16.日本はなぜ太平洋戦争をしたのか。 余話3:安保闘争と共産主義。
軽く触れて終わりにするつもりだったのですが、長くなったので分けます。
60年代の日本の学生運動は、革命という面からいうと日本の社会には必要ないものでした。
倉田江美さんのマンガだったか、大学生の男がカウンセラーにかかって
「学生運動もたしなんでいます。」と答えるシーンがあったかな?
要はお祭りのように、部活動のように、野外コンサートのように、映画のように。
若い情熱を何かにぶつけたくて暴走したのだろうと思います。
「ウッドストック」という歴史に残る大野外コンサートがありました。
「いちご白書」という映画もありました。
アメリカの学生運動は凄い。
日本の学生も、世界平和のために立ち上がろう。
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迷惑な話です。
まあ。それだけなら迷惑なだけで悪い話ではない。
大学が休講になろうが、デモ隊と機動隊がタイマン張ろうがいいのですが。
ただ、この学生運動の根幹に”共産主義化”の思想がありました。
これが危ないものでした。
学生運動のメインテーマのひとつがいわゆる「安保反対」です。
いわゆる日米安全保障条約ですね。
終戦まもなく発効された日米安全保障条約を改訂した新安保条約の調印、承認が1960年、それの10年後の延長承認が1970年。
この二つで大規模な安保闘争、条約反対闘争が起きており、これが日本の学生運動のメインテーマになりました。
安保の骨子は在日米軍の駐留を認める、というものです。
太平洋戦争が終わって日本は新しい憲法で戦力放棄、軍隊を持たない事を明示しました。
つまり無防備国家を宣言したわけです。
それだけならば問題がない。
治安維持は警察、防災は消防、海の治安は海保。
大規模災害に対応する組織は当時はありませんでしたが、そのうち作られた事でしょう。
実際、内政だけならば、または日本が太平洋の真ん中当たりにあったなら何ら問題はありませんでした。
問題は日本の国が最前線近くにあった事です。
WWⅡ後、世界は大方の予想通り、自由主義陣営と共産主義陣営の2強に分割されました。
その境界線付近ではいくつもの摩擦が生じ、中には武力紛争、戦争に発展したケースもありました。
ヨーロッパでは西ドイツと東ドイツ、そしてNATOとワルシャワ条約機構との軍事対決。
直接の武力衝突は起きなかったようですが水面下では激しい諜報戦争がありました。
エスピオナージ、007、ル・カレの世界。
中東では自由主義陣営が打ち込んだ楔、イスラエルを巡って対立。
カリブ海では逆に共産主義陣営の橋頭堡となったキューバが火種。
そしてアジアでは共産主義北朝鮮が自由主義韓国に攻め込み、北ベトナムが共産主義陣営に頼って南ベトナムと戦い、台湾海峡では国共内戦の残滓が火を噴く。
いずれも日本から飛行機で1日もかからないところです。
日本のある場所はのんきに無防備ではいられない場所だったのです。
本当に迷惑な。
他でやれ、と言いたい。
ヨーロッパの永世中立国、事実上戦争はしないと宣言している国々は、攻め込んできた国相手に
「戦争はしないと言ってるだろう、ゴルァ。」と、ど突き返す軍事力は持っている。
昔のスレイヤーズに出てくるどこぞの中年王子の「非暴力者パン~チ」
みたいなものですが。
日本は軍事力を放棄しましたので、代わりにど突き返してくれる人として在日米軍に居て貰う事にしました。
それを決めたのが日米安全保障条約だったのです。
アメリカの核の傘で守って貰う、というのが表向きの理由で、アメリカ人は今でもそれを信じています。
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実態は違います。
ぶっちゃけて言えば、アメリカ軍の対共産主義国家向け兵站基地です。
要は日本がロシアに対し朝鮮半島を利用しようとしたのと同じように、アメリカがソ連や中国と戦争になったとき、日本は前線直ぐ後方の兵站基地になる予定でした。
実際、朝鮮戦争やベトナム戦争では日本から前線に物資を供給しています。
朝鮮戦争の時は貨物船の船員として、日本人自身で運んでいたりもします。
アニメ「コクリコ坂から」にはその時のエピソードが出てきますね。
そしておそらく、前線が崩れた場合、日本が次の戦場になるはずでした。
日本はアメリカの世界戦略、要は米帝による世界征服の手先になった、のが安保条約の実態でした。
それが学生運動中の学生たちの言い分でした。
まあ、合っています。
彼らの主張
「だからアメリカと縁を切って、無防備中立国家になろう。」というのも、日本国の立ち位置としては正しいものです。
ただ、彼らは”怖ろしい”勘違いをしていました。
「大丈夫。共産主義国家は素晴らしい国だから日本に攻め込んできたりはしないよ。」
彼らは、何でここまで甘くなれるのかと思えるほど、甘っちょろく共産主義国家を盲信していました。
