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二人の門出

 オト姫が母と別れたのと同時刻。

 月明かりに照らされた砂浜で、タロウは龍神と対峙していた。



 暗い夜空に銀色を帯びた青緑の龍体がうごめく。

 遥か頭上で天をかんと伸びた角と、射抜くように鋭い眼光は血のような赤。

 牙の並んだ大きな口はタロウなんて一呑みにしてしまいそうで、生きた心地がしなかった……。



「娘をたぶらかす若造が。どうやら命はいらないらしいな」


 龍神の威厳に満ちあふれた声に足が震えた。

 とても恐ろしい存在だと本能が訴えていたが、タロウは反論する。


「恐れながら龍神様。オラの命はオト姫様に捧げたもの、いくら龍神様でも殺されるわけにはいかねぇんです!」


 威勢よく啖呵たんかを切ったタロウは、そのまま砂地に額をこすりつけるように土下座した。


「オト姫様は誰より優しい方だ。竜宮に自分がいねぇ方がいいと言った時の笑顔は、安堵や切なさが入り混じって、綺麗だけんど胸が締めつけられるようですた。

 ……オラはあの方に外の世界を見てほしい。いつだってきらめくように笑っていてほしい。そのためにもまだ死ねねぇんです」


 タロウの話を聞く時の、瞳を輝かせて無邪気に笑うオト姫が好きだ。

 顔を上げてまっすぐに龍神を見据える。

 恐くないと言えば嘘になるが、ここで逃げる訳にはいかない。


「だから龍神様、どうかオト姫様を嫁にくだせぇ! オラには竜宮城のような立派な家はねぇ、お姫様みてぇな暮らしはさせてやれねぇけんど、あの方が笑顔でいられるためなら、なんでもしますだ」


 腹をくくったタロウは殴られる覚悟で──殴られたら確実に死ぬが──龍神の応えを待つ。


「……わしはつがいと巡り会うのが遅く、子を授かるのにも時間がかかった。オトが産まれ、初めて胸に抱いた時の感動は筆舌に尽くしがたい。オトもナミもわしにとっては宝も同然、どちらも可愛いくてたまらぬ。

────だからこそ、わしは娘達を見た目でしか判断しない輩が嫌いじゃ」


 龍神の放つ怒気は並大抵のものではなかった。

 反面、娘について語る時の声はどこまでも優しく、深い愛情が伝わってくる。


「青龍には期待しておったのだがな。あやつは最後まで、何もしなかった……。ほれ、持っていけ」

「あたっ!?」


 タロウの頭を直撃したのは両手に収まる大きさの、青と緑色の鱗で螺鈿らでん細工を施した黒い箱だ。

 硬く結ばれた紐はおそらく本物の龍のひげ

 中身は不明だが、この箱だけでも相当な価値があるに違いない。


「竜宮に代々伝わる玉手箱じゃ。それを肌身離さず身につけておけば、箱が時間を吸って肉体の老化を止めてくれる。我が母はこれを使ったおかげで、龍族の寿命の半分、五百年の時を生きることができた」


「そんな大事な物をオラに?」

「……勘違いするでないぞ。お前でなく、オトのためじゃ」


 龍神とは海の龍の頂点に立つ者であり、大きすぎる権力ゆえに出来ないことも多い。

 それでも娘のためならば、竜宮の秘宝の一つや二つ、惜しくなどないのだ。


「わかっておるか? 玉手箱を使えば人のことわりから外れる。父母も親しい友もおぬしを置いていくぞ。それに耐えられるか」


 試されていると感じたタロウは、居住まいを正して玉手箱を捧げ持つ。


「あの方の手を取った時から、一分一秒でも長生きすると決めてますた。オラにはオト姫様がいればいい。……オラが生きている間、玉手箱をお借りします」

「オトを不幸にしたら容赦せんぞ」

「そん時は煮るなり焼くなり好きにしてくだせぇ」


 どうやらタロウは龍神に認められたらしく、威圧が和らいだ。


「その言葉をゆめゆめ忘れるでないぞ。では、さらばじゃ」────タロウ、娘を頼む。


「龍神様……ありがとうごぜぇます」


 父親としての願いを確かに受け取ったタロウは、龍神の姿が海に消えて見えなくなっても頭を下げ続けた。

 それは待ち人が到着したことにも気付かないほどで。



「タロウ、どうしたの?」


 心配そうなオトが顔を覗きこみ、ようやくタロウは顔を上げる。


「オト姫様」

「わたくしはもうただのオトよ。身分差なんかないの。姫様呼びも敬語もやめて」


 はにかむオトを見て、タロウはこの方を絶対守ろうと思いを強くする。


「オト、オラについてきてくれるだか?」

「ええ。ずっと一緒よ」


 最後に海に一礼して、二人は蓬莱山へと旅立った。





 

