第12話:暗躍
白花の過去を知った翌日の事。
あの後、白花に行った自分の行動を思い出して悶絶するという最悪な朝を迎えた俺は、憂鬱な気分で藤堂と一緒に通学路を歩いていた。
正直、学校に行きたくない。
そんな俺の心情を模倣するように、空はどんよりとした雲に覆われていた。
今にも雨が降り出しそうな空に向け、ため息を吐きつつ俺と藤堂は会話をしながら歩く。
「……俺も不登校になりそうだ」
「……べたべた触られるのが嫌って言われて、即触りに行くお前の精神には感心したけどな」
ガクッと膝をつきそうになる。
自分で落ち込むより、人から言われると更に胸の奥がズキッと痛んだ。
家に帰って冷静になると、過去のことを後悔するなんてのはよくあるよね。
「いや、聞いてくれ。あの時は俺なりに慰めるためにだな……」
それに、あの時の白花の弱々しい様子と、過去に泣いていた妹の紗由が重なって見えたのだ。だから、妹にするような調子で撫でてしまった。
結論、死にたい。
「--はいはい。分かった分かった」
腹を抱えて笑う藤堂に軽くイラっとしながら、これは俺が悪いので甘んじて受けるしかない。
幸い白花は嫌がるような顔はしなかったものの、傍を通る通行人の自転車の音に、二人同時に我に返り、バッと離れて会話もせずすぐに解散したのだ。
「そんで自己嫌悪に苛まれ、最悪な気分だった鷹宮くんは、帰ったらご機嫌斜めな妹ちゃんに無視されると」
「……」
「止めを刺されたわけだ」
今朝、昨日俺が遅く帰ってきた事に腹を立てた紗由は、朝ご飯を残すという軽い嫌がらせをした後、どこか拗ねた顔で学校へ出かけた。
俺もご機嫌取りのために、女子が勝手に好きそうだと思っているフレンチトーストを作ってみたが、
「そういう魂胆が透けて見えて無理」
そう言われて結局、半分くらい残された。
しかし、紗由の方は大丈夫だ。紗由はもちろん寂しい気持ちを抱えていただろうが、俺が友達と遊んだり、勉強をして帰りが遅くなる事も容認している。
だからこそ、寂しい気持ちを既読無視という控えめな手法で俺に訴えた。もしもっと我儘なら、俺に直接放課後は早く帰ってきてと伝えるはずだ。
「……話題を変えるぞ。このままだと学校につくまでに蒸発する」
「構わないが、それでも当分はいじるだろうな」
「ぐっ」
心臓を押さえる俺の様子を見て、再び藤堂はククと笑った。
とりあえず、またいじられないよう昨日の件で気になっていたことを尋ねようと思う。
「……藤堂、お前、三沢先輩っていう人と過去に何かあったんだろ?」
「おいおい、俺の過去まで聞き出して慰めるつもりじゃないだろうな? そんで俺の頭も撫でるのか?」
「……」
ズボンのポケットに入れた拳を強く握り、苛立ちを紛らわせる。
アレは俺が悪い。そう言い聞かせないとやってられない。
「……茶化すな」
「……鷹宮、察しろ。言いたくない事だってあるだろ」
顔をしかめて藤堂はそう言うが、どうしても気になる。体育の時、確か藤堂は俺に覚えていないのかと聞いてきた。
基本的に俺は藤堂について関心などないが、中学三年の時、あばらの骨を折る怪我を負っていた事は覚えている。
その時は興味なかったから追及しなかったが、お見舞いに行ってもどこで、どうやって怪我したかはだんまりだった。
「……もしかして、そいつと喧嘩して負けたとか?」
瞬間、僅かに藤堂は目を見開いた。
「当たり、か」
「はぁ⁉ いやいや、違うけど? 俺が負けるわけねえだろ。それはお前が一番、理解してるはずだ」
「……藤堂、お前、爺さんにバレたらキレられるぞ? ただの不良に負けたって」
「おいふざけんな! あの人には絶対言うなよ? あのクソジジイ、クマに襲われて逆に返り討ちにしたっつう化け物だ。バレたら何されるか……」
はい、誘導尋問成功。
「引っかかったな」
「ぐっ」
先ほどとは逆の立場になり、少し優越感を覚える。
