さいな。
一喫煙者からのお願いです。
全ての喫煙者に捧ぐ。
でも、禁煙しようか。