8.日本はなぜ太平洋戦争をしたのか。 日清・日露戦争とは
誤字報告、ありがとうございました。
修正いたしました。
日清・日露戦争は簡単に言えば 朝鮮半島の主導権争い です。
現在、21世紀現在、北朝鮮はもちろん韓国でも日本を嫌っています。
反日活動ですね。
日本人の中には、日本は朝鮮半島にあんなに援助してあげたのに恩知らず と怒る人もいますが。
朝鮮半島の人は怒ったり、憎んだり、恨んだりしてもいいと思います。
なにしろ日本は朝鮮半島をロシア侵略の盾にしようとしたのですから、多分使い捨ての。
朝鮮半島がどこかの国の都合によって犠牲になる事は良くある事で、私が知っている限りでも3回はあるかな。
モンゴルが大帝国を築いて南に降って42年間、6度の侵攻によって朝鮮半島を占領したのが、1273年。
翌年1274年に日本に侵攻しています。
40年以上の防衛戦で荒れ果てた朝鮮半島の民を使って900艚そう近い軍船を作らせ、40000人を超える人間(水夫含む)を徴収しての事でした。
朝鮮半島の山々が長く禿げ山だったのは、この時船を作るための無茶な伐採が原因との説もあります。
土砂崩れなどの自然災害にさぞや悩まされた事でしょう。
元軍の軍船が暴風雨で全滅したのも、この時の無理な建造で粗製濫造軍船だった、という説も聞いた事があります。
占領軍の都合で朝鮮半島は、軍勢だけでなく社会全体が日本攻撃の先鋒となって使い潰されたのです。
もっとも、今の韓国ではあまり気にしていないようで2000年の韓国の高等学校の教科書、韓国の歴史では7行しか触れていません。
壬申、丁酉倭乱、文禄・慶長の役は、明侵略を企てた豊臣秀吉に対し朝鮮が盾になった戦いです。
前述の教科書によると、日本軍は朝鮮官軍は打ち破ったが、義兵の活躍で長期戦になり明軍が来て惨敗したそうです。
李舜臣は水軍を率いて日本水軍を散々に破り、制海権を確立したそうです。
Wiki日本版によると21日で首都漢城府は陥落し、55日で平壌が落城しています。
明軍が来ますが、会戦で日本軍に負けると講和が成立します。
義兵はそこここから湧いて出ますが、片っ端から打ち破られています。
粘ったのは普州城ぐらいですが、日本軍が本気で攻めると3日で陥落したようです。
その後の慶長の役でも明、朝鮮合わせて10万の大軍で日本軍が築いた3つの城を攻めて全て敗退しています。
秀吉が死去して日本軍が撤退を開始すると、撤退阻止に李舜臣や明水軍が封鎖に乗り出しますが日本水軍に敗れ撤退を許しています。
どちらが正しいのでしょうか。
まあ、どちらでもいいですが、結局ここでも朝鮮は明の防波堤となって国内が荒廃しています。
これも、朝鮮を侵略しに来た日本軍を明軍が助けてくれた、という解釈になっています。
最後は朝鮮戦争ですね。
金日成が軍を発して南下して、アメリカ軍を主体とした国連軍と韓国軍が食い止めた戦争です。
金日成の目的は朝鮮半島統一でしたが、もし統一時点でソ連軍か中国軍が参戦してそのままの勢いで対馬海峡を渡ったら。
太平洋戦争敗戦直後でろくに軍備のない日本は、おそらく侵略を食い止める事は難しかったでしょう。
それだけでなく冷戦期を通じて韓国は対共産勢力の最前線で盾となり、後方の日本を守ってくれました。
地政学上しょうがないとはいえ、損な役回りだと思います。
現在のロシアの日本海側の国境線を見ると、黒竜江省の上側に広がっている部分から海側に向かって鋭く剣先のように回り込んできています。
敵をえぐるように回り込んで来ている部分は当に剣先で、ロシアはこの部分を先鋒に侵略をしてきたのでした。
