鶴と亀は出会った 後編
助けたタロウと機織り機を運ぶため、本性を解放して大海亀となったオト姫が水中を優雅に進む。
「すげぇ……。魚や海草が光の中で踊ってるだ。オラ、失礼だけんど海には水と砂しかねぇと思ってますた。
陽の光が水中でこんな風にゆらめくことも、珊瑚の森の美しさも、なんも知らなかった。────宝石箱にいるみてぇだ」
竜宮城に招待された者だけしか見ることのできない、珍しくも美しい世界に職人魂が刺激されるのか、タロウはしきりに感動していた。
タロウの素直な反応は新鮮で、お付き達の反対を押し切って連れてきた甲斐があるというもの。
オト姫は嬉しくて、もっと綺麗なものを見せてあげたくなった。
「タロウ殿、しっかりつかまってますか? 上を見て下さい」
言われるがままに見上げてタロウは言葉をなくす。
ダイヤモンドのような太陽と蒼く煌めく空。
幾重もの光が張り巡る水面を通した空は、まるで別世界のようだ。
「まだまだ序の口ですよ。海は深さによって全然別の顔を魅せるのですから」
光と色彩であふれた浅瀬から夜空とはまた違う妖しい美しさの深海へ。
移り変わる光景をタロウと眺め、解説しているうちに時間はまたたく間に過ぎ去った。
「さあ、竜宮城に到着しました」
陽の光の届かない海底にありながら、特殊な藻とプランクトンによって常に光を放つ庭園は、真っ白い砂地に彩り豊かな海草がグラデーションを描き、蝶のような小魚が舞う。
庭園の奥、真珠母貝を敷き詰めた屋根の下、朱色の珊瑚の柱がズラリと並ぶ壮麗な宮殿は圧巻の一言に尽きた。
深海生物の光を星のようにちりばめた暗い海の背景と、光輝く鮮やかな建造物の対比はまるで夢か幻か、神秘的な空間を演出している。
「……絵にも描けねぇ美しさだ」
自身を包む空気の膜よりも、さらに大きな空気のドームに守られた竜宮城を見てタロウはぽつりと呟いた。
タロウの滞在は予想以上に長引いた。
職人の命である両腕と機織り機を優先した結果、捨て置かれた翼の骨折はひどいもので、適切な治療を受けなければ二度と飛べなくなると診断されたからだ。
事態を重く見たオト姫の一存で、至れり尽くせりの養生を受けるタロウ。
「助けてもらっただけでねぇで、手厚い看護におもてなしまで……オラ、このご恩は一生忘れません」
「海亀族の不始末はわたくしの不始末。お気になさらず、怪我を治すことに専念してください」
オト姫としては、地上に海亀族の悪評をばらまかれては困るという打算もあったのだが、タロウはどこまでもまじめだ。
「オラの怪我にオト姫様は関係ねぇです。優しさに甘える恩知らずはただの畜生ですだ。──このご恩は必ず返しますから!」
最初は恐縮していたタロウだが、順応力は高かった。
あてがわれた病室──というには豪華な部屋──を作業場にして、機を織っては反物を献上する。
いくら断ってもタダ飯を食らうわけにはいかねぇと、頑として織り続けるから受け取るしかない。
「どれもため息が出るほど美しい反物ですね。お邪魔でなければ、作業を見学してもよろしいですか?」
「見られて困るものなんてねぇです。どうぞ見てくだせぇ」
普段はぼんやりしたタロウが職人の顔をすると、空気がスッと引き締まる。
柔らかい羽毛をより合わせた糸が繊細な模様の一枚布になっていく過程も興味深い。
────ずっと見ていても飽きないわ。
知らず知らずのうちにオト姫はタロウに惹かれていた。
「こんなに長く家を空けて、家族はタロウを心配してるんじゃない?」
「オラの家族なら大丈夫ですだ。伝統を守るだけじゃつまらねぇ、新しい意匠も取り入れてぇからって、皆しょっちゅう旅に出てるんで。
……自由すぎるのも考えもんで、妹なんか旅先で出会った男にそのまま嫁いでしまいますた」
「まあ! 大胆な妹さんね」
しかつめらしく語るタロウに、ころころと笑うオト姫。
二人の距離が縮むにつれ、オト姫は自然と素を出すようになっていた。
「ねえ、タロウ。あなたの話をもっと聞いていたいわ」
