鶴と亀は出会った 前編
あの後、オト姫は妹からもらった鱗を黄金の枠にはめ込んだシンプルな作りの耳環に加工して、大切に身につけた。
鱗部分は簡単に取り外し可能な実用品、それでいてどんな宝石よりも美しく、オト姫の華やかさを一層引き立てる。
美貌に磨きがかかったと評判は上々、オト姫もとても気に入っていた。
話し合いの場では、普段オト姫を馬鹿にする青龍でさえ言葉を忘れて息を飲むほどで。
思わぬお守り効果にオト姫は意気揚々と話を切り出したが、言葉を重ねるにつれ呆けていた青龍の顔は険しく歪む。
長い付き合いでも、まるで逆鱗に触れられたような……こんなに怒り狂う青龍を見たことがなかった。
「俺に、想い人だと……? 妄想をたれ流すのはやめろ。いいか、お前の婚姻は義務だ!! 俺だって我慢してやってるんだから、お前も我慢しろ!! 愛だの恋だの生ぬるいことを言って義務を放棄するくらいなら竜宮から出て行け!!」
想い人がいるのならこの縁談は解消しよう、とやんわり告げたオト姫を、青龍は辛辣に切って捨てた。
言いたいことを言って、嵐のように立ち去る青龍。
その姿が見えなくなってから、緊張の糸が切れたオト姫はへたりこんでしまう。
鱗を投げるどころではなかった……。
オト姫は震えが止まらず、控えていたお付き達の労りの言葉も耳に入らない。
空を走る稲妻のような怒声と、ピリピリ肌を刺激する不穏な空気。
燃え盛る炎にも匹敵する激情をぶつけられ、オト姫は初めて青龍に恐怖を覚えたのだ。
話し合い以来、青龍の顔を見ると一瞬足がすくんでしまい、青龍もオト姫を避けるようになった。
数ヶ月が経ち、文通の期間を終えて交流を重ねる時期に入ったが、二人の関係はギクシャクした婚約未満のまま。
龍は一生をともにする番いを本能で求める種族。
ゆえに、政略でもやすやすと婚姻を結ばない。
青龍とのゴールが見えない関係が続くと思うと、憂鬱だ……。
ゆらゆら揺れるオリーブ色の鱗を指でなぞりながら、オト姫はため息をこぼす。
「オト姫様……その、例の件でご報告が入ってます」
「また海亀族がやらかしたのね?」
オト姫が抱える問題は青龍だけではない。
近年、海亀族の横暴が目に余ると苦情が殺到し、対応に追われているのだ。
もともと地味でぱっとしなかった海亀族は、オト姫の祖母に当たる女性が当時の龍神に見初められたことで、一躍脚光を浴びた。
ブームは一過性のものですぐに廃れたが、かつての栄光を忘れられず、くすぶっていたところに先祖帰りのオト姫が生まれ……竜宮の跡継ぎの姫が海亀とあって、また自分たちの時代が来たとはっちゃけてしまった。
遠い昔は、目立たなくても海の賢者と呼ばれる種族だったというが、時の流れは残酷である。
オト姫は海亀であることを恥じたことはない。
……恥じたくなんて、ないのに。
積み重なった問題は、暗い深海の気圧のように、オト姫の心に重くのし掛かっていた……。
意外と知られていない事実だが、竜宮が治めているのは海底だけではない。
大陸から遠い場所に点在する島々もまた竜宮の領土であり、海亀族が暮らす島もその中の一つだ。
抜き打ちの視察という名目で釘指しに来たオト姫は、お共を引き連れて島に上陸する。
青龍も一応誘ってみたけれど、けんもほろろに断られてしまった。
……オト姫を避けても、憎まれ口は叩くのだから始末に負えない。
しかし、絶景の砂浜をしかめっ面の青龍と歩く姿は想像しただけで気がめいるので、フラれて正解だったかもしれないとオト姫は思い直す。
「晴れ渡る空の下、どこまでも続く白い砂浜。絶好の甲羅干しスポットだわ」
心地よさに目を細めた時だった。
少し離れた岩場から不穏な気配を感じたのは。
「……てめぇ、ここをどこだと思ってるんだ? 海亀族の縄張りだぞ……」
「……その目がむかつくんだよ。身ぐるみ置いてけや……」
複数の恫喝する声に、鈍い音。
