平凡な絶世の美女
さすがお姉様はポカンとした顔までお綺麗ねと、感嘆しながらナミ姫はお茶を口に運ぶ。
「し、知らなかったわ。その、いつからなの?」
別に隠していたわけではないが、言い出すタイミングを逃していたせいで、いざ話すとなると勇気がいる。
平静を装っていても、ナミ姫の茶器を持つ手は微かに震えていた。
「やり手のお母様が、年頃の娘をいつまでも遊ばせているはずがないでしょう? 成人の儀を済ませてすぐに文通を始めたの」
「三カ月も前から……一体、相手は誰なの? わたくしも知っている方かしら?」
オト姫の追求に、ナミ姫は困ったように笑う。
「相手は大陸でも屈指の大国の皇帝、地龍様よ」
「そんな、ナミは地上に嫁がされるの!? わたくしと違って、あなたなら引く手も数多のはず。わざわざ地上に行く必要はないじゃない!」
ナミは誰よりも海を愛しているのに、とオト姫が呆然とつぶやいた。
オト姫は竜宮の後継ぎで海から離れられない。
地上に嫁ぐということは、姉妹の道が別れることを意味する。
姉の心情を慮ったからこそ、ナミ姫は言い出せなかった。
「誤解しないで。求婚者の中から地龍様を選んだのはわたし。わたしが自分で決めたのよ。……王家の姫なんて、龍にとって都合のいい花嫁人形でしかないわ。
でも、どうせ嫁ぐなら、鱗だけじゃなくて『わたし』自身を見てくれる方がよかったの。求婚の手紙の中で地龍様だけが鱗に触れず、わたしの好きなことや海について知りたいとあった。
──もしかしてこの方なら、と思ったからお受けしたのよ」
理由はまだまだある。
例えば母や姉の美貌を見て育ったナミ姫は、自分の容姿が平凡だと自覚している。
公平な目を持つからこそ、本当に美しいオト姫を差しおいて“絶世の美女”扱いされることが苦痛だった。
獣と人、二つの姿をあわせ持つ半獣半人は、例外もあるが同じ特徴の種族に惹かれる。
ただ海蛇の方が水龍に近い、それだけのこと。
ナミ姫は姉妹を区別し、海亀というだけで姉を笑い、敬遠する海中の龍族にほとほと愛想が尽きていた。
────仲の良い姉妹で優劣をつけるなんてデリカシーないのよ。
人間状態でも水の抵抗の少ない体なんて、褒めてるつもりなの!? ナイスバディなお姉様と違って、貧相な幼児体型で悪かったわね!!
姉妹なのに似てないと突きつけられる度に、お姉様もわたしも傷つくんだから…………。
楚々とした笑顔の裏で、静かにナミ姫は怒っていたのである。
「で、でも、青龍はどうかしら? 鱗だけじゃなくてナミのことをよく見ていると思うわ」
オト姫が口にした名前にナミ姫はスッと目を細める。
例え世界中の龍が絶滅したとしても、その男だけは絶対にあり得ない。
「青龍様なんて論外だわ。あの方はお姉様への当てつけで褒めているだけで、わたしのことなんてちっとも見てないの。
お姉様がいない時、青龍様がわたしをなんて呼ぶか知ってる? ────平凡だから並姫よ?」
一拍置いて、それはナイわ……と首を横に振るオト姫。
姉妹の心が一つになった瞬間だった。
「あいつなんなの!? わたくしだけじゃなく、ナミのことまで馬鹿にして。さっき会った時にぶん殴ってやればよかった!!」
芯の強いオト姫は周囲の雑音に惑わされない。
昔から卑屈になることなく、妹のために怒れる優しさを発揮する。
そんな姉をナミ姫も慕い、尊敬していた。
「ありがとう、お姉様。わたしだって言われっぱなしにはならないから安心して。
“素直になれず暴言ばかり吐く男は、いずれ想い人だけじゃなく全てを失ってしまう”と、懇切丁寧に説明するだけで、青龍様はいつも涙目になって逃げ帰るのよ」
「強っ。絶対それ、ただの説明じゃないわよね!?」
ナミ姫は答えず意味深に微笑む。
コブラ科の海蛇ゆえに、毒を吐くのは得意なのだ。
「ん? 待って。さらっと流しそうになったけど、青龍って想い人がいるの!?」
「皆にもバレバレだと思うわ。気付いていないのは、お姉様ぐらいよ?」
ナミの縁談といい、わたくしは何もわかっていなかったのね、とうつむくオト姫。
もちろん想い人とはオト姫のことだ。
しかし、姉が自分が愛されていると考えないのは、ツンデレが行き過ぎてデレを無くした青龍の自業自得。
娘想いの父や、為政者として厳しい母がオト姫達のすれ違いを静観しているのは、青龍を見極めているからだろう。
それぞれの友人やお付き達は、二人の仲を案じて青龍に苦言を呈したり、オト姫に青龍の真意を伝えようとしたが、一度こじれた関係は戻らなかった。
────できる限りのお膳立てはしてあげた。青龍様がそれでも逃げるなら、見限られても仕方ないわ。
「いつも嫌味のように竜宮のためと言うのは、きっと自分に言い聞かせていたからだったのね……。
ナミ、わたくしこれから青龍と話し合ってみるわ! もし番いを見つけたのなら、やっぱり縁談を解消して自由にしてあげないと」
「とても大切なことだから、青龍様にしっかり伝えてね。自己完結してはダメよ? ……そうだ、お姉様にお渡ししたいものがあるの」
そう言ってナミ姫が袂から取り出したのは、数枚の鱗だ。
珊瑚や真珠と並ぶ海の宝石と名高いナミ姫の鱗は、磨き抜かれた鏡のようにオト姫の顔を映し出す。
「わたし、心配なの……。お姉様の行動力や、なんでも額面通りに受けとる素直さは長所だけど短所にもなるわ。この鱗をお守り代わりに肌身離さず持っていて」
「ありがとう。そうするわ」
気づかいが嬉しいのだろう、オト姫は誰もが見惚れる極上の笑顔で受け取った。
「万が一、ないとは思うけど話し合いの最中に青龍様が襲って来たら、まずは牽制で一枚投げて、気を取られてる隙に逃げてね。
もしそれでも向かってきたら、もう一枚は角が刺さるように青龍様の足元を狙って投げる。お姉様、攻撃は最大の防御よ。危ないと思ったらすぐ投げて!」
「お守りってそういうこと!? 実用品だったのね……」
顔を引きつらせるオト姫に、ナミ姫は鱗投げをしっかり手ほどきする。
ナミ姫には青龍を甘やかす気も、容赦する気も一切ない。
大好きな姉には、もっと相応しい男がいるはずだとさえ思っているのだから。
「狙いは文字通り足止めだから、青龍様に当てないように気を付けて。狙うのは靴の手前ぎりぎりよ」
「こうかしら? 手首のしなりが決め手なのね。奥深いわ」
「お姉様、筋が良いわ! 他の投げ方にも挑戦してみましょうか」
……結局この日は鱗投げの特訓で終わり、話し合いは後日に持ちこされた。
しかしながら、入念にシミュレーションして挑んだオト姫の特訓の成果は出せずに終わる。
穏便にまとまったわけではなく、激怒した青龍が一方的に話を打ち切って逃げたからだ。
「あの男は何をやっているのよ!?」
憤慨するナミ姫だったが……この決裂が、後々姉の背中を押すきっかけになるなんて、夢にも思っていなかった。
ナミ姫の縁談の結果は『期待はずれ姫~破談のあとに始まる恋~』でお確かめくださいm(_ _)m