一章 空白の記憶 第二話
彼女が部屋を出てからすぐに自分を管理人と名乗るものが部屋に入ってきた。黒色のスーツを身に纏っていかにもな雰囲気を醸し出している彼からここについての説明を受けた。説明といってもさっき天野さんが僕に教えてくれた内容そのまんまだけど彼女が事前に教えてくれたおかげでどこか心に余裕を持つことができた。
つまりこの施設は身元の分からない記憶喪失の人を収容する場所らしい。家に帰るのは自力で記憶を取り戻すしかないらしい。普通の人はここで生活していく中で一ヶ月もしないうちに記憶が戻って元の生活に戻れるらしいけど例外もあるらしい。彼の話によるともう一年ここにいる人もいると言っていた。その話を聞いたときにああ、天野さんかって一瞬で分かってしまったのが悲しいことだ。それと施設の外に出たらもう中には戻れないらしい。あくまで国が極秘で運用している施設らしいので一度でも外に出たら保護対象外の人間になるらしく一切の援助がもらえなくなってしまうと黒服はそう言い残して部屋を出て行ってしまった。
めんどくさいことになってしまった。いきなり見覚えのない場所で起きたと思ったら現実味のない話をたくさん聞かされてわけがわからないとしか言いようのない状況だ。まあ、実際僕には記憶がないわけだし現実味があろうがなかろうが実際に起きていることなので信じる以外の選択肢はないわけなのだが。帰りたいという感情すら帰る場所の知らない僕には抱けなくなってしまっていた。これからどうしていけばいいのかももはやわからない。念入りに外には出るなと言われたので外に出てはいけないことだけは確実にわかる。してはいけないことがわかっても意味がないけどね。いま求めているのはここで何をして過ごせばいいのかというしてほしいことだ。黒服の人は僕に何かをしろとは何も言わなかった。してはいけないことは伝えるくせにしてほしいことを伝えないなんてひどい人だ。まあ、してほしいことがないから言わなかっただけだと思うけどね。
「やっほー! 説明終わったみたいだね」
何をすればいいのか悩んでいたら天野さんが部屋を訪ねてきてくれた。やることを探していた僕には好都合な話だ。
「さっき終わったよ。君の言ってた話が全部そのまんまだから本当だったんだってちょっと驚いちゃった」
「そりゃ一年もここにいるんだから間違った知識を教えるわけないじゃん」
困ったように笑いながら彼女はそう言う。笑えない自虐を混ぜながら話されると困るものがある。空気が重くなってしまうから。
「ここってなんかやることとかあったりする? 労働とか! 無料で寝泊まり出来てご飯もついてるんだからやっぱり労働とかあるのかな?」
かける言葉が思いつかなかったので思い切って話題を変えてみる。聞きたかったことも聞けて一石二鳥とはこのことをいうのかもしれない。
「ないよ。私たちはこの空間で遊んでればいいの。ゲームがやりたかったら前使ってた人のやつがあるからそれ使ってやればいいよ。やりたいのなかったら管理人に伝えて取り寄せてもらえばいいよ」
なんという理想郷だ。労働しなくてくつろいでるだけでご飯を食べれるなんてすごい施設だ。一生ここにいてもいいかもしれない。ごめん、一生は嘘だ。
「そんなことより屋上来てよ!人待たせてるんだから早く!」
「人待たせてるって?」
「君に合わせたい人! 屋上に待たせてるから早く屋上行こうよ!」
彼女はそう言うと手を大きく使って僕を急かす。僕の用事を勝手に作るなんてめちゃくちゃな人だ。僕に用事が入ってたらどうするつもりなのか。まあ、用事なんて記憶がない時点であったとしても忘れてるからあるわけないんだけどね。