脇道19 :海の彼方より 野球の話2
野球発祥の国、アメリカの最高峰がMLB、メジャーリーグベースボールです。
自他共に認める世界最強の野球チームリーグ。
現在30チーム、アメリカンリーグとナショナルリーグの2リーグに分かれていて、それぞれのリーグの優勝チームがシーズン末、秋に戦います。
先に4勝した方が優勝のその試合、シリーズの名前が、ワールドシリーズ。
世界シリ-ズと言います。
USAシリーズでも、カナダのチームもあるからノースアメリカンシリーズでもなく。
世界一強いチームを決めるから、”ワールド”シリーズです。
かつて日本では大リーグと呼んでいました。
MLBの別称「Big League」の訳だそうですが、敬意を込めて”大”と訳したのでしょう。
大リーグと呼ばれていた時代、日本では殆どその実態は知られておらず、海の向こうの別天地のように思われていました。
日本人にとっては日本のプロ野球が、唯一最高の野球の舞台だったのです。
それが野茂選手が1995年に渡米して変わりました。
衛星テレビでMLBの試合中継が始まり、日本人選手が次々に渡米して活躍し。
既に20年以上経ちました。
今の人たちにとってMLBは、子供の頃からあった身近な物だと思います。
「私を野球場に連れてって (Take Me Out to Ball Game)」。
MLBの試合、セブンスストレッチで観客全員で歌う、今ではCMやいろんなところで使われて有名な曲ですよね。
川原泉さんがマンガ「メイプル戦記」の中でヒロインに歌わせた時、作中では殆どの人がこの曲を知りませんでした。
ちなみに。
この曲が有名になっていろんなところで歌詞の和訳を目にしますが、川原さんの和訳が一番素敵だと思います。
ベーブルースという人は有名だと思います。
中には戦前のMLB野球選手という事を知らないで、名前だけ知っているという人もいるかもしれません。
彼はMLBでもっとも多くホームランを打ったバッターでした。
その記録がハンク・アーロンに破られようとしていた時、ちょうど日本でも王選手がホームラン記録を積み重ね、その記録を破ろうとしていました。
日本のメディアは王選手を世界一のホームラン王とはしゃいでいましたが。
MLBの反応は冷ややかだったと思います。
実際、ホームランの数だけで言えば正確な記録はないそうですが、ジョシュ・ギブソンと言う選手がキャリア通算で972本を打ったという話もあります。
彼は黒人であり、MLBではプレイしませんでした。
MLBにはかつて黒人差別があり、1947年のジャッキー・ロビンソン以前の黒人選手は19世紀まで遡ります。
野茂選手に続いて日本人選手がMLBにデビューし、何人かの選手が最優秀新人選手賞Rookie of the Year Awardを取りました。
野茂英雄、佐々木主浩、イチロー、大谷翔平。
日本のメディアは喜んでおりました、が。
ちなみに。
日本のプロ野球では、MLBから来た選手に新人王を与えたことはありません。
日本のプロ野球にはセントラル・リーグとパシフィック・リーグの他にイースタン・リーグとウエスタン・リーグというものがあります。
この2つのリーグでいくら実績を積んだ選手であろうと、彼らがセントラル・リーグとパシフィックリーグに移籍すれば、新人王の対象になります。
まあ、このふたつのリーグはプロ野球チームの選手育成機関、2軍チームのリーグですからある意味当然ですが。
外の組織、例えば都市対抗野球、社会人チームから来た選手も、それまでいくら実績を積んでいようと新人王の対象になります。
つまり、日本プロ野球はMLBにとってそういうものなのです。
ところが近年になって、日本から来た選手に新人の資格があるのか、MLBでは議論になっています。
日本で充分な実績を積んだ選手は新人とは言えない、という主張です。
日本のマスコミの反応を見ると、なんか否定的ですが。
私は喜ぶべき事だと思います。
日本の選手がMLBに昇格ではなく、トレードとして行く。
日本のプロ野球がMLBと同等の実力を持っていると、他ならぬMLB自身が認めた証だからです。
日本選手の活躍だけではありません。
かつてMLBから日本のプロ野球に行くという事は、言うなれば都落ち。
MLBで通用しなくなったから、ドサ回りとして行く、という事でした。
惨めだった、と言っていた選手もいたと聞いています。
