第23話 決断
「わからない」
マルサネは惑乱していた。
慣れない異世界で何があっても動じなかった彼女が初めて狼狽えている姿に正直、俺は驚いた。
「あたしはユッカに帰りたかったハズだ。だって、あそこはあたしの世界なんだから。
でも、この世界と──特に奏大と別れると思うと何故か胸がぎゅっと苦しくて潰れそうになるんだ。
これは、何だ!?
やっぱり、あたしはひどい病気なんじゃないのか?
それなら──まだ、あたしはこの世界で治さないといけないんじゃないか?」
胸を押さえながら訴えるマルサネにサリアは優しい眼差しを向けた。
「我が娘ながら本当にアンタ、バカねぇ。それは──うーん。まぁ、不治の病みたいなものじゃないの……経験はなくても恋愛モノの話とかそれぐらいは読んだことぐらいあるでしょ?」
「不治の病!?」
ショックでマルサネの肩が揺れた。
「やっぱりあたしの病気、治ってなかったのか──」
マルサネの大きな瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「さっきもお前の病気は治るって言っただろ?」
大きなため息をついて俺は母娘の間に割って入った。
……そして。
気づくと自分でも予想外の言葉を口走っていた。
「──マルサネの母さん。俺も一緒に連れていってくれ」
大きな目をいっそう見開いて泣きながら俺を見つめるマルサネの肩を思わずぎゅっと抱く。
「泣くな……俺が一緒に行けば問題ないだろ?」
自分で発したセリフに思わず吐きそうになり、俺は照れ隠しでテーブルの上のティッシュ箱を掴むとマルサネにぐいっと押しつけた。
まぁ、また鼻水をシャツにベットリとつけられるのは勘弁してほしいし……。
「──あぁ」
フンッ! と色気の欠片もなくマルサネが素直に鼻をかむのを見つめながら俺は改めて自分のセリフに錯乱した。
んんん!?
あぁ? 俺、今何て言った?
どこへ行くんだ、俺?
中二病か?俺、もう高校生だけど。
──行き先って訳のわからん異世界だよな?
はぁぁぁぁ。
……全く、どうしちゃったんだ。俺。
でも──何故かわからないが、それが一番良いような気がして仕方がないんだよなぁ……。
「一緒に行ってウチの母さんを取り戻したら、俺はここに戻ってくる。それからお前は──好きにしたらいいさ」
「奏大……」
マルサネが俺をジッと見ている。
ちっ、見すぎだ。
そんな人懐こい小猿みたいな顔で俺をあんまり見るな。
──俺も自分がワケわかんないんだからさ。
「あらあら──そうは言っても戻ってこれる保証なんてないわよ? 私が現世に干渉できるのはこれが最後。あなたを連れて行っても良いけど、行ったっきりになるけどいいのかしら?」
「……その時はその時だ」
「今度はあなたが向こうで戸惑うことになるわよ?