ロシアはネルチンスク条約、アイグン条約、北京条約と、義和団事件などの動乱などにつけ込み、清に不平等条約を押しつけてここを強奪してきました。
アムール川(黒竜江)左岸、ウスリー川(烏蘇里江)東岸から彼らは日本海側に沿って南下しています。
現在の国境線は豆満江で止まっていますが、明らかにロシアが自分で止めた訳ではない事が判ると思います。
ロシアの南下政策の目的は、不凍港、冬季にも凍らない港の獲得です。
山海関の手前まで侵略できれば、遼東半島の大連、旅順が手に入ります。
もちろん、朝鮮半島も。
ロシア政府内の意見では対日強硬派の内相が「中国だけでなく朝鮮も支配できる」と主張しています。
朝鮮半島が手に入れば、仁川や釜山という理想的な不凍港が得られます。
日本としては侵略国家たるロシアが朝鮮半島まで来られたら、いつ海を渡ってくるか判らない。
朝鮮半島をロシアに渡さないためにも、まず清から清が持っている朝鮮半島の権利(冊封による保護国扱い)を取り上げました。
それが日清戦争です。
もし清が朝鮮半島を保護国化していた場合、ロシアの武力侵略に対して清、李氏朝鮮連合軍で戦うでしょう。
そして、多分負けるでしょう。
清・ロシア紛争はアムール川流域で昔から行われていて、それには清は勝っていました。
しかし当時のロシアの兵力は、一部のコサックとアウトローの非正規暴力団程度のものです。
日露戦争ではヨーロッパロシアから近代軍隊が送られてきました。
朝鮮半島への軍事侵攻がシベリア鉄道開通後だとしたら、来るのは当然それでしょう。
出来たばかりの日本軍にも負ける清国軍や、東学党の乱でさえ自力で収められない李氏朝鮮軍の敵う相手ではありません。
負けた場合、ロシア・清間の停戦条約で朝鮮半島はあっさりロシアに渡される可能性があります。
李氏朝鮮の意向など関係なく。
山海関でも突破されていたら間違いなく。
壬申倭乱、文禄の役で日本遠征軍は一旦停戦しましたが、この時の停戦交渉も明・日本間で行われ、李氏朝鮮は無視されました。
中華の国にとって長城の外たる関外の国など、くれてやっても構わない存在なのでしょう。
しかし、それをされると日本としては堪らないので、まずは清の干渉を除きました。
その次は、直接ロシアの意図を挫く日露戦争です。
この戦争は本当に危ない戦争でした。
戦争の途中で満州軍総参謀長の児玉源太郎が、日本に帰って講和交渉準備をさせています。
勝った、勝ったでお花畑だった政府首脳を怒鳴りつけ(おそらく)、アメリカに仲介の手続きを要請するよう動き出させています。
私も、ついこの間まではどれだけ危ない状態だったのか気づきませんでした。
児玉源太郎だけが(情けない事に)それを判っていたのです。
実際、バルチック艦隊が来てくれなければ日本は負けていました。
よくぞ来てくれて、日本海の底に沈んでくれた、と。
それがなければ、日本は負けています。
よく考えなくても、ロシアの戦争遂行にとって、日本海の制海権など要らないものだということは判ります。
確かに日本海の制海権を抑えて日本軍の兵站線を断ち切ってしまえばロシアの勝ちです。
でもそれをしなくても、満州の陸戦で勝てばいいのです。
満州で戦うロシア軍の補給はシベリア鉄道でヨーロッパ方面から行われており、そして日本軍にはそれを妨害する手立てはありませんでした。
一見、満州のロシア陸軍は連敗続きでどんどん奥地に追い込まれているように見えますが、これはいつものロシアの戦略です。
ナポレオンもモスクワまで勝ち続けながら、焦土作戦を食らい一挙に敗退しました。
WWⅡのドイツ軍もモスクワやスターリングラード手前で粘られたあげく、反撃されて負けています。