引退間近に日本のチームと契約して、我慢できずに短期間で帰国したスター選手もいたはずです。
ところが、近年になって日本でプレイした後、MLBに復帰して活躍した選手も出てきました。
アルフォンソ・ソリアーノは広島カープの2軍で選手生活を始めて、MLBニューヨーク・ヤンキースのスター選手になりました。
セシル・グラント・フィルダーはMLBで芽が出ず、阪神タイガースでフォームを改造、その後MLBデトロイト・タイガースに戻って、2年連続でホームラン王を獲得しました。
この事実は、日本のプロ野球のレベルがMLBのそれと同等である、という事の傍証でもあると思います。
日本の野球はやっとここまで来ました。
そして、それを誰よりも喜んだであろう人のことを書こうと思います。
日米野球勝敗グラフ
MLB、大リーグ。
彼らは本当に強かった。
グラフを見ていただければ判ると思いますが。
戦前は殆ど勝てていない。
戦後も、ようやく何とか格好がつくほどに勝てるようになったのはON、野村などのNPBのスーパースターが出てきた頃です。
日本のプロ野球が日本シリーズを終えて一段落した晩秋。
海の向こうからやってきて、あれだけ凄かった日本のプロ野球選手を一蹴して帰って行く。
それもMLB所属の中の1チームだけで。
彼らを招聘したのは多くは、読売新聞社、正力松太郎氏だったと聞きます。
正力松太郎氏は読売ジャイアンツに遺訓として
「巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」を残しました。
Wikiに書いてありました。
氏の願いは、巨人軍だけではなく、日本の野球全てにおいてだったのでしょう。
招聘したMLBチームは巨人軍だけではなく、必ず全日本チームとの対戦も組まれました。
井の中の蛙となるな、世界には強いチームがある、という氏の叱咤だったのだと思います。
巨人軍は1975年にデーブ・ジョンソンを獲得するまで、最初期のビル・スタルヒンを除き、いわゆる助っ人外人選手は入れていませんでした。
純日本人選手だけで、MLBチームと対抗しようとしていたのだと聞きます。
ワールド・ベースボール・クラシック、WBC。
世界一を決める大会。
MLBを擁するアメリカの関心が今ひとつ薄いのが興ざめですが、日本は初回、次回と連続優勝をしました。
MLBでの日本人選手の活躍、日本からMLBに復帰した選手の活躍も併せて。
正力松太郎氏は泉下で喜ばれたのではないかな、と思います。
戦前、日本の野球はMLBに歯が立ちませんでした。
最初の年など、40分でパーフェクトゲームをされた、とWikiにもありました。
戦争が近づく中、反米意識が高まっていく時に、この状況は凄く悔しかったのでしょう。
だからこそ、光る伝説もあります。
1934年の来日チームは、おそらくMLBの長い歴史の中でも屈指のメンバーだったと思います。
ベーブルースにルー・ゲーリック、MLBを知らない人でも名前を知っているであろうホームラン王。
それと日本では知名度は低いですが、ジミー・フォックスもホームラン王。
ピッチャーは速球投手でMLBシーズンで26勝を挙げたレフティ・ゴメス。
全員が殿堂入り。
静岡県草薙球場。
おそらく日本武尊が草薙剣を振るったであろう土地にあるこの球場で、僅か17才の少年がルー・ゲーリックのホームラン1本に抑えました。
3人のホームラン王から三振も奪ったそうです。
京都商業を中退して全日本選抜に参加した沢村栄治投手。
この年の全日本チームは学生野球の統括団体が学生の参加を拒否したため、非学生チームが結成されました。
それがそのまま日本初のプロ野球チーム、後の読売ジャイアンツになりました。
沢村投手は巨人の初代エースとして最多勝などを獲得し、大投手の片鱗を魅せたのですが。
戦争で夭折しました。
野球ファンにとってもそうですが、後に続く速球投手たちにとっても切ないことでしょう。
死んだ人は越えられない。
彼らは常に沢村投手と比較され、そして必ず不戦敗になるのです。
実際のところ、沢村投手がMLBチームに好投したのはその1試合だけで、他の3試合では打ち込まれたそうですが・・・。
沢村投手については戦前、それも戦争間際という事で、いろいろ謎な部分があるそうです。
足を大きく上げて投げ込むという独特のフォームは有名ですが、実は試合ではしていなかった、とか。
速球投手と言われながら球速も判っていない。
