脇道15 :車輪とキャタピラの狭間
ロボットの項でも触れましたが、車輪という物は実に画期的な物です。
荷物を運ぶという行為を、生物には取り得ない簡単な構造で実現する。
私は自然発生的に古代の地球各所で発明されたと思っていたのですが、どうも特定地域で発明されてそれが広がったみたいです。
まあ、中国ではないでしょう。
もし、中国ならば史書に発明者として名前が載って、世界4大発明とか言っていたでしょうからね。
元は多分、本当におそらく。
コロでしょうね。
エジプトのピラミッド建設の絵画で見られる、巨大な石(巨大でも形が整っていたら岩じゃなくて石なのか)に掛けられた何本ものロープを、人力で引っ張ってスロープを運び上げる。
その補助として石の下に何本もの円柱材、おそらく丸太を置いて転がしながら動かす。
で、石の通過した丸太を後ろから運んできて前に置く。
そのうち誰かが丸太運びが嫌になって、丸太を直接石の下の台にくっつけてしまえ、と考えたのでしょう。
丸太運びなんて、ロープを引っ張るより楽だろうに。
楽な仕事を、さらに楽したいとは。
まったく、発明というのは怠け者が行うもの、ということがよく判ります。
本当に、車輪は中国人が発明した物じゃないのだろうか?
そうして紆余曲折して現代の車輪、ホイールになりました。
いろんな技術発展がありました。
まずは正確な円形を作るところから。
さらには車輪を支える車軸の問題や、車軸と台座を結合してスムーズに回すためのベアリングとか。
画期的なのはやはりゴムタイヤの登場でしょうか。
車輪と地面の当たりを柔らかく、さらにゴム表面の摩擦係数の高さで滑りにくく。
サスペンションの発達と相まって、タイヤは車輪を高速化へ導いたと思うのです。
それ以降も、スポークが普通だったホイールがプレス板のディッシュになったりアルミダイカストになったり。
車輪は進化し続けました、が。
車輪が車輪である以上、車輪形態が持つ根源的な問題は、どれだけ進化しても残ります。
即ち、接地面積の小ささです。
円と線、または円柱と平面。
幾何学上から言えば、前者は点、ポイント。
後者は線、ラインでしかありません。
実際は円柱が変形してある程度の面積は確保できますが、そしてそれは転がり抵抗を生みますが、そこまでしても面積は小さいです。
自動車のタイヤははがき一枚分の接地面積しかない、というタイヤメーカーのCMキャプションを読んだ事があります。
それが車一台、4本分のタイヤの合計か、タイヤ一本分なのかは忘れましたが。
それ故、車輪は常に接地圧という問題に悩まされます。
接地圧、支える重量を接地面積で除した物。
接地圧=支える重量/接地面積
これが過大だと2つの問題があります。
ひとつは車輪を壊すという事。
車輪がゆがみ、割れる。
でもこれは車輪を強化すれば解決しますし、車輪をつなぐ車軸の方が壊れやすかったようです。
もうひとつは、地面の状態によって車輪が沈み込むというもの。
雨の降った後の土の街道など、昔は直ぐ泥濘になり車輪が沈み込んで車両が動かなくなりました。
スタックという現象です。
他にも雪面や砂地など。
慣れたドライバーは車両の中に必ず毛布を常備しており、スタックした場合はそれを車輪の下にひいて脱出したものでした。
このスタックの対策として、現代では主な走行場所、つまり街道や道路などを路面改良、舗装化、硬質面にしました。
しかし、全ての地面がそうなったわけでは、もちろんありません。
スタック対策のもうひとつの方法、接地圧を小さくする、という方法はあまり意味がないでしょう。
実施するには積載重量を小さくするか、タイヤを増やすかですが、両方とも使用者にはデメリットしかありません。
それに滑りやすくなります。
車輪が回転して車両を動かす場合、力は車輪と地面との摩擦を介して地面に伝わります。
接地圧が低すぎると摩擦力が低くなり、地面との間で空転、スリップを起こします。
