表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とりとめもなく  作者: nayuta
41/46

脇道24 :獅子のごとく

セクハラ?モラハラ?

多分していないとは思いますが。

もし、不快に思われたのなら「ごめんなさい」としか・・・・。

書く立場としては、とても怖いです。

ヘタレでいろいろうまくいかなかった(すごくぬるい表現)私が、男女間の事を話すなどおこがましいのですが。

別な言い方をすれば、私情を挟まずに書ける(涙)とも言えます。

今回のテーマは少子化と、そろそろ破綻しそうな日本、ならび先進国の社会システム、主に家族システムについてです。



少子高齢化が問題になっており、私などは当に少子化の現行犯であり、社会的には責任取れ、などとの圧力がありそうです。

まあ、私は気にしませんが、人によっては、特に女性にとっては結構な重圧だったりします、か?

余り気にする必要はないと思いますよ。

このまま行ったら日本の人口は、〇〇年には0になってしまう。

こういう論調で少子化を悪者にしよう、ひいては子作りに否定的な人たちを糾弾しようとしていますが、こんなの何の根拠もありません。

多分、人口の推移グラフからの未来予測で言っているのでしょうけど。



「日本の人口の推移」というキーワードで検索してみれば判りますが、日本の人口がマイナスに転じたのは2000年頃。

それまでは人口は増えていて、明治維新、1868年から2000年までの間で約4倍になっています。

江戸幕府成立1603年1227万、明治維新1868年3330万、終戦1945年7199万、2000年12693万。

え~と、ネットから適当に拾ったグラフから読み取ったデータなので、信頼性や細かな数字は参考程度で。

でも、大体の傾向はあっていると思います。



明治維新から20世紀末まで。

途中で太平洋戦争を挟み人口の大幅減少があったにも係わらず、グラフはほぼ一直線。

約130年で4倍。

殆ど人口爆発ですね。

このままでは2130年には人口2億5000万、食糧が、水が、宅地が、農地が・・・・足りなくなる、破綻する。

日本も中国の一人っ子政策を見習って、人口抑制策をするべきだ。

そう騒いでいた人間がいっぱいいたはずです。

因みに、子供が一人の場合は人口が減るはずですが(親ふたりが子供ひとりに変わる訳ですから)、一人っ子政策の間に中国の人口は増えていますね。(笑)

