第24話:昼休み
次の日の朝。
天気予報で見ていたが、例年より早く梅雨入りを迎えたらしく、空はどんよりとした曇天模様だ。
忘れずに傘を持ってマンションを出る。
程なくして合流した藤堂は、不機嫌そうに顔をしかめて両手をポケットに突っ込んで歩いている。
着崩した制服と言い、完全なる不良生徒そのものだった。
向かいから自転車や歩行者が来ても避けようとせず、常に舌打ちをして歩いている。
事情を聞くのは面倒だが、隣をずっと不機嫌そうに歩かれた方が面倒だ。というか疲れる。
信号待ちの時間、彼を横目に見ながら口を開いた。
「……おい、藤堂。何でそんな不機嫌なんだ。便秘か?」
「……違えよ。毎朝快便だ馬鹿が」
「じゃあアレか。小便のキレが悪くなったとか」
「何で下関係なんだ。ふざけてんのか?」
軽口を叩き合い、藤堂の次の言葉を待つ。
彼は首筋を揉みながら、片目を閉じて喋り出した。
「……今日から補修があるんだ。中間テストのな」
「ああ、なるほどな」
言われて、そういえばと思い出す。
昨日発表された順位表を見たが、彼は二教科赤点を取っていた。
おそらく居残りで勉強しなくてはならないはず。
「まあお前が赤点取ったのは白花の件に協力させた事も一ミリくらいは関係あるわけで。申し訳ない気持ちはあるが、謝罪はしない」
「いや、しろよ。そもそもお前が新川にかかりきりだったからだぞ」
「美少女と不良。どっちを優先するか考えたら分かるだろ?」
「……最初乗り気じゃなかったくせによく言うぜ」
それを言うならお前が新川に教えてやれと言ったのだろう。言わば自業自得なのでやはり謝罪はしない。
「面倒に思う気持ちは分かるが、サボるなよ」
「サボらねーよ。将来に影響するだろ」
「……だから何で変に真面目なんだ。そんなに気にするならまず服装と髪をどうにかしろ」
呆れを滲ませて言ったタイミングで、突如として頬に水滴がぽたりと落ちてきた。
天気予報通りの雨か。
俺と藤堂は持っていた傘を広げてから会話に戻った。
「まあ不機嫌な理由は分かった。それだけ補修が嫌だって事も」
「いや、補修自体はいいんだ。綾瀬達となら多少は話せる」
「……ああ、そう。じゃあ何がそんなに嫌なんだ?」
「……賭けに負けたってだけだ」
「賭け?」
問い返してから気付いた。
そういえば藤堂は自分の姉と俺を賭けて勝負していたんだったか。
自分が対象になっていただけに記憶に残っていた。
「……休日、お前を家に招待する」
「そんな不満げな顔で招かれたのは初めてだ」
雨脚が丁度強まってきた頃に、学校へと着いた。
傘に付着した水滴を振るって落としつつ、これ以上強くなる前に着いて一先ず安堵した。
下駄箱で靴を履き替えつつ、俺は今日やる事を内心で考える。まずは教室に行き、白花にお願いをする所から始めるとしよう。
* * * *
いつも通りに登校し、いつも通りに朝のHRが始まる中。
現国の教師なのに白衣を着る意味不明な担任の適当な声を他所に、俺は隣の席に視線を向ける。
サラサラの金髪に整った目鼻立ちを持つ美少女、白花朝姫。
説明するまでもない、二組のアイドル。
シャツのボタンを二つ外し、今日も綺麗な鎖骨が見える。って、そんな事は今はどうでもいい。
俺は昨日、委員会で出会ったミステリアスな美貌を持つ少女、月待紬が直面する問題を知ってしまった。
放課後の教室で、月待の机の中に入ってあったのは悪口が書かれた紙切れ。
五組の中に、彼女を目障りに思う存在がいるという事実。
しかし俺の考えでは、問題は彼女の方にもあると思うのだ。
人気者の白花と同じく、月待は容姿という一点のみは同等である。
しかし白花は、抜群のコミュニケーション能力と彼女本来が持つ明るさによって敵を作らない。
一方で月待は、目立たないが容姿だけは良いため、男子からちやほやされる。それが周囲の女子には気に食わないのかもしれない。
問題を解決するためには、白花の力が必要だと俺は思う。
彼女を見習い、まずは一定のコミュニケーション技術を習得する。そしてコミュニケーション能力を持てば、月待ならすぐ友達だってできる。
友達を持てば、最悪な事態であるイジメには繋がらない。保険として白花と仲良くなっておけば、クラスメイトと多少揉めても学校に居場所を作れる。
という事で俺がすべきミッションは、白花と月待を友達にすることである。
何もしないと状況は悪化するかもしれない。そうなれば多少関わった手前、寝覚めが悪い。
