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友達

 閉め切られた室内で浴びる秋の太陽は、絶妙な温もりを与えてくれる。

 図書室の窓際でその心地よさに微睡んでいると、突然誰かに肩を叩かれた。目を開くとさっきまで本を読んだり、自習をしていたはずの生徒の姿がない。

 もう一度肩を叩かれて慌てて振り向くと、真後ろには見慣れたクラスメートが立っていた。

 黒色のショートカットにぱっちりとした大きな目、ぷっくりと綺麗にふくらんだ形の唇が印象的な、優しそうな女の子。どこか焦った様子の彼女は、私の目の前で華奢な肩を上下させて呼吸を整えている。

 寝ぼけてはっきりしない意識のまま、そんな親友の顔をぼーっと見ていると、有紀子は私を真っ直ぐ見つめて言った。


「栞菜! 授業、もうすぐ始まるよ!」


 その言葉で一気に目が覚める。壁に掛けられている時計に目をやると、午後の授業開始まであと三分を切っていた。またやっちゃった……

 他の生徒は昼休み終了のチャイムを聞いて、すでに図書室を出て行ったらしい。私はそんなことにも気付かずにすっかり眠りこけてしまっていた。


「ご、ごめん–––––!」


 机に広げていた勉強道具を慌ててかき集めて、有紀子の方に向き直ると、彼女はにっこりと白い歯を覗かせて笑った。


「いいよ! 早く行こ!」


 そう言うと、私に背を向けて扉の方に小走りで向かって行く。私は走る有紀子の後ろについて、静かな図書室を飛び出した。



 最後のホームルームを終えて帰る支度をしていると、すぐ目の前にある教卓に突っ伏すようにして有紀子が私の顔を覗き込んできた。


「ねえ! 今日どっか寄っていかない?」


 口元にいつもの優しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとした口調で聞いてくる。

 部活に入らず友達も少ない、家に帰ることしか選択肢のない私に断る理由なんてない。私は迷わずに頷いた。


「いいね。甘いもの食べたいかも」


「でしょ! じゃあ行こ!」


 どこか嬉しそうに返事をする有紀子に私も笑顔を返して荷物をまとめる。

 椅子の背もたれに掛けていたブレザーを羽織ってバッグを手に取ると、彼女も教卓にもたれかかっていた体を起こして私の隣に立った。

 二人並んで教室を出ると、誰かが開けたらしい廊下の窓から少し冷たい、さわやかな風がさらさらと肌を撫でるのを感じる。


「最近、寒くなってきたよね」


 ぽつりと呟いて隣を見ると、同じことを思っていたらしい有紀子は開けていたブレザーのボタンを閉めているところだった。


「そろそろコート出さなきゃなー……」


「それはまだ早くない?」


「えっ、そお?」


 そう言って、また口元に愛嬌のある微笑みをこちらに向けてくる。

 彼女のそんな様子を見て、私は少しだけ呆れてため息を吐いた。



 過保護な私の両親は、帰りが遅くなることをなかなか許してくれない。高校生になった今も、日が落ちる頃になるとメールを何通も送ってきて、帰宅を促してくる。そのせいで放課後に外で遊んだりすることがあまり出来なかった。いつもすることと言ったらせいぜい、駅の近くにある喫茶店や雑貨屋でちょっとした時間を過ごすくらいだった。


「チョコレートドーナッツ二つと、カフェモカ二つ下さい。ホットで」


 今日もいつも来るカフェに入ると、二人揃って同じものを頼んだ。有紀子に席取りを頼まれた私は、注文の受け取りを任せて、空いていた窓際の席に座る。

 窓の外で枯れ葉が風で巻き上げられているのをなんとなく眺めていると、すぐに有紀子もトレーを持って戻ってきた。


「お腹すいたー。早く食べよ!」


 注文したドーナッツをナプキンで包みながら言うと、私の返事を待たずに食べ始める。


「––––––!」


「食べながら喋られても、何言ってるか分かんないよ」


 無邪気な顔でかじりついている有紀子に文句を言いながら、自分も一口食べてみる。口の中に広がるちょうど良い甘さに、私もついつい無言で食べ進めてしまった。

 遠くのレジで店員が笑顔で菓子類を勧めているところや、険しい顔でパソコンを覗き込んでいるサラリーマンを遠目で眺めながら、最後の一欠片を口の中に放り込んで前に向き直ると、先に食べ終えていた有紀子が急に姿勢を整えて口を開いた。