世界中を旅しているタロウの見識は広く、オト姫の知らない面白い話を惜しげなく語ってくれる。
「雪花模様のパターンを増やそうと、雪の結晶を見に北の雪原に行った時のことですた。寒さに凍えながらたどり着いた銀世界、キラキラ降る氷晶はダイヤモンドの柱みてぇで……息をするのも忘れますた。
それから細氷を混ぜこんだみてぇに布地をきらめかせる方法はねぇかと、村のもんとすったもんだの末、新しい技法を完成させたんです────」
面白い形のサボテンを見に砂漠へ行ったこと。
南国で宝石のように美しいが、毒のある極彩色の蝶に触ってしまい、うっかり死にかけたこと。
タロウの語り方は上手いわけではないが、経験したからこその迫真性があった。
……縁のない自由な世界の話に夢中になっても、オト姫は節度を忘れていない。
常にお付きを控えさせ、部屋の扉は開けておく。
短い面会時間を守って、タロウと二人きりになるような、醜聞につながる軽率な真似はしていないと断言できる。
なのに。
「どこの馬の骨とも知れん男を引き入れるなんて、この淫売がっ!!」
いつものようにタロウを見舞いに行こうとしたら、怒り狂った青龍に突撃された。
「竜宮に泥を塗るとは、お前がそんなに愚かだとは思わなかった!! くだらん男なんぞ即刻追い出せ!!」
青龍はあまりに一方的な言い草で、オト姫とこの場にいないタロウまで侮辱する。
以前よりもひどい、触れたら爆発せんばかりの激怒ぶりだが、まるで子供の癇癪だ。
恐怖ではなく、ふつふつと湧き出る怒りにオト姫の体が震えた。
「────ふざけるんじゃないわよ」
海の底から響くような、昏く低い声に青龍は思わず後退する。
「……あんたが『お前なんか、恥ずかしくて外を連れ歩けるか!』と断った島の視察を覚えてるかしら?
タロウはその時海亀族に暴力をふるわれた被害者よ。海亀族のテリトリーは絶海の孤島。翼を痛めた鳥人を置いていく訳にはいかないし、こちらの不手際だから竜宮城で静養させるって、ちゃんと文書にして送ったけど……見てないわね?
あんまり返信がないから、家を訪ねたけど青龍はわたくしに会おうともしなかった。仕方なくおば様達にお話して了承をもらったのに、知らないの。
──しかもタロウが滞在してどれくらいになると思う?
決して短くない期間、わたくしを避けてたってことでしょう?
わたくしの話は全然聞いてくれないのに、あんたはわたくしを責めるのね!!!!」
どろどろした感情に突き動かされるまま、血相を変えてまくし立てるオト姫。
お付き達も、居合わせた使用人も、固唾を飲んで二人を見守った。
「いい加減にして!! ちゃんと向き合ってよ……もう、わたくしから逃げないでっ!!」
「…………っ!!」
────オト姫の心の叫びに、しかし青龍は背を向けた。
…………ここまで言ってもまだ逃げるの?
遠くなる背中を呼び止める気力はなく、傾いだオト姫の体をお付き達が支える。
青龍との縁談が決まった時から、オト姫は寄り添う努力をしてきた。
投げ出しそうになっても、その度に踏みとどまっていたが──もう無理だ。
「お労しや、姫様」
「きっと青龍様の誤解は解けますから!」
そらぞらしいお付きの声はオト姫の心には届かない。
……無性に、タロウに会いたかった。
「────ではタロウ殿、よろしく頼みますね」
やましいことはないが、青龍といざこざがあった直後にタロウを訪ねるのは気が引けて。
病室を前にオト姫が足を踏み出せずにいると、お付きを従えたナミ姫が出て行くのを目撃してしまう。
地龍とは破談になったものの、妹は相思相愛の相手を見つけて幸せそうで、うがった見方なんてする余地もない、けれど。
ナミ姫は美しいのに────
妹と比べて、お前は“期待はずれ”だ────
呪いのような青龍の言葉が頭を駆けめぐる。
……もしもタロウにまでナミの方が綺麗だと言われたら……!
「姫様!?」
「誰か、お医者様を呼んで!!」
立て続けに衝撃を受けたからか、急に目の前が真っ白になって、オト姫は意識を失った。