シベリアではこれ以上はダメ、というところがない分、いくらでも奥地に下がって日本軍の兵站を苦しめる事が出来たはずです。
実際、日本軍は兵站ではなく戦費不足で弾薬が足りなくなりかけていました。
下手したら、次の会戦で負けて一挙に崩れる恐れもあったのです。
日露戦争がなんとか勝ちの形で講和を結べたのは、ロシア皇帝がバルチック艦隊が日本海海戦で全滅して衝撃を受けたからです。
これが、ニコライ2世に海軍への関心がなく、太平洋艦隊が全滅しようが気にせずバルチック艦隊も派遣していなかったら。
多分、ロシア皇帝は講和などせず日本軍はヨーロッパから増援された自軍を数倍するロシア軍相手に、弾薬不足と満州厳冬期のダメージを抱えて苦しい防衛戦を強いられていたでしょう。
おそらく何度も何度も。
ロシア皇帝が不凍港を求めたために起きた日露戦争ですが、皮肉にもロシア皇帝の海、というか海軍への強いこだわりが日本を救いました。
ところで、この2つの戦争に関していくつか疑問があるのです。
なぜ、ロシアはそんなにも不凍港に拘ったのでしょうか?
港というのは普通、貿易に使うものです。
ですが、ロシアに海外貿易の必要性はあったのでしょうか?
ロシアは言うまでもなく内陸国で、国内にいくらでも未開の土地はあります。
かつては脅威だった中央アジアの遊牧民も19世紀末の時点では国家の形を為していないところが多く、近代国家であるロシアの敵ではありません。
いくらでも侵略可能です。
最大の貿易相手、輸入するにも輸出するにも、ヨーロッパは地続きで鉄道さえ完備すればわざわざ海を経由しなくても貿易は可能です。
ロシアは港がなくても、充分豊かにやっていける国なのです。
ロシアの極東政策についても、アジア、日本海沿岸や朝鮮半島に不凍港を手に入れてどこと貿易する気だったのでしょうか?
日本を侵略して日本の植民地経営のために使う?
日本は植民地経営して利益の出る国ではありません。
それぐらいなら満州や中国北部を植民地支配する方がよっぽど効率がいい。
日本相手の侵略戦争では海を渡る長大な補給線が必要ですが、清国相手なら鉄道を延伸していくらでも補給が効きます。
せいぜい日本とか、アジアのヨーロッパ植民地としか貿易相手がいないはずです。
思うに、これはロシア帝国の開祖、ピョートル大帝の呪いのようなものじゃないかと。
ピョートル大帝は海と海軍に拘りがある人物でした。
黒海方面でオスマン海軍に、バルト海ではスウェーデン海軍に苦しめられ、海軍を育てることで両方の海軍に勝ちました。
その結果、黒海とバルト海の沿岸に領地を得る事が出来ました。
西欧先進国家に送った大使節団に自身も参加し、アムステルダムでは東インド会社所有の造船所などで働いています。
皇帝になってからはバルト海沿岸の湿地帯を苦労して埋め立て、サンクトペテルブルグを作りここに首都を移しました。
聖ペテロの町、自分と同じ名前の聖人ペテロ(ピョートルはペテロのロシア読み)にちなんだ港町を作った訳です。
ピョートルはおそらく、大使節団に加わって西欧の繁栄を見、その要因が海外貿易、植民地経営であると知って、ロシアも同じような国にしようとしたのではないでしょうか?
北海と大西洋沿岸、島々、または地中海に点在する小国家群の国家戦略を、内陸で膨大な領地を持つロシアという国に地政学上の違いを半ば無視するような形で適用しようとしたのではないか。
その果たされなかった思いがロシア、というか代々のロシア皇帝に引き継がれて、海外貿易の第一歩としての不凍港を欲したのではないか?
最後には、不凍港ならどこでもいい、という感じではるばるアジアまで来たのでは?
なんとなくそう思います。