学生運動には当然のことながらいろんなメンバーが参加していました。
流行だから、友だちがやってるから、面白そうだから、あの人がやっているから。
そういう人の方が多かったでしょう。
そういう人たちは学生運動が終わったとき、普通の人たちに戻っていったでしょう。
多分、東大の安田講堂が陥落した時じゃないでしょうか。
「終わった、終わった、さあ、かったるいけど日常に戻るか。」
学生に、社会人に、今までの暮らしに戻っていけた人たちです。
でも、中核にいた人は、中心にいて運動を主導した人は、戻れなくなっていた人たちがいたのです。
彼らはハイジャックして北朝鮮に行き、または雪山で半ば戦犯裁判のように自己総括で死んでいきました。
そして、それ以外の人たちも。
彼らは基本的に純粋で誠実で善人だったと思います。
純粋に共産主義という革新的で素晴らしい政治システムを信じ、誠実に日本の危機を何とかしようと頑張り、私欲ではなくそれどころか己を捨て石として尽くそうとする善人だったのでしょう。
そうでなければ学生運動の主導者なんていう、自分の利益にならない、苦労ばかりが多い事を進んでやるわけがありません。
中国や東南アジアのクーデターや自由主義運動とは違います。
中国の天安門事件。
あれは民衆の自由のために立ち上がった人たちでは多分、ないです。
共産党一党支配の中で共産党員に成れなかった人たちが、自由主義という道具を使って成り上がろうとした争いです。
権力を掴める可能性のなくなった、鄧小平が戦車を出して共産党固持の姿勢を見せた、その瞬間に参加者は自由主義を放り捨てて雲散霧消しました。
逃げ遅れた間抜けだけが、海外で看板を下ろし損なっているだけです。
そのうち共産党からお誘いが来るのを待っているのかな?
クーデターも同じようなもので、自分が権力を握れる目処があるから起きるのです。
彼らは違いました。
政権を取る事など望んでいないし、取れるとも思っては居なかったでしょう。
彼らの望みは”アメリカと手を切る事”だけだったのです。
そういう善人たちだから当時の”きれいな”共産主義国家を信じたのでしょう。
あのころのソ連や中国の印象を、今の人たちは信じられないでしょうね。
素晴らしい理想の国だったのです。
特に中国なんかは。
文化大革命なんか大絶賛です。
特に学生たちが農地に行って開墾作業に従事する下放政策などは、これぞ平等、これぞ共産主義、という感じです。
ビートルズの曲の中に「Back in the U.S.S.R」という曲がありますが。
ソ連に帰ろう、という意味の歌詞です。
歌詞の要約は、マイアミに行っていたロシア人がソ連に帰ってきた。
帰ってきた事がどんなに幸せなことか、なんてソ連は素敵な場所だろう。
と、絶賛しています。
当時の共産主義国は鉄のカーテンと竹のカーテンで、情報の流出をほぼシャットアウトしていました。
国民の海外渡航も禁止されていました。
外向けに出される情報は、国家が監修した”きれいな”ものばかり。
実態は東ドイツから逃げてきた人とか、僅かな亡命者から徐々に報されていましたが、大部分は”きれいな”情報を信じていました。
1960年代に在日朝鮮人たちの帰還事業が始まっています。
日本にいても生活が苦しいから「地上の楽園」たる北朝鮮に帰ろう、という事業です。
日本のマスコミもこれを応援し、10万人近い人が帰っていきました。
学生運動の過激派の一部が日航ジェット機よど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命しました。
彼らは追い詰められていくところがなくなって北朝鮮に向かったのではなく、日本での革命を諦めて自分たちだけ地上の楽園に行こうとしたのです。
だから彼らには、学生運動を主導した彼らには”正義の味方”に見えたのでしょう。
悪の資本主義を打ち倒す正義の味方に。
確かに資本主義社会というのは”善”というわけではありません。
もともとは「神様から貰った」と主張する王と、その配下の貴族の強者優先社会でした。
そこから弱者が少しずつ、少しずつ地位を押し上げて作ってきたのです。
まずは平民が、時には王を排除する革命を決行して、その次は子供、女性というように。
野生動物や自然、というものにまで到達したのはようやく近年です。
それまでは弱いものは虐げられていたのです。
宮崎駿の「ラピュタ」。
最初の舞台は近世英国の炭鉱町風のところですが、少年であるバクーはそこで働いていました。
彼は蒸気機関操作の助手でしたが、炭鉱の中、暗くて危険な坑道には彼と同じ年代の少年たちが働いていたはずです。
まだ、少年たちも働かされていた頃の英国。
そこで、そういう社会を一気に改善しようと「平等」という概念を推し進めた社会を設計したのがマルクスです。
ちゃんと「資本論」を読んだ訳ではないので、済みません、間違っていたら。
マルクスはどういうつもりでこれを書いたのでしょうか?
