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とりとめもなく  作者: nayuta
19/46

脇道7 :アメリカが艦隊戦を戦うとしたら。 補助艦

アメリカが作るであろう補助艦のひとつがこれ、オマハ級観測巡洋艦です。

もし、建造されていたら世界初になったでしょう。

この船は、ただ距離を測り砲戦指揮を執るためだけの船です。


挿絵(By みてみん)


もし、日米戦艦艦隊との間で砲戦が行われたとして、その推移を想定してみますと。

互いに相手を視認して接近、30000mぐらいで砲戦開始、25000mを切ったぐらいで互いに至近弾が出始める。

実際の命中は20000m近辺からで、15000m当たりで互いに命中弾が多数出て砲戦がピークを迎える。

やがて脱落艦が出始め、どちらか、おそらくアメリカ艦隊側から退避を始めて砲戦終了。



砲戦が上記のような経緯を辿ったとすると。

実は日本側もアメリカ側も不本意な結果です。

大和も、アメリカ40cm砲艦も、そのコンセプトは

「遠距離からの山なり弾道による大落下角で水平装甲を撃ち抜いて火薬庫か機関を破壊する」戦艦です。

大和は4万~3万mを主な射程距離、アメリカ戦艦も3.5万m~3万mを想定していたと思いますが。

想定というか予想では、おそらく当たらないでしょう



史実でのWWⅡの移動目標に対する最遠距離命中は、イギリスの旧型戦艦ウォースパイトの古い38cm砲によるものだそうです。

カラブリア沖海戦でイタリア戦艦ジュリオ・チェザーレに当てた24300mが最遠距離命中記録ということだそうで。

もうひとつはドイツ巡洋戦艦シャルンホルストがイギリスの空母グローリアスに当てた命中弾で、ノルウェー沖夕方、新型の28cm砲による、やはり24200m程度だったそうです。

ウォースパイトの主砲、MarkⅠ38.1cm(42口径)砲は最大仰角30°で27420mの最大射程ですから24000mでは仰角は28°程度、命中時の撃角はおそらく30°程度でしょうか。

シャルンホルストの主砲は1934年型28cm(54.5口径)砲は最大仰角40°で40000m飛んだそうですから、仰角も撃角も似たようなものだったでしょう。

大和自身もサマール島沖海戦で32000mからガンビア・ベイを砲撃していますが、みすみす全艦載機の発進(28機)を許していますから命中距離は20000m近辺でしょう。