さらに曲がるとき、慣性によって真っ直ぐ進もうとする車両をカーブさせる力は車輪と地面の摩擦力です。
接地圧が小さく摩擦力が小さいと、いくら車輪をステアしてもスリップして車両は直進してしまいます。
実際にはスリップの問題、摩擦力不足は接地圧に関係なく現れてきました。
車両が発達し、駆動力が大きくなり、さらに高速になり、しかも重たくなったのです。
対策は車輪の接地面であるタイヤの摩擦力向上。
現代でも最前線、F1などの舗装路高速レースやWRCなどの不整地高速レースなどで、タイヤのグリップ力向上を目指して終わりなき挑戦が続いています。
この問題のもうひとつの回答は、レールでしょう。
鉄、という人間が扱える最も強固な物質で作られた地面に、同じく鉄で作られた車輪。
どれだけ接地圧を高くても(限界はあるでしょうが)問題なく転がる車輪。
これが考案されたおかげで、軽量化?なにそれ?というような鉄の塊の蒸気機関車で、積載量積めるだけという貨物車両を何両も引っ張る鉄道が可能になりました。
他にもコンテナ埠頭のガントリークレーンのような巨大構造物の移動や、建築物を解体せずに移動させるミッションなどにも使われています。
列車砲があれだけ大口径砲を使えるのも、大重量を運搬できるレールがあったからでしょう。
ただし、レールには根源的な問題があります。
レールを使うには、過去には砕石、現代ではコンクリートの路床の上に枕木という荷重分散装置が必要です。
その装置を備えるためには、現代でも時間の掛かる大規模な土木作業が必要です。
さらにその費用を回収するための、定期的な運行をレール、つまり線路に求めました。
なのでレールという方法は、簡単に行きたいところに行く、という事には使えないのです。
重量物を行きたいところに行かせる、泥濘地や雪面、砂地も含めて、ために考えられたのが無限軌道です。
最も有名な名称がキャタピラでしょうか。
これはアメリカキャタピラー社の登録商標で、元の意味は毛虫です。
もうひとつの呼び名にクローラーがありますが、これも元の意味は、這って歩くもの、トカゲなどのは虫類を指します。
いずれも初期のキャタピラ車両、装軌車両の、のそのそとした動きから来たのでしょう。
キャタピラー、毛虫とは、装軌車両の動きを見たイギリス人兵士の言い草(彼らは本当に口が悪い。空母の事を”水に浮いたアイロン”などと言ったりしてる)だったそうですが。
自分の会社の名前に、毛虫と付けたアメリカ人ホルト(キャタピラー社の創業者)は皮肉の効いた、多分とっても面白い人だったのでしょう。
それから行くと、無限軌道という日本名はセンスのある、むしろロマンチックな名前だと思います。
連結敷板、なんて名前が付いていても不思議ではなかったのですから。
さて、このキャタピラ?クローラー?無限軌道。
キャタピラでいいですか、はトラクタやブルドーザ、戦車や装甲車など、重量車両に使われて一般的になりました。
その踏破能力は圧倒的で、泥濘地や砂地、果ては雪原など、今まで車両が踏み込めなかった場所に重量車両を導きました。
接地圧をとても小さく出来たのです。
かといって地面との摩擦力が低いという事はなく、大きな接地面積は地面をしっかり捉えました。
しかしながらこのキャタピラ機構は、その能力の引き換えというか、デメリットてんこ盛りの機構でもありました。
いくつもあるでしょうが、顕著なところでは。
まず、構造が複雑。
そして重い。
キャタピラには履帯という、細かな板をピンでつないだ帯状の物があります。
履帯こそが、キャタピラを特徴付ける物と言っても過言ではありません。
この帯が車輪の下に入って、車両の重量を地面に分散して伝えることにより大きな接地面積を稼いでいます。
当然ながら履帯は、車輪一つに使っても意味はありません。
二つ以上の車輪間に履帯を巻き付けることが最低の構成要素です。
まず、この履帯自体が複雑で重い。
数10枚の細い板を、回動可能なピンでつないだ構造をしています。
