第10話:白花の秘密
図書館に置かれた時計が、ちくたくと秒針を刻む。
左隣を見れば厳つい不良が真剣な顔で勉強している。右隣を見れば背の小さい童顔の美少女が、同じように真剣な顔で机に教科書とノート、問題集を広げていた。
向かい側に座る金髪の美少女は疲れたのか机に突っ伏していて、隣に座るゆるふわ美人はその様子に苦笑している。眼が合うと、クスッと柔らかく微笑んだ。
ふと窓から外を見れば、既に太陽はなく真っ暗になっていた。時計を見れば時間は六時半を過ぎていて、下校時間が迫っている。
図書館を利用している生徒の数も減る中、俺はスマホを取り出す。画面を見ても、まだ紗由からの連絡はない。
しかし”既読”はついている。
これが既読無視というものかと、他人事のように思った。
「……ねー、今日はもう帰ろ?」
静かな図書館だからか、小さい声量でも皆に伝わった。どこか力なく身を起こし、白花は目を擦る。欠伸をした後なのか、目が潤んでいた。
「そうだね。もういい時間だし、帰ろっか」
川瀬が時計を見て賛同する。すると、勉強を教えていた新川が俺の方を見て、少し名残惜しそうに口をすぼめた。
「……鷹宮、今日は、その、ありがとな」
「為になったか?」
「う、うん! すごいなった! でも、今日は数学とか英語中心だったけど。古文とかも、できたら教えて欲しい、な……」
「……じゃあ明日もやるか?」
「いいのか⁉」
眼をキラキラさせて言う新川が何だか微笑ましい。
新川は本当に真剣に勉強していた。
俺が横で良い匂いだなーとか、手が小さくて可愛いなーとか。男女を意識しているのが馬鹿らしくなる程に集中して学んでいた。
だからこそ俺も時間が経つにつれ、そういった邪な感情をなくして教えられたと思う。
その熱意に負けたから、明日もやるかなんて言ってしまったのだろう。場に流されるって状況、結構あるよね。
「む、なんだその眼。なんかムカつくぞ」
「気のせいだ。さ、帰るか」
新川の鋭い指摘を軽く流して、俺は勉強用具を仕舞う。その横で、藤堂が俺のノートをひらひらと振った。
「悪い。鷹宮、明日返すからこのノート借りていいか?」
「いいけど、500円な」
「金取るのかよ」
「冗談だ」
「真顔で言うから冗談か分かりづらいわ」
軽口を言い合い、カバンを背負って図書室を出る。その様子を後ろから眺めていた白花が、柔らかく微笑み俺と藤堂を交互に見た。
「気安いやり取りっていうか。見てていーねー、二人は」
「……そうか?」
廊下を通りながら、白花は先頭を歩く俺と藤堂の間に割って入った。
「うん、なんか本当に幼馴染っていう感じ」
「確かに。気の置けない間柄っていうのか。気を使わない相手っていうのか……」
新川が同意を示すが、川瀬が仲の良さをアピールするためか、新川と手を繋いだ。
「ふふ、でもわたしと由愛ちゃんも幼馴染なんだよー?」
「え、そうなのか」
「……まあ。小学校の時、スポ少で二人共バスケやってて」
手を振り解き、ぶっきらぼうにそう言う新川に、川瀬はクスッと微笑んだ。
「由愛ちゃんと最初は敵同士だったんだけどね」
「……最初はあたしがいたチームが負けてすごい悔しくて。帰ったら近くの公園で練習しようと思って行ったら静流もいてな。聞いたら丁度偶然、家が近くて。それから時々、一緒に練習したりしてた」
すると、藤堂がちらっと新川を見て、
「川瀬は分かるが、新川もバスケか。小学生の時はでかかったのか?」
「……今と同じで、並ぶときは一番前だった」
悔しそうに言うが、そこに悲壮的な響きは含まれていない。
「じゃあ前倣えの倣えはしたことないのか」
俺の呟きに、新川はじろっと目ざとく睨んだ。
「何か言ったか?」
「……何でもございません」
俺が謝ると、新川はふんと鼻を鳴らす。それを見て、白花が可愛いなーと新川の頭を撫でようと手を伸ばすが、彼女は鬱陶し気に手を払った。
「由愛ちゃんは運動神経抜群だし、スタミナもあるから。わたしは身長はあるけど、スタミナがなくてね」