多分、同じ類いの人間が、今度は日本人の人口が0になる、と騒いでいるのでしょう。



1988年に公開された「機動警察パトレイバー」は、20世紀末、1998年を舞台にしています。

レイバーというロボットを使った警察の物語ですが、この作品の背景には「バビロンプロジェクト」という国家事業があります。

東京湾横断道路、今の「海ほたる」があるアクアラインと同じかどうかは判りませんが、あれをダム化し、内側、東京湾の半分を干拓地にするという。

壮大というか、無謀な計画です。

背景にあるのが人口爆発に伴う、首都圏の土地不足解消でした。

当時の日本政府が本当にこのような計画を立てたかどうかなんて、知る由もありませんが。

計画の信憑性を感じられる程度にはこの時代、人口増加に危機感を持っていたのだと思います。



実際のところ、日本の人口が0になったりはしないと思いますよ。

おそらく、ある程度まで減少したら今度は増加に転じると思う。

もしくは、増加も減少もしない、横ばいになるかもしれません。

前述のグラフによれば、江戸時代享保年間1745年から明治維新1868年までの120年は3128万から3330万とほぼ横ばいですから、ないとは言えません。

だから、大和民族が消滅する云々はほぼあり得ない事だと思います。

少なくとも大規模な外的要因、日本沈没とか、世界的に死亡率の高い疫病発生パンデミックとかでもない限り、自然現象で起きる事はまずないのではないでしょうか。

まあ、こういう風に書くと、じゃ「ない」という事を証明できるか、などと言い出すバカがいますが。

「ない」という事を証明するのは「悪魔の証明」と言って、証明は不可能、と確か論理学か何かで証明されているのではなかったかな。



人口の減少は国力の減少を意味する、などという説も的外れです。

それは昔の理論です。

簡単な例で言えば、軍隊の数。

時代によって変わりますが、戦争で動員できる兵力は人口の何パーセントという風に決まります。

なので人口の多い大国は人口の少ない小国より、戦争に動員できる兵力が大きいから強い。

つまり戦争が強く、国力が大きい。

まあ、中国やソ連が強かった理由でもありますが。

ついでに言うと広い国土は、それだけで侵略を阻害します。

例え、一切の軍事的抵抗がなくとも、広い国土を行軍するだけで兵は疲労し、兵站線は伸び、侵略国の経済は打撃を受ける。



現代では、その大国のアドバンテージは兵器の発達によって消え失せています。

例え100万対1万の会戦であろうと、1万の側に核兵器があれば数の優位は簡単にひっくり返ります。

例え距離が数百キロ、行軍すれば月単位の時間を要する広大な国土も、航空機は1日で翔破します。

これら大国のアドバンテージを無効にする兵器を開発したのは、アメリカ、ソ連などの大国で。

彼らは自分たちの国土の侵略に対する強靱性を、自分たちで無効にしたようなものです。

何をやっているやら。

少数のテロリストで大量の人間を殺せる事は、9.11で証明されてしまいましたし。



話が逸れました。

工業や農業。

経済の面においても、昔は人一人が作れる量は決まっていて、大量に作るには人数を増やさなければなりませんでした。

ところが、農業技術の発達や、蒸気機関を始めとする食糧を消費しない動力の開発によって、一人当たりの生産量は増加しました。

現代では、量を作るために人間を増やすより、設備を増やす方が効率が良いです。

人口の多寡が国力の大小、という概念は既に時代遅れになっているのです。



では、何故、少子化が騒がれているかというと。

要は、現在の社会の構造が人口増加を前提として作られているからでしょうねえ。

つまり、人口増がないと儲からない、赤字になるところがあり。

そうなると社会の収益構造が変化してきて、既得権益、縄張りがじり貧になったりする。

既得権益に食らい付いて甘い汁を吸ってきた(マスコミ的表現)社会の上層部、企業家、マスコミ、御用学者、政治屋、などが困る。



例えば。

昔は住宅、宅地は造れば造るだけ売れました。

人口が増えているので、常に宅地不足でしたから。

なので山野を切り開き、山を崩し削り、宅地を造成しました。

大工事ですが、その分、お金も動き、効率も上がる。

そういう宅地造成システムは洗練され、収益を確実に産む構造になった訳です。

同じように巨大建造物、タワーマンションなども大工事故に収益を、多分巨大収益を産む構造になっているはずです。

所謂ゼネコンですね。

で、その収益にぶら下がるものが多数。

不動産業者からテレビCMのプロダクションまで。



少子化となると、新しい宅地は要らない。

巨大マンションも要らない。

今ある宅地のうちで住人がいなくなった物件を整理して、リサイクル、リニューアルして販売する。

ちまちまして細かくて大して儲からない。

確かに今はそうでしょう。

ですが、それらのちまちまして細かいものも、事業モデルをきちんと研究して開発して整備すれば、充分収益が上がる事業になるはずです。

法律もそれ専用に検討して整備されていくでしょうし。(空き家の所有権保持者がどこにいるか判らなくて、手を付けられないなんて話ありますし)

ただ、そういうのは大変なんです。



大規模造成も高層ビル建設も(霞ヶ関ビル建造などプロジェクトXに取り上げられるほど)日本で最初に始めた頃は大変でした。

最初の頃は多分赤字、それも大規模事業だからとんでもない赤字。

それを苦労して、洗練させて黒字に持っていき、今では莫大な収益を上げられるようになった。

それらを引き継いだ人間は、先人の苦労を無駄にしたくはない、とか言うと思いますが。

何のことはない。

実際のところは、フロンティアとしての苦労をしたくない、する能力がない、から反対しているのだと思いますよ。

おそらく、政治の世界で言う”革命”に近いほどの、事業の抜本的な改革が必要でしょうから。



ですが、今ある土地、設備のリユース、リサイクル、リニューアルというのはとっても良い事です。

これ以上、自然を壊さずに済みます。

山、谷、川、海、森林。

何れも数百年単位で出来てきた物です。

一度壊してしまうと取り返しが付かない。

今までは人口増による人間の領域拡大のため、情け容赦なく壊されてきました。

都会の雑木林は宅地になり、工業用地になり、都会の小川は暗渠になり、都会の浜辺は全て護岸され。

自然災害に備えなければならないのは当然ですが、人口減で居住地に余裕が出てくると自然をいじらずに人間の方が避ける、と言う方法も取れます。

これ以上、貴重な自然を壊さないよう。

なので、事業の改革を受け入れて欲しい、そう思います。



人口増を前提にした、という話について。

ちょっと逸れますが。

ネズミ講ってご存じですか?

