番外編 白百合館へようこそ! part7 side:マリン
ぞわわわっ……!
背中に盛大な悪寒が走り抜ける。
状況はこれでもかというぐらい私に不利だった。
力の入らない私に目の前に発情した獣のような男達が、荒い息を吐いて迫ってくる。
ううっ、執事長以外の男に触られるぐらいなら舌をかんでやるぅう!!
ギュッと思わず目を瞑ると走馬灯のように、私の今までの思い出が蘇ってきた。
真っ先に思い出されるのは、私がピンチの時にいつも助けてくれた大切な恩人のこと。
私のヒーロー。そして私の初恋のヒト。
私の人生で最初のピンチは、初めてここの城下町に来た時だった。運悪く、柄の悪い連中に裏道で絡まれていた私の所にその人は颯爽と現れ、あっという間に助けてくれたのだ。
あの時はこんな強い人が居るんだと本当に度肝を抜かれてしまって。ひたすら憧れてその人が所属している道場を突き止めて、逢いたい一心で必死に門を叩いたんだっけ。
二度目のピンチは、闘技大会でイスキアのバルレッタという女闘技士に手足をもがれそうになった時だった。
ある程度追いついて、私も強くなったと過信していたのに、あっさりと卑怯な手口に引っかかってしまった。
絶対絶命のピンチから悪役のバルレッタを鮮やかに倒し、私を助けてくれたのもあのヒトだ。
今回のピンチまでも助けてくれる、と虫のいいことは思わない。でも、せめて。
もう一度、逢いたかった。
私の憧れのヒト。
ルーチェさぁんっ……!
ゲンメのメイド、ルーチェさんに一目だけでも、逢いたいよぉ……。
不覚にも私の頬を熱いものが伝い、ポタポタと地面に落ちた。
ダメだ。これじゃあ舌を噛み切ることなんかできやしないじゃないの……。
「女を泣かすんじゃないわよっ!」
突如、凛々しい聞き覚えのある声が薄闇を切り裂いた。
その声に、ハッと反射的に目を見開いた瞬間!
私のスカートに手をかけて、それを引き裂こうとしていたイゾラが物凄いスピードで吹っ飛んだ。
「ぐわぁぁっ!!」
何者かがイゾラの背中に強力な蹴りを放ったようだ。イゾラは壁に叩きつけられて崩れ落ち、ピクリとも動かない。
「何者だっ……おげぇっっ!!」
ボーサが誰何するが、すぐにこれも地面に叩きつけられ、ゴムマリのようにバウンドしたと思ったら動かなくなった。
まさに神業。
瞬く間もない、人の常識を超えたスピード。キレキレの技。
私が知っている人で御主人様以外にこんなことが出来るのは……。
「大丈夫?マリン」
心配そうに私に手をさしのべてくれたのは、逞しくも優しい瞳の……私の初恋のヒト!
「ルーチェさぁぁぁん!!」
思わず私は飛びつくように抱きついてしまい、わんわん泣きながら、小さい子どものようにしがみついた。
そんな私の背中を、ルーチェさんはそっと優しく撫でてくれる。
しかし。
その行為によって不幸にも私は、
「あぁ、はぁあぁ~ん……!」
ルーチェさんに抱きしめられた刺激でアヤしい喘ぎ声をあげまくってしまったのだった……。
あぁぁぁ~!!
穴があったら入りたい……。
誰か……私を埋めてちょーだい。
もちろん、ルーチェさんは私の痴態は海蛇に薬を盛られたせいだろう、と盛大に心配してくれた。
いや、実は身内に盛られました、とこの状況では言いにくいので、そのくだりは黙っておく。
「ルーチェさん、どうしてここに?」
ようやく少し落ち着いた私は、あまりにもタイミングよく現れた救世主に尋ねた。
「パロマにメールをもらったのよ。マリンがイスキア公領地に入ったけど出てこない、ってね」
「へ? パロマですか?」
「そ、感謝しなさいよ」
ひょっこり暗がりから現れたのは、白百合館に居るハズのパロマ。
「はぁぁ? 何であんたがここに居るのよっ!」
私は思わずキツい口調でパロマに怒鳴った。
「マリン、恩人に向かってその態度は何?」
「何が恩人よ! あんたが絡むと本当にロクなことがないわっ」
「失礼な娘ねぇ~。あんたが慌てて、間違えて髪飾りの箱を持って行ったから、わざわざ追いかけてきてあげたのよ。そうしたらマリンったら、イスキア公領地に入っていくんだもの。それでなかなか出てこないから、あんたの大好きなルーチェさんに知らせてあげたんじゃないの……」
眼鏡をくいっと自慢げにあげて胸を張るパロマ。
白々しいわっ!
