器用で不器用な職人
複数の男に囲まれ、何も出来ずにうずくまっていたタロウは、颯爽と現れた一人の女性によって救われた。
「大丈夫ですか? 意識はありますか?」
心配そうにタロウをうかがうのは、一級品な衣装を見事に着こなす艶やかな美女だった。
たなびく髪は極上の金糸、日焼け一つしていない白皙の肌は絹もかくやの滑らかさ。
────こんなに綺麗な人、見たことねぇだ。まるでおとぎ話に出てくる天女様だ……。
タロウはぽかんとまぬけな顔を晒す。
それほどオト姫は美しかった。
タロウの生まれ故郷の浦島村は、龍棚という大国の国境で天に届けとそびえ立つ霊峰、蓬莱山の険しい自然に守られた、小さな隠れ里だ。
海から遠い山奥にありながら、なぜ“浦島”という名称になったのか。
それは大昔、一人の村人がとある島の浦(入り江)で出会った海亀に恩を受けたからだとされている。
元々、鳥人の中でも鶴は義理堅い種族。
浦島を名乗るタロウが恩を返すのは必然といえた。
「怪我に障らないよう、タロウ殿はわたくしの背中に乗せて行きましょう」
恩人のオト姫は、とても行動的な方だ。
「百歩譲って竜宮城へ招待するのは良いとしても、何も姫様が運ぶ必要はございません。護衛に任せれば良いのです!」
お供はこんな怪しい男を、と言わんばかりの口ぶりだが、お世辞にも上等とは言えない身なりで、大きな荷物を抱えた男を姫君自ら運ぶとなったら、誰だって反対するだろうと当のタロウでさえ思った。
「わたくしなら機織り機ごとタロウ殿を運べます。職人にとって大切な機械、片時も手放したくないでしょうから」
言うやいなや、オト姫は本性を解き放つと小山のように大きな海亀へと変化する。
「わたくしの甲羅は特別性で、強固な防御結界を展開できますの。海中でわたくし以上に安全快適な乗り物はありません。もちろん、呼吸はできるよう計らいますから、安心してください」
オト姫の心遣いは恐れ多くもありがたかった。
高貴な姫君だというのに気取らず、おおらかな方だと親近感すら覚える。
「タロウ殿、どうぞこちらに」
つぶらな瞳を見上げていたら、小舟のようなヒレを差し伸べられて、初めて甲羅以外にも六角の模様があるのだと知った。
大きすぎて全体を把握できないが、押し上げられた甲羅には夢にまで見た本物の亀甲紋様が広がっている。
つるりとした深みのある茶色い面に、白いラインで象られた六角形は、華美な装飾を排したシャープな美しさを体現していた。
「綺麗な人は、甲羅まで綺麗なんだなぁ……」
無意識でしみじみ呟いた言葉にオト姫がどんなに心を救われたか、タロウには知るよしもない。
竜宮城での療養中、オト姫は忙しい合間を縫ってタロウを見舞ってくれた。
「質素な食事がお好きなようなので、作ってみました」
「オト姫様の手料理!? ありがてぇだ、こんな美味ぇもの食ったことねぇです」
「ただの小魚の煮付けですよ? ……でも、喜んで食べてもらえるって、こんなに嬉しいことなのね……」
短い時間でも何くれと良くしてもらい、恩返しもまだなのにタロウは有難いやら申し訳ないやら。
せめてこれくらいはと反物を織ったり、ねだられるままに外の話をしていたら、二人はすっかり打ち解けていた。
「ねぇ、タロウは職人なのになんで旅に出るの?」
ある日、疲れた顔のオト姫に尋ねられた。
その真剣な様子に、タロウは頭をひねりながら答える。
「それはナマでいろいろ見てぇからですだ。
オラの村には、“百聞は一見にしかず”という言葉がありますだ。百回聞くよりも一回見た方がわかるっちゅう意味で、遠い昔、海亀族から伝わったとされる言葉の一つです」
「……海亀族から?」
思わぬ関わりに、オト姫は目を丸くする。
