第18話:デートの裏では
side:白花朝姫
中学生の頃、あたしは深く考える事なく初めて恋人を作った。
相手はとても容姿が整っていて、あたしと同じリア充グループに所属していた女子たちの憧れだった先輩。
だから深く考えずに付き合った。
それが、高校まで続く苦痛の鎖となってあたしを縛るとは思わなくて。
彼と再び会った時、心のどこかでこうなるだろうと思っていた。
彼の性格からいって、まだ諦めがついていないのではないか、と。
あの頃に、きちんと話し合うべきだったのではないか。しかし、中学生だったあたしはただ怖くて、不登校という道に逃げた。
がっしりと掴まれた手を振りほどく勇気も持てず、半ば流されて歩きながら後悔という感情が胸中に湧き出る。
だけどそう分かっていても、誰にも相談できなくて。過去を友人に話す事が怖くて。
いつ見つかるか分からない恐怖に怯えて、学校生活を送る日々の中。
そんな時、ふとした拍子であたしの過去を知った二人の不思議な男の子達。
一人目はクラスでは目立たない存在にして、何処か妙にスペックが高い所がある鷹宮仁くん。
二人目は不良なのに家庭的で、少し抜けている所がある藤堂英虎くん。
鷹宮くんはただ優しくあたしを慰めてくれて、頑張りを認めてくれて。
藤堂くんは親身になって話を聞いてくれて。
二人の存在は本当にありがたかった。
あたしにしか分からない苦悩、頑張りを知ってくれたから。
だから、その内の一人である鷹宮くんがあたしの事を考えて、策を用意したと聞いた時は本当に嬉しかった。
この綱渡りの状況をどうにかしてくれるのではないか、そう希望が持てたから。
しかし、その策がニセの恋人を用意するという手法だったので、複雑な気持ちになってしまったが。
だけどその案に乗っかり、調子に乗って彼を自分の事情に巻き込んでしまったのはあたしの落ち度だ。
言い訳にしかならないが、それでも誰かに傍にいてもらいたかったのかもしれない。
そんな後悔ばかりの中で、ふと我に返ると脳裏に疑問が浮かんでくる。
彼は無事に帰れただろうか。あの後、どうなったのか。
その考えに至ると、一気に不安な気持ちでいっぱいになった。
隣を歩く三沢先輩に目線を向ける。
彼は、あたしが声を挙げなければ手出しはしない、そう言ったが素直に信じて良いのか。
やはり、このまま流されるわけにはいかない。
嫌悪感が増す繋がれた手に、あたしは力を込める。
「あ、あの……いい加減、離して、ください……!」
「……おいおい、そんなに俺が嫌か? 朝姫」
喉を鳴らして笑う三沢先輩は、眉をくいっと上げて意外そうにあたしを見る。
「た、鷹宮くんには、その、手出しは……」
「……まさかと思うが、朝姫、本当にあんな野郎が恋人なのか?」
「……」
「お前が連れていかれて、傍で見ているような奴が恋人なわけねえよな?」
「そ、それはーー」
「俺が脅したから、俺が悪いとでも?」
こくりと頷くあたしを見て、三沢先輩は冷酷な笑みを浮かべた。
「馬鹿か。それでもアイツが俺に屈したのは事実だろ。ただの腰抜け野郎のどこが良いんだ? アイツはビビッて、お前を俺に売ったんだ」
「ち、違います!」
誰だって、あの状況になれば見送らざるを得ない。
ガラの悪い不良三人に絡まれれば、誰だって、それこそ彼の友達である藤堂くんだってきっとーー。
「クク、どこに惚れたのか分からねえが、いいさ。アイツの無様な所でも見れば気が変わるだろ。現実を見せてやるよ」
「ま、まさか……」
腕を掴まれ、強引に引かれる。
嘲笑うような笑みを浮かべる三沢先輩はスマホを確認して、
「どうやら大和たちはあそこにいるらしいな」
