番外編 白百合館へようこそ! part5 side:マリン
「やっぱり、やめとけば良かったかな……」
私は何度か通り抜けたことのあるイスキア邸の裏庭でため息をついた。
ゲンメ邸のメイド、ルーチェさんにメールで約束した時間を過ぎてしまいそうで焦って飛び出してきたものの……。
この時間帯はタイミングが悪過ぎた。
今は夕刻。どこの邸であれ、警備も使用人も日勤から夜勤者と交代する時間なのだ。
交代して最初にする仕事といえば、大抵は持ち場をざっと見回りをするのが普通。
……判断ミスだったわ。
遠回りをして後で謝れば良かった……。
私は唇をかんだ。
慌てたのは理由がある。
ゲンメのメイド、ルーチェさん。
彼女に私が早く会いたかったのだ。
ルーチェさんは、今はナゼかメイドをしているけど、闘技大会殿堂入りの伝説のチャンピオン。
私の憧れの人で、私が国で体術を学んでいた同門の先輩にあたる。
主命でルーチェさん宛てに届けるように、書簡と荷物を預かった私は公然と彼女に会えることに舞い上がっていたのかもしれない。
音を立てないようにそっと壁伝いに移動していた私は、足を止めた。
裏庭から母屋へと通じる小さな門。
ザワザワと鳥肌の立つような、うすら寒い独特の感覚。……誰かに見られてる!
「……!」
シャシャシャシャッ……!
無数の刀子が突然、夕闇の中で私に向かって四方八方から雨のように降り注ぐ。
ばシュッ! カン! カカンッ!!
後ろに飛びのいて、太腿に仕込んでおいたショートソードで跳ね返す。
あらかた跳ね返したつもりだったが、避け損ねた小刀子がメイド服のスカートを切り裂いた。
「やだぁ……見えちゃう」
私は深いスリットになってしまったスカートを押さえてため息をついた。
肌は無傷だ。たっぷりと毒物が塗られ、変色した刀子を慎重に私は爪先で蹴り飛ばした。
「……どこのネズミかな?」
目の前の植え込みや物置小屋の陰から数人の男がバラバラと姿を現す。
見るからに怪しい黒装束の団体さんだ。
「えへっ。ただの迷子ですわ」
私はぶりっ子ポーズで媚びをうってみた。
「嘘をつけ。その動き、タダ者であるはずがない」
男の一人が冷ややかに言った。
……ダメか。
「本当に通りすがりのメイドなんだけど……見逃して……はくれなさそうね」
私はショートソードをゆっくりと正面に構えた。にわかに色めきたつ男たち。
最初に声をかけてきた男は、針金のように細い文字通り蛇のような男。
こいつが頭か?
その後ろには、腕だけで私のウエストよりも太い全身筋肉、マッチョ体型の男……。あとは、標準体型のモブタイプ。
確認できたのは、合計6人。
全員頭髪がないのが特徴的だ。
凶悪な蛇が絡み合った刺青がつるりと剃りあげたのか、禿げ上がっているのかはわからない後頭部に禍々しく彫られていた。
それは彼らが、イスキア家直下の闇組織「海蛇」である証ーー。
海蛇の幹部クラスは頭髪がある。ツルツルってことは、彼らは下っばだということだ。
……うん。これぐらいの人数なら私一人でも何とかなるかもね?
「さぁて。ゆっくり可愛がってやるか……」
正面のリーダー格の蛇男は、舌なめずりをしながら私に芸もなく突っかかってきた。
それを合図にシュッと反り返った半月刀を構えて、他の海蛇達も一斉に襲いかかる。
私はそれを後ろに下がって紙一重でかわすと、手前のモブ体型の男の半月刀を思い切りはねあげ、同時に剣尻でみぞおちを突いてやった。
「ぐわっ!」
男は地面に伸びて転がる。
よし! 1人目!!
私は心の中でガッツポーズをする。
「おのれっ!」
芸のないセリフを吐きながら、モブその二も同じように突きかかってくる。
「よっと」
私は突進してくる男をヒラリとかわす。
半月刀は虚しく空を切り、夕陽を照り返して輝く軌跡を空に描いた。
「このっ、ちょこまかと!」
目の前のマッチョ男の半月刀がぶぅん、と唸りをあげて振り下ろされる。
当たれば首が跳ね飛ぶ一撃を、私は腰を沈めてかわし、トンっと大きく上に飛び上がった。
「跳んだっ」
「なんと身軽な……!」
慌てて剣で横に薙いでくる所にガッキリと私はショートソードを噛み合わせると、そこを支点にクルリと身体を回転させ、肘でマッチョ男の下顎をしたたか打ちあげた。
声もなく、地面に倒れこむマッチョ男。
よし! 2人目!!
あと残りは4人!
「くっ、カルゾの体術か!?」
「殺すな! どこの間者か絶対に吐かせてやる!」
男たちは息巻いて私を取り囲んだ。
「……だから間者じゃないって。通りすがりのメイドだっていっているでしょ?」
「信用できるかぁぁぁ!」
私が親切に教えてあげてるのに。
素直じゃないわね……。
「うらぁっ!」
私の背後から足音を潜めた男が、羽交い締めにしようと飛びかかってきた。
半歩下がって身体を沈めて、その男の腕をとると右足を軸に半回転した。
その動きと勢いを利用した私の拳が男の鳩尾にめり込む。
「あぐぅっ!」
前のめりに倒れるその男を、わたしは正面の蛇目の黒装束めがけて蹴り飛ばした。
反射的に蛇男はガードするが仲間を受け止めきらず後ろに吹っ飛んで動かなくなった。
よし、あと残りは2人!
これは、いけるかな。
「まだ、遊ぶ気? 私、急いでるんだけど?」
私は余裕しゃくしゃく、挑発するように残った男2人をにらみつけた。その瞬間!
「……!?」
覚えのある感覚が突如、私の全身を駆けめぐった!
思わず片腕で自分の身体を抱きしめる。
「ぅうあっ……んっ」
身体がぞわぞわする!
発熱した時の寒気みたいなのモノじゃなくて、身体の芯から疼くようなジワジワと熱い何かが這いのぼってきた。
「…………はぁ、んぅ」
身体じゅうがゾクゾクして、風があたるだけでも甘い、変な声が出てしまう。
これ、は。
パロマに前に媚薬を盛られた時と同じ症状じゃない!
なんで、今頃……!?
モニカには即効だったし、私は半分しか食べてないのに……?
怪訝な顔をして突如悶えはじめた私を見ていた男2人は、お互いに目を見合わせるとニヤニヤ好色な笑いを張りつけて、片膝をついてしまった私にジワジワと近寄ってきた。