どうせ、この荷物をすり替えたのもパロマの仕業に決まってる!
いくら私が慌てていても、百合モチーフの髪飾りと猫耳カチューシャを間違えるわけはないじゃないのよっ!
「う~ん。ウチのお嬢様は面白がるかもしれないけど、残念ながら猫耳はあんまり似合わない方だと思うのよねぇ。マリンは良く似合ってるけど」
ルーチェさんは私の猫耳を見て真剣に言った。
わーん。
だから私がゲンメのマルサネお嬢様にこれを選んだワケじゃないんだってば!
「さてと。お片付け~♪」
パロマは懐からケースを取り出し、上機嫌で鼻唄を歌いながら、そこら辺で伸びてる海蛇の男たちの腕に何やら針のようなものを突き立てはじめた。
「何やってるの、パロマ……」
「え? これぇ?」
パロマは手にしていた注射器のようなものを私に見せる。
「また……妙な薬じゃないでしょうね?」
その針先で不気味に光る、透明な液体を私は凝視して言った。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる? ちょっとだけ、脳ミソを縮める薬よ。私たちのことを覚えてて、あとでウチの邸に通行料だなんだと請求されても面倒でしょ?」
「脳ミソ……?」
「試作品だから、ちょーっと縮めすぎて人間だったことも忘れちゃうかもしれないけどねぇ♪」
ニヘラ~っとさっきの男達よりも邪悪な笑みを浮かべるパロマ。
ごめん、本当に怖いからヤメテ。
「試作品ってことはヤバい人体実験中ってわけね……」
ポソリとルーチェさんも呟いた。
プスッ、と全員に注射針を突き立て終わったパロマの顔に浮かぶ、ニンマリとした満足そうな笑み。
あの顔はヤバい。本当にヤバい。
……あの子の方は見ないようにしよう!
私とルーチェさんは無言で顔を見合せると、二人でクルリとパロマに背を向けた。
「ねぇ、マリン。これからどうする? 予定通り、ウチでお茶していく? さっき、ちょうどお茶うけにお菓子を貰ったし……」
そう言ってルーチェさんが見せてくれた箱に入っていたのは……あのレモンパイだった!
「え!? それは食べない方が……」
「? カルゾ邸のシェフが作ったって聞いたけど?」
「だからパロマが触ると危険なんですってば!」
「……そのようね」
パロマの様子を見て納得するルーチェさん。
私の提案通り、レモンパイの箱はここ、イスキア邸の裏庭に置いていくことにしてもらったのだった。
「とりあえず、早くここから出るわよ」
ルーチェさんの言葉に私は頷いた。
この騒ぎに気づかれて警備兵や新手の海蛇が来ても困る。
「じゃあこれ、お願いします」
お使いの目的だった書状と髪飾りの箱をルーチェさんに託すとイスキア邸裏庭から早々に脱出し、なんとか無事に帰路につくことができた。
「さぁて、お仕事に戻るわよ。パロマ」
「ねぇ、マリン。……アレ、どのくらい退行すると思う? 猿ぐらいかしら? MAX濃度のあの男はアメーバぐらいになるのかしらねぇ……楽しみだわ。ウフフ……」
私はいまだに気味の悪い笑いを浮かべている変態メイドの首根っこをひっ掴むと、深いため息をつきながらカルゾ女公主である御主人様のもとへ連行していったのだった。