ピンが折れたり抜けたりしたら、簡単に分解して外れます。
板自体も重量物たる車両の車輪に踏みにじられるのですから、丈夫でなければなりません。
WWⅡのドイツ重戦車6号テイーガーの履帯の板は、片側96枚、約3t、一枚30kg以上あったといいます。
WWⅡの戦車の写真には、予備の履帯の板を戦車前面に搭載している姿がありますが、充分追加装甲の役を果たせるような代物だったのでしょう。
この、沢山の関節でつながれた重量物たる履帯を引っ張るのが、キャタピラ車両の走行システムです。
しかも重量車両であれば、より強い力で引っ張らなければならず。
さらに戦闘車両では速度が求められるわけで、速い速度で引っ張られて。
キャタピラが耐久性?何それ?というシステムなのはお判りでしょう。
事実、戦車で長距離侵攻をしたWWⅡのドイツ軍は、足回りを壊して攻勢が頓挫しました。
第4次中東戦争では、イスラエル軍は両方の戦場をカバーするのに戦車運搬車を使いましたし。
現代の建築車両などは、大抵トレーラーに積まれて建築現場に運ばれます。
もちろん最新の軍用装軌車両の中には時速100km/hを出すものもありますし、路面保護のゴムカバーを付けて長距離移動が可能なものもあるでしょうが。
それでもキャタピラ、無限軌道が、車輪に比べて故障しやすい脆弱なシステムである事は変わりがないのです。
他の問題として。
キャタピラは車輪などと比べて、遙かにスペース、容積を必要とする機構です。
戦車という戦闘車両は、大きな火砲をできるだけ低く小さな車体に納めるのが基本の設計スタンスですが。
その戦車の全体の容積の1/5~1/6以上のスペースを占めるのが、キャタピラです。
小さくしようとしても、小さく出来ない。
さらに動かすのに力が要ります。
車輪というものは回すのにさほど力が要らない機構です。
ジャッキアップした自動車の従輪(駆動輪でない方、FFなら後輪)などは、手で簡単に回ります。
回り出すまでの慣性抵抗はありますが、回り出せばほんの小さな力でいつまでも回せます。
一方、キャタピラシステムをジャッキアップして、駆動輪をフリーにしたとしても、とても手で簡単に回せるとは思いません。
まあ、やった事はありませんが。
つまり、車輪に比べてそれだけ無駄な力が必要だ、という事です。
装軌車両の燃費など知らないのですが、参考までティーガーは372Lのガソリンで路上行動距離が196kmだったそうです。
燃費など考えるだけ無駄、という代物ですね。
まあ、どちらにしろ2択なのでしょう。
車輪とキャタピラ。
雪面などの特殊環境ではそりなども有効ですが、それ以外の全ての路面において。
動く人工物はこのふたつの”足”を使うしかなかったのです。
それでも互いに補えない部分は出てくるわけで、その場合は特殊なものを開発するしかありませんでした。
キャタピラの使えない重量物などは。
3階建て家屋に匹敵するような巨大な鉱山用ダンプは、人の身長を大きく超える大径車輪、タイヤを使います。
C5AギャラクシーやAn-225ムリーヤなどの重量級輸送機は、まるで芋虫の足か!というほどの大量の車輪を降ろして滑走します。
車輪の使えない軽量、高速車両は。
家庭用?と思うほど小さい、下手したら電話ボックス(近頃とんと見かけなくなりましたが)程度の大きさのパワーシャベルは小さくて軽量なキャタピラを。
雪上の暴走族、もといオートバイたるスノーモービルには高速キャタピラなど。
何となく無理して使っているような気がしてなりません。
2つしか選択肢がないのだから、仕方がないっちゃ仕方がないのですが。
さて、長々と書きましたが、実はここまでは状況説明、前振りです。
専門家でもない私が、聞きかじりの車輪とキャタピラの話をエッセイにしたって意味ありませんし。
このエッセイの本意は。
もし、車輪とキャタピラ以外の第3の選択肢があったとしたら。
