第15話 不安な夜 side:マルサネ
「はぁぁぁ…………っ」
あてがわれたリツコの部屋のドアを閉め、あたしは深く息を吐いた。
疲れた。
──慣れないことが多過ぎる。
この世界は物珍しいものばかりで面白い。面白いのだが……ユッカに比べ生活のペースがあたしには合わない。
何やら常にせき立てられているような圧を感じるのだが気のせいだろうか。
やれ、バスの時間だ。走れ!
タイムセールだから早く来いっ!
きちんと並べ。卵入ってるから振り回すな!
早く食べて風呂入れ! 勝手に食うな!
そんなところでキョロキョロするんじゃない……。
今日もずっと奏大に何かしら小言を言われ続けていたような気がする。
──奏大め。本当にうるさい奴だ。
このままだと将来、ウチのクソオヤジのようにバーコードに禿げてしまうぞ。
昼間思わずそう言ったらものすごい目で睨まれた。
気にしてたのか。別にネコ毛で柔らかいだけで特段薄いわけでもなさそうなのに。
大体、禿げたら剃れば良かろう。
ウチのオヤジ殿を見て常々思っていたのだ。バーコードになったのにそれを死守してどうする。
……何度アレをむしってやろうと思ったことだろうか。
それはともかく。
身体の芯からどんよりと重い。
こんな程度の動きで、ここまで疲労することはユッカではなかった。
それが、この見知らぬ世界で過ごしている不安からなのか──あたしの心臓がドックン、ドックンとがなり立てる。
「う……っ」
この感覚、久しぶりだ。
誰かに心臓を掴まれたような、気分。
ユッカでも夜中無理して動き回るとこの感覚に襲われることはあった。
あたしは奏大がひいてくれたお客様用布団とやらに寝転がる。
──少し楽になったような気がした。
頬に当たるパリッとした清潔なシーツが気持ちいい。
「まずい……な」
きちんと医者にかかったことは、ない。
だって。
母さんと同じ病気だったとしたら──怖い。
昔からあたしは夜中、一人きりのベッドで疲れるとバクバク鳴る心臓を抱えて泣いていたものだ。
怖い……怖い。
あたしはもうすぐ、母さんが倒れた年と同じ頃になる。この世界で母さんのように倒れてしまったら──あたしは死ぬのだろうか。
その不安感が──消えない。
リツコもユッカに来た時、何やら色々悩んでいたことを思い出す。
あたしは今頃、あのボヤっとした大公とヨロシクやっているだろうリツコに思いをはせた。
何もかも違う世界。
周りは知らない人間だらけだが、あたしはリツコがユッカにきた時よりマシだ。
奏大達がいるから。
口うるさくても、何だかんだいってあたしの面倒をみてくれるこの姉弟と一緒にいるのは楽しい。
リツコの子どもだからだろうか。
とても──安心する。そして、どこか懐かしいような……じんわりした感覚にとらわれる。
このニワトリかウサギの小屋のような小さな建物に密集して生活しているからだろう。
こうやって寝ていても、耳をすますと奏大が皿を洗う音、歌音が廊下をペタペタと歩く音、和奏が冷蔵庫を開ける音──色んな音がして安心するのだ。
これは初めての感覚。いつもユッカであたしは広い、がらんとした部屋で一人きりだった。
いつ帰ってくるかわからない、無愛想であたしをちゃんと見ないクソオヤジ。
腫れ物に触るようにあたしを遠巻きにする使用人たち──。
あぁ、それでもあたしはユッカに帰りたい。あたしの世界はここではない。
リツコがこのまま、あちらに留まったらあたしはずっとこのままこの世界にいなくてはいけないのだろうか──?
あたしは布団を抱きしめて、丸まって目を閉じた。
これからどうなるんだ、という不安はあるが今夜それを考えてもなるようにしかならないだろう。
寝よう。
──抱きしめた布団からは奏大たちと同じ服の匂い……フローラルな花の香りがした。