まあ、詐欺のひとつですが、とても儲かるそうです。

詳しい説明を省きますが、階級制の会員制委託販売とでもいいましょうか。

良く知られている商品が、ギャグのネタにもなる「幸運の壺」かな。

会員になるための規約があってそれは確か、新たな会員を複数名獲得する事、だったと思います。

商品自体は上部会員から卸されてきて、それを下部会員に渡して売らせる。

会員は上部会員に上納金を払うのか、それともお金を払って商品を仕入れるのか。

とにかく下部会員の収益の一部が上部会員に集まる仕組みになっています。

会員数は下に行く程増えていきます。

ねずみ算式に。

当然、数の少ない上部会員には莫大なお金が集まる。

確か過去には会員数数10万という、巨大ネズミ講もあったのではないかな。



ですが、うまい話には穴がある。

一番下、入会したばかりの新会員は商品を買わされて、更に売り子(下部会員)も確保しなければならない。

上部会員がやってきた事ですが、中には出来ない人も、無理やり引きずり込まれた人もいます。

そういう人は、仕入れた(仕入れさせられた)商品を自分で買い取る羽目になります。

主婦などが儲かるからと気軽に加入して、うまくいかずに貯金を切り崩して更には街金に借金して、と悲惨な事になります。

末端に行くほど人数は増えていきますから、巨大なネズミ講だとその被害者も相当数に上ります。



ですが、ずっとこのネズミ講を取り締まる法律はなかったそうです。

組織のあちこちでは、売り子を確保して売らせるために、脅迫やら何やらの違法行為はあってそれは捕まえる事が出来るのですが。

焼け石に水。

ネズミ講自体はただの商品の委託販売ですから、法律には違反しません。

ですが、ネズミ講の存在を許せば必ず悲惨な末端が発生する。

ネズミ講を禁止し、発案者、首謀者を罪に問える法律を作る。

それには所謂、法的根拠が必要になります。

それが「人間は無限に増えない」だそうです。

例えば人間の総人口が32人として(例えでも少し酷い)、1次会員は2次会員5人ずつ確保できるけど2次会員には確保すべき新規会員がいない。

つまり、事業モデルは最終的には破綻するので事業としては成立しない。

破綻するのが確実な事業に出資させた、つまり詐欺である。

事業主は犯罪者。

確か、こういうことだったと思います。



ちょっと、と言いながら長々になりました。

ネズミ講って説明、めんどくさい。

間違っていないだろうなあ。

さて、何でこんな事を書いたかというと。

つまり、人口が増える事を前提とした事業は「違法」なんです。

で、国の健康保険。

これ、人口が増える事を前提にして、運営しているはずです。

確か、「年金」もそうで、こちらはもっと露骨だったと思う。



ここら辺は、健康保険問題や年金問題などで、ニュースやら解説やらがありますから説明を省きますが。

というか、正確に説明できる自信がない。

健康保険も年金も、若い人、健康で働ける青年層、壮年層がお金を積み立て、病弱な老年層がそれを使う構造になっています。

今までは複数の人が積み立てる年金、健康保険料で、1人分の年金支給額や医療費を負担していたはずです。

この、負担する人数は変更可能のようで、状況によって2人だったり、1.2人だったりに勝手に変えています。

複数の人で分担する方が納める側の負担は小さくなりますから、ある意味当然ですが。



つまり、下の世代の人口が多い、人口増が前提です。

ネズミ講では「人間は無限に増えない」と言いながら、年金や健康保険の仕組みは「人間が増える事」を前提として、機構を作っていた訳です。

人間は無限に増加しない、と判っていたはずなのに。

なので、現在は支給額を減らす方向に大わらわです。

年金受給年齢を上げたり、年金額を減額したり、医療費負担割合を増やしたり、医療費を減らすジェネリック薬品を推奨したり、をしている訳です。

謂わば福祉国家とは正反対の方向に舵を切っている。

今回の処置で、生活が立ち行かなくなったり、医療費負担に耐えられなくなったりする人が一定数必ず増えるはずなのに、です。

医師会を始めとする医療団体も、本来なら医療費総額が大きいほど収益も上がるから、それを減らす方向は反対したいのだろうけど。

まあ、仕方ないですよね。

ない袖は振れない。

特に、今回のコロナ禍では国庫も緊急出動していますから。



人口減に対する準備不足を非難するのはいくらでも出来ますが。

まあ、国としても減少に転ずるにしてももう少し緩やかに、例えば数10年の横ばい時期を経て、とか考えていたかもしれません。

考えていただけで、具体的には何もしていなかった可能性(得意技、現状に問題なければ先送り)もありますが。

流石に、逆Vの形で減少に転じるとは思わなかったろう。

そこは少し、同情します。






さて、社会の仕組みを人口減少仕様に組み替えている傍ら、人口減少に転じた原因究明も行われているでしょう。

原因が判れば、人口増加に転換する可能性もある。

ある日いきなり人口減に転換したのだから、逆もありうるはずだ。

そう考えていろいろ対策を取っているのでしょうけれど、多分無理でしょう。

理由は。

理論的にも、実証的にも証明できないと思いますが。

人間の本能に起因するものだろう、と思うからです。

あくまで私個人の所感ですが。



何がきっかけか判りませんが、日本人の中に「子供を作らなくても良いんだ」という意識が芽生えたのが原因でしょう。

その意識が本能に働きかけて、日本人の身体を変えた可能性があります。

きっかけは些細なもの、例えば大ヒットしたテレビドラマだったりする可能性もありますが。

ですが潜在的にそういう意識が以前よりあり、何かのきっかけでそれが表に出ただけだと思います。

人間の意識というものは意外と影響が大きく、人間の身体構造も変える事が出来る。

私はそう思っています。



とても危険な話ですが。

女性の胸のサイズ。

ギリシャ時代の彫刻ミロのビーナスとか中世の絵画を見ても、現代で言う”巨”の人や”爆”の人は存在しないように思います。

(もしかしていますか?全部を知っている訳ではないので)