接地面積は車輪より大きく、構造はキャタピラより遙かに簡素で、車体構造は装輪車両のものを流用できる。
車輪とキャタピラの狭間にある第3の足回り。
そんなうまい話があるものか、と。
まあ、もちろん妄想案であって実現の保証などないのですが。
とにかく、それを紹介するのがこのエッセイの目的です。
元々は階段を登れる車椅子を作ろうと考えたのですよ。
車輪というものは連続した地面でしか動けない。
途中に溝があったり、段差があったりしたらそこで足止めになります。
まあ、熟練したトライアラーならばタイヤをホップして簡単に越えていきますが、それはそれ。
普通の装輪車両では無理です。
ましてや車椅子では。
車輪は円形の接地体だから連続して地面に接地しなければなりませんが、断続して接地するものならば溝も跨ぎ越せるし、段差も登れる。
まあ、私たちの足がそういうものですが。
足は複雑な動きを要求しますが、そんな事しなくてもできるものがある。
古くから知られていたでしょうし、実際何かに使われているかもしれない。
名前もあるかもしれませんが知らないので、仮に矢車、スポークホイールとでも呼びましょうか。
そう、回転軸から等角度で突き出た複数の棒、スポークで構成された車具(車輪だけど輪、輪ではないので)です。
これならば簡単な構造ですし、望み通り断続した接地点の軌跡になります。
まあ、足のように自由に接地点を選べるわけではないので、スポークが溝にはまったり、階段を踏み外したりするでしょう。
そこは工夫が必要でしょうが。
さて、この矢車、スポークホイール、欠点があります。
まあ、そうでしょうね。
なければもっと普及しているはずです。
だって車輪って作るの大変なんです。
輪、円形というものは精度良く作ろうとするのは大変難しいものです。
誰かがコンパス(釘などの固定点にひもを付けて、ひもの先の筆記具を引っ張りながら一周する)を思いつくまでは、目で見て作るしかなかったでしょうし。
不正確な円の車輪は、荷車に大変な振動を与えたでしょう。
最初の車輪は木製のコロを輪切りにしたものでしょうか?
簡単に割れたでしょう。
次は円形に切り出した平板かな。
鍋のフタみたいですがこれも割れたでしょうし、複数貼り付けても割れたでしょうし、重くもなったでしょう。
以前、アメリカ開拓時代の荷車を、昔ながらの製法で作っているドキュメンタリーを見ました。
柔軟な木に熱を掛けたりしながら根気よく曲げて環状にして、外側に鉄の枠(帯状の鉄の板を輪っかにしたもの)を填めていました。
スポークホイールが使えるならば、そこまで苦労して車輪を作らなかったでしょう。
スポークホイールの欠点は車軸、つまり回転中心が上下動する事です。
ちょっと幾何的に考えてみれば判りますが、スポークが地面に直角に接しているときと、斜めに二本で接しているときでは、地面から車軸のまでの距離、高さが変化するのは判るでしょう。
荷車に付けて疾走すれば、車体が暴れるのは自明です。
それ以外にも、多分スポークが簡単に折れたのでしょう。
連続して接地する車輪では地面からの反力も連続して穏やかでしょうが、断続接地のスポークホイールでは衝撃的です。
上下に激しく揺れて簡単に壊れるスポークホイールは使い物にならない、と判断されたのは当然だろうと思います。
でも、この欠点も、現代の技術ならば対応出来ます。
回転位置によってスポークの長さを伸縮すればいいので、簡単なものはカムででもできるでしょう。
スポークが地面から受ける衝撃も、それに耐えられる形状と材質を選べば大丈夫でしょう。
スポークにスプリングとダンパーを組み込めば、サスペンション代わりにもなります。
スポークの接地面はどうしましょう。
流石に棒の先端形状のままなら接地圧が高くなるので、適当な板を付けて。
スポークと地面の角度は常に変化するから、ここには足首みたいな動きをするジョイントを設けて・・・・・・・・・・。
ん?
これ、接地面積増やし放題に増やせるんじゃね?