しかし謎なのは、藤堂英虎という男がその辺の不良に負けるはずがないという事だ。もしかしたら、タイマンではなかったのかもしれない。
「大勢で、か……」
「……」
仏頂面になった藤堂は、
「今の俺なら負けないだろうがな」
「……高校生になってまで殴り合いの喧嘩とかするな。どこの不良漫画だ」
「馬鹿言え。負けっぱなしなのは癪に障るんだよ」
そんな会話をしている内に高校の校門が見えてきた。自転車通学の者達に次々と追い越されながら校門を抜けると、昇降口付近に新川と川瀬の姿が見えた。
隣には三沢くんと、後は誰か分からない人物の四人で歩いていた。彼らは靴を履き替え、校舎の中へ消えていった。
「……三沢先輩とやらは、三沢くんの兄かな?」
「……聞いてみるしかねえだろ。だが、まさかアイツが白花の元カレだとはなー」
小声で会話しつつ、遠い眼をする藤堂の様子を横目で見ながらため息を吐いた。
これから白花に会うとなると気分が沈むが、嫌われていたらいたでしょうがない。むしろ、いつも通りの日常が帰ってくるだけだ。
そう思う事にして、俺達も同様に昇降口を通って靴を履き替え、教室に向かった。
* * * *
教室に着き、いつもと同じように席に座る。
白花の姿は既にあり、教室に入ってきた俺と眼が合うとすぐに視線を逸らし、頬を染めて友達の輪の中に、何かを誤魔化すように元気よく挨拶しながら入っていった。
そんな女子の輪に、男子のカースト上位組である龍前や三沢くん、そして猿谷が近づき何やら話し始めた。
「白花たちもカラオケ来ればよかったのに。昨日、結構盛り上がったんだぞ?」
「そうだな。久しぶりに歌えてスッキリしたな」
龍前と三沢くんが続け、猿谷が女子に問う。
「そっちはどうだった? あ、でも勉強会だから楽しいもクソもねーか?」
すると、新川が不敵な笑みを浮かべ、鼻を鳴らした。
「ふん、お前ら、そうやって余裕かましてると、中間テストであたしに跪く事になるぞ?」
身長にしては大きめな胸を張り、自信ありげに言う新川に男子三人は面食らった様子だった。
「おいおい、どうした新川。今日はやけに機嫌が良いな?」
「由愛ちゃん今朝から絶好調なんだよねー。昨日、分からなかった問題、鷹宮くんに教えてもらってご機嫌なの」
「……昨日の勉強で、あたしは変わったのだ。赤点回避に向けて頼もしい助っ人を用意できた。お前ら遊び組とは随分と差が付いただろうな」
川瀬がふわふわ笑い、隣では新川が得意気な顔をしている。新川にとっては嬉しい事でも、今ここで俺の名を出すのは止めて欲しかった。
その声は教室に響き、俺に対して一斉に視線を向けられることになったから。
「ふーん、鷹宮……ね」
三沢くんが俺に流し目を向ける。
「お、来てたのか、鷹宮」
俺に気付いた新川が、とてとてと駆け寄り俺の机にまで来た。サラサラのポニーテールを揺らし、新川は小首をかしげて尋ねてくる。
「今日は古文教えてくれるんだろ?」
「……ああ」
昨夜、彼女のために自分の自学ノートとは別に彼女用のノートも作ってきた。俺のノートは結構、落書きとか書いてあるので、それを見せるのは恥ずかしいのだ。
それに、貸したら俺が勉強できない。
「おお、じゃあまた放課後な!」
いつもなら無邪気に喜ぶ新川に微笑ましい視線を向けている所だが、今はそういう気分じゃない。
新川が席を去り、次にこちらに近付く男子生徒の姿に目を向ける。
「……鷹宮、昼休みに学校裏に来てくれるか?」
「……分かった」
短い会話を終えて席に戻っていく三沢くんの背を視線で追う。彼はそのまま龍前と何やら話し込んでいる様子だった。
それをちらっと見て、今日も厄介な出来事が起こりそうだと感じる。
俺は窓の外を見ながら、大きくため息を吐いた。
* * * *
隣の白花は時々、授業の合間に俺の方に何故か視線を向けてくるので、そのたびに彼女の方を見るが視線がぶつかるとすぐに逸らされる。
