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八幕


『きをつけろイチロウあの人形は』


そんな文面のメールが届いたのは、休校の日に部長である山崎の家を訪れてから二週間後の事だった。

奇妙な内容のメールだった。文体が短い割に、漢字が変換されていなかったり点が省略されていたり、

文がブツ切れになっている印象があったりと、不自然であり急いで打った様な印象さえ抱かせる。

その日は休みの昼前だった。イチロウは胸騒ぎを覚え自転車を飛ばして五キロほど離れた部長の家に向かった。

家に着き、門の前に立ってみると家の中は静かなようだった。近くの林で鳴くセミの声がやけに耳に響く。

この時期は秋も半ばに差し掛かったころで、夏に比べればセミの声を聞く事も少なくなった。

そして、そのセミの声が胸の中の不安を徐々に書きたてていくようで不快だった。


「部長…」


意を決して、門を潜り家の中に入る。彼の家は一戸建てだった。

建屋は新しく見えるが、庭を見ればそれなりに趣があって風情を感じさせる。

曽祖父の代から譲り受けた土地で、家が新しいのは祖父母が二人とも没した際に税金対策で建てたのだと以前話していたのを思い出した。

しかし、今はそんな事などはどうでもよかった。早く部長の無事を確かめなければとイチロウは呼び鈴を鳴らした。




ピンポーン――――――♪





家の中からチャイムの軽快な音が聞こえる。そして十数秒待ったが、部屋から家のものが出てくる気配は無かった。

両親は仕事で不在であることが多いと部長は言っていた。一週間も家を空ける事もあってか預かった生活費を色々やりくりして、

カメラなどの撮影器具を購入しているとも部長は話した事がある。


(部長…)


何回も呼び鈴を鳴らすが誰も出る様子どころか気配がない。大きい家の中に軽いチャイムの音が虚しく響く。

ドアノブに手をかけるとひんやりした感触が、掌に伝導してきた。それを、ゆっくりと、回す。

キィ…という音を立ててドアは開いた。鍵をかけていなかったのだろうか?それをしても無用心だと思った。


(開けていいのか?)


不法侵入という単語が脳裏をかすめ、イチロウはしばし考えた。このまま中に入っていいものなのだろうかと。

しかしこのまま足踏みしていたところで何も始まるわけがなく、中に足を踏み入れる事にした。


「…すみません」


返事はない。靴を脱いで中に入ると見慣れた風景が目に入った。

中の雰囲気は以前来た時と大きく変わってない。が…こうして入ってみると違和感を覚えてしまう。

変わっているといっても室内の調度品や、家具の場所が…目につく大きな変化という意味ではない。

変質しているのは家の中の空気だった。禍々しい、空気そのものが自分を敵視しているように感じ肌がざわつく。

前来た時はこんな感じではなかったのに、侵入者を拒むような空気が家の中に満ちていた。



ギィ…



「―――!?」


微かだが物音が聞こえた。何かが軋む様な音を確かに、耳が拾った。

二階から聞こえたような気がする。そして上の階には部長の部屋があるのだ。


(どうしよう…)


イチロウは躊躇った。このまま進んでいいものかどうかと…実を言うと引き返してしまいたい気持ちもある。

しかし、恐れる心とは裏腹に部長を心配する気持ちも胸の中にはあった。意を決して階段に向かった。




今はまだ正午前だ。それだというのに、家の中は薄暗かった。

それに、寒い。外は九月の頃とはだいぶ暑さは収まっているとはいえ、軽く動いていればシャツが汗で湿る程度には気温は高い。

だというのに、この家の中は大分冷え切っているように思えた。いや、厳密にはそれも違うのだとイチロウは気づいた。

鳥肌が立っている。この階段を上るとき…いや、厳密に言えば家の中に足を踏み入れたときだった。

前に来た時はそうではなかった。こんな異様な気配を帯びてはいなかったことだけは確かなのだ。


この場所に立つ事自体を、体が拒絶しているようにも思えた。家の中に潜む異質な気配に警鐘を鳴らしているかのように。


(さっきの物音って…まさか)


二階から聞こえてきた微かな音。それをイチロウは部長のものだと無意識にとらえていた。

だが、仮にもしそれが違う。人間がこんなにも冷たい気配を発するはずが無い。

いや…逆にこう考えてしまう。いま、この家を覆っている不気味な気配そのものが人間でなかったとしたら?