オト姫が目を凝らすと、海亀族の青年達が何か白い物を取り囲んでいる。
その白い物が、翼を広げてうずくまった鶴の鳥人だと気付いた時には、すでにリーダー格らしき大柄な青年が拳を振り上げたところだった。
「おやめなさい!!」
たとえ護衛を向かわせても、ここからでは間に合わない。
『危ないと思ったらすぐ投げて!』
脳内で響く妹の声に従い、流れる水のように滑らかな動作で耳元の鱗を外すと、瞬時に的を定める。
オト姫渾身の一撃は、狙い違わず青年の甲羅をとらえた。
トスっと響く軽快な音。
弾かれても牽制になればいいと思って投げた鱗は、予想を上回る速度と硬度で頑丈な甲羅に深々と突き刺さる。
沈黙が落ち、遅れて砂浜に絶叫が響き渡った。
「ひぃっ、なんか刺さった!!」
「う、うわぁぁあ!? 兄貴の甲羅に光るものがめりこんでる!?」
「おい、あれはオト姫様のご一行だ。ヤバいところを見られた、逃げろ!!」
「ちょっ、待って! コレ誰か抜いてくれぇぇえ!?」
亀なのに脱兎のごとく逃げる青年達はあえて追わず、オト姫は怪我人の介抱を優先する。
「大丈夫ですか? 意識はありますか?」
うめきながら、鳥人──くすんだ赤毛の若者は顔を上げ、オト姫を見て細い目を丸くした。
「天女様だ」
オト姫は苦笑すると、二人の間に割って入ろうとしたサメの護衛を視線で制する。
海亀族がしでかしたことは、同族のオト姫が誠意をもって詫びるべきだと思ったからだ。
「天女ではありません。わたくしは竜宮のオト姫です。海亀族がご迷惑をかけたこと、謹んでお詫び申し上げます」
「とんでもねぇっ……です。オラはしがねぇ機織り職人で、浦島のタロウと言いますだ。助けていただき、ありがとうごぜぇます!!」
跳び上がったタロウの体の下には、はたして組み立て式の機織り機があった。
木製の器具を包む風呂敷には、織物で有名な浦島村の紋。
オト姫は地上の地名には疎いが、妹と少し前に破談した地龍の贈り物の中に、浦島の反物があったのをたまたま覚えていた。
「まっとうな職人にこんな怪我を負わせて……。今、手当てします。先ほどのならず者達には必ず罰を与えますので、どうかご容赦を」
「そんな! 見てのとおりオラの腕も機織り機も無事ですだ。さっきの人達が怒ったのは、オラがじろじろ甲羅の観察をすたからで。どうか、許してやってくだせぇ!」
鳥人の誇りである翼をぼろぼろにされたのに、因縁をつけた相手を庇うとは、底抜けのお人好しである。
興味を引かれたオト姫は、羽衣を包帯がわりに応急処置をしつつ、タロウに疑問をぶつけた。
「観察ですか……。タロウ殿は何の目的があってこの島に?」
「えぇと、オト姫様は亀甲紋様をご存じですだか? 六角形をつなげた大変縁起のいい模様で、めでてぇ時や婚礼衣装なんかに使うんです」
職人の顔でタロウは語る。
「オラはなんべんも亀甲紋様を織ってきますたが、元になった海亀を一度も見たことがねぇで。本物の甲羅をこの目でおがみてぇと思い立って、村を飛び出して来ますた」
「……亀は縁起がいいの?」
思わず素の口調になったオト姫に、タロウは笑顔で答えた。
「もちろんですだ! 硬ぇ守りは家内安全につながるし、亀のゆっくりすた動作は着実で勤勉。おまけに寿命も長ぇとくれば、こんなに縁起のいい生き物は他にいやしねぇです」
亀を褒められたのは初めてかもしれない。
天女様と呼ばれたことより嬉しくて、頬が熱くなる。
タロウの言葉は、ふしぎとオト姫の心に響いた。
「タロウ殿。同族が傷つけたお詫びです。どうか竜宮城に招待させてくださいませ」
申し訳なさと、それだけではない衝動でとっさに出た言葉だが……なぜだろう?
青龍を誘った時以上に、胸の鼓動が早くなった。
オト姫が罰を与えるまでもなく、甲羅から抜けないナミ姫の鱗のせいで、海中の龍族に追われることになった哀れな海亀がいたそうな。