第2話 父と娘
ルーチェに手早く押し込められた馬車であたし達はあっという間にゲンメ邸に着いた。
途中で、緊張のあまり腹が痛くなった奏大がトイレに駆け込み、その待ち時間に絡んできたゴロツキを久しぶりに路地裏に転がしたりするようなこともあったが──そんなことは改めて語るまでもない些細なことだろう。
というわけで。
あたしたち三人は、無駄にだだっ広くて猿の置物がところ狭しと置かれているゲンメ邸の玄関に三人で立っていたのだった。
「おっ、お嬢様ぁっ!」
「──お帰りになられたので!?」
邸の入り口で使用人たちがあたしの顔を見るなり動揺の声をあげた。
「……申し訳ございません。しばらくカルゾ邸にいらっしゃる予定と伺っていたので──お嬢様のシモベどもにはヒマを出しておりまして──」
「……シモベ?」
小声で奏大が呟いた。
「かまわない。あたしの相手は──間に合ってる」
シモベとは、朝晩のあたしの鍛練に付き合うゲンメの精鋭兵たちの通称だ。
勉学にも社交にも興味がなく、ゲンメ邸で特にすることもなかったあたしは──時間さえあればイスキア対策としてゲンメの兵を鍛えていた。
これはと思う人材はちょっと強引にスカウトすることもあり、世間では猿姫のイケメン狩りと揶揄されることもあった。
が──あたしはゴシップ誌で報じられているように、スカウトした者をベッドで奉仕させるようなみだりがましいことをさせたことは断じて一度もない。
「なるほど──しかし、体力絶倫のお嬢の相手、このようなヒョロヒョロとした若者がつとまりますので?」
ゲンメ邸の入口の警備を任されているボーカが姿をあらわしかたかと思うと、品定めをするようにジロジロと奏大を見て腕を組んだ。
「あぁ。コイツはあたしのモノだ。影どもに手を出すなと伝えてくれ」
「はぁ。お嬢にしては珍しいですね、その者が──そんなに良いので?」
「そうだ。あたしにはめちゃくちゃ具合が良い相手だぞ……」
「ふーん。コヤツ、それほどお嬢を満足させられるような身体には見えませぬが──」
「あたしは満足してる。だから絶対に手を出すな」
「──承知」
あたしの目が届かないところで奏大を勝手に影に始末されてはかなわない。
あたしの客人だと必死にアピールしてみたのだったが──何だか、隣の奏大が物凄く居たたまれない様子で下を向いているのはナゼだろうか。
そして──ルーチェ。
無表情だけど、口の端がわずかに上がっている。
……ん?
あたし、ひょっとして何か変なことを言ったか?
「ルーチェ、何かおかしい?」
「……いいえ」
ルーチェの頬が膨らんだ。
「ハッキリ言え」
「……マルサネ、やめておけ」
ルーチェの襟元を掴もうとしたが、額に手をあてた奏大に止められた。
……むぅ。
というように玄関先でわちゃわちゃと騒いでいると──
「帰ったのか! マルサネ!」
奥からちんちくりんのバーコード頭があらわれた。
相変わらず育毛剤であがいているのか、頭頂部がテラテラと光っている。
視線を反らさずにはいられない、生理的になにか熱いものが胸の奥から込み上げるのは実の親子だからだろうか。
「げ、クソ親父──」
思わず漏らしたあたしの言葉に隣に立つ奏大が硬直する。
その隣に立つルーチェが困ったような表情で雇い主であるゲンメ公に目をやった。
「自分の家に帰ったら何か都合が悪いのか?」
「いや。いきなりソーヴェから『お前をしばらく預かる』などという連絡がきたので、てっきりこれは──懐妊でもしたのかと」
「「……はっ!?」」
何言ってるんだ、このクソオヤジ!
「おい奏大、あたしの腹をガン見するな!」
「⋯⋯ブッ!」
あたしは奏大の顔面に裏拳を食らわせてやった。
全く。誰が妊婦だ!
鍛錬をサボってたかもしれないがそこまで下腹は出ていない。
⋯⋯失礼な奴らめ。
あたしの些細な乙女心が傷ついたところで、
「ふむ。その男、新しい相手か?」
とまたハゲオヤジは余分なことを言い出した。
「それがどうしたっていうんだ? 大体、あたしのトレーニング相手が誰かなんて今まで気にしたことないだろうが!」
「いや、お前の趣味が変わったなと思ってな。いつもと違って随分とひ弱そうではないか──」
「うるさい! 的はデカければ良いってもんじゃないんだっ!」
久しぶりによく分からない父娘喧嘩がはじまった。
くそオヤジと会話するといつもロクなことにならない。
⋯⋯それはこの世界に戻ってきてもどうやら変わらないようだ。
デキるメイドのルーチェはその隙に奏大を奥の部屋で着替えさせ終わり、食事の用意まで整えていた。
「出かける時はせめてこちらから連絡の取れるようにしておけよ⋯⋯」
あたしが残り少ないバーコードをむしり取ってやろうとした時、ハゲオヤジがポツンとそう言った。
──何だよ。
そんなこと言われると調子が狂っちゃうじゃないか。
「そっちこそ、酒ばっかり飲んで⋯⋯身体を壊してくたばるんじゃないよ」
あたしもたまには娘らしいことを言ってやった。
「マルサネ⋯⋯」
わぁ、ハゲオヤジ!
あたしの言葉にビックリし過ぎて、タヌキ顔のドングリ眼が更にまんまるになってやんの⋯⋯。
ふん!
⋯⋯あたしも母さんと同じ病気で死にかけたせいか──奏大たちのせいか。クソオヤジのことをちょっとでも心配する日が来るなんて思っても見なかったわ。