第5話:下校からの妹と買い物
面倒だった体育が終わると、残すところは帰りのホームルームのみだ。
続々とクラスメイト達が教室に入っていく中、俺も倣うように藤堂と共に教室へ帰ってきた。彼と別れ、窓際で一番後ろの席という最高の場所に腰を落ち着かせる。
そして窓からぼーっと校庭の方を見つめながら、俺は今日あった事を思い返した。
席替えをしただけで、今日まで一言も会話していなかった女子のカースト上位組や男子のカースト上位組と接する機会に恵まれた。
ただし、それは今日の出来事を思うと素直に喜べない。
クラスの中心、白花朝姫が俺のような陰キャと絡んでくるのは最初だけだと思っていた。そして今でもその考えは変わっていない。
しかしもしも、彼女が俺と関わり続けるつもりならクラスの男子たちからはヘイトを一心に集める事だろう。
「おつかれー、鷹宮くん」
現在進行形で俺にとって悩みの種が、そちらから出向いてきた。
目線だけ動かして右横を見ると、運動した後だからか頬を上気させた白花が、首筋に手をパタパタ動かし風を送り込んでいた。
「……なに」
「ふふ、なーんか上手くいかなかったみたいだね? 女子が噂してたなー」
「ま、自分でも無様だったと思うな」
「お、敬語止めてくれたー、うれしーなー」
フフッと目元を細めて可憐に笑う白花は、シャツのボタンを二つ開けていて綺麗な鎖骨が否が応でも目に入る。
見えそうで見えない彼女の大きな胸の谷間を探そうとする自らの性を押さえて、俺は視線を彼女から外した。
「そっかー、あたし自分のプレーに集中してて見てなかったな」
「……そいつは残念だな。さぞ笑えただろうに」
俺にとっては何てことのない言葉だった。
しかし、それっきり会話が止まった。怪訝に思った俺が胡乱気に隣を見れば。
そこにあったのは驚くほど真剣な白花の表情。
怜悧な顔立ちに似合わず、いつもコロコロ変わる天真爛漫さが失われていた。
「あたし、そんなことで笑わないよ」
「……」
「一生懸命やってる人の事、あたしは絶対笑わないから」
白花はそう言って澄んだ瞳を俺に向ける。俺は思わずその真っすぐな眼差しから目を逸らし、気が付けば咄嗟に口を開いていた。
「……一生懸命やってなかったら?」
捻くれた問いに、白花は一瞬きょとんとした後で目元をぴくぴくと痙攣させた。
「うわー、鷹宮くんて空気読めない人だなー」
「そうか?」
「KYだよKY! あたし、今、ちょー良い事言ってたのになー」
元気よく指をびしっと突き付けてくる彼女に、俺は肩をすくめてみせた。
「全く。せっかく傷心の鷹宮くんをクラスのグループRINEに招待してあげよっかなーってさっき由愛ちゃんや静流と話してたのにー」
「え、クラスの、RINE? そんなんあったの?」
RINEというのはスマホにあるメッセージアプリだ。
昨今の若者はほとんどの者が利用しているとか。かくいう俺も妹の紗由に無理矢理始めさせられた。
しかし、クラスの”グループ”というものが存在しているとはこの一か月、全く知らなかった。
「流石陰キャぼっちの鷹宮くんだね。多分、入ってないの君と藤堂くんだけかも」
「なんか異名みたいだな。陰キャぼっちの鷹宮。一周回ってかっこよく思えてきた」
というかぼっちじゃないし。藤堂がいるし。
「その思考はどうかと思うけどさー。とにかく、知りたければあたしに教えを乞うのだよ」
ニヤニヤと笑って近づいてくる彼女には、やはりそんな明るい表情が酷く似合っていた。
だから、今回はそんな白花に付き合おうと思う。
「お願いします、入れてください白花様」
「うーん、普通過ぎてつまらん。もっとアイドルっぽく」
「教えてにゃん」
「無表情で言われると怖いわ! 今度はあたしをリスペクトして」
「……白花様、どうか崇高なる貴方の灰色の頭脳を持って、無知蒙昧なわたくしにその宝物庫たる知識の油田をどうか、どうか‼」
「……うーむ、素直になんかキモイ!」
しかし、言葉とは裏腹に白花はクラスRINEに俺を招待してくれた。その際、彼女とも友達追加したが、白花は俺の友達数3を見て噴き出すように笑った。
陰キャなんてこんなもんだろ。
日直の号令と共に、帰りのホームルームは開始を告げた。
その後、静まった教室を気だるげに見渡し、教壇に立った担任の中津先生が口を開いた。
ホームルームなど、特に特筆すべきことは言われない。ただ明日の予定などを大まかに話すだけなので、基本的には流し聞きだろう。
大半の生徒と同じく、俺も同じく窓の外の景色を見ながらぼんやりと聞き流している。
先生の話は終わってないが、俺はスマホを取り出して妹に連絡をする。
鷹宮仁:帰りに買い物してくるが、夜食べたいモノあるか?
