第11話:鷹宮の必殺技
空気が凍る。
水戸さんが言った言葉は、それだけの影響力を持っていた。
白花は唇を震わせ、水戸さんはそんな彼女を目を細めて見つめる。
空気がおかしくなったことに、水戸さんの連れのイケメン二人は戸惑いを見せ、藤原さんは顔をしかめてため息を吐いた。
「今、ここで言わなくてもいいでしょ、柚葉」
「あ、ヤバ! もしかしてそっちの男子二人は知らなかったー?」
ごめーん、秘密だったの? としなを作って謝る水戸さんに、白花は青い顔のまま愛想笑いを浮かべる。
「そっかー。白花さん、お友達には言ってなかったんだー」
「当たり前でしょ。好き好んで言う事じゃないし」
「……う、うん」
ふふっと笑う水戸さんと気遣わし気に白花を見る藤原さん。イケメン二人は同じ中学出身ではないからか、困ったような顔をしている。
横目で俺は白花を見るが、眼が合うとすぐにバツが悪そうに逸らされる。
そんな脅えるような反応に加えて、唇を噛みしめて俯く姿は何か胸にくるものがある。すると、空気に耐えられなかったのか、突然藤堂がスマホをいじりはじめた。
それからすぐに俺のスマホが震えて、
藤堂英虎:何とかしてください。
その文章を見た瞬間、思わずイラっときた。こんな時に限って敬語なのも要因の一つだが、この状況でスマホで連絡してくるのもイラっとする。
だが、俺だってこの状況を切り抜ける事には賛成だ。
結局、水戸さんは俺たちに、白花が過去に不登校だった事実を知らせる事が目的なのだろう。
何故そんな事をする必要があるかと思うと、今は情報が少なすぎて大まかな予測しかたてられない。嫌がらせ目的だと思うが、内心はどうなのか。
とはいえ、白花の様子を見るにこれは高校の友達にも言っていない事だと思う。そして、今すぐにやめて欲しい話題だと言えよう。
「そっかー。ごめんね、お友達に勝手に言ったりしてーー」
だからこそ、
「いや、普通に知ってたけど」
横から水戸さんの言葉を途中で遮り、俺は何てことないように口を開いた。
「ーーえ?」
白花は驚き、水戸さんもポカンとする。構わず俺は続けた。
「白花が不登校だった事は知ってた。詳しい事情は知らないが、本人から聞いた。不登校だった時、ずっとアニメ見たりして時間潰してたって」
一度言葉を切り、俺は水戸さんの眼を見つめる。
彼女のペースを崩せれば、この良くない空気は終わりを告げる。嘘でも堂々と言えば、一時的にでも信じさせられるだろう。
そんな俺の思惑通り、彼女は怯むように面食らい、驚きを露にしていた。
「……白花みたいな美少女が、アニメスタンプばっか使ってくるのもそういう理由からだったのかと納得した」
「え、そ、そんな事、た、たかみやく――」
言わせねーよとばかりに、白花が何か言う前に言葉を被せる。妙に顔が赤いのが少し気になったが。
「でも結局それは過去の話だ。むしろ人よりハンデがある中、白花はそれでも勇気を出して自分を変えようと様々な努力を積んだんだろう」
俺は白花を横目で見て、彼女を安心させるように意識して笑った。
「そして、その努力は決して無駄じゃなかった。結果的に今ではクラスの人気者だ。どん底からの逆転。少年漫画の王道展開みたいで、かっこいいだろ?」
俺が一歩進み、高みから水戸さんを見下ろす。
「……そんな彼女と比べて。今のお前はどうだ? 三沢先輩とやらが取られたのが、そんなに気に食わないか?」
すると、彼女はしばらく呆気にとられた後、再びツンと挑発するように顎を上げた。
「……ふん、知ったふうな事言わないで。そんな事より、貴方は詳しい事情は知らないんでしょ? クラスで人気者の白花さんの事、知りたいとは思わない?」
「事情とかは興味ないわ。そんな事どうでもいい」
俺がそう言うと、水戸さんは目を見開いた後、白けたとばかりに顔を背けた。