18世紀の写真が出来た頃のそういう写真(出来たばかりの物で、そういうものを撮影する是非はおいといて)でもそうです。

美意識が現代とは違うから(鳩胸は下品、とはかつての日本)そういう対象に選ばれなかった可能性もありますが。

女性がそういうものを望むようになったから、そういう風に人間の身体が作り替えられた可能性もあると思います。



日本人の身長が高くなり、足も長くなっている、という傾向は統計ではっきりしています。

栄養状態が良くなったから、穀物食が減って腸の長さが短くなったから。

生物学的な理由はあると思いますが。

一番の理由は、日本人がそれを望んだから、そうなりたいと意識したからではないかと思います。



それからすると。

日本人は妊娠しにくくなる身体を望んだのではないか。

現代の男性はパートナーが妊娠しても、必ずしも喜びません。

それどころか、困惑したり忌避したりする。

で、あれば、女性も妊娠を望まなくなるのはある意味自然です。

その意識が、女性の身体を変えたかもしれない。

かつては石女うまずめと蔑視された妊娠しにくい身体に、現代の女性は望んでなったのではないか。

日本人の身長が伸びたように、

中には母子家庭で育って、子供(自分自身)が女性(母親)にかけた負担を見ていて、自分はそうはなりたくないと思った人もいるでしょう。



多分、それは女性だけではないかもしれません。

男性自身も妊娠させにくい身体を望み、そういう身体に変化している可能性もある。

もちろん、裏付けのある話ではありません。

ですが、妊娠率(仮)みたいな統計があれば、はっきりするかもしれない。

妊娠率(仮)=妊娠数/妊娠機会数

ぶっちゃけて書けば、当たった数/生中だし数、とでも言えばいいでしょうか。

妄想が当たっているならば、この指数は極端に低下しているでしょう。

統計調査はキンゼーレポートより困難でしょうが。



ただし、多分これだけが要因ではないと思います。

生物というのは、常に自分の種が滅亡するという危機感を持っている、と聞いた事があります。

人間の中にもその危機意識があり、それが人間の性欲コントロールも含めて、人口増を促してきたとしたら。

それが「もう安全、種の滅亡はない」と切り替わったら、人口は減少に転じても不思議ではないと思います。

人間の文明は、少なくとも現代日本は、「もう滅亡はない」と安心できるほどの環境になったという事でしょう。

むしろ、「人間多過ぎて危険」に、切り替わっているかもしれません。



集団的無意識、という用語があったと思います。

心理学か社会学か。

門外漢の私には判りませんが。

私は、集団が共通して潜在的に無意識下で認識している事、と理解しています。

修辞的には”遺伝子に刻まれた”という表現がふさわしいかもしれません。

普段は意識していませんが、何かしら行動を起こす時これに従った行動を人間は選択する。

これを本能と呼ぶのかどうかまでは、判りませんが。



天敵という言葉は、食物連鎖の中で自分たちの種を主に捕食する存在、と、取り敢えずこのエッセイの中で定義しておきます。

で、食物連鎖の中ではこの天敵は捕食対象を滅亡させる存在ではなく、捕食対象の数を調整する存在なのだそうです。

滅亡させてしまったら安定した食料源がなくなり、自分たちも滅亡するから、だとか。

生物学的な聞きかじりです。

なので、食物連鎖の下の方にいる生物は凄まじい数の子孫を作ります。

魚類や昆虫などですね。

食物連鎖はピラミッド構造ですから、下の方の種は数が少ないと全て捕食されて滅亡してしまうからでしょう。

ですから、鮭などは大量の卵を産みますが、同じ魚類でも鮫などは胎生で、少ない子供をゆっくり体内で育てて産みます。

胎生は妊娠中の母体が危険になるから、強い種でしか出来ない。

食物連鎖の中では、個体数を増やす事が弱い種が滅亡を防ぐもっとも有力な手段だった訳です。

そうやって安定した社会、食物連鎖の社会を作ってきたのでしょう、が。



人類はそうはならなかった。

これも聞きかじりですが(詳細はくれぐれも専門の方の著作を参考にして下さい)、人類の祖先はアフリカ大陸で森林を追われ、平原に移住した類人猿の一種だったと聞きます。

多分、哺乳類の種として弱い存在だったのでしょう。

逃げる足もない。

大量に子孫を残す身体能力もない。

本来だったら草原という安定した食物連鎖社会に割り込んできた人類の祖は、適者生存の法則から滅亡したのでしょう、が。

それを、天敵に打ち勝つ事で凌いだ。

爾来、人類の祖は食物連鎖に安住することなく、天敵相手に情け容赦なく打ち勝ってきて、ここまでのし上がってきたのだと思います。

野生の肉食動物、昆虫などの小生物、自然環境、細菌、ウィルスなどの疫病、更には同族同士の闘争本能、最後には人体に組み込まれた自爆機能、遺伝子障害まで。

ありとあらゆる人類を滅亡させようとしたトラップを掻い潜り、打ち壊して。

同時に人類は、人口も増やそうと無意識下の中で行動してきたのだと思います。



人類の人口は、食糧の生産量に比例するそうです。

日本の人口は室町時代に急激に増えていますが、この時代米の増産方法が発見されたとか。

近代でもハーバーボッシュ法による化学肥料の量産成功が、人類の人口を急激に増やしました。

ですが、いつの時代でも一定数の餓死者はいたはずです。

食糧生産量が増えたならば餓死者はなくなるはずなのに、生産量が増えた分人類も増え、過剰に増えた分餓死者が出る。



特に不思議なのは、人口が急激に減った場合。

日本ではWWⅡの後、世界では黒死病、ペスト禍の後ですが。

人口カーブを見ていただければ一目瞭然です。

急激に人口が減った分、ちょうど補填するように急増します。

その結果、人口増加カーブはその時期だけ凹んだようになっています。

何故、こういう現象が起きるのでしょう。

為政者が働きかけたのだとは思えません。

WWⅡ後の日本なら可能性がありますが、中世ヨーロッパでそんな事が出来るとは思えませんし。

私は、人口の急減が人間の危機意識を刺激したのではないか、と思うのです。

人間の集団的無意識、または本能に。



動物園の動物は子供を作らなくなるそうです。

一部、かの動物園に絶倫パンダの異名を取る個体もいるようですが。

環境の変化、檻に監禁されている事によるストレス、が原因とか言われています、が。

逆じゃないかな。

普通、野生の動物には常に生命の危険があります。

そのストレスがむしろ、子孫を残せと本能にプレッシャーを掛けていたのではないか、と。

動物園という完全に安全な(動物の認識範囲で)環境には生命の危険がありません。

だから子作りをサボりたくなったのかも。

人間の子作りには快楽を伴いますから、つい動物も同じに考えてしまいますが、動物の中には苦痛しかない交尾もあるかもしれません。

むしろ、肉食獣と隣合わせにして危機意識を煽ったほうが、子作りをするかもしれません。

人間も生命の危機、戦闘後などには昂ぶるとか言われていますし。



日本人の中にも民族滅亡の危機意識があり、それが今まで人口増を促してきたとして。

それが何時の頃からか、なくなっていた。

日本の社会が充分に安全になったからでしょう。

それが潜在的原因だとしたら。

日本社会がよほど大きく崩れない限り、日本の人口は減少していくと思います。

原因が集団的無意識の中の危機意識の欠如だとしたら、小手先の対策では対処できない。

時間の経過に任せるしかないでしょう。

きっと「これはヤバい」と思うほど人口が減少したら、本能が「人間増やそう」または「人間減らすな」に変わると思うのです。

もっとも、この人間の本能の動き自体が自然界が人間滅亡に準備した最後のトラップ、の可能性もありますが。

または、この先世界的資源枯渇で日本の食糧供給量が減少するのを本能レベルで察知して、それに人口を合わせてきたのかも。






さて、日本の社会は少子化社会を受け入れて、それでやっていくとして。

国力を確保するために、社会環境を変革しなければならないのは確かだと思います。

現代においては、国力は「高等教育を受けた健全な人間の数」だと私は考えます。

なので、これは確保しないといけない。

コンピュータが発達した現代においては、一人の人間が手に入れる事の出来る知識は以前に比べて飛躍的に増加しています。

(私のような浅学の徒でも、それらしいものが書ける程)