「静流は司令塔タイプだから。試合をコントロールするというか。あたしにはそういうのできないし」
はたから聞いていれば、二人は互いを認め合い、褒め合っているように思える。俺と藤堂なんかより、よっぽど良い関係だと思った。
「俺と鷹宮より、よっぽど良い関係だと思うけどな」
「……俺も同じこと思った」
「だよな。互いを褒め合うなんてできねえもんな」
「だな。なんでそんなピアス付けてるかわからないし。もしかしてかっこいいと思ってる?」
「いいからお前は髪を切れ。鬱陶しいからスポーツ刈りにしなさい」
「お前のそれはツーブロックって言うんだっけ? なんで横だけ禿げてるの?」
そんなやり取りをしていたら、クスクスと肩を震わせて女子三人に笑われた。
「二人は見た目が正反対なのに。そんな仲良くて面白いなー」
「ふふ、だね。藤堂くんもずっと親しみやすいし、クラスの女子の大半は知らないんだろーなー」
「え、マジで? じゃあ明日クラスの女子に俺はすごく優しかったってそれとなく伝えてくれる?」
「さ、由愛ちゃん帰ろー帰ろー」
「おう」
「あれ、ちょっと川瀬さん?」
あたしたちは電車だから。そう言って新川と川瀬は俺たちと反対方向に分かれた。
早いもので、気が付けば学校を出て既に分かれ道に差し掛かっていた所だった。道は暗くて、女子二人だけで心配になったが、日常的に彼女らは部活後、この時間帯に帰っているのだと思いなおす。
「じゃ、じゃあ鷹宮。また明日、な?」
「おう」
内心、また明日と言われて嬉しかったのは内緒だ。
いくら目立ちたくないと自分では言っても、美少女にそんなことを恥ずかしそうに告げられたら男ならテンション上がると思う。
「朝姫ちゃんたちも気を付けてね」
「うん、バイバイ静流、由愛ちゃん」
「……ちゃん付けするなってば」
「……あれ、誰も俺に挨拶してくれなかったな」
藤堂の寂しい呟きはスルーされて。
電車通学の生徒は基本的に学校を出て右に行くので、校門を出た所で川瀬たちを見送る。
そうなると、必然的に男子二人に女子一人。俺と藤堂の間にいる白花は緊張してるかと思って隣を見ると、彼女は呑気に欠伸をしていた。
「ふわぁ、ちょ、見たな!」
「いや、見てない。大きく口開けた所なんか見てない」
「それ見たって言ってるようなものじゃん!」
プリプリと怒る白花はいつもと同じテンションで少し安心する。一言謝ってから、気になっていた疑問を告げる。
「白花は徒歩通学だったのか?」
「うん、あたし、引っ越しして大学生の姉と一緒に暮らしてるんだ。学校の近くになったから、凄い行きやすくて楽」
俺が一つ相づちを打ち、納得する。それから藤堂に目配せし、次はお前が話題を提供しろと眼で合図した。
すると藤堂は面倒くさいとでも言いたげに顔をしかめたが、少し考えた後で口を開いた。
「……まさかこういうふうに俺達がクラスの人気者と一緒に帰る事になるとは思わなかったな」
「……そう、かな……」
人気者と言われて言葉に詰まる白花を横目に、
「ま、本人は返答に困る話題だな」
俺がそう言うと、藤堂がすぐにスマホをいじる。すると、俺のスマホに電子音が響き、
藤堂英虎:お前が話題提供しろって言ったんだろうが。
既読しつつ、無視してスマホを閉じる。
確かにそう言ったが、藤堂のコミュ力に期待した俺が間違いだったようだ。
「鷹宮くん、はどうか分からないけど、藤堂くんだって女子には人気だよ?」
「よっしゃぁ!」
「……あれ、そこは嘘でも俺も人気って気を使う所じゃないの?」
くすっと白花は笑う。既に空には月が昇っており、更に街灯と街の光でその笑顔ははっきりと見えた。そして、その笑顔を僅かに陰らせて白花は俺を見つめた。
「あたしは、言われる程大した人間じゃないよ。でも、昔より今は楽しいって感じる。これってさ、”リア充”って言えるよねっ?」
「……言うまでもなくリア充だと思うが」
「むー。淡泊だなー、鷹宮くんは」
不満げに唇を突き出す白花。そう言われても、どこからどう見ても彼女はリア充としか言いようがないのだ。俺としては無難にそう返すしかないと思ったまで。
