10.日本はなぜ太平洋戦争をしたのか。 日比谷焼き討ち事件の表す事
ともあれ、アメリカの仲介で日本が勝った形でポーツマス条約を締結出来ました。
このポーツマス条約で賠償金が獲れなかった事が原因となって日比谷焼き討ち事件、首都民衆暴動が発生しました。
何か朝日新聞当たりが大風呂敷の講和条件予想を出し、それが外れると「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」などと書いたそうですね。
自分の新聞記事が誤報になると、その責任を政治家や外交官になすりつけるとか、ろくな事をしませんね。
民衆は「講和条約を破棄して戦争を継続せよ。」と言ったそうです。
それをやってるとどうなっていましたかね。
日本満州軍はロシア陸軍の総攻撃を受けて総崩れ、満州の地に屍をさらしながら釜山港でダンケルク(脱出作戦)をしたのでしょうか。
本土に侵攻される前に講和条約を結んだとしても、莫大な賠償金の支払いと戦時国債の償還で財政は破綻したでしょう。
デフォルトをしても当時はIMFはありません。
横浜や神戸を租借地として差し出して免除して貰うか、ドイツのように居直って踏み倒して絶望的な戦争に突き進むか。
さて、記憶がうろんなのですが司馬遼太郎のエッセイの中に
「この日比谷焼き討ち事件の炎の中から、あの傲慢な昭和の日本が産まれた」という文があったと思います。
司馬遼太郎という人は戦争末期に陸軍の戦車兵だった人で、その当時の日本をおそらく憎んでいた。
歴史小説を書く動機が「日本人は昔からこのように醜い民族だったのか」知りたくて書き始めた、というような事を読んだ覚えがあります。
私もこの見識には賛成です。
ただ、日比谷焼き討ち事件は日本の大きなターニングポイントだったと思います。
ここで歴史の舵を違う方に切る事が出来たのではないか、と。
民衆は賠償金が取れなかった事について怒った、とあります。
どういう意味だったのでしょう?
「偉大なる大日本帝国に負けたくせに、賠償金を踏み倒すとはロシアは生意気だ。」なのか。
「臥薪嘗胆して苦しい思いをして(重税に耐えて)やっと勝ったのに、俺たちにはバックはなしか。」なのか。
一見似ているように見えて違います。
上は司馬遼太郎曰く、傲慢な昭和日本への道。
下は平和で豊かな富国への道です。
日本が幕末を経て明治新政府という近代国家を作り、富国強兵に突き進んできたのは、「欧米列強による植民地化」という危機に立ち向かうためでした。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」。
「彼らは明治という時代人の体質で、前をのみみつめながら歩く。」
彼らを突き動かしていたのはおそらく「国難」という言葉だったのでしょう。
日露戦争に曲がりなりにも勝って、それが終わりました。
ロシアという大国の侵略を撥ねのけた日本を、侵略して植民地化しようという国はもう現れないでしょう。
日本は国家目標を達成しました。
もう、前のみを見て歩かなくてもいいのです。
日本の富国化は成功していました。
ある記録によると、日本の税収は明治初年と比べてその当時20倍に増加していたそうです。
殖産興業の成果です。
ただ、その増加分は軍事費に回されていました。
国家予算の80%が軍事費だった時もあったそうです。
植民地化の危機を脱した事で、それらの予算をインフラ整備や産業育成などの公共事業に回すことが出来ます。
そうして、国民の生活の質を上げていけば日本は本当の意味での国力を付ける事ができるでしょう。
日本はまだまだ貧しく、子供たちはいつもお腹を空かせ、地方では少しの不作で娘が売られていたのです。
やがて明治が終わり大正になります。
大正デモクラシー。
デモクラシーは民主主義という政治用語ですが、大正デモクラシーというと華やかな社会が思い浮かびますね。
ルネッサンスや元禄、またはローリング20’に共通するような。
鹿鳴館時代みたいな政府主導の上辺だけのものではなく、民衆の中から生まれてきたような。
名作「ハイカラさんが通る」の時代。
きっと、植民地化の危機から脱した開放感のようなものが、日本の社会にもあったのではないかと思います。
諸外国との関係も難しい事ではありませんでした。
日露戦争で得た権益、南満州に関してはアメリカが欲していたので適正な価格で譲渡、または貸与が出来たでしょう。
元々のアメリカの希望でもありますし、ポーツマス条約で仲介者の域を超えてまで日本の味方をしてくれたお礼でもあります。
満州にアメリカが入ればロシアの南下はそこで抑えられます。
遼東半島はイギリスが欲しがるでしょうか?
首都北京に近い大連は関外とはいえ重要な土地で、華北方面には余り足がかりのなかった英国は喜ぶでしょう。
朝鮮半島は保護国のまま放置ですね。
独立でも大韓帝国でも内乱でも鎖国でも、何でも自由にして貰えばいいでしょう。
ただし外交権だけは取り上げておかないと、また外国から借款をしだすでしょう。
李氏朝鮮には莫大な債務があり、それは日本が保護国化したときに全て肩代わりしています。
実際、どのようにして返済するつもりだったのでしょうか?