元は車椅子用だったのですよ。
この足回りならば結構、柔らかな地面でも行けるな。
朝の海岸の砂浜の散歩を障害者の方にプレゼントできる。
・・・・・・・・・・・。
でも、んなもんじゃ済まない。
これ、かなりの高速でも使えるんじゃないだろうか。
確かに車輪に比べて複雑なシステムです。
まあ、車輪より簡単なシステムってそうありませんが。
大変なのは判る。
足回りですから車体の荷重が衝撃でかかるだろうし、酷熱、厳寒、塩害、紫外線に晒される車外装備だろうし、壊れたら命に関わる最重要保安部品だろうし。
簡単に行かないだろうとは思うのですが。
でも、キャタピラより遙かに簡単な形だし。
第一、時計仕掛けのレーシングマシンを作り上げた人たちが出来ないはずはない、と思うのです。
いきなり話逸れますが、好きなので。
ホンダ RC149。
1966年にホンダが世界選手権に出した125CC5気筒!!DOHCロードレーサーです。
バルブシャフトなどマッチ棒より細かったとか。
それを22000rpmで回したそうです。
ちなみに「時計仕掛けのレーシングマシン」と当時言われた、というのをどこかで読んだ気がしたのですが、今探しても見つかりません。
記憶違い?ボケたかな?
あっ、もちろん、ホンダにやって欲しいと言う意味ではありません。
でも、F1に使ったらコーナリング速度ぶっちぎりだろうなあ。
まあ、これが第3の選択肢、スポークホイールです。
タイヤと同じようにドライブシャフトに取り付けて使えます。
多分、タイヤより大きくなるでしょうから、タイヤハウスはそのままとは行かないでしょう。
車軸周りの慣性重量は大きくなるだろうし、ホイールバランスも取れているとは言えないので、タイヤほどの高速走行は難しいでしょう。
でも、ホイールの先のシュー?パッド?は状況に応じて交換可能ですし、それ次第で接地面積は如何様にも(スペース的な限界はあるでしょうが)増やす事ができます。
車輪と違って連続面を必要とするわけではありませんので、岩石が点在する不整地でも踏破できるかもしれません。
どうでしょう。
車輪とキャタピラの狭間に住む事はできるでしょうか?
ところで蛇足ですが。
「車椅子、邪魔。」
こんな事言うと障害者マフィア(障害者福祉団体とかいうところ?)から、吊し上げ喰いそうですが。
でも、事実でしょう。
満員とまではいかないまでもそれなりに混んでいる電車の中では、車椅子場所取りますよね。
私は差別主義者ではないので、邪魔なものは邪魔と言います。
障害者だろうと何だろうと、普通の人として接します。
障害者マフィアのように差別はしません。
そういえば以前、東横インの社長だか吊し上げていましたね。
障害者福祉法だかなんだか知りませんが、法律の内容を聞いて余りにもホテル側に不利益を押しつけている、と感じました。
障害者を優先せよ、というのは障害者を差別しているのと同じです。
貴方たち差別主義者が障害者優先をゴリ押ししているせいで、障害者の方たちがどれだけ迷惑しているか。
私も以前怪我の時、車椅子を使いましたが、あれ屋外で使用するのには凡そ使いづらいものです。
自分の行きたいところに行けない。
その使いづらいものが一向に改善しないのは、誰も「邪魔」と言わないからでしょう。
それと障害者マフィアが、周りに使いづらいものを押しつけているからでしょうね。
車椅子が通れない道?
道を広くしろ、とごねる。
人が通れれば充分でしょう。
車椅子を人サイズにコンパクトにすれば良いだけでしょう。
誰もそう考えなかったのだろうか。
なので考えてみました。
普通の車椅子だと、大人4人のスペースが必要ですが、これだと2人分ぐらいで済むでしょう。
自転車式サドルなので、障害の程度によっては使えない人も出てくるでしょうが。
車椅子で人の中に入ると、目線の高さから常に見下ろされる事になります。
今では見かけなくなりましたが、昔は道ばたに乞食、物乞いが座っていたりしました。
その経験者が書いていましたが、毎日地べたに座って周りを見上げていると、社会の底辺にいる、と実感するのだそうです。
車椅子の人たちはどういう気持ちでしょうか。
この車椅子は、健常者の目線と同じ高さになります。
転倒の危険性は増しますが、自分で立ち、歩く事の出来る車椅子です。
パラリンピックのCMアニメで、片足を失った少女の話がありましたね。
車椅子を少年が押して走って、風を感じる。
やがて成人した彼女は義足で会社勤めをし、あの素敵な、しなやかなスプリングの義足でトラックを駆ける。
彼女たちは本当はとても強いのです。
なので、強者にふさわしい車椅子を。
どうでしょう。