そのまま俺達は会話を続けつつ、既に場所はスーパーマーケット『はとや』付近まで来ていた。
ここら辺は店も多い。
飲食店も多いが、何よりカラオケ店やゲームセンター、ボーリング場など結構遊びの場が充実している。俺や藤堂は家に籠ってゲームしたりする方が性に合っているが、白花はきっとこういう所にしょっちゅう行っているのだろうと思う。
すると、向かいの交差点を指差した白花は、
「じゃ、あたしはこっちだから。また明ーー」
白花が不自然に言葉を止める。俺達は怪訝に思い、別れを告げる前に一度足を止めると。
交差点向こうのカラオケ店から、男女のグループが出てきた。その瞬間、白花が身を固くするので、俺は一瞬、龍前達かと思ったが違った。
信号が青になる。白花は顔を俯けて。反対に交差点を渡っていた女の子二人が、白花の姿を見て。
「ねぇ、もしかして白花さんじゃない?」
「え、うわ、ほんとだー! わー、久しぶりじゃん!」
「……あ、うん。久しぶり」
駆け寄ってきたのは女子二人組。一人は茶髪を肩口まで伸ばした美少女で、もう一人は金髪をポニーテールにした美少女だった。
連れにイケメン男子二人を引き連れ、見るからにリア充っぽい。
制服は令賀丘のブレザーではなく、私服だった。彼女らの容姿を見ても、特に既視感は沸かないのできっと他校の生徒だろう。
二人の女子は感心したように白花を見た後、
「心配してたんだよ。突然、学校来なくなったと思ったら、連絡まで取れなくなっちゃうし……でも良かった。高校はちゃんと行ってたんだねー」
「う、うん。まあ……」
「男子二人も連れちゃってさぁ。それに金髪に染めてるとか、まさに高校デビューってやつじゃん! あ、こんにちは! あたし、白花さんの中学の同級生だった水戸柚葉でーすっ」
そう言って茶髪を肩口で切り揃えた美少女は俺と藤堂に近付き自己紹介をする。というか距離が近い。パーソナルスペース知らないのかと聞きたくなるほどである。
ニカッと綺麗な歯を見せ、猫のように目を細めるその笑顔から、何となくあざとさというか計算された可愛さが感じ取れた。
「で、こっちがーー」
水戸さんはそう言って自分の横に立つ金髪女子を紹介する。
金髪女子の第一印象としては、少し吊り上がった眼が怜悧な雰囲気を醸し出していて、クールな美少女という風に見受けられた。
「別に紹介する必要なくない?」
「いーからいーから。玲奈は愛想がないから男にモテないんだよー?」
「確かに。藤原は初見じゃ取っ付きにくいもんな」
「分かるわ。俺も最初は怖かったもん」
水戸さんの言葉に賛同を返すイケメン男子二人。というか、名乗るまでもなく彼女が藤原玲奈という名前だと分かった。
まあ正直、他校の生徒とかどうでもいい。どうせ関わり合いにならないし。
そんなことより、俺には少し気になる事がある。が、居心地悪そうな白花の様子を見て、この件は追求しない事に決めた。
しかし俺個人が決めても、場の流れというものはどうしようもない。
「てか白花さんて三沢先輩とまだ付き合ってんの? この際だから聞いちゃうけど、あたし今狙ってるんだよねー?」
流し目で見る水戸さんに対して、白花は勢いよく首を振る。若干、青褪めた顔で。
「つ、付き合ってない。もう付き合ってないよ……」
「ふーん。もしかしてトラブルがあったとか?」
「……ま、まあ。あっちは、その、そう思ってないかもしれないけど」
すると、水戸さんは納得したように一度頷き、ふっと瞳を細める。一度、白花を上から下まで眺め、俺と藤堂にも視線を今一度向ける。
そして顎をツンと上に向けた。その様子に少し嫌な予感を感じるが、
「ーーじゃあ、もしかして白花さんが不登校になったのって、三沢先輩が理由だったりする?」
案の定。白花は青い顔で固まった。藤堂も横で僅かに目を見開いている。
クラスで屈指のリア充ともあろう人物が、過去に不登校だったとはにわかに信じがたいのだろう。
そして、その様子を観察するような水戸さんの細めた瞳には、暗い感情が見え隠れしているように見えた。