すると、時間を置かずに既読の表示がつく。
鷹宮紗由:一緒に買い物行くからいつものスーパーに集合ね。
鷹宮仁;いやいや、別に帰ってていいんだけど。
鷹宮紗由:紗由が行きたいって言ってるの。兄ぃは黙って従う。
鷹宮仁:……仰せのままに。
鷹宮紗由:うむ。
それからドヤ顔している猫のキャラクタースタンプが送られてきた。
いつも通りと言えばいつも通りなやり取りだが、こうもあっさり妹の思う通りになるのは兄としていかがなものかと考えてしまう。
「--連絡事項は以上だ。気をつけて帰れよー」
ホームルームを終えると、すぐに俺は席を立ちあがった。
隣を見ると、白花は部活なのかロッカーから大きなスポーツバッグを取りに行った。その光景を他所に、俺はいつも通り藤堂と一緒に下校することにした。
教室を出て階段を降り、そこからしばらく歩いて昇降口に着く。
藤堂と共に下駄箱に立ち寄って靴を履き替え、外へ出ると部活を始めた野球部の賑やかな声や陸上部の笛の音など、外の活気が耳に自然と届いてくる。
それを聞き流しつつ、藤堂と並んで校門を通り通学路を徒歩で帰る。
途中、同じ帰宅部の生徒だろうか、自転車通学の者達が俺たちを追い越していくのを見ながらぼーっとしていると。
「何か、気になる事でもあったか?」
隣を歩く藤堂に前を見ながら問われた。
「白花のことか? まさか惚れたとか?」
「アホか。そんなんじゃない」
確かに白花は可愛いし、親しみやすい性格だ。
あの天真爛漫な性格から、男子は「あれ、俺の事好きなんじゃね」という勘違いをして彼女に告白して玉砕する被害者が多いのではないだろうか。
話しかけられるだけで舞い上がってしまうほどの美少女だが、俺は自分の分をわきまえている。今日は色々な事があって少し疲れただけだ。席替え一つでこうも日常が変わるとは思わなかった。
「お前、このまま白花と仲良くなると男子からのヘイトがヤバイ事になりそうだな」
「……笑って言うな」
他人事のようにニヤついている藤堂にイラっとしながら、俺は冷めた言葉をかける。
「……今はご近所付き合いしてるだけだ。明日になったら話す事もないだろ」
「ま、確かに俺が白花だったらお前とそういう関係にはなりたくないな」
「俺だって中身がお前だったら話すだけで吐き気を催すわ」
「それは酷くね?」
至極どうでもいい会話を続けていると、目的地付近まで着いた。
学校から家まで徒歩で10分程度。
そして家から学校の丁度間にあるのが、スーパーマーケット『はとや』である。
店の前にはいつも焼き鳥屋がいて、そこでちらほらと学生が買い食いしているようだった。
俺たちが店の近くまで着くと、入り口付近を見つめた藤堂がぼそっと呟いた。
「あ、ブラコン妹発見」
「……紗由には直接言うなよ?」
言うと、藤堂は分かってますよと言わんばかりに片眉を上げて見せた。地味にイラっとするからやめて欲しい。
そのまま入り口でスマホをいじっている我が妹の前に行く。
妹の紗由は見た目は黒髪清楚の美少女である。ただ、俺と同じで表情が中々変わらないという欠点を持つが、それを差し引いても可憐と言わざるを得ない。
中学3年ながら胸は大きく膨らんでいて、腰はきゅっと細く尻はほどよく引き締まっている。
髪型は肩口までで切り揃え、前髪はぱっつん。
兄の贔屓目なしに可愛いと思う。
そんな彼女はスマホから顔を上げて俺たちに気付くと、
「あ、兄ぃ、と不良だ」
「不良じゃねえ。というか個人で識別しろ」
藤堂のツッコミを軽くスルーして、紗由は俺にどこかジトッとした眼を向けてきた。
「なんで不良を連れてきたの?」
「こいつもここで買い物するんだと」
「……じゃあ離れて買い物するから。他所の家は他所で勝手にして」
「ま、分かってたけどよ。相変わらず紗由ちゃんは俺に冷たいな」
「名前で呼ばないで。警察呼ぶよ?」
「……あれ、泣きそう」
目元を手で覆う藤堂を無視して、紗由は俺の手を引き自動ドアを潜って店の中へ入る。そして買い物かごを俺に手渡し、そのまま手を繋いでどんどん奥へ進んでいく。
「妹よ。ほんとに置いてきちゃったけど」
「もうどうでもいい。それより、今晩は豚の角煮がいいな」
「あれ、結構時間がかかるんだが」
「食べればやる気でる。紗由をやる気にしてみせてよ」
結局、俺はまた紗由の言う通りにするのだろう。受験を盾にして、おねだりする彼女に俺は逆らえた試しがない。
自分でも甘いと自覚しているが、彼女の喜ぶ顔を見ると俺も嬉しくなるから不思議だ。
それから俺達は何故か腕を組み(紗由から組んできた)、会話をしつつ買い物をしていく。今日の夜と明日明後日の食材まで買い物かごに放り込んでいく。
「調味料はあるし、お肉もある。じゃあ後はお菓子だね」
「ほどほどにしてくれよ」
お菓子コーナーに行った紗由は、スナック菓子やチョコなど自分の好きなお菓子を片っ端から買い物かごに入れるので、俺はそれを適量まで減らす作業に移る。
紗由は後ろを振り返って、俺がお菓子を棚に戻していくのを確認すると唇を突き出してむくれる。
「ちょっと兄ぃ。それはーー」
俺は何も言わず紗由の頭を撫でてやると、目元を細めて気持ちよさそうにしてくれる。
こうするといつも大抵の事は諦めてくれるのだ。
「むむむ、何だかいつも丸め込まれているような」
「気のせい気のせい。ちょろいなんて思ってないぞ」
「……くっ、意地悪兄ぃめ」
きっと睨んでくる紗由の頭に手を添えると、我が妹は再び頬をほころばせた。その表情を見て、やはりちょろいと俺もほくそ笑んだ。