丁度、HRも終わった事だし、白花の近くに友達が集まってくる前に切り出すとしよう。
「白花、ちょっと良いか?」
席を立とうとした彼女に声をかけると、白花は振り返った後でパチクリと瞬きした。
「なに、鷹宮くん。なんか真剣だね?」
「……いや、そうでもない。まあ席に座れ」
「う、うん……」
こくっと頷いた白花は俺の言う通りに席に座り、「……それで?」と首を傾げて促してきた。
丁度、教室は適度に騒がしい。
俺たち二人の会話は、誰にも届かないはずだ。
「変な質問しても良いか?」
「……へ、変な質問? なにさ……ま、まさかえっちな質問とかじゃないよね?」
ギュッと自らの身体を抱きしめ、さっと頬を赤らめて俺を見る白花に、すぐさま首を左右に振る。
「違う。他クラスの話なんだが」
「他クラス?」
白花にどう切り出すかが問題だ。
とりあえず、彼女が月待の事を嫌っていないか確認だけはしておいた方が良いだろう。
まあないとは思うが。
「白花は月待さんの事、知ってるか?」
「つきまち? ああ、中間一位のすっごい美人な人でしょ!」
一瞬、疑問符を浮かべた白花だったが、すぐに思い出したようだ。
あれだけの美貌を持っていれば、目立つのは当たり前か。
「話したことあるか?」
「いや、ないけど。え、まさか……」
「どうした……?」
「い、いや、何でもないよ……」
白花は何故か不安そうに俯いた。しかしそんな表情も一瞬で、すぐに明るく笑いかけていた。
「でもなんで急に?」
「いや、まあ。委員会で一緒だったんだ」
頬を掻きながら、何と言えばいいか考える。
急に月待と友達になってほしいと言うのもおかしい。かといって、月待の事情を教えるのはダメだ。
月待と白花には、しがらみなく自然に友達になってほしいと思うから。
そんな俺の考えを他所に、白花は再び一瞬だけ沈んだ表情を見せたが、また笑顔を作って、
「も、もしかして鷹宮くん。月待さんの事、気になってるの?」
「……は?」
荒唐無稽な質問に俺が戸惑った顔を見せると、白花も表情に疑問符を浮かべて二人して顔を見合わせる。
俺の顔色をじっくり見て、白花は眉根を寄せた。
「え、違うの?」
「ああ」
平然と頷く俺に、白花はほうと息を吐いた。
それから白花は気を取り直すように、椅子の向きを俺の方に変えて口を開いた。
「えっと、それで? 月待さんがどうしたの?」
「……そうだな。なんて言えばいいか……」
彼女の性格は教えても良いだろう。人見知りな性格で、人付き合いが苦手。それは友達になればすぐ分かる事だ。
性格面に関しては良いが、事情については伏せる。
ただ、教室で友達がいないようだから仲良くなって欲しい、みたいに話せば自然な感じだと言えるか。
強引な面もあるが、多少こっちからいかないと月待とは友達になれないだろうし。
「実はなーー」
そこから月待について話していく。
とりあえず白花には月待についての情報を伝えた。ふむふむと頷いていた白花は、次第に俺へ困惑した顔を見せた。
「うーん、まあいいけどね……本当にそれだけ? それだけで、鷹宮くんが動くの?」
意外にも鋭い。まあ、確かに俺が手を加える程の事ではない。しかし、
「俺も変わったんだよ」
無表情で即答すれば、俺の嘘を見抜ける者はいないはずだ。
* * * *
四限目の授業を終えて、昼休み。
今月から食堂の改修工事が終わったため、多くの生徒が教室を出て行く。
先月まで昼食は教室で食べる生徒が多かったため周囲は賑やかなものだったが、今は多くのクラスメイトが出て行った。
白花も学食メニュー制覇するまでは食堂に通う、と言っていたので、新川達と共に向かったようである。
おかげで教室に残ったのは、どちらかと言えば物静かな生徒が多い。
そんな教室の中で、俺と藤堂はいつもの如く前の席の男子の椅子を借りて、向かい合って座っていた。
二人して俺の机に置いたそれぞれの弁当箱の蓋を開け、会話を始める。
「それで。昨日、言ってた事はどうなった?」
「多少勘繰られたけど。何とか引き受けてもらえた」
「……へぇ、だったら今の所は順調と言えるな」
わざと一部分を強調させた藤堂の物言いに疑問を覚えるが、とりあえず無視する。
「問題はどうやって接触させるか、なんだよな……」
俯いて考え込む。
いきなり五組に白花を突撃させるのは不自然だ。
何か、自然と触れ合えるきっかけの場、みたいなモノがあれば確実なのだが。
何か良い方法がないか考えていると、
「ーーし、失礼しまふ!」
人が少ない教室に、その声はよく響いた。