信用できるのかなあ、とは思いますが。

各艦はきちんと戦闘詳報を上部組織、海軍省になるのでしょうか、を提出しているはずで多分大丈夫でしょう。



つまり仰角45°、撃角50°などの山なり弾道で移動中の軍艦に当たった例はWWⅡにおいてはなかったのです。

よっぽどの近距離、1万m以内で小口径砲で当てた例はあったかも知れませんが。

WWⅡでは戦艦の軍艦に対する砲撃例が少ないと思いますが(ヨーロッパでは結構多い?)おそらくここら辺が当時の戦艦の実力だったのでは、と思います。

砲戦の専門家(元・海上自衛隊の方)のサイトでも”艦砲射撃は当たらない”と書かれていますし。

なので上記の想定のような海戦が起きたとして。

アメリカはアメリカらしく問題点(遠距離で当たらない)を検討し、ひとつの対策を出したとして。

妄想したのがこのオマハ級観測巡洋艦です。



艦砲射撃に必要な測距、標的との距離、角度を測定するのは、砲撃を行う艦自体が行うのがもっとも適しています。

しかし砲戦時の戦艦は、主砲発射の振動、着弾の衝撃、高速運動の揺動などがあり。

さらに砲煙や煙突の排煙、水柱などの視界を妨げる要因もあり。

精密測定環境としては最悪です。

この測定の不正確さが遠距離砲戦の命中率の悪さの要因として、その対策は発射母体から測定機器を離す事です。

観測巡洋艦は砲戦から離れた静かな海面で、発射母体である味方戦艦と標的たる相手戦艦の位置を測定して、照準情報を計算、砲戦指揮を行ないます。

母体として選ばれたのは1920年代に建造されながら、設計思想が古くWWⅡの第一線には投入出来なかったオマハ級軽巡洋艦です。

それでも日本の5500級よりは近代的なのですが。

幾度かの実弾射撃も含む検証結果から有効と認められ、本格的に改造がされました、という想定です。



それほどおかしな改造はしていません。

戦艦の艦橋トップ、前部と後部にある、射撃指揮装置を3セットずつ前部と後部、後煙突近辺に搭載しました。

その基部には砲戦指揮を行う司令室を設けてあります。

測距儀は1つは標的艦、1つは発射母体の戦艦、1つは予備兼着弾位置測定用です。

観測巡洋艦1隻に付き3隻の戦艦の砲戦指揮を行えますが、実際は2隻まででしょう。

という事でオマハ級10隻が全て改造された場合、20隻の戦艦の砲戦指揮が可能です。

最大速度35ktの高速艦ですからアイオワ級にも充分付いていけます。

備砲は全て降ろして、防衛用の54口径5インチ連装砲を2基、後対空用の40mm機関砲4連装をいくつか。

中央の4本煙突を右舷側に倒しているのは、排煙によって測距儀の視界が妨げられるのを防ぐためです。

そのため、中央の砲戦指揮所は少し左にずらして搭載されています。



トップヘビー気味になりますが大丈夫でしょうか?

オマハ級は駆逐艦並みの高速を出すために船体が細く、復元性に不安があったとあります。

一方、友鶴事件の話の時に対比として出されるほど重心位置が低く、少しの揺れで直ぐ揺り返しが来たともあります。

この観測巡洋艦は重雷装駆逐艦の弾幕攻撃時の指揮艦も勤めます。



もう一種類は重雷装駆逐艦です。

日本で開発された93式酸素魚雷は36ktで40400m、52ktで22000mの射程距離を持っていたそうです。(Wiki情報)

アメリカの艦艇用魚雷であるMk15が26.5ktで12800m、45ktで4100mだそうで明らかに優れていることが判ります。

4万mといえば戦艦の主砲の射程外、2.2万mでも殆ど命中を望めない距離でしょう。

戦艦相手に安全な距離から攻撃が出来るのです。

ただし、当たらないそうで。



スラバヤ沖海戦で10000m以上で発射された188本の魚雷のうち命中したのは4本だったそうです。

遠距離雷撃戦は狙って当たるものではないという事でしょう。

もっとも日本の魚雷は直進性を保つ為のジャイロが狂いやすい傾向があったそうで、それも遠距離雷撃が当たらない一因だったのかも知れません。

魚雷というのは砲弾などと比べて非常に高価な兵器だったそうで、現代で言えば対艦ミサイルに相当するそうです。

無駄撃ちに近い遠距離雷撃は、スラバヤ沖海戦以降行われなくなったと聞きます。

しかし、アメリカ艦隊を迎え撃つ艦隊決戦では使うかも知れません。



複数の船から同時に並行に魚雷を発射して、その網に敵艦を捉える、という戦法は以前から考案されてはいたそうです。

外れる魚雷が大量に出る代わりに確実に命中する戦法だそうですが、従来の魚雷では射程が短いのでできませんでした。

明らかに魚雷を撃ってくると判る水雷戦隊が、綺麗に射点に整列するのを黙って見ているはずもない。

必ず砲撃して沈めにかかるでしょう。

確かに10000m内外は艦砲の命中範囲内ですし、仮に発射出来たとしても10000mを走らせるには航走速度を落とす必要があります。

のんびり航跡を曳いてくる魚雷を躱すのは難しくはないでしょう。

つまり戦法としては成立しない。

・・・・・・・・・・。

酸素魚雷なら可能です。



2万m以上から50ktを越える航走速度と見えない航跡。

例えば駆逐艦12隻、3水雷戦隊96本の魚雷を平行な櫛の歯のように発射したら艦隊を捉えることが可能でしょう。

速くて見えない魚雷は回避のしようがありません。

特に発射したことに気づかれなければ。

または砲戦開始直前、砲戦に備えて針路を慎重に整えている最中ならば。

いきなり複数の艦の横っ腹に水柱が立ったら、艦隊がパニックに陥るのは簡単に想像出来る。

その後直ぐに砲戦が始まれば、アメリカ艦隊は甚大な損害を出すことになると思います。

そうして海戦に敗れれば、アメリカは敗因となった酸素魚雷の徹底的な調査を行い、その複製に乗り出すでしょう。

ただ。

史実のアメリカでは開戦初期に魚雷の信管不具合がありました。

ところがそれの対応が凄くお粗末で、そこから考えると果たして酸素魚雷を実用化してくるかどうか。

まあ、ここでは実用化したと妄想して酸素魚雷用重雷装駆逐艦を描いてみました。

ベースは一山いくらの大量(不良?)在庫駆逐艦です。


挿絵(By みてみん)