「そうです。その昔、村が小さな島にあった頃のことですた。その頃の村人は学がねぇで、せっかく作った織物をタダ同然で買ぇ叩かれたり、騙されて貧しい生活を送ってますた。
ついに食べるものもなくなっちまったある日、食料を求めた一人が海に行き、そこで出会った賢ぇ海亀に、読み書きや計算を教えてもらったんです」
見返りを求めず、知識を授けてくれた海亀族に村人は感謝した。
それから村は浦島を名乗り、記念に亀甲紋様を編み出したとタロウは教わっている。
恩を受けたら必ず返さなければならないとも。
「伝わった言葉もさることながら、そうすた出会いもあるからオラは旅に出るんです。こうして、オト姫様と出会えたのも何かの縁を感じますた」
最初は複雑な顔でタロウの話を聞いていたオト姫。
でも、今は幾分か表情が明るくなっている。
「ありがとう、タロウ。わたくしはいつもあなたの言葉に救われているのよ」
「そんな、オラはなんもしてねぇです!」
どちらともなく二人は笑いあう。
だが、タロウの怪我は順調に回復していて……別れの時は、刻々と近付いていた。
「タロウ殿、お初にお目にかかります。わたしは竜宮の二の姫、ナミと申します」
いつものようにオト姫を待っていたタロウの元を訪れたのは、オト姫の話によく出てくる妹姫だった。
ナミ姫は天鵞絨のように艶やかな黒髪の少女だ。
扇子で口元を隠しているがあどけない顔立ちは素朴で、嫁に行ったタロウの妹を思いおこさせる。
「急に申し訳ありません。姉に内緒で取り寄せたいものがあるということで、参りましたの」
「は、初めまして! オト姫様に大変お世話になってる者で、浦島のタロウと言いますだ」
洗練された仕草に気圧されて、目を白黒させるタロウにナミ姫は柔らかく微笑みかけた。
「慌てなくても大丈夫ですよ。──派手なのは鱗ばかり、姉とは全然似ていない地味な妹でびっくりしたでしょう?」
「それ、甲羅のことでオト姫様もよく言いますだ。……オラにはよくわかんねぇですが、地味の何が悪いんです?」
タロウは本当にふしぎそうに首を傾げる。
「綺麗と華やかさは必ずしも同義でねぇです。
村でも売れ筋は晴れ着に使う豪華な反物だけんど、落ち着いた意匠の反物には、華美なものにはねぇ趣があるって固定客がついてますだ。
それに派手な柄物にあえてシックな帯を合わせることも、飾り気のねぇ着物に鮮やかな差し色を入れるのも、どちらも粋だ。違ぇものを合わせたら、ぐっとよくなるなんてざらにあることでは?
オラには、オト姫様もナミ姫様もいいとこ取りをしてるだけに見えるんですだが……」
本質をとらえた正直な発言に、ナミ姫は目を瞠る。
短い時間だが、何か失礼なことを言ってしまったかと不安げなタロウの人柄も、把握できた。
「あなたのような方こそ、お姉様には相応しいでしょうに……」
ナミ姫が憂うように眉をひそめる。
そのわずかな表情の変化に、何を案じているかタロウは察した。
龍として生まれるのは男子のみ。
けれど代々龍族と婚姻を重ねた王家の姫は、本性の大きさも寿命の長さも龍に匹敵する。
どんなに惹かれあっても、タロウとオト姫は生きる世界が違うのだ……。
「ナミ姫様、オラはわきまえてますだ。オト姫様にはちゃんとすた相手がいらっしゃる。──見てくだせぇ」
タロウが指し示した機織り機には、雪のように白い糸が通してあった。
竜宮では、純白は婚礼衣装にのみ許された色。
オト姫の幸せを祈ればこそ、タロウはひそかに芽生えた恋心を封印する。
「オラは織るしか能がねぇ不器用者だ。こんなことしかできねぇけんど、最高の材料で作った、とびっきりの花嫁衣装をオト姫様に。────それが、オラの恩返しですだ」