指を差した三沢先輩は、淡々と説明し始める。
「あのビルとビルの間の路地はな。丁度監視カメラに映らない場所でな。調子に乗った野郎をシメるのに都合が良いんだ」
「……っ。最低、ですね……」
「最低、ねぇ。だが、それはアイツにも言える事だ」
「……?」
「惚れた女をすぐに手放す野郎なんて、結局俺と大差ねえクズだ」
違う。違う。そんな事はない。鷹宮くんはしょうがなかったんだ。だけど、心の隅にいる小さなあたしが、女の子としてのあたしが、守ってほしかったと訴えかける。
「ふ、納得したか。さ、行くぞ。どんな状況になってるか。泣いて詫びてるか、それか靴でも舐めてたりしてな」
見たくない。あたしのせいだ。
安易に自分の事情に関わらせてしまったから、鷹宮くんは傷ついた。
しかし、時間は迫る。
呆然とするあたしの手を強引に引いて、たどり着いた場所。
路地を覗き込み、恐る恐る見つめるとそこには。
「え……?」
ボロボロの鷹宮くんーーはおらず、傍で壁に背を打ち付けて崩れ落ちる雨傘先輩と、白目を剥いた状態の熊谷先輩が倒れていた。
「こいつは……?」
驚きを露にした三沢先輩の視線の先。
ゆっくりとこちらを振り返った鷹宮くんは、息一つ乱していなかった。
そして、酷く冷めた眼差しで三沢先輩を見つめた後、落ち着いた口調で口を開いた。
「ご苦労さん、藤堂」
その言葉の意味を理解する前に、三沢先輩の背後を塞ぐように現れたのは金色に髪を染めた目付きの悪い不良。
「……残業代は高いぞ、鷹宮」
ニヤリと笑みを深くする藤堂くんと、いつもと同じ無表情を浮かべる鷹宮くん。
二人に挟まれる形となった三沢先輩は、いまだ動揺から立ち直れず呆然と喉を震わせた。
「何が……どうなってやがる……」
当然、あたしもこの惨状に酷く驚いた。
金髪糸目の青年、雨傘天馬先輩と大柄な青年、熊谷大和先輩は、それぞれボクシングと柔道の武道経験がある三沢先輩の友人達だ。
雨傘先輩は壁に背を預け、痛みからかずっと腹を押さえて唸っており、熊谷先輩に至ってはピクリとも動かず気絶している。
二人は喧嘩の腕も相当立つと、女子の間で噂になる程だったのに。
「た、鷹宮くん、が、やったの……?」
「……白花を連れて戻ってきたか」
質問には答えず、見られたとばかりに鷹宮くんは顔色を曇らせる。
その言葉に、あたしがどういう意味だと聞き返す前に、背後で藤堂くんが肩を竦めて、
「お前の予想通りだったな」
「……」
瞬間、隣で佇む三沢先輩が高笑いした。
「は、ハハハ! 藤堂よぉ、久しぶりに会って挨拶もなしか? お前、知ってるならこの状況を説明しやがれ!」
「……それは俺の役目じゃねえな」
睨み合う二人に、割って入るように平坦な声が響いた。
「三沢先輩、あんたがここへやってくる事を、俺は予め知ってたんだ」
「あ? さっきから何を言ってやがる? どういう意味だ……?」
蒼白な顔で佇む三沢先輩に向け、鷹宮くんは普段と変わらぬ無表情で淡々と言葉を紡いだ。
「その前に、後ろ手で操作してるスマホを止めて欲しいな。仲間でも呼ぶつもりか?」
「……ちっ」
舌打ちをして、憎々し気に鷹宮くんを睨む三沢先輩。
そんな彼を無視して、鷹宮くんはあたしの傍まで来て、強引にあたしを引き寄せた。
思わず握られた手を意識して、頬が熱くなってくる。そして何より、力強くて硬い手に安心感を抱いた。
「まず大前提として。あんたは弟から連絡が来て、今日、あの映画館に白花がいる事を知った。そうだろ?」
「……」
「それを指示したのは俺だ。あんたとそこで転がってる二人の仲間が来る事も、当然弟くんから聞いて知ってた」