現代ではスピードガンが発達し、野球中継では投手の一球一球毎に球速が表示されます。
それ以前の投手の球速も、試合中継の映像などから読み取ることが出来るそうです。
ですが、沢村投手についてはそういう映像自体も残っていない。
Wikiによると、ふたつのテレビ番組で練習時の映像などからかなり無理めな考察で、100マイル近く、150km/h後半と推測していました。
沢村投手にはもうひとつ決め球があったはずです。
Wikiには載っていないみたいですが。
懸河のドロップ。
ググってみたら結構有名ですね。
おそらく魔球と呼ばれたでしょう。
魅せられしもの、その名は魔球。
その前に、沢村投手からホームランを打ったルー・ゲーリック選手について。
神様ベーブルースが落ち目になった頃に現れた、名門ヤンキースのスーパースター。
ドイツ系移民の子で、来日した年には三冠王も獲得しています。
そして本来、キャリアの絶頂期であろう35才で筋萎縮性側索硬化症という難病で引退し、その2年後に亡くなりました。
でも、彼を不幸だと言う事は、彼自身が許さないでしょう。
ヤンキースタジアムでの引退スピーチで、彼は自分のことを
「私はこの世でもっとも幸せな男です。 (The luckiest man on the face of the Earth.)」
と、言いました。
野球史上で最も感動的なシーンのひとつだと思います。
当時はテレビ中継がなかったので、この有名なスピーチは映画の中で、俳優ゲイリー・クーパーの声で世間に届けられました。
ゲーリックの死後、2年目に作られた「打撃王(The Pride of the Yankees)」という映画です。
私は確か、テレビの映画で見た記憶がある。
引退のシーンで、ルー・ゲーリックが奥さんに支えられて球場を後にするラストシーンを覚えていますが。
それより、奥さんにプロポーズするシーンの方が印象に残っている。
「野球選手は、スタジアムごとに女の人がいるんでしょう。
船乗りが港ごとに恋人がいるように。」
と責められて
「そんな事はない。君だけだ。」
と、一生懸命弁明するのです。
スタジアムごとに女の人がいる。
これ、絶対ベーブルースのせいでしょうねえ。
記憶があやふやです。
この間、DVDを手に入れたから見て確認すればいいのですが、そんな勤勉さは私にはありません。
その「打撃王(The Pride of the Yankees)」という映画ですが、王選手が探しているという記事を、昔どこかで見た記憶があります。
あれ、いつ頃だったんだろう?
一般向けの記事で見た覚えがあるから、映画フィルムという事はないでしょう。
ビデオカセットが出始めの頃だったでしょうか?
ルー・ゲーリックの映画と書いてあって、なんかすごく納得しました。
多分、王選手はルー・ゲーリックと自分を重ねて見ているんだろう、と。
映画の中でも出てきますが、ルー・ゲーリックにはライバルというか常に比較される対象がいました。
ベーブルースです。
野球の神様と言われるほどの偉大な先駆者にして、陽気な人気者。
同じ人気者である長嶋と常に比較されてきた王選手としては、映画を欲しがるほどには親近感を持っていたのではないかな、と思うのです。
その後の人生は違いましたけどね。
王選手は引退後、指導者として無類の能力を発揮し、福岡に移ったホークスの黄金時代の基礎を築きました。
そしてWBC初回大会で、監督として侍ジャパンを世界一に導きました。
日本の野球にとって、それは幸せなことだったと思います。
長くなりそうなので一旦切ります。
ところで、関係ない話ですが。
喫煙者の皆様、お元気ですか?
私、貧乏パイプ、始めました。
タバコ高いですよね。
今、一箱560円。
タバコ1本28円。
もやし一袋19円ですから、もやし炒めが主食の人がいたら、タバコ一箱はその人の一週間分の食費に匹敵する?
吸い殻は環境の敵ですが、吸い殻に残るタバコの葉ももったいない。
なので、吸い殻をほぐして集めてパイプに詰めて吸う。
名付けて貧乏パイプ。
みっともない、言うな!
昔、戦争中に物資が不足した頃、居間にあった長火鉢の灰を掘り起こして、大昔の吸い殻を発掘してほぐしてキセルで吸ったとか。
吾妻ひでおの「失踪日記」にはシケモクを探す苦労が書かれていたり・・・。
まあ、タバコ文化終焉間近、最後の日々を楽しみましょう。