水戸さんの話は終わりだろうか。だとしたら早く帰りたい。後ろでビクビクしているイケメン君たちにも申し訳ないし、何より俺がもう面倒くさいと感じている。
「それじゃあ帰るか。たく、話が長いんだよっ。さ、行こうぜ、鷹宮、白花」
同感だったのか、苛立ったように藤堂が言うとビクッと肩を震わせるイケメンたち。というか、今のセリフを水戸さんが喋っている最中に強引に言えば、何ならそれで追っ払えたと思うが。
不安げな眼差しで俺を見る白花に、思わず俺は彼女の背を押して彼女が向かおうとした通学路の方へ歩く。
その間際、後ろから再び水戸さんの声が聞こえ、
「待って、白花さん。最後に忠告。三沢先輩、白花さんが通う高校の事、うちらの学年にまで来てわざわざ聞きまわってるみたいだったよ?」
「え?」
ビクッと大きく身体を震わせ、白花は再び顔を俯けた。
「……でもー、あたしは優しいから、令賀丘に通っている事は言わないでおいてあげる! ね、玲奈も言わないもんねー」
「……ま、柚葉と違って口は堅い方だから。安心していいよ」
「えー、何それー?」
会話を続けつつ、彼女達は俺達と逆方向に歩いていく。去っていく方に視線を向け、しばらくして。
道路を走る車の音だけが耳に聞こえる。
そんな中、ポツリと白花が口を開いた。
「あ、あの……」
上目遣いで俺を見る、潤んだ瞳に思わず言葉に詰まった。
「……気にするな。さっき聞いた事はクラスの奴らには言わない。というか言えない。俺と藤堂には友達がいないから、言う相手がいないしな」
「そうそう」
大きく頷く藤堂と俺を交互に見て。白花は涙目になりつつ、深々と頭を下げた。
「……ありがと」
「……しおらしい白花は白花じゃない。お前、本当は誰だ……?」
「……どういう意味だ、コラ」
ジト目で俺を見る白花の様子に、俺は少し安堵する。そんな俺を見て、白花は頬を赤く染めて視線を下に向けた。
「だが不登校の原因、鷹宮は興味ないって言ってたが、俺は興味あるな。良かったら聞かせてくれないか?」
この状況で言う事じゃないと思ったが、この状況だからこそ聞いておいた方がいいかと思いなおす。三沢先輩とやらが白花が通う高校を突き止めてどうするかは予測できない。
いや、待てよ? 昨日体育が始まる前、藤堂は三沢という名字の者と過去に何かあったと言っていた。藤堂はもしかしたら、白花の元カレだという”三沢先輩”という人物に興味があるのかもしれない。
クラスにいる同学年の三沢君との関係も気になる所だが、今は白花についてだ。
その白花はしばらく考えた後、俺達を交互に見つめておずおずと口を開いた。
「……いいよ。全部話す。でも、あたしにも聞きたい事あるよ……鷹宮くんは何であたしが、その、不登校の時にずっと部屋に籠ってアニメ見てた事知ってるの?」
僅かに調子を取り戻したのか、詰め寄ってくる白花に思わずキョトンとしてしまう。
「あれ出まかせだったんだが……」
「え、あ……」
間の抜けたように口を開ける白花に、俺は思わず吹き出すように笑ってしまった。
そんな俺に白花は当然怒り、「笑うなーっ!」と顔を真っ赤にして突っかかってくるので、朝のHR前と同様に手を捕まえて宥めた。
* * * *
とりあえず俺達は白花の話を聞くため、近くにあるスーパーマーケットの裏手に回った。
ここなら人通りが少ないので、白花の話を聞ける。
俺と藤堂は店の外壁に背を預け、白花とは向かい合って立つ。
彼女は俺を見て、俯きながら弱々し気に笑った。
「……その、まずは鷹宮くんにありがとうって言いたい。水戸さんがあたしの不登校の件を言ってた時、その過去を知ってるって言ったのはーー」
「あー、その件はいいから」
片手を前に突き出して止める。
あれは水戸さんのペースに乗せられるのが嫌だったので言っただけだ。そんなに大した事をしたわけじゃない。
それに、自分がした事を一々解説されるのは恥ずかしい。