現実社会のアンチテーゼとして、思考実験のつもりだったのでしょうか?
弱者たち、彼らの地位向上を進めた人たち。
平民の地位向上は確かに彼ら自身の力によるものでしょう。
でも、どの場面でもその弱者たちを助けて戦ってくれていた、強者側の人たちがいました。
確かに資本主義社会は、強者が弱者を蹂躙して収奪する社会かもしれませんが、同時に弱いものを守って戦ってきた強者、勇者もいる社会なのです。
「ベルサイユのばら」のオスカルは決して、空想上の産物だけではなかったのです。
決して”悪”な社会ではなかったのです。
でも、そういう手強い相手、資本家と練り強く戦わなければならなかった彼ら、弱者の地位向上を目指す彼らの中には、戦いに倦み疲れていた人たちもいたでしょう。
そういう人たちにとって「資本論」共産主義は、一挙に勝利する必殺技に思えたかもしれません。
共産主義は世界の知識層を魅了したといいます。
でも、それが実際に適用されて効果を発揮する社会は、そういう知識層が多くいる社会ではありませんでした。
むしろ、国民の多くが教育を受けていない、つまり中間管理層の人材が不足していたロシアや中国でした。
毛沢東は文化大革命で知識層を弾圧しますが、彼は知識層の増加が共産主義を破壊することを知っていたのかもしれません。
でも、文化大革命の担い手も知識層の卵である学生たちであったのは皮肉、と言えるでしょう。
性善説、性悪説。
人間は善人ではありませんが、悪人でもありません。
場面や状況によって、または立場や責任によって、善にも悪にもなります。
共産主義は基本的に性善説でないと成立しない社会です。
他人より抜きん出たい、という、ある意味人間の生物としての本能を押し殺す必要がある。
それは個人の欲望を充足させるために発動すると”悪”になりますが、人間に行動を起こさせるモチベーションとして機能すると”善”となります。
共産主義社会といえども”善”の発動は必要で、それは容易に”悪”に転びます。
そして共産主義社会には”悪”の防止、自浄するシステムが存在しない、または弱かった。
20世紀も終わりになると共産主義国家の実態が判ってきました。
ソ連が崩壊したり、毛沢東が死んで改革開放が始まったりして。
そこから現れてきた共産主義国家は。
まあ、昔の中国王朝やロシア帝国とそっくり。
毛沢東やスターリンという皇帝が、共産党幹部という貴族を従えて、共産党員という役人で人民を搾取する。
私は共産主義国家では、誰でも望めば共産党員になれると思っていました。
どうも、違うらしい。
共産党員になれるのは一部の特権階級だけだそうです。
ソ連ではWWⅡの時でさえ「人民の敵」の子女は差別されていました。
中国には今も都市戸籍と農村戸籍があります。
「平等」「共産」の思想はどこへ行ったのか。
マルクスが見れば「こんなの共産主義じゃない」とわめき散らすのではないでしょうか。
「太子党」という、しっかり権益を子供に継承できるシステムもある見たいですし。
これが、歴史の洗礼を受けていない社会システムの実態です。
巧妙な悪意によって簡単に人間を搾取する道具に変わる。
自由主義社会にある防止機能「言論の自由」や「対立政党」などというものは、「人民の敵、革命の敵」として封殺されています。
「宗教の自由」さえない。
これが「共産主義」の実態です。
「共産主義」を盲信し、毛沢東やスターリンを崇めていた日本の学生運動の指導者たちはどうしたでしょうか?
彼らは基本的に純粋で誠実で善人だったと思います。
だから簡単に騙されました。