ウィックス級駆逐艦とクレムソン級駆逐艦は1910年代から20年代にかけてダニエルズ・プランによって大量生産された駆逐艦です。

第一次世界大戦の勃発で海軍の大拡充が開始され、それを受けて両級が生産されました。

その建造数が半端じゃない。

ウィックス級駆逐艦は111隻、クレムソン級駆逐艦が156隻。

第2次世界大戦までの間に除籍、解体されたものは32隻と57隻、事故で9隻を失っていましたがそれでも169隻が残っていました。

そのうちの40隻近くがWWⅡで英国にレンドリース法で貸し出されていました。

いわゆるタウン級駆逐艦になります。

意外と優秀な船で1000~1100トンの大きさに35ノットの高速、5000km近い航続距離を持っていました。

日本で言うと特型以前の江風級から睦月級に相当するでしょうか。

ただしこちらは4級合わせても38隻しかいませんが。



で、残った130隻近い彼らはWWⅡでは一線で戦えるほどの能力はなく、一部はアメリカの援英船団の護衛駆逐艦となりUボートと戦いました。

他は高速輸送船になったり機雷敷設艦になったり、いわゆる雑役船になりました。

考えてみれば、日本では第一線で働けるほどの能力を持った船を大量に雑役に使えた訳で。

贅沢な話です。

そのうちの60隻を重雷装駆逐艦に回したとしても不自然ではない?

5連装魚雷発射管(フレッチャー級に載っているやつ)を4基搭載しました。

後部の構造物を全部取っ払って、両舷に発射出来るよう取り付け位置をかさ上げして。

武装は5インチの単装砲と40mm連装機関砲2基に換えましたが、全部の船を変更した訳ではありません。(という設定です。)

ただ、魚雷戦指揮を受けるための通信設備と、隊列をきちんと組むための航法設備は最新式に入れ替えているでしょう。



アメリカの事ですから、酸素魚雷化したとしても外形をMk15から変更はしないと思います。

それまでの生産設備から発射管などの装備まで、今までのものをそのまま使えるようにするでしょう。

酸素魚雷は酸素の通る配管部分を念入りに脱脂しないと直ぐに爆発事故を起こすそうで、日本では搭載された艦の水兵たちが4~5日かけて行っていたそうです。

アメリカでは、そうですね、アメリカ人にそれが出来るとは思えないので。

工場で完全に脱脂して、出荷検査も兼ねて一度起動してみて、それから完全に密封して出荷するのではないでしょうか。



日本では注入する酸素も艦上で生成していたようです。

魚雷が高価な事は既に述べましたが、その関係もあるでしょう。

毎年毎年こつこつと作っては必要本数を在庫していたのでしょうか。

そこまでいくと消耗品ではなくて、備砲と同じ装備品に近いかもしれません。

演習などで使っても回収して再利用出来たみたいですし。



アメリカはおそらく必要本数、数千本でも一挙に生産出来、艦隊にフレッシュな状態で納入出来たでしょう。

密封品は時間によって劣化しますから使用期限を決めて、それを過ぎたものは遠慮なく廃却するか、返却するかしたはずです。

こういう高価な兵器である魚雷を、ある意味雑に扱えるのはアメリカならではと思います。

やはり弾幕攻撃(これは私の造語かもしれません)による遠距離雷撃戦は、持てるもののみが行える贅沢な戦法なのでしょうか。



ところで艦隊が戦列を組んだ場合、例えば重巡が単縦陣を組んだ場合、船同士の間隔はどのくらいなのでしょう。

写真で見る限り、前方との船の間に5~7隻ほどの船が入るぐらい空いているように見えます。

そこから計算しますと、重巡の全長が約200mとして1~1.5kmほどでしょうか。

それからいくと10隻の単縦陣の長さは9~13kmほどかな?

魚雷同士の間隔を50mに取ったとして(50mなら全長の短い駆逐艦100m以下でも1発は当たる計算です。)艦隊全てを網羅するには。

最低でも300発は必要という事ですね。

さらに回避をさせないためにクロスで撃ち込むには倍、600発ですか。

日本がWWⅡで生産した酸素魚雷は長崎製が2700本、他には呉製もあったようですが、それでも600本は全生産数の1/5から1/9に当たります。

仮に20発命中したとして、10~20隻に損害を与える訳ですから充分な戦果ですが、

それでも580発は空しく海底に行くわけで。



一撃必殺を狙っての肉薄攻撃が日本のお家芸になるのも無理からぬ事かもしれません。

その場合、往々にして更に高価な駆逐艦と乗組員も道連れになる可能性があったのですが。

やはり日本海海戦での成功体験が日本海軍に大きく影響していたという事でしょう。

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