あまりにも現実離れした思考だ。仮に何も知らない人間に話したとしたら怪談話の読みすぎだと鼻で笑われてしまうかもしれない。

だが、イチロウは知っている。今のような冷たい気配を放つ人にあらざる存在のことを。

そして彼は二度もその存在と対峙していた。いや、厳密に言えば違うのだがそれが意思を持って彼の目の前に現れた機会は確かに二回なのだ。


(あの人形が、ここまで来てるなんて…)


一度その思考に脳が至ってしまうと安易に切り離せなくなってしまう。

人間の思い込みというものは恐ろしいもので、一度強烈な体験が脳に情報がインプットされてしまうとそこから脱するのは難しい。

体育館の天井から此方を見下ろしている視線、そして炎の海の中で突然現れ瞬く間に消えてしまった人形の存在。

そんなものを見てしまえば嫌でも連想してしまう。あの存在は人に危害を及ぼす殺人人形なのだ。


階段を上りきった。それだけでも一気に体から冷や汗が流れそうになる。

足が震えている、膝ががくがくと踊っている。引き返したくて仕方が無い。

息が詰まり、呼吸すらも苦しくなってくる。視界が歪み、地震でもあったかのように目に見えるものが揺れているようだ。

吐き気もする、それに気分が悪い。こんな事は初めてだった。頭の中で防災訓練のサイレンが響き渡っていた。


これ以上進むのか? そう自問自答する。この家の空気ははっきり言って異常だ。

あんなメールなんて無視すればよかった。こんな怖い思いをするくらいなら今すぐ息が止まったほうがマシだと思った。

それでも、一歩一歩引きずるようにして足を進めたのは純粋な好奇心と部長の事が心配だったからだ。

這うような歩みでようやく部屋の前までたどり着く。ドアノブを震える手で掴むとひんやりと氷のような感触が還ってきた。

まるで吸い付いてくるような不思議な感覚だった。もう後戻りは出来ない、覚悟を決めながら一気にドアを開けた。

そして目の前に映った光景を見て、イチロウは我慢できずに叫んでしまった。

視界に映っている現実が想像の許容範囲を超えていたからだ。そしてそれはこの家に来る前に尤も恐れていた悪夢そのものだった。


「う…うわあぁぁぁぁっ!」


部屋の中では胸部を血の色で汚し、椅子にもたれかかったままぐったりしている部長の姿があったからだった。






―――――視線を感じた。刺さるような圧力を伴った敵意が。



「……!」


イチロウは部屋を見渡す、視線を感じたからだ。勿論、部長のものではなかった。

気のせいではないと、はっきり断言できるほどに何者かの気配を感じる。

それは一定の場所に留まらず、次々と移動しているように思えた。

箪笥、本棚、机…部屋のあらゆる場所から狼狽するイチロウを嘲笑するように、そいつは動いているようだった。

だが、唐突にそれはある一点で停止しイチロウのほうにじっと視線を送っていた。



(まさか…入り口のドアにいるのか?)



振り向こうとした。そこに『そいつ』がいるのはわかっている。そして『そいつ』はイチロウが背後を振り向くのをじっと見ていた。




(くっ…!)


意を決してイチロウが振り向く。それと同時にバタン!とまるで部屋中が揺れるような勢いでドアが閉まった。

だが、イチロウは見たような気がした。ドアが閉まるまでの一瞬、たなびく髪のようなものを一瞬だけ視界の片隅に映ったからだ。

ハッ、と我に帰った。部長が怪我をしている、彼のことが心配だった。


「部長!しっかり部長!!」


イチロウは部長の身体を揺らすが彼はピクリとも動かなかった。

そして、それがはずみになって彼の手から紙切れが落ちる。そこには見覚えのあるような字で何かが書いてあった。

其処はどこかの場所を示す手がかりのようだったが、本当にそうであるかは確証がもてなかった。

暫くイチロウはその紙を食い入るようにして見ていた。そして頭の中から声が聞こえた。




【―――――あの場所に行け】




その声はあの燃え盛る体育館で人形と対峙した時に聞こえた謎の声だった。

あの時ははっきりと聞こえず、ただ幾つかの音が重なって人の声のように聞こえただけだったが、今度ははっきりと言葉として聞こえた。


「この場所に行けば、何かが分かるのか…?」


紙に書いてあった場所がどこかは分からないが、前に来たようなところのような気がした。

そして、声が導くように自分は再びそこに足を踏み入れるのだろうと妙な確信が胸の中に宿っていたのだ。

危険だとは分かっている。だが、行く以外に真相を明らかにする方法はなかった。

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