ですので詰め込み教育でできる人間、知識の多いだけの辞書人間はあまり要りませんが、知識を上手に使う人間は必要です。

知識を上手に使える人間。

知識を使って新事業を興す、新技術を開発する、新発見をする、などなど。

それが国力になると思います。

もっとも、そこら辺も簡単なレベルならそのうち人工知能が担う事になりそうですが。



なので、少子化した子供をどれだけ健全に育て上げ高等教育を受けさせるか、が国力確保のキーだと思います。

ですが現在、家庭システム、家族の形が崩れて、子供の生育環境が悪化しているように思います。

なので、改善案を提示します。

例によって、無責任な立場からの提言ですが。



教育現場とか、そういうものはまるっと無視して。

まずは、基本から。

親権という問題。

親、血縁上の制作者には自動的に与えられるものですね。

この親権は、自分の子供に関する事には無類の権力を有するもののようです。

詳細はWikiを当たれば載っています、が。

難解な法律用語やその解釈がよく判らなくて、正しく理解出来ない。

なので、私の所感なのですが。



児童虐待のニュースなどを聞いていると、児童相談所による救助が親の親権によって阻まれて手遅れになるケースが多々見られます。

ですがマスコミはそういう時、大抵行政の責任にします。

行政が親権を取り上げようとしても、法的な権利が強固で簡単にはいかない。

マスコミもそういう時は必ず”親”の側につきますし。

外から見ていると、どうみても親にふさわしくないような人物もいて、どうしてこのような人物に親権を与えるのか、疑問に思います。



親という存在は、制作者+養育者ですが、制作と養育では必要とされる能力が違います。

ぶっちゃけ、制作は健康な一定年齢以上の人間なら誰でもできます。

ですが、養育にはそれなりの能力が必要でしょう。

制作者と養育者は切り離して考えるべきです。

そして親権を与えるべきなのは、制作者ではなく養育者です。

「親は必ず子供を愛する。

愛していれば必ず養育できる。」

こういう妄言が良くまかり通っていますが、根拠がないですよね。

確かに、殆どの制作者は養育能力を持っているかもしれません。

ですが「必ず」つまり100%じゃない。

人口の殆どが子供を作る(または作ろうとする)以上、必ず例外は存在します。

全体から見れば誤差レベルの例外かもしれませんが、その例外が子供を殺します。



「親はなくとも子は育つ。」

などというのも戯言、妄言のうちです。

乳幼児から一定年齢までは、養育者がいなければ子供は育ちません。

死にます。

人間は数時間おきに食糧を摂取しなければあっけなく死ぬ弱い生物ですし、子供は単独では食糧を獲得出来ません。

以前の家父長大家族であれば制作者に養育能力がなくとも、養育できる人間が家族内にいて代わりを務めました。

ですが、現代の核家族では養育者候補は二入しかおらず、どちらかに養育能力がないだけで子供は簡単に危機に陥ります。

なので親権を与える場合、養育能力を確認するべきではないでしょうか。

養育者能力確認試験、通称親権試験。

必要だと考えます。



親権、正確には監護教育権ですか。

これを与える試験としては、知識確認や精神鑑定などが考えられますが。

必ず、異論や反論は出てくるでしょう。

混迷するのは目に見える気がします。

なので、直裁的な方法で試験を。



乳幼児を育てて貰います。

ただし、仔犬、または仔猫の。

現在、保健所ではかなりの数が安楽死させられているはずです。

彼ら、彼女らを親権を希望する人間に渡して、1年間育てさせる。

それを親権試験とします。

そうして1年後、確認します。

健康に成長しているか。

精神的に不安定なところはないか。

飼い主、養育者に懐いているか。

最低限のしつけは出来ているか。

など、など。

心身に異常がある場合、受験者を怖れる、激しく嫌う場合などは失格です。

殺してしまった場合も、当然失格です。

ただし、不慮の事故や病気で死んだと判断された場合は事情を考慮されるべきでしょう。

失格者は、再試験まで5年程度の時間を空けることとします。

養育者として何が悪かったのか。

少なくともそれを認識して反省し、改めて貰うまでの時間です。



判りやすい判定基準だと思います。

能力のない人がごまかそうとしても、ごまかしきれないでしょう。

少なくとも仔犬、または仔猫をちゃんと育てられる人は、自分の子供を育てる事が出来る人だろうと思います。

まあ、育てられたけど自信がなくなった、という人も出るかもしれませんが。

これでおそらく、育児放棄ネグレクトをする人間を、かなりふるい落とせると思います。

中には

「仔犬や仔猫は動物だから、自分の子供のように愛する事は出来ない。

仔犬、仔猫を殺しても、自分の子供は殺したりはしないはずだ。」

と、言う方もいらっしゃるかもしれませんが。

好きに言ってください。

相手をする価値もない、と私は思います。



まあ、法律的な整備(養育対象の仔犬や仔猫の保護)や、住居の整備(ペット可のアパートなどを増やす必要がある)が大変そうなので、簡単ではないと思いますが。

余話として。

試験の後、夫婦またはカップルは尋ねられます。

「(育てた)仔犬はどうしますか?」

愛情深く育てた人たちは、おそらく仔犬を家族として引き取るでしょう。

そうして自分たちの子供が産まれた時。

仔犬は彼らの子供のお兄さん、お姉さんになる訳です。

この試験が普及すれば、そういう家庭が増えるのではないかな。

イギリス(?)に有名な犬のことわざがあります。

「子供が生まれたら犬を飼いなさい。

子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。

子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。

子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。

そして子供が青年になった時、

自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。」

子供のために良い事だと思います。

(くれぐれも誤解しないで欲しいのですが。

猫が駄目と言っている訳ではありません。)






シングルマザー問題も深刻でしょう。

誰のせいだ、とか。

社会のせいだ、とか。

犯人捜しも結構ですが、現実に存在し、その発生を食い止める事が不可能な以上、その対策を行うべきです。

良く言われるのが

「再婚しろ。」でしょうか。

「子供には父親が必要だ。」

大抵はこの言葉がセットになっているようですが。

私はこの言葉が大嫌いです。

”必要な父親”がいないと、どうなると言いたいのでしょうか。

母子家庭の方や孤児の方に、これほど失礼な言葉はありません。

それに、そこはかとなく「女性蔑視」のニュアンスが感じられる。

男、何様のつもりだ。

身体的能力が上なだけで勘違いしている男がいるようですが。

女性は男性より優れている。

私はそれを知っています。



有名なジョークに

「世界最強の人間は?」というものがあります。

何を持って最強というのか、とか思ってしまいますが。

答えは

「世界最強の男の奥さん」

何もかも超越して、納得できます。

説得力があるでしょう。

余談でした。



人間の歴史は長い間暴力が傍にありましたから、身体能力が上の男性が前に立っていましたが。

生物的にも精神的にも、実は女性の方が強いと思います。

夫婦の場合、大抵生き残るのは奥さんの方ですし。

それもよぼよぼのぼけぼけでなく、結構しっかりと長生きされています。

乳幼児の場合でも生物的に弱いのは男児の方だそうです。

ですので男児は出産数自体は多いのですが、乳幼児期に適当に死んで結果男女同数になっていたそうですが。

現代においては医療技術、制度が発達して乳幼児の死亡数が減ったから、男余りになったとか。



精神的にも女性の方が強いです。

短時間の集中力は男性に見るべきものがありますが、長時間の集中となると女性の方が上だそうです。

手術などで、

「死ぬ可能性があります。」と言われると、男性は結構ビビるものですが。

そして何とか回避できないか、とあがくものですが。

「出産」は死ぬ可能性がある行為です。

日本では、21世紀現在で10万人に4人(死亡者数)ぐらいまで安全性は上がっていますが。

近代になった1900年で約400人、1000人に4人。

1940年でも約200人、1000人に2人が死んでいた訳です。

それ以前のデータのない時代では、もっと死亡者数が多かったでしょう。

ですが、彼女たちは有史以前の昔から、敢然と死の恐怖に立ち向かっていたのです。

出産時、女性は長時間産みの苦しみに耐えますが、同じ苦しみを男性が受けた場合、耐えきれなくて衰弱死するか精神が壊れるそうです。

(と、どこかで聞いた覚えがある)



女性は感情的だ、とか、論理的な考えが出来ない、とか。

そんなもの、育った環境の違いだけでしょう。

討論、相手と意見をすりあわせて建設的な意見にまとめるのではなく。

相手を言い負かす討論において、感情的になった方が大抵勝ちます。

男だって情熱的に(ついでに大声で)自論を押し通すのが得意な人もいるでしょう。

”感情的”のうまい使い方を知っている分、女性の方が賢いとも言えます。

論理的な考えが出来ない?