「朴念仁のタロウが本当に嫁さ連れてきたぞっ!?」

「おらぁ、てっきり新しい機織り機を嫁っつってんのかと思ってただ。しかも、えらいべっぴんさんでねぇか」

「ちゃんと歓迎の準備してて良かっただ~」


「皆ひでぇだ……」



 あらかじめ伝えていたにも関わらず、村人には騒がれたが……高貴ながら明るく気取らないオトは無事に受け入れられた。


 蓬莱山の雄大な自然の中には、オトが本性を解放できる水場も豊富にある。

 村の近くにも、染め上がった生地をさらす大きな川が流れていた。


「ゆらゆらとたくさんの鮮やかな布が漂っているわ。まるで龍が泳いでいるみたい。綺麗ね」


 染色の工程を見たことのないオトは目を丸くしていて、タロウは思わず口元がゆるむ。

 海亀族が山で暮らせるか不安だったが、蓬莱山の水はオトに合ったようだ。


「あの川の先には滝があるから、あとで案内するだ。滝つぼは天然プールみてぇだし、滝の裏は大きな洞窟になってて、海とは比べもんにならねぇだろうけど、落ち着く良い場所だ」

「ここの水はふしぎね、力が湧いてくるわ」




 竜宮では疲れた顔ばかりしていたオトが、活き活きしているのを見てタロウは内心ほっとする。

 拍子抜けするほどあっさり、オトは質素な村の暮らしに馴染んでいく。


「どこの王家も姫は順応力が高いのよ。気まぐれな龍と共にあるために、公私でサポート出来るように、政治だけでなく生き抜く術が叩きこまれてるんだから」


 竜宮で食べた煮物を始め、オトは料理上手で慣れないはずの家事もきちんとこなしていた。

 政治能力はナミ姫に劣るが、生活力はオトの方が高いのだという。


「でも、わたくしが上手くやれているとしたらそれはタロウのおかげね。右も左もわからないわたくしに、大事な仕事を休んでまで寄り添ってくれたから。

……竜宮では何でも一人でやろうとして倒れてしまったけど、ここでは皆と協力して支え合うことができるの。お義母様とお義父様も、村の人達も皆優しくしてくれる。

────さすがタロウが育った所ね。山も村も大好きよ」


 ……なんて愛しいのだろうか。

 タロウはもう、オトのいない生活なんて考えられなかった。

 三月もすると遠方に嫁いだ妹とようやく連絡が取れ、村の女性が総出で仕立ててくれていた花嫁衣装も完成した。


 皆に見守られながら、タロウ達は今日、祝言を挙げる。



 


「オトさんの支度が整っただよ」 


 タロウの母に付き添われたオトが末広がりの長い裾を引き、しずしずと進み出る。

 綺麗にまとめた髪に白銀の花簪を挿し、唇には鮮やかな紅。

 白い無垢な花嫁姿のオトは大輪の牡丹ぼたんが咲いたようだ。


「どうかしら、似合ってる?」


 微笑むオトにタロウは声もなく見惚れてしまい、その頭を母がはたくまで硬直は解けなかった。


「あたっ!?」

「ボサッとしとらんでちゃんと褒めんねっ。せっかく美人な嫁が来てくれたのに、お前ときたら……」


「す、すまねぇオト。似合い過ぎて言葉が出なかっただ。とても綺麗だぞ」


 叶わない恋だと思っていた。

 なのにオトはタロウの傍で笑ってくれている。


────これが夢なら、このまま醒めねぇでくれ。


 感激のあまり糸のような細い目に涙がにじむ。

 つられたのかオトも涙目だ。


「二人して泣いてどうするね? 大丈夫でぇじょうぶ、あんた達は絶対に幸せになるから。

 昔、ご先祖様が亀甲紋様の着物を贈った、海亀族の恩人の娘さんは偉ぇ人に見初められて玉の輿に乗ったんだと。福を呼んでくれる亀甲紋様を、海亀のオトさんが着てるんだから福も二倍さ」


「お義母様、わたくしはとっくに幸せです」

「オラもだよ。全部オトのおかげだ」


 浦島村に来たことで、海亀に生まれて良かったと心から思えるようになり、オトの笑顔が増えた。

 タロウはそれが嬉しくてたまらない。

 村人達に祝福されながら二人は夫婦の盃を交わす。


 


 この時、タロウもオトも幸せの絶頂で。

 まさか自分達を追って海から上がる者がいるなんて、思いもしなかった…………。




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