まさか借金だとは思っておらず、偉大なる朝鮮王朝に対する朝貢、貢ぎ物とでも思っていたとか。
まあ、この状況で朝鮮半島に絡んでくる国はないでしょう。
不凍港を求めるロシアもおらず、大陸侵攻を企てる日本もおらず、冊封を主張する清国もおらず。
攘夷するほど外国も来ず、開化するほど危機もなく。
また、鎖国でもして好きなだけ引きこもり、ニートしていればいいと思います。
多分、誰も邪魔しません。
日本は大陸から完全に手を引く事が出来、軍備の縮小が可能になります。
陸軍の縮小、師団数の減少は大量の元兵士を作りますが、別な言い方をすれば殖産興業の働き手が多く出来るという事です。
軍隊で知識を得た彼らは産業のあらゆる場面で活躍するでしょう。
海軍はこの時点で充分な戦力を確保しています。
日露戦争の主役、戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻に加え、ロシアからの鹵獲戦艦や装甲巡洋艦が6隻、英国に発注した戦艦鹿島と香取、日本国産の巡洋戦艦筑波と生駒、戦艦薩摩と安芸。
全て時代遅れの前弩級戦艦とはいえ、30cm砲装備の戦艦、巡洋戦艦が14隻、装甲巡洋艦が10隻。
充分以上ですね。
それ以外にも足の速い2等巡洋艦が14隻ぐらいいます。
戦艦、巡洋戦艦6隻、装甲巡洋艦8隻、2等巡洋艦10隻程度に縮小は可能でしょう。
日本列島を守るだけならその程度で充分です。
極東において日本に抗し得る戦力はもういないのです。
せいぜい欧州列強の東洋艦隊ぐらいでしょうが、WWⅠでは当時世界第2位の海軍国ドイツ帝国の東洋艦隊でさえ、開戦と同時ぐらいに日本海軍を怖れて青島を脱出しています。
過剰な戦力は必要ありません。
確かに欧州ではドレッドノート革命が起きていますが、前弩級艦でも充分な戦力ですし、緊迫する欧州からわざわざ極東まで来る新鋭戦艦があるはずもありません。
急いで取得する必要はないのです。
産業においてもそうです。
日本の呉海軍工廠は世界の一流に近い巡洋戦艦筑波と生駒を建造出来ました。
横須賀海軍工廠で建造した戦艦薩摩はドレッドノートを凌ぐ、竣工当時世界最大だったそうです。
この技術が広く国内の造船会社に広がれば、極東における船舶需要を日本は一手に引き受ける事ができたでしょう。
当時、大型艦を作れるのは欧州かアメリカ東海岸だけで、極東で使うためにはバルチック艦隊のように、はるばる地球を半周して持ってこなければならなかったのです。
いくらでも売れたはずです。
満州でアメリカ資本の開発が始まれば、そこで使う重機や車両が必要になる。
最初はアメリカから持ってきても、修理や保全は日本で行う事になるでしょう。
ある程度技術力が蓄積したら、キャタピラ重機やフォード自動車が日本で合弁会社を作るでしょうし、そうすれば日本国内にも普及出来ます。
機械化は農業生産力を飛躍的に伸ばすでしょうし、道路、鉄道、港湾のインフラ整備は格段の早さで進むでしょう。
水力発電所が建設されて電化が進み、八木アンテナは無線技術を発達させ、理化学研究所は真空管でも作れるかな。
・・・・・。
本当に、本当に、いくらでも平和で豊かな国が作れたはずなのです。
1909年、伊藤博文が暗殺されました。
日露戦争が終了して4年後の事です。
伊藤博文は朝鮮半島を保護国化だけにとどめ併合には反対しており、大陸への膨張を企図していた山県有朋たちと対立していたと言います。
伊藤博文の頭の中にはもしかしたら前記のような、平和で豊かな日本の青写真があったのかもしれません。
それから考えれば、安重根はいい仕事をしました。
伊藤博文を生かしておいたら併合は実現せず、朝鮮半島は中世のまま21世紀を迎えていたかもしれません。
生活レベルは今の北朝鮮以下のままだったでしょう。
テロリストを英雄として讃える国はどうなのか、とも思っていましたが。
安重根のおかげで朝鮮半島は日本に見捨てられず、併合されて植民地化され日本の援助で近代化し、現在の21世紀の大韓民国になる事が出来たのです。
韓国の人は偉大な安重根を正しく讃えるべきです。
偶然とは言え。
こうして日本は大陸への膨張の道、大国への道へ歴史の舵を切りました。
安重根の銃弾が日本のターニングポイントのスイッチだったのでしょうか。
保護国化から併合。
同じ日本になった事で投資などの面倒な手続きも簡略化されたのでしょうね。
元々の日本人に対しても朝鮮半島は日本なのだから、税金を使ってもいい、と言えるようになりました。
それ以前はよその国に日本人の税金を使うなど許せない、という空気があったでしょう。
一方、その援助を受けた側の朝鮮半島の人間は、おそらく不満もあったでしょうが感謝が多かったのではないかと思います。
2000年度の韓国の歴史の教科書「韓国の歴史」では、
「日帝は世界史でその類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法で我が民族を抑圧、収奪した。」そうです。
うん、ここは笑うところですね。
フィリピンやインドネシアの植民地では現地人には学校もなく、病院もなかったそうですけど。
彼らに言わせれば学校も病院も、ついでに新聞も、朝鮮人を日本人の野望に利用するためだったそうです。
まあ、その通りです。
どうせだったら徴兵してガダルカナルにでも送れば良かったのに、とも思いますが。
イギリスはインド兵やグルカ兵をヨーロッパ戦線に投入していますよ。
まあ、朝鮮兵は弱兵だから使えないか。
日本は朝鮮半島を兵站基地として大陸に進出しました。
まずは日露戦争で権益を得た満州を制圧して、傀儡国家である満州国を作りました。
続いて中国大陸本土、上海から南京、または北京など。
侵略を行いました。
何故でしょうか?




