壊れた日常の涙
何かが、音を立てて壊れていくのを見ていた。けど、それが何だったのか、よく分からないかった。そのまま半年が過ぎても、結局何が壊れて失ったのか分からないままだった。いつも通りの日常に戻っても、心のどこかが欠けていたように思えた。何かが引っかかる。何かが気になって仕方ない。そこまでは見えるのに何なのかが全くわからない。一部分が壊れた機械を使ってもどの部分が壊れたかわからない初心者のように何も見つけられなくなっていた。
「なぁ、また遊びに来たよ。二日ぶりだな」
病院の一室で、糸の切れたような人形みたいに黙りこくる少女を見つめながら話しかける。当然返事なんて帰ってこない。心が壊れて、記憶が混濁していて、理解する知能が欠如していて、口も耳も使い方を覚えいない。すべてが足りない欠陥人間。脳死、と言ってもおつりが来るくらいのこの症状は、未だに治療方法が見つからないらしく、初めてのケースなので治療とともに同じことを繰り返さないためのサンプルとして総がかりで担当している、らしい。俺も聞いただけなのでよくわかってはいないが、彼女がいつものように笑ってくれるなら、それでもいいなと思った。
「今日、数学の担任が違うクラス用のプリント持ってきてさー。みんなで大笑いしたんだぜ」
他愛のない話を、彼女の細くなった手を握りしめてする。しかし何も反応はなく、何もわかっていないんだなと、再度理解させられ、絶望の淵にたたき落とされたような感覚に陥る。それでも俺は諦めなかった。いつか彼女の症状は治ると。いつか昔のように笑いかけてくれる日が来るんだと、そう信じて毎日に無理矢理希望を見出して生きていた。
「……ホント、笑えてくるよなぁ」
ふと、昔のことを思い出した。俺と彼女は仲が良かった。何をするにしても笑顔で、周りからお似合いだって言われたっけな。人間だから喧嘩することもあったし、意見が合わなくてギスギスしたこともあった。でも、何でこんなことなったんだっけなと、突然我に返って笑って終わっていた。そんな毎日が輝いてた気がする。綺麗で、美しくて、幸せってこういう事なのかな、と思うくらいには笑顔で過ごす毎日だった。
けど、そんな日も毎日続くわけじゃなかった。俺は大喧嘩をしてしまったのだ。原因は俺だったと今でもずっと思っている。でも、いつもみたいに謝って笑い合ってまた明日になるって、そう信じてたのに。
「ごめんな……俺があの時引き止めていたら、事故に遭わなくて済んだのにな……ほんとごめん」
トラックに撥ねられたそうだ。大きな怪我はなく。死に至るような大きな外傷はなかった。ただし、神経がどうやら壊れたみたいだった。最初は何を言われていたかわからなかった。当然だ。なぜ身体ではなく神経なのだと。普通に考えたらありえない事だろうと。そう思っていたが、実際に会ってみるとほんとに外傷はなかった。いつもと同じように綺麗だった。でも、声をかけても無反応だった。何を言っても興味が無いように無視を続けていた。どうやら無視していたのではなく理解が出来なく反応に困っている……のだそうだ。さて困ったものだと。話していれば治ると。そう言われていても、一向に回復の兆しを見せない彼女を見ているとこちらがおかしいのではないかと、そう感じてしまっていた。
「俺さ、医者になろうと思ってたんだ。お前みたいな原因不明の病気を治せる凄腕の医者になりたくて頑張ってたんだ」
医者になるのは難しい。それは覚悟していたことだし乗り越える気でいた。ずっと、好きだった彼女の笑顔をまた見たいがために必死にもがいて努力して。躓いて転んでも這い上がって。今までの人生では考えくれない程に頑張ったが、徒労に終わった。この病気は絶対に治らないと。そう告げられてしまったからだ。
「……ありがとう。キミからもらったものは絶対に忘れない。これも、最高のプレゼントだった」
そう言ってネックレスを取り出す。目の前の少女が必死に探してくれたマイナーだけど俺の好みのネックレス。不思議なチョイスだと周りには笑われたけど、二人してかっこいいなと話になって満足していた品。それを首に付けて病院の屋上に行く。もう俺に迷いはなかった。
「目を覚ました時、そばにいれなくてゴメンな。でも、俺に来世があったら、どんな姿なっても君の所に行くから。待っててね」
そう言って飛び降りる。車が行き交う道路に叩きつけられ、張り裂けそうな苦しみと衝撃に一瞬叫びそうになった。けど、抜けていく血液と砕けたであろう骨。そして周りの人の悲鳴で思考がぐちゃぐちゃになって何も考えられなくなった。
「あぁ……寒くて眠たいや……」
せめて、君の人生に幸あれ。ここで何もなくなってしまった。
私はトラックに撥ねられた。それ以降の記憶はなく、ずっと眠っていたような感覚に襲われていた。目を覚ますと病院で、私はベットの上で眠ったように何も考えられなかったそうだ。
「………………」
すべて話は聞いていた。私が目を覚ます数時間前に、私の愛しの人はこの病院の屋上から身を投げ出したそうだ。話を聞くと、私が寝ているような感覚に陥っていたあいだ、ずっと私に話しかけてくれていたそうだ。けど、それは彼の精神を蝕んでいたようで耐えきれず破滅してしまったそうだ。
「なんで……なんでこうなるの……」
私は何をして生きていけばいいのだろう。彼と一緒にいる時間は幸せだった。どんな事があっても彼といた時の空間は何よりも暖かくて好きだった。なのに、なんでいなくなっちゃうの。私は回復したんだよ。いつもみたいにお話できるようになったんだよ?また一緒に買い物に行けるようになったのに。
「私はどうやって生きていけばいいの……」
私にとって、君は居場所だった。なのに、どうして……どうして私が目を覚ました時にいなくなっちゃうの。と、私は泣いた。大泣きした。泣いても帰ってこないのは知ってる。けど、溢れ出てくる涙を止めることは出来なかった。
その日、久しぶりに夢を見た。死んだはずの彼が私の目の前にいて、一緒に雲の道を歩く夢。今度は、ちゃんとそばにいてよね。って微笑むと彼は、もちろんだと笑って手を握って歩いてくれた。また、幸せな空間ができたんだ。
『ねぇ、聞いた?あの子も亡くなったんですって』
『えぇ、聞いたわよ。彼氏さんが飛び降りた数時間後に起きたのに、眠るように息を引き取ったんですってね』
『……すごく幸せそうに微笑んでたわよ』
『きっと……あっちでも出会えて幸せになってるのでしょうね』
えー、怪異探偵と異世界現実はもう少しお待ちくださいと。泣きながらスライディング土下座をする所存でございます。
……書きながら泣くという初めての体験で戸惑ってますが、どうなのでしょう。おかしいのでしょうかね?w
まぁ、そんな話は置いといて。また次の話で会いましょう。