女性に論破されて、顔を真っ赤にしてぷっつんする男を良く見ますが・・・・。






ところで、日本は「男尊女卑」の国だそうです。

「国連の持続可能な開発目標 (SDGs) として17の世界的目標」のうちの5番目「ジェンダー平等を実現しよう」

その評価値が、とても悪いらしいです。

この間、テレビで言っておりました。

本当かなあ、とも思いますが。

下記が評価基準の一部らしいのですが。

5.5 政治、経済、公共分野のあらゆるレベルの意思決定で、完全かつ効果的な女性の参加および平等なリーダーシップの機会を確保する。

ここら辺かなあ、悪い理由。

女性閣僚が少ないとか、会社のCEOが少ないとか、役付が少ないとか、そういう基準で算出されているとしたら、まあこうなりますね。



男性と女性はいろいろ違うのですから、当然、適、不適があり、適材適所は異なるでしょう。

「平等なリーダーシップの機会を確保する」事と、「リーダーの数が男女同数である」事は同義ではありません。

いくら機会が確保されていようとも、女性がなりたくなければ人数は増えないでしょう。

現在のそういうポジションは、言うなれば男性が作った組織の、男性が価値があると思っているポジションです。

男性好みの力が振るえて、名誉があって、存在感があって、優越感と自尊心をこの上なく満足させてくれて。

その代わり、責任と義務でがちがち。

賢い女性が好むポジションとは思えないのは、私だけでしょうか。



日本の女性はそういう男性好みの地位には目もくれず、自分たちの好きな場所を侵略し、占拠し、支配しています。

サブカルチャーの世界、とか。

小説、マンガ、服飾、料理、音楽などなど・・・・。

私の浅い知識では判らないのですが、世界中の国でこれほど女性作家や女性マンガ家がいる国はあるでしょうか。

男女間の格差が大きい中世。

平安時代、日本の女性たちは世界的に価値の高い文学作品をいくつも世に出しました。

平和が続く時代には、必ず日本の女性たちは世の中に出てきます。

なのですが。

江戸時代の女性たちは何故か静かです。

あっ、いた。

「江戸女流文学の発見」(門 玲子氏 著)という本があります。

荒木田麗、正親町町子、只野真葛、井上通、高畠式部、加賀千代・・・・。

多分、これから脚光を浴びるのでしょう。

私は「加賀千代」という名前にうっすら覚えがあるような。

やっぱり、日本の女性が平和な時代におとなしくしているはずがなかった。



日本は「男尊女卑」の国?

その風聞はもしかすると、日本女性が狙ってそういう風に思わせているのかもしれません。

昔「ガン・ホー」という映画を見た事があります。

内容は、アメリカに進出した日本の自動車メーカーの話です。

背景には、1980年代、日米貿易摩擦からのアメリカ政府の要請がありました。

当時、「Japan as Number One: Lessons for America」が出版され、日本という国がアメリカで注目されていた時期でもあります。

映画は、アメリカに進出した自動車メーカー幹部の若い日本人と、誘致活動をした現地の青年グループとのカルチャーギャップ?、まあ企業コメディです。

アメリカ映画ですが、良く日本の事を研究されていて、日系人が演じる日本人も不自然なところがなかったのですが。

私には引っかかるところがあった。



アメリカ現地で、日本人幹部の家族とアメリカ人青年グループが会食をする。

食事が終わって、日本人の男性、おそらく夫、ご主人が

「ここはもう良い。」というと、奥さん役らしい女性が下がっていく。

廊下で三つ指ついて、頭を下げて襖を閉めるのは、まあ仕様でしょうか。

アメリカ人の青年グループにも若い女性がいて、青年が

「君も下がったら。」と言うと。

「私はいるわよ。

私たちの街のことでしょう。」

と、退席を拒否します。

(例によってうろ覚えです)

これがアメリカ人のイメージなんでしょうね。

日本は男尊女卑で日本人女性は慎ましやかで男の仕事には口を出さず、アメリカ人女性は男女同権で積極的に自分の意見を言う。

この場面は、そういう日米の違いを表したシーンだと思うのですが。

私には引っかかった。

日本の女性がこんなにおとなしいものか・・・・。



じゃあ、私の思う日本人女性は何をするのか、というと。

アメリカ人女性のように、残って男性たちと議論を交わすとは思えない。

で、考えて・・・・。

思い至ったのが、「アメリカ人女性を拉致する」です。

日本の着物を見せて上げる。

ここら辺の美味しい店を教えて。

などと、女性が好みそうな話題を振って

「難しい話は男に任せて、こちらは楽しみましょう。」と言って拉致する。

そうして女性部屋に監禁して、情報を洗いざらい吐き出させる。

この街の有力者は誰で、その妻はどういう人で、どこの出身で、地元ではどう思われていて、社交の場はどこにあって・・・・。

多分、自分たちが乗り込んだ土地の、人間関係を主とした情報収集を行うと思う。



かつては欧米も男尊女卑で、その場合、財布の紐はご主人が握っていたそうです。

奥さんは本当にご主人のいうとおりにしか動けない、動かないと聞いたことがあります。

ご主人のイエスマン(イエスウーマン?)だとか。

まあ、人それぞれなのでしょう、が。

(アン・シャーリー、あっ結婚後だからアン・ブライスか、みたいな女性もいたでしょうから)

でも、欧米人男性の男尊女卑のイメージを考えると、あながち違うとは思えない。

日本の女性は、違いますよね。



軍事を知っている人は、戦いに勝つための要素がいくつかあるのをご存じだと思います。

実際の戦闘行動。

戦闘行動を行うための作戦立案。

そこら辺は誰でも判ります。

ですが、それだけでは勝てません。

見落としがちなのが、作戦を決めるための情報収集と防諜。

それと戦闘行動を支えるための兵站。

日本は昔から、家族単位、一族単位で戦ってきました。

平安時代の武士の発祥の頃から、家の子、郎党ですね。

その中で、表側の戦闘と作戦は男性が行い。

裏側の情報と兵站は女性が担ってきたのだと思います。



なのはずですが。

平安、鎌倉、室町、戦国、女性たちはどのようにして情報を収集してきたのだろう?