声の出所である扉を見れば、現在の悩みの種、色素の薄い髪を持った美少女、月待紬が可愛らしい弁当袋を手に佇んでいた。
教室をぐるっと見渡す彼女の瞳と、俺の視線が重なり合う。
「月待……?」
「あ、た、タカ、宮くん……」
あだ名は恥ずかしかったのか、途中で君付けに切り替えた月待はスススと俺の傍に寄ってきた。
「あ、あの……お、お弁当、一緒に食べてもいい?」
「お、おう。いいけど……」
「……うん、あ、この席、か、借りてもいい……?」
キョロキョロしながら机の主を探す月待に、
「まあ、いいんじゃないか?」
俺の隣の席、つまり白花の席を指差す月待に、深く考えず頷く。
しかし何故突然、二組に来たのか。まさかクラスの雰囲気が居づらくなるくらい嫌だったのだろうか。
そんな俺の心配など彼女に届くわけもなく。
白花の椅子に座った月待は、俺の対面に座る藤堂を見て固まってしまった。
「ひぅ、ふ、不良さんもいたの……」
「……不良じゃないし、ちゃんと名前で識別しろ。てか、いて悪いか」
「ご、ごめなさい、ごめんなさい……!」
「おい、頭を下げるな! 俺が悪いみたいだろうが!」
コントを繰り広げる二人に、俺は手を前に突き出して一旦止める。
「月待、弁当を一緒に食べるのはもちろん良いが、随分と、その……」
「きゅ、急に来ちゃ、ダメだった……?」
ズーンと沈んだ月待に慌てて首を振る。
「いや、もちろん俺も嬉しいぞ? 全然来ていいんだが……」
「と、友達になったら、一緒に昼食取るって、ネットに書いてあったから……」
おずおずと俺を見る月待から、限りない純粋さを感じる。
この子、将来、詐欺とかされたら結構な確率で引っかかりそうなんだが大丈夫だろうか。
「……純粋すぎて眩しいな」
「えへへ……」
「いや、鷹宮は褒めたわけじゃねえと思うが」
ぼそっと呟く藤堂は軽くスルーして、月待は小さな弁当箱を俺の机に乗っけた。
これで、計三つの弁当箱が俺の机に並んだ形だ。しかし、こうなるとやはり狭すぎる。
「藤堂、お前は前の席に弁当を置け。もしくは食うな」
「……鷹宮、高校生男子の食欲を舐めるなよ? 弁当だけじゃ足りないから放課後買い食いに走るんだろ」
「少なくともお前は足りるだろ。帰宅部だし」
「……名字で、呼びあってる……勝った……」
グっと身体の前で拳を握る月待の様子に、俺と藤堂は顔を見合わせる。
「……何に勝ったって?」
胡乱気な眼差しを藤堂が向ければ、月待はビクッと身体を震わせながらも、
「ふ、二人は幼馴染、なんでしょ。でも、名字で呼び合ってる。わ、わたしはタカって、あだ名で呼んでるから、わたしの勝利……」
そういえば昨日、体育着を届けた帰りに俺と藤堂の関係性を一通り話したのだ。
つまり彼女が言いたいのは、あだ名で呼んでる方が親しいから、俺と仲が良いのはわたし、つまり自分の勝ち、という意味か。
控えめにピースサインを藤堂に向ける月待に、藤堂は軽くイラっとしたのか眉を上げ、
「昨日今日知り合った奴が何を言ってんだ。別に呼び方なんぞどうでも良いんだよ、俺にとっては」
「ふふ、負け惜しみ……聞かない」
「コ、コイツ……」
両耳を手でふさぐ仕草をする月待に、藤堂は眉間に皺を寄せる。
月待も楽しそうに大きな胸を張り、自慢げにしている。
そんな彼女と俺の視線が合い、
「ーー月待、楽しそうだな」
「へ……?」
ポカンとする彼女に、俺は彼女の頬を指差し、
「笑ってるぞ。その表情、とっても魅力的だ」
「ーーほえ⁉」
頬を真っ赤に染める月待を見て、閃いた事があった。
考えていた、白花と月待を接触させるきっかけ。
昼休みに、一緒に弁当を食べる。他クラスの子が教室にいても違和感ない、この時間ならば条件に合う。
それに、藤堂とも仲良いというか、多少話せる仲になれたのだから、この輪に白花も混ぜればいいのだ。
人付き合いは慣れである。ボッチ気味の俺が言える立場ではないが。
だからこそ、
「……月待、明日も一緒に弁当食べような?」
その言葉に、月待は目を丸くして、まだ赤みが残っている頬を押さえた。
「……いいの?」
「ああ、来てくれるか?」
「……うん、行く。明日も、絶対行く……」
噛みしめるように、月待は深く頷き俯いた。
そこまで楽しみにしてくれると、俺としても嬉しい。
そして、これでセッティングは完了した。
後は明日。
白花のコミュ力と月待のぼっち力。矛と盾みたいな戦いだが、どちらが勝つか。
俺としては白花の勝利を願うとしよう。