あちらの世界の生活はここほど甘くはないわ。あなたにチート能力があって無双が出来てしまうような勇者だったら別だけどねぇ」
明るい口調だがサリアの表情は固く──彼女が言っていることは真実だろうと感じられた。
つまりここで俺がマルサネについていったとしても、戻れる保証は殆んどないということだろう。
「いいのか? 後悔しないか? 奏大……」
泣きそうな顔でマルサネが俺に手を差し出した。
俺は無言でその手を握った。
つかんだマルサネの大きな手は温かく──震えていた。
そして俺の心も一緒に震えた。
たぶん、この手を握っていれば──何も怖くない。マルサネからそんな、温かい無限のエネルギーや安心感が湧いて伝わってくるような、不思議な感覚に包まれた。
どうしちゃったんだろうな、俺。
俺こそが不治の病にかかってしまったみたいだ。
「大丈夫だ。何とかなるだろ……」
マルサネが来たのは──この母親のせいだとしても、こいつと関係ない俺の母さんが行き来してるのは別の理由があるはずだ。
それなら、マルサネの母親の力を借りなくても戻れる手立ては、母さんに会えばあるんじゃないかと思うんだ……。
「それはなんの根拠だ?」
マルサネが真面目な顔で俺に問いかけた。
おい、猿娘。単純思考しか出来ないくせに理屈っぽいことを言うんじゃねーよ。
「根拠は──俺の勘だな」
「勘か。わかった」
マルサネがニパッと笑った。
さすが野生児。勘で通じるか──俺もつられて笑ってしまった。
……やっぱりこいつ、面白いや。
ここでグズグズ迷ってても仕方ない。
──もう行くしかないだろ。
俺が腹をくくった時、どこからか雷鳴のような音が響き渡り、赤い閃光が部屋の中を躍り狂った。
何かが爆発するような音が部屋を震わせ、食器棚のガラスがガタガタと揺れる。
「さぁ、タイムリミット。じゃあ行くけど──それで良いのね?」
マルサネの母親──サリアも泣きそうな表情で俺を見据えた。
さすがに母娘。
さっきのマルサネの表情にそっくりだ。
「はい」
頷く俺の手を固く握りしめると、
「あたしは──ユッカに戻ってから今度は奏大とここに戻る。リツコを連れ戻したら必ず」
マルサネが俺に向かってフワッと微笑んだ。
何故か──その顔が無性に可愛らしく見えて、俺は思わず赤面して下を向いた。
「何よ、ちゃんと恋愛してるじゃないの。じゃあ、さっさと行きますか」
サリアの黒髪がうねり、闇のなかで赤く目が光った。
「その前に。あっちに行くなら二人とも、その格好をなんとかしなきゃね。
さてと、マルサネ。とびきりドレスアップしてあげるからお気に入りの服を思い浮かべなさい♪」
サリアがパチンと指を打ち鳴らすと俺たちの身体が赤く輝いた。
バサリ、とどこからか長いマントが現れ、俺の身体を包む。
着ていたシャツが裳裾の長い、ゆったりとした服に変化したかと思うと手の中に長剣が現れた。
「げ! こんなのまるっきりコスプレだな──」
ゲームの世界でしか見たことのない長い金属剣は、木刀とは段違いにずっしりとした手触りだった。
こんなもの、どうやって腰に差したらよいかさっぱりわからない。
「こうするんだ」
俺の隣で黒い塊が素早く動いた。
「っ!?」
ドレス──とは程遠い、胸当てがついた黒衣の戦闘服を着たマルサネが嬉しそうに俺の腰元にそれを突き刺した。
「えっと。お前──その格好……何?」
「ん? これはあたしのお気に入りの普段着だ。流行りのツルツルしたピンクドレスも着てみたが動きにくくて、あたしはさっぱり好かん」
「──なぁ。お前、一応ユッカとか何とかっていう国のお姫様なんじゃなかったのか?」
「あぁ、公女だが? 何か変か?」
「変っていうか……忍者コス?」
「忍……? 何だ、それ。社交界は陰口を叩くのが礼儀だから裏では猿姫とか散々言われたが、面と向かってあたしにはどんな格好をしても誰も文句言ってこなかったぞ? 大体この方が戦いやすいし、別に──向こうではこれが普通だ」
「……そうなのか?」
俺は不安げにサリアを見あげた。思いっきり、サリアの目が泳いでいる。
──絶対、普通じゃないだろ。これ……。
「……えっとぉ。まぁ、本人がお気に入りだっていうなら仕方ないわねぇ。こんな公女、マルサネしかいるわけ──げふん、げふん……さ、もう出発!」
俺のジトっとした視線を慌てたようにかわし、サリアは闇の中から姿を現しはじめた赤い月を指差した。
天頂近くに昇った血のように輝く紅い月──。
そしてそこへ続く、暗い底無しの闇の階段。
「じゃ、行くか──」
「あぁ……」
俺とマルサネはしっかりと手を繋ぐと、闇の中へ足を踏み出した……。
第二部 完結です。
ありがとうございました。
続いて第三部もよろしくお願いいたします。