第6話:妹とメッセージアプリ
無事に買い物を終えた俺と紗由は、何事もなく店を出た。
受験生であるにも関わらず、ゲーセン行こうと駄々を捏ねる紗由を無視して真っすぐ自宅へ帰る。
家の場所は『はとや』近くの住宅街にあるマンションの一室である。五階建てのマンションの内、俺たちが暮らす部屋は二階にある左から三番目の203号室だ。
広さは3LDKで、父と妹、俺の三人暮らし。
階段を使って昇り、部屋の鍵を開けると一気に疲れがやってきた。
家に帰ってきて安心したからか、疲れが溜まって背を曲げた俺を見て、紗由が俺の背を優しくさすった。
「どったの、兄ぃ」
「……今日はいつもより少し色々な事があって疲れた」
「ふーん、でも夕食は作ってね。それまでは休んでていいよ」
「豚の角煮は色々時間がかかるんだが……」
ぼやきつつ部屋に上がり、買ってきた物を冷蔵庫に仕舞う。
その後、俺は部屋のリビングにあるソファに身を沈ませた。顔を手で覆って、少しの間だけ目を瞑る。
「兄ぃ、ほんとにお疲れ?」
紗由がソファに座る俺の肩に頭を乗せて、力なく寄りかかってくる。兄に対して、躊躇なくぴったりと身体を寄せる妹の将来を若干心配しつつ、悪い気はしない俺も相当末期だなと自嘲した。
「勉強しなくていいのか?」
紗由は中学3年生だ。俺と同じ高校に進学するため、毎日勉強すると息巻いているのだが。
「……偶には休息も必要」
「あれ、昨日もそんな事言ってなかった?」
「……明日から本気出す」
「あれ、それは昨日どころか一昨日も言ってたよね?」
軽口を交わし合い、結局紗由はテレビのリモコンに手を伸ばした。ま、紗由は俺より要領もいいし、地頭もいい。
きっと大丈夫だろう。落ちても死ぬわけじゃないし。
「おい、紗由。兄の前で恋愛映画をつけるな。これ、ゴリゴリにキスとかするやつじゃん」
「そう。ダメ?」
「上目遣いやめなさい。可愛いな、おい」
「……ふふん」
褒められてドヤ顔する紗由に若干の呆れを抱いた時だった。俺のスマホが電子音を立てて鳴った。
「む、RINEの音だ。友達がいない兄ぃならどうせ不良からでしょ」
「紗由もそんな友達いるわけじゃないだろ」
「友達一人いれば学校で生活できるって言ったの兄ぃじゃん。紗由は律儀に教えを守っているのです」
「いやいや、そんなのはーー」
会話しつつ、スマホを見ると画面に映っていたのは白花朝姫の文字。俺の肩に頭を乗せて見つめる紗由は、俺のスマホを自分の方に引き寄せた。
そして普段は無表情がデフォルトの紗由は、眉間に皺を寄せて、
「……誰? 女? どういう事?」
「お前は俺の彼女か」
父は仕事で忙しく、母は病気で俺たちが幼いころに亡くなった。だからか、紗由は寂しい気持ちを俺で紛らわせるようになった。
そして俺も、彼女が寂しくないようになるべく早く帰宅するようにしていた。
紗由の俺に対する感情は、美しく言えば家族愛で、現在は様々な事情が重なり合って行き過ぎて執着、依存になっているのだろう。
何を言いたいかと言うと、すごく面倒な事になったというわけだ。
「安心しろ。白花は女子じゃない。男子だ」
平然と嘘をついてみる。俺は人から表情があまり変わらないと言われるので、こういう時は便利だと思う。
「……ほんと?」
「あさひって男子にもいる名前だろ?」
「姫って漢字男子に入れますかね?」
「最近流行ってるんじゃね?」
「怪しい」
簡潔に言い放ち、紗由はスリのプロらしき鮮やかな手口で俺のスマホをすっと取り上げた。俺は慌ててそれを取り返そうとするが、
「それが本当なら焦る必要ないでしょ。どれどれ」
スマホを覗き、メッセージを見る紗由。
白花朝姫:そういえばよろしくって言ってなかったよね?