そんなよくわからない時間を過ごしつつ、あっという間に午前の授業を終えて昼休みとなる。
藤堂にはいってらっしゃいと軽く笑みを浮かべ、手を振られて教室を出た。
結局、白花は妙に他所他所しくはなっているが、そのくせ一緒に弁当食べようと誘ってきたりするので、嫌われたかどうかよくわからない。
しかも今日に限って、昼食は購買のパンじゃなくて自分で作ってきたというアピールをしながらの弁当だった。
ともかく、今は三沢くんとの約束の件に集中するとしよう。
敷地内を歩き、学校の裏に回る。
言われた場所に到着すると、その場所には既にすらっと伸びた身長に、怜悧な顔付きのイケメンが立っていた。
三沢くんは俺の姿を確認した後、意外そうに目を丸くしてから嘲るように笑った。
「ほぉ、これは意外だったな」
「……何が?」
「いつも藤堂の後ろに隠れているから、てっきりアイツも連れてくると思ってたが……」
言いながら三沢くんは俺の方に近づき、
「お前、警戒心とかないのか? ノコノコやってきて。こういうふうにされるとか、思わなかったのか?」
俺は胸倉を掴まれ、学校のフェンスに押し付けられた。背中が地味に痛い。
「……由愛に昨日、勉強を教えたんだってな。アイツに少し褒められたからって、調子に乗るなよ? 陰キャ風情が」
顔を近付け、威嚇するように目を細めて俺を見る。だが、ここで少し疑問が浮かんだ。
「……ん? 話って新川のこと?」
「あ? それ以外に何がある」
「いや、てっきり白花に近づくなとかそんな事だと……」
白花と接している所を睨まれたのだと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。
すると、三沢くんは舌打ちをして、
「俺は新川派なんだ」
真顔でそう言う三沢くんはシュールで、少し面白い。
だが良いことを聞いた。俺にとってそれは、非常に都合が良い。
「なるほど、じゃあ三沢くんの目的は俺を新川から遠ざける事か?」
「……そうだ」
ここまで俺にするという事は、本当に彼は新川の事が好きなのだろう。
頷きつつ、眉根を寄せて怪訝そうに俺を見る三沢君に、感情を感じさせず言葉を紡ぐ。
「分かった。その頼みは聞こう。だが、俺からの頼みも聞いてほしい」
「あ? そんなこーー」
胸倉を掴まれている手を片手で掴み、思いっきり握りしめる。その瞬間、ミシミシと音がして三沢君が顔を歪めた。
「て、てめえ……!」
「簡単な事なんだ。あんたのお兄さんに、白花朝姫は令賀丘高校に通っているという情報を流すだけで良い」
「……なんで、お前が兄貴の事を……」
呆然として俺を見る三沢くんに、内心笑みを浮かべる。
どうせ遅かれ早かれ、白花が通う高校はバレる。
だったらこっちから時期をコントロールした方が良い。
それにこの企みが上手くいけば、男子からの妬みの視線も、こうやって絡まれたりする事もなくなるだろう。
この件を利用して、いつもの日常を取り戻す。
おそらくだが、三沢先輩は白花に未練たらたらだ。だから彼は、白花が通う学校を探っていた。そんなしつこくて面倒な元恋人が現れた時、最も簡単に諦めさせる方法は白花に新たな恋人がいるという事実だ。
その恋人役は、龍前奏多にやってもらおう。彼なら、どんな男にも負けない華やかさがある。
だから龍前にも事情を話して協力してもらう。龍前は白花が好きだから絶対やってくれるはずだ。
昨今のラブコメ作品では、利害の一致からニセ恋人になり、しかし、接していくうちに本気の恋に変わってハッピーエンドというのが多い。
つまり、この件を利用して白花と龍前を結ばせようという訳だ。そうすれば俺は再びクラスで目立たない人物に逆戻り。
放課後は早く帰れて紗由に寂しい気持ちを抱かせずに済むし、そして白花も、野蛮な男から自身を守る龍前に対して、”本物の恋”を抱いて幸せになれる、まさに一石二鳥だ。