「……陽大、クソ、あのガリ勉野郎がッ」
三沢先輩は、苛立たし気に傍に転がった空き缶を蹴り飛ばした。
「ん? てことは……」
デート中に時々スマホを見ていたのは連絡を取り合っていたからか。
「つまり、ここで白花とあんたとの関りを断ち切るために呼んだんだ」
そう鷹宮くんは告げるが、思わず疑問が浮かんでくる。
という事はだ。
鷹宮くんの話の通りだと、つまりあたしとのデートは三沢先輩を呼びよせるためで……でも、彼はあたしのために三沢先輩を呼びだしていたわけで……。
つまりあたしだけが盛り上がっていて、彼はデートをただの目的として利用していただけで。
でもそれはやっぱりあたしのためなわけで。
思考が困惑してきたので、とりあえずジト目で鷹宮くんを見つめる。
その視線を感じた鷹宮くんは気まずそうに咳払いをして誤魔化した。
次に、一先ず動揺から抜け出て冷静になった三沢先輩が口を開いた。
「……お前の目的は分かった。だが、だったらあの場で仕掛けてきても良かったじゃねえか。何でお前は一度俺と朝姫を行かせた。3対1が怖かったか?」
「俺は何より目立ちたくないんだ。あの場は人の目があった。傷害事件にでもなって、警察のお世話になる訳にもいかないからな。だからお仲間を怒らせて、あんた達を一先ず二人っきりにした。どうせお前はこの場に戻ってくると思ったから」
「は?」
すると、鷹宮くんの瞳があたしを捉える。
「……白花は俺を巻き込んだと負い目を感じたはずだ。優しい白花は、当然のように俺の状況を心配してくれただろ。そうなるとあんたは苛立って、俺の無様な状況を見せに必ず来るはずだ」
「ま、そのまま戻ってこない時は俺が対処したわけだが」
藤堂くんが欠伸を噛み殺し、三沢先輩の背後から補足する。
つまり、あたしは彼の思惑通りに心配して、三沢先輩をこの場に連れてくるよう無意識に誘導していたのか。
……でも何だかイラっとする。本気で心配したあたしの心情を返して欲しい。
そう思い、隣に立つ男を再びジーっと睨む。
「……クク、おもしれえ。だったら何か? この状況全部が予想通りだとでも抜かすのか?」
「そんなつもりは当然ない。様々な事情が絡んで、運良くこうなっただけだ。だが、こうなれば後は簡単だな」
あたしの一歩前に出て、自然体で立つ鷹宮くんの気配が変わる。
繋いでいた手が解かれ、代わりに拳に力が入った。
「……なるほど。朝姫よぉ、どうやら俺の言った通り、コイツも本質は変わらねえクズだったな。好きな女を掛けて暴力で人を脅すわけだ。俺と全く同じ手法じゃねえか」
「……クズなのは否定しない。だが、暴力はお前の得意分野なんだろ。その得意分野で負ければ、諦めがつくかと思っただけだ。お前だってここで何人も暴力を使って従わせてきたんだろ。偶には従う側になるのもいいと思うぞ」
「言ってろ。俺は天馬や大和よりつええぞ?」
「……そのセリフ。完全に負けフラグなんだが」
ブフッと噴き出すように笑ってしまう。皆の視線を集め、思わず鷹宮くんの背を叩く。
「……今、シリアスパートだから。鷹宮くん黙って続ける」
「……はい」
気を取り直す。今はふざける時ではないと思うのだ。
「ついでに聞くが、白花に近付かないと約束できれば、こんな面倒な事しなくて済むんだが」
「アホか。白花朝姫はお前にはもったいない女だ」
「それはお互い様だろ」
シリアスな雰囲気に戻ったので、口を挟む余地はないのだが少しだけ女として良い気分だった。
何だかあたしをかけて取り合う、みたいな展開で。
目の前の背中を見つめ、ドキドキしながらこの先の展開を思い描いた。