直後、熊のアニメキャラが手を上げているスタンプが送られてきた。
「今日交換したの……?」
「ま、まあそうだけど。おい、返信はーー」
高速で手を動かす紗由に若干、焦りを感じた時、既に事は終わっていた。
「あ、手が滑った」
鷹宮仁:女ですか?
「ちょ、え、何やってんの」
これは流石にダメだろう。妹の頭をコツンとしてから、俺はとりあえず紗由からスマホを取り上げようと手を伸ばすが、紗由は猫のように背中を丸めてガードする。
白花朝姫:うーんと、それはあたしの事を男だと思った、という事かね?
直後に探偵のアニメキャラが悩んでいるスタンプが送られてきた。というか、白花は意外にアニメ好きなのだろうか。
メッセージを呼んだ紗由は顔を上げて、ジトッとした眼で見てくる。
「兄ぃの嘘つき。やっぱ女じゃん」
「いや、今はどうでもいいわ。いいから早く返してくれ」
このまま紗由に任せていたら、とんでもなく恐ろしいことが起きそうで不安なのだ。しかし、紗由は俺の心配を他所に、呑気に画面を見つめて。
「待って。この際、この女が兄ぃのことをどう思っているかテストします」
「どういう意味だよ……」
「悪いようにはしないから」
「悪いようにしたら夕食は野菜炒めだから」
「……肝に銘じます」
ごくりと唾を飲み込んだ紗由は、神妙な顔でそう言った。
鷹宮仁:すいません、不躾に。仁の妹の紗由と言います。
白花朝姫:え、妹ちゃん⁉ え、鷹宮くんはどうしたの?
鷹宮仁:兄は今、紗由にご奉仕する時間なのです。ちなみに今日の夕食は豚の角煮です。
白花朝姫:うわ、いいな~。鷹宮くん料理は上手だし、きっととても美味しいんだろうね。
会話を見ながら、確かにここまでのやり取りはそう悪くないと思う。というか白花は、突然クラスメイトの妹が出しゃばっても動じないのは流石だと思う。
しかし、メッセージを見て紗由はパチパチと瞬きして固まった。
「ん? 料理は上手? 何でそんな事知ってるの?」
「ま、まあおかずを少しあげただけでな」
「ちょっと待った」
紗由はしばらく眉間を揉み、
「弁当食べさせたの?」
「今日、席が隣になったから、少し気になっただけじゃーー」
「ふーん」
「藤堂もだから。藤堂も弁当あげたから」
白花にはあげていないが、この際嘘も方便だ。ジト目で見つめる紗由にタジタジになりつつ、俺は弁明する。
というか何故浮気がバレた男みたいになっているのか。俺には分からない。
「……それにしても。ちょっと好感度高いね。ここらで少し落としとくか」
「おい、聞こえてるぞ妹よ」
「冗談、マイケル・冗談」
「くっだらね」
「というか、兄ぃは豚の角煮作ってて」
「いや、お前を放ったら後で怖い事になるから無理」
「大丈夫。悪いようにはしないって言ったじゃん」
「紗由、いつも言ってるだろ。俺は自分以外を基本的に信用してないんだ」
その意見を無視して、今度は俺が怪盗ばりの盗み技術を駆使して紗由からスマホを取り返した。それからしっかりとロックをかけてスマホをテーブルに置き、俺はキッチンの方へ行く。
「大人しく映画でも見てなさい」
「ぶー」
頬を膨らませる紗由を無視して、俺は調理に取り掛かった。
作るのはご要望通り豚の角煮だ。散々迷惑をかけられても、紗由なら大抵の事を許してしまうのはやはり俺がシスコンだからだろうか。
しばらく調理に専念していると、ソファに座る紗由が何故か俺のスマホを掲げて、
「ごめん兄ぃ」
「ん、なんだ?」
ロックをかけたから、パスワードが分からなければ開けないはずだが。
「告白してみたら返事来なくなった」
「ああ、そんなこと……告白?」
紗由はとてとてとキッチンまで駆け寄ってきて、スマホの画面を無邪気に俺に見せた。
鷹宮仁:好きです。付き合うとかはいいんで、キープさせてください。
告白というより、後に続く最低な発言にビビった。しばらく固まって頭を整理する。
「……久しぶりにマジ切れするわ」
「キレるって言ってキレる人、見た事ないーー」
「じゃあ俺が最初の人だ」
その後、紗由を頭ぐりぐりの刑に処してやった。