そんな俺の様子を横目で確認した藤堂は、それから腕組みしつつ口を開いた。
「じゃ、まず不登校の原因から聞いていいか?」
「……そのことを話すとなると、前置きが長くなるけど良い、かな?」
困ったように眉根を寄せて首を傾げる白花に、俺と藤堂は同時に頷きを返した。
それから彼女は、下にあるコンクリートの地面をぼーっと見つめながら、
「……あたしが中学二年の時、さっき話に出てきた三沢先輩に告白されたのが始まりだったんだよね……あ、三沢先輩というのはあたしの一つ学年が上で、当時三年生で学年の中心人物だったんだ」
その三沢先輩と付き合ったという事は、白花とはリア充同士のカップルというありふれたものだったわけだ。
「ちょっと怖い所あるけど、そこが魅力的だとかで。えーっと、俺様系? のイケメンだった」
「……それで?」
藤堂が先を促す。白花は一つ頷き、
「……で、三沢先輩はすごい人気だったから、そんな人に告白されちゃったもんだから、周囲の女の子たちに乗せられてねー。付き合うのが当然みたいな流れになっちゃった……」
自分の髪を撫でつけ、困ったように笑う白花。
「今の言い方だと、別に白花は好きじゃなかったってわけか?」
「うん。だって学年も違うし、接点だってなかったもん」
俺様系という事は、三沢先輩とやらは自信過剰な人物だったのだろう。断られるとは思わず、そして周囲の女子たちもそんなイケメンからの告白を断るわけがないと騒ぎ立てた。
「よく言うじゃん。付き合ったら好きになるって。だからあたしもそうなのかなって軽い気持ちで付き合ったんだけど……」
顔を曇らせた白花は、自分の身体を抱きしめて、
「でも、付き合って一週間で別れた……」
「……原因は?」
「……べたべた、触ってきたんだよね……」
一度、言葉を切り、
「付き合って、すぐにお触りはあり得ないじゃん? あっちは恋人になったんだからそれが当然だと思ったんだろうけどさー……だ、だから、頬とか触られてキスされそうになった瞬間、顔を張ったの!」
こうやってと俺の前に来て、俺の頬をパシンとはたく。軽くだったから痛くないが、再現するのは藤堂の方にしてほしい。
「今のは優しくやったけど……もっと勢いよくやってやった。でも、そしたらあたしも同じように……」
「まさか殴られたのか?」
「……っ」
「……うん。男の人に殴られたのなんて初めてで……めっちゃ痛くて……怖くて夢中で走って逃げて……」
ギュッと拳を握る白花に、過去の泣いていた紗由の姿が何故か重なる。
「それ以降、顔を合わせるのも怖くなって……」
「……なるほど、それでか」
藤堂が頷き、何か考え事をしている中、俺は白花の心情を想像する。
聞いた話から推測すると、彼女は高校に入学した時、並大抵の覚悟でリア充になったわけではないという事だ。
最初は、男子のことが相当怖かったはずだ。金髪に染めてギャル感を出して、本来の明るい性格を全面に無理矢理押し出した。
別にクラスで目立たないように過ごしても良かったはずなのに、それでも白花は本来の自分を取り戻そうとした。
「……よく頑張ったな」
「――えっ」
気が付けば、俺の手は白花の頭に伸びていて。髪を梳くように撫でていた。
「白花はすごいと思う。高校の入学の時、男子のこと相当怖かったはずだろ? そんな事おくびにも出さずに、今まで接してくれたんだろ? それは誰にでもできる事じゃない。相当の覚悟と勇気が必要だったはずだ」
「……ぅん」
小さく首肯した白花は、それから唇を噛みしめて俺の方に甘えるように頭を傾けた。瞳からあふれる透明な雫を見ないように、俺がただあやすように優しく頭を撫でると、白花はおずおずとおでこを俺の胸に押し当てた。
それを傍で見ていた藤堂は、
「……うわ、これ姉貴の時と同じだ。鷹宮の必殺頭なでなで……」
彼のそんな呟きは、風に攫われ誰の耳にも届かなかった。