「実は栞菜に紹介したい人がいるんだけど……」


 突然の言葉に私が反応できずにいると、有紀子は表情を窺うように上目遣いでこちらを見てくる。


「……どういうこと?」


「いや、別に変な目的があるわけじゃないよ? ただ栞菜に会わせたいなって思って」


 胸の前で手を合わせて、小さくお願いのポーズを取っている。

 私は初対面の人と会うことが苦手だ。そのせいで学校でも未だに、一緒に遊ぶような仲の友達は有紀子しかいない。それは本人も分かってるはずなのに……


「えーっと……そんなこと言われても、私には無理かなー……」


 いつも迷惑をかけている有紀子に、申し訳なく思いながらそう答えると、彼女の口から予想外の言葉が飛び出してきた。


「……実はもう呼んじゃってたりして」


「え、嘘でしょ……?」


「たまたま近くにいるらしくてさ」


 有紀子の言葉に、私の小さい胸が早鐘を打ち始めた。


「か、帰る!」


 慌てて立ち上がってバッグに手を掛けようとすると、有紀子にすかさずそれを奪い取られてしまう。


「大丈夫! 悪い人じゃないから。栞菜が必要なの!」


「必要って……」


「栞菜にとっても悪くないと思うし……座って? お願い」


 いつもは柔和な雰囲気を放つ有紀子が、珍しく強情な態度でそう言ってくる。気の弱い私は、普段と違う彼女に言い返しづらくなって静かに腰を下ろした。

 突然のことにそわそわしてしまい、周りを見回す。動揺した私は、スマホを覗き込みながら何かを言った有紀子の言葉を何度も聞き逃してしまった。


「いつ来るの? どんな人?」


「大丈夫だって! 心配しすぎ」


 あきれた様子の有紀子は、急に何かに気付いたように私に向けていた視線を外して窓の外を見た。


「あっ、いた!」


 笑顔で手を振る有紀子。

 私も慌てて視線の先を見ると、窓の外に立っていたのは、中学生くらいの女の子だった。


 なんだ……紹介って言われたから、てっきり男子だと思ってた……


 ほっと胸を撫で下ろしていると、女の子の方も有紀子に気が付き、控えめに手を振り返して店内に入ってくる。気まずそうにゆっくり歩いて私たちの目の前まで来ると、軽くおじぎをしてきた。

 黒色の長い髪を垂らし、背筋を真っ直ぐに伸ばしている、紺色のセーラー服を着た女の子。そして、垂れ下がった綺麗な髪から覗く耳に、透明な補聴器をつけているのが見えた。

 女の子は緊張した面持ちで、薄く整った唇を開く。


「柴田岬です。よろしくお願いします」


 やや堅苦しい挨拶をする女の子に私も慌てて会釈を返すと、有紀子はそんな私たちの様子を見て満足そうに笑った。


「可愛いでしょ! お母さんの友達の娘さんなんだー」


 まるで自分の妹を自慢するような口振りで言いながら、立ったままの女の子に隣の席に座るよう促すと、さらに言葉を続ける。


「実は岬ちゃん、小学六年生の時に難聴になっちゃったんだって。中学校でもそのせいで友達ができないらしくてさー。それで仲良くしてあげて欲しいなって」


 有紀子は、デリケートな話をさらっと言うと、また窺うように私の顔を覗き込んできた。


「……なるほど」


 そういうことか……お人好しの有紀子らしいけど、話がちょっと突然すぎる。私にも心の準備が……

 そんなことを思いながら有紀子の隣に座る岬ちゃんを見ると、自信なさそうにもじもじとしながら私たちの会話に入ろうとしているようだった。

 年下の子とあまり喋ったことないけど、先輩として面倒見てあげるべきかな……


「うーん……いいよ。私なんかでよければ」


 悩んでいる私を不安そうに覗き込んできていた有紀子は、私の言葉を聞くと嬉しそうに笑った。聞き取りづらいのか、体を前のめりにしていた岬ちゃんもその様子を見て察したらしく、安堵したように肩の力を抜いている。


「最近、読唇の訓練してるんですけど、練習相手がいなくて……」


 遠慮がちにそう話し始めた岬ちゃんは、その後私たちにいろんな悩みを聞かせてくれた。

 難聴になってしまったときの話や日常生活での不安。最初は親切だった友達が徐々に離れていったこと。中学に入っても交友関係は変わらなかったこと。読唇の教室に通い始めたけど、親が共働きのせいで普段の練習相手がいないこと。

 話すうちに泣き出しそうになってしまった彼女に、高校生ながら母性本能みたいなものがくすぐられた。

 そっと肩に手を置いて声をかけている有紀子を見て、私も温かい気持ちになる。

 親友が一人増えそうだな。なんとなくそう思った。



 その日の夜、静かな自分の部屋のベッドに横になってウトウトしていると、片手に持っていたスマホの振動で目を覚ました。画面を見ると岬ちゃんの名前が表示されている。


『今日はありがとうございました。ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、今後もよろしくお願いします』


 届いたばかりのメッセージを開くと、とても中学生とは思えない丁寧な文章でそんなことが書かれていた。


『こちらこそ! 一緒に読唇の練習しようね』


 送信ボタンを押して画面を閉じ、自室の天井を見上げる。しばらくして、岬ちゃんに笑顔で話し掛けていた有紀子の横顔をふと思い出した。


「ホントお人好しなんだから……」


 ベッド脇のサイドテーブルに置いている、使い古して傷のついた自分の補聴器を見ながらぼそっと呟く。

 感謝してもしきれないや……そう思って口元をほころばせた。

 静寂が私を、優しく包み込んでくれているような気がした。


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