多分、やっていたはずなのですが、具体的に何をやっていたか。

適切な事例が見つからない。

自信満々に書いておいて、これはないと思うのですが・・・・。

(自分で書いておきながら、ひどいエッセイですね)

下働きの女が街に使いに出て噂話を集めてくる。

屋敷に来る行商人から地方の話を聞き出す。

他方に嫁入りした親族と手紙を交わす。

などでしょうか。

「功名が辻」のお千代さんは、武者長屋のお隣さんとおしゃべりしていた、などというエピソードがあったような。

いや、寧々さんとお松さんだったかな。



兵站の方は、一族の長の奥方がトップで、一族の食糧、衣服、道具、消耗品から武具まで差配を行っていたと聞いたことがあります。

戦の兵糧の方はどうしていただろう。

人材の育成も兵站の仕事です。

彼女たちは自分の息子たちはもちろん、親族の子供たちもまとめて一族の戦力として養育しました。

加藤清正、福島正則たちが「虎、市松」として、寧々さんに育てられたのは有名な話です。

ドラマ「坂の上の雲」の鮮烈なシーンを覚えていられるでしょうか。

手の付けられない暴れん坊だった子供の頃の秋山真之を座敷に正座させ、前に懐剣を置き

「じゅん、お死に。」と、母親が言う場面です。

秋山家は松山藩の下級武士の家でした。

明治の初め、長く平和だった江戸時代の末です。

にもかかわらずこの苛烈さは、日本の母親たちがどれだけ厳しく子息たちを育て上げてきたか、窺う事が出来ます。



明治の中期にオーストリア貴族と結婚して、ヨーロッパの古い宮廷、ウィーン、シェーンブルン宮殿にデビューした日本人女性。

カレルギー伯夫人クーデンホーフ・ミツコ。

大和和紀さんのマンガ「レディー・ミツコ」をお読みの方もいらっしゃるでしょう。

19世紀末の古い中欧の社交界で活躍し、32歳の時に夫と死に別れて以降、広大な領地を持つ伯爵家の家政を取り仕切ったそうです。

彼女は、大名家の姫ではなく、天皇家の内親王でもなく、公家でも武士の娘でもありませんでした。

実家は骨董品屋、庶民です。

彼女に才能があった、と言われるかもしれません、が。

当時ただ一人の日本女性としてヨーロッパに行く人物が、希少な才能の持ち主だった?

偶然すぎるでしょう。

私は、日本人の女性、その殆どに潜在能力があったのだと思います。



余談ですが。

ゲランの有名な香水「Mitsouko」は、この人の名前からではないそうです。

1909年にクロード・ファレールの書いた小説「ラ・バタイユ」の登場人物から、だとか。

ゲランの社長が明言したそうです。

ですが、作者のクロード・ファレールはどこから登場人物の名前、当時ヨーロッパでは耳慣れないはずの日本女性の名前を採ったのでしょうか。

ミツコのヨーロッパ社交界デビューは1896年です。



「男尊女卑」?

このように日本人女性は必要とあらば、表に立って戦う能力は充分に持っていると思います。

ですが、適材適所。

情報と兵站を担当するなら、特に情報は侮られていた方が有利でしょう。

もしも日本が裏側から女性たちに支配されていたのだとしても、私は少しも不思議には思いません。

大体からして、情報と兵站を握っている相手に敵うはずなどない。

(情報と兵站を軽視したやつは没落しているでしょう)

もちろん、私の想像、いやトンデモ系の妄想?だろうとは思うのですが。

確かめようにも、女性たちは教えてくれないでしょう。

「うふふ」と笑ってごまかされるのは、古今東西、数百万点のあらゆる創作物(詩歌、小説、マンガ、映画など・・・・)と実話のお約束です。






日本女性が優れている事を書いたのは、もちろん女性に脅された訳ではありません。

シングルマザー問題において、男性の協力は必要がない、というためです。

男の顔など見たくもない、という女性もいるでしょうし。

寧ろ、バカな日本人男性が、賢い日本人女性の邪魔をしていないか?

私は結婚制度を変更すれば、充分対処可能だと思います。

結婚制度は歴史的に見ても、世界的に見ても、動物学的に見ても、多種多様にありますね。

動物は種類によって結婚制度はほぼ固定ですが、人間は状況によって結構柔軟に変えています。

これらの多種多様な結婚制度の中に、現在のシングルマザーに適しているものがあると思うのです。



家父長大家族制は、日本だけではなく世界中に見られました。

動物学的には猿山の猿?とは同じではないのでしょうが、良く類似だと揶揄されます。

現在は核家族化が日本だけではなく世界でも一般的ですが、これは動物学的に言うと鳥類の家族構成に近いと思います。

燕の親が代わるがわるヒナに餌を運んでいるのは、共働きで働く夫婦にそっくりです。

中には托卵と言って、他人の親に自分の子供を育てさせる酷い鳥もいますが。

夫をブラックに突き落とす、皇帝ペンギンなどもいます。

ブリザード吹き荒ぶ南極大陸で、卵を温めながら男同士で身を寄せ合って耐えている姿を見ると。

”皇帝、エンペラー”という名前が凄くもの悲しく感じます。

”女帝、エンプレス”ペンギンの方がいいんじゃないか?

近頃、いろんなところでこの動画(ブリザードに耐えている)を見るのですが、偶然でしょうか?

お前たち(人間のオス)はこれ(皇帝ペンギンのオス)に比べるとまだましだぞ、という

女性たちからのメッセージだったりして。



一匹のオスが多数のメスを連れている、いわゆるハーレムも歴史的にも動物学的にも良くあります。

有名なところではオットセイ、鶏もそうかな。

人類ではイスラムのハレム、中国皇帝の後宮、江戸将軍の大奥とかでしょうか?

実際にはもっといっぱいあったのでしょうね。

「なろう」では、複数の女性が「あなたが好き」と言って、男が「皆、俺の嫁」というパターンが一般的ですが、実際はそうではなかったようです。



イスラムではクラーンに、「力ある男は戦争未亡人を引き取れ」と書かれているそうで。

ハレムは、一人の男に支配される複数の不幸な女性たちの生き地獄、という見方が一般的みたいですが、実際は違ったみたいです。

イスラムでは女性は男性に対し、姿を覆うなど不自由な関係を求められています。

ですが、ハレムの中は女性だけの場所で、そこでは彼女たちは自由にのびのびと暮らしていたそうです。

謂わば、女性たちの楽園、解放区。

ジャン=レオン・ジェロームなどの絵画でその様子が描かれていますが。

あれ、どうやって描いたんだろう。

男子禁制ですよね。



現在の西欧キリスト教国はイスラム主義国家に対し、女性の人権を保障せよ、と謂わばイスラムの戒律を破らせるような事ばかり求めていますが。

いっそのこと、女性だけの町、都市を作らせる事を求めてはどうでしょうか。

中世においては女性は自力で糧を得る手段がなかったので、一人の男の所有物になるしかなかったのですが、現代では違いますよね。

男子禁制の町であれば、女性の人権も守れ、イスラムの戒律にも反しないと思うのですが。

余談でした。



中国皇帝の後宮はどうでしょう。

数千人規模だったとかで、殆ど町レベルですね。

そこに住んでいた女性たちには、四夫人(妃)、九人の嬪、二十七世婦(美人、才人)、八十一御妻(御女、采女)などと身分制度があったようです。

で、彼女たちを世話するのが多数の下女と悪名高い宦官。

皇帝は牛車で女性たちの住まいを回っていたそうですが、ある賢い女性が自分の房の前に塩を盛った。

皇帝の牛車の牛が塩を舐めて動かなくなり、皇帝は仕方なくその房の女性に寵愛を与えた。

現代でも客商売の店の前に盛り塩を置くのは、この逸話所以だそうです。

現代なら、スマホの充電装置やウォーターサーバーでも置いた方が効果あるんじゃないだろうか。



日本の「大奥」はテレビドラマ化もされましたね。

それぞれのお部屋様をトップにして、女性集団同士の暗闘がメインテーマだったような気がします。

遠藤淑子のマンガ「激闘!大奥」では、大砲、小銃が火を噴き、匍匐前進で市街戦をやっておりますが。

上様が地雷に引っかかって大奥恐怖症になったとか。

本当かなあ、とも思います。

男に見えるところでは女性同士バチバチやっている振りして(女性たちが自分を巡って争うというのは男性の自尊心をこの上なく満足させますから)、裏では和気藹々としていたりして。

真実は分厚いベールの向こうです。



食物連鎖のトップに立つ肉食動物などは、シングルマザーが多いようです。

熊などは冬眠中に子供を産んで、そのまま育てる。

オスが寄ってくると威嚇して追い払うとか。

しばしばオスが子供を襲う事もあるから、だそうです。

チータなどもそうだったかな。

岩合光昭氏は有名な動物写真家ですが、氏の有名な写真の中に「チータの親子」の写真もあったように思います。

「アフリカポレポレ」は氏の夫人、日出子氏がセレンゲティ時代の事を書いたエッセイですが。

チータのお母さんが獲物を獲れなくて子供たちが飢えに苦しんでいる、と夫人が不機嫌になっているくだりがあります。



複数のメスが集まって子供を育てているのがライオンです。

群れの中にはオスが一頭いるのですが、オスがメスたちを集めた訳ではない。

最初はどうだっかは知りませんが、メスたちはずっと同じ群れで子供たちを育てている。

オスの子供たちは大きくなったら群れから追い出され、メスと子供たちだけで群れを維持している。

一頭いるオスライオンは何もしないそうです。

子種を与える以外は、メスが獲ってきたものを食べるだけ。

謂わばハーレムに寄生するヒモですね。

で、時たま若いオスライオンがハーレム欲しさにヒモに挑む。

勝ったらその若いオスライオンが群れのヒモに成り代わる。

群れを追われたオスは、年老いて一人寂しく死ぬ。

群れを獲得できなかったオスも、一人彷徨ったあげく死ぬ。

新しく群れを獲得したオスライオンは、群れの中の子供を、オスだけかみ殺すのだとか。

ライオンのオスというのは、つくづく不憫な存在らしいです。

私が知っているのはそこら辺までで、それからすると基本的にメスはオス同士の争いには不干渉みたいです。

オスとメスとで争う事はあるのかな?



このライオンの家族形態が、現代のシングルマザーに合っている、と思うのです。

「マー姉ちゃん」は「サザエさん」の長谷川町子の家族の物語ですが、彼女たちは長谷川町子の収入を軸にして三姉妹(+母親)で生活し、子供も育てています。

ライオンの家族にはトップのオスがいますが、生活形態だけで言えばオスは要らないでしょう。

シングルマザー同士で集まって暮らし、何人かが働いて生活費を稼ぎ、何人かが育児、他の家事を行う。

法律的には同性婚の複数婚(重婚?)になるのでしょうか。

親権は、全ての母親たちが全ての子供たちに持つ。

監護教育権も財産管理権も持ちます。

逆に血縁上の父親は認知していようがしていまいが、母親たる女性と子供には何の権利も義務も持たない、持たせない。

将来、精子バンクで子供を作る女性が増えてくる事も考えられるでしょう。

このような家族形態が、シングルマザーには一番適していると思います。

これならば、現在の経済的、時間的な困窮も解決できるのではないでしょうか。

法律がきちんと整備される事が条件でしょう。

そうすれば、男性からの余計な干渉も、援助という名の国からの干渉も、遮断できます。



でも、いいのかなあ?と。

日本の女性は世界的に見ても優秀だと思います。

今までは家庭の中でおとなしくしていてくれましたが。

男女同権で男たちは女性を表に引っ張り出した。

パンドラの箱を開けたようなもんじゃないかな。

今はまだ、いろんな制約が彼女たちの足を引っ張っていますが、その束縛がなくなったら。

きっと、獅子のごとく、日本の女性たちは時代を切り裂いていきますよ。



愛?恋?

んな個人的な事は、知らない。

ご自由にどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