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忘れがたい故郷

「あれ、龍でねぇか?」

「こんな田舎に珍しいなぁ。それにしても、綺麗な青だ~」



「……青い龍ですって?」


 聞こえてきた村人達の呑気な台詞に、オトとタロウは顔を見合わせる。

 もしも青龍だとしたら、なぜ今さら……二年以上経って現れるのだろうか?


 今日はかねてから製作していた大作が完成した、オトとタロウにとって、いや村全体で特別な日だというのに。







 切っ掛けは、祝言後の二人旅で見かけた壁掛け織物(タペストリー)である。


 別大陸からの輸入品だというタペストリーは、名匠による風景画を織り出したものだった。

 壁の一面が遠い異郷の地に繋がったようで、そのエキゾチックな美しさはタロウの職人魂に火を付けた。


「これだ。オラの作りたかったものが、タペストリーならできる……!」




 村に帰って早速作業に入ったタロウだったが、初めての作業には苦心した。

 壁一面を覆う大きさともなると大掛かりになる上、精緻な織り方ではとにかく時間を食う。


 タロウ一人では作業に限界があった。


 そこで声を上げたのが、村人達だ。

 またタロウが面白ぇことを始めたぞ、と暖かく見守っていたが、一人また一人とタロウの試作に興味を惹かれて参加していき、いつの間にかタペストリー作りは村が一丸となった大きな計画プロジェクトになっていたのである。

 

 ああでもないこうでもないと職人は意見を交わす。

 その中には大きさや材料など、コストについてシビアな意見も多かった。

 窓や椅子に掛けるくらいの手頃なサイズを多く生産した方が良い、というのが村の総意だ。


 重くて幅もあるタペストリーは山から降ろすだけで一苦労、男手も取られるから仕方ない。

 しかし、タロウは頑として譲らなかった。



「皆の言うこともわかるだ。販売をかんげぇたら小せぇサイズの方がいいに決まってる。けんど、オラはどうしても壁全体を覆う大きさで作りてぇんだよ。

 皆も旅するからわかると思うだが、心に焼きついた風景はねぇか? オラにはある。どんなに言葉を尽くしても、技法として活かしても完璧じゃねぇ。

 百聞は一見にしかず、オラの心を奪った景色を見てほしいとずっと思ってただ。……でもタペストリーならそれができる。壁の向こうに広がる世界を、オラはこの手で作りてぇ。皆、オラに協力してほしいだ。頼む!!」


 頭を下げるタロウを、誰よりも先に支持したのはオトだ。


「わたくしからもお願いするわ。

 大きなタペストリーは見応え抜群で、きっと村の新たな名物になると思うの。幸い、蓬莱の川はふもとまで流れている。どれだけ大きくても構わないから、作品や材料の運搬は任せてもらえないかしら。わたくしの甲羅の上、結界の中ほど安全な場所はないのよ」

「オト、オラのために……」



 王家から抜けた身とはいえ、愛する夫を支え尽くすのは姫の本分である。 

 何より、オトが好きになったのは職人のタロウだから、その願いを叶えたいと思うのは必然だった。


 タロウとオトの熱意は、村人の心を動かした。


「そうまで言われちゃやるしかねぇな」

「ああ。村一番のタロウの腕を見せてくれ」


「皆……オトも、ありがとう。オラ必ず作り上げて見せるだ!」


 それからも紆余曲折うよきょくせつはあったが、努力の甲斐もあり、タペストリーは少しずつ形になっていく。






 

 完成したタペストリーは、きらきらした水面の空色から、彩り豊かな魚が引き立つ紺碧、夜空のような深海に移りゆく濃い蒼と、絶妙なグラデーションを描いている。


 一際目を惹くのは、細部にこだわった珊瑚の森の奥、どんな大都市の夜景にも負けじと輝く夢の都・竜宮だ。

 海底きっての大国は、タペストリーに織りこまれたほんの一部だけで、その絢爛さを見る者に訴えかけてくる。



 ──苦労の末にタロウが織り上げたオトの故郷は、涙が出るほど美しい。


 製作には助言の形でオトも関わっているため、再現度は非常に高く、郷愁に胸が締め付けられる。


 村には大きなタペストリーを掛けられる建物がないので、広場にある祭り用のやぐらを利用して、急きょお披露目の場を作ったのだが──準備を終えたあと、気を使った村人達は少しだけオトとタロウを二人きりにしてくれた。


「オトが案内してくれた海の中。また二人で見てぇと、ずっと思ってただ」

「綺麗ね……。それにとても懐かしい。でも、なぜ竜宮なの? いろんな所を旅したのでしょう?」


 並んでタペストリーを見上げながら、タロウは糸目をさらに細くする。


「この二年で、オトは村の輪にすっかり溶けこんだだな。オラの両親とも仲良くしてくれて、山の生活にも馴染んでる。

 でもな、海を──自分の故郷を無理に忘れようとしなくてもいいんだよ」

「っ!?」


 

 オトは竜宮の跡継ぎでありながら国を捨てた身。

 二度と故郷には帰らず、家族とも会うまいと覚悟していたのだが……まさか、タロウに見透かされているなんて思いもしなかった。


「オトはオラのために国を出た。だけんど遠く離れたって故郷は故郷、切り捨てることはできねぇ。なあオト、あの海中世界の美しさを一緒に広めねぇか?

 オラはこれからもタペストリーを作るだ。そんで、海にはこんなに煌びやかな国があるんだと、もっとたくさんの人に知ってもらおう。海中を知り尽くしたオトがいねぇと出来ねぇことだぞ」


 タロウの言うとおり、タペストリーなら言葉では語りつくせない海の素晴らしさを伝えることができる。


────地上でも竜宮のために出来ることがあるなんて、考えもしなかったわ。

  目から鱗とはこのことだ。


「わたくしの……竜宮のことを考えてくれたのね。ありがとう」

「お互い様だよ」


 ……感極まったオトとタロウが寄り添ったその瞬間に、前述の龍が来訪したのである。





 結論から言うと、広場に降り立った龍は青龍ではなかった。


 目の前の龍は青みがかった金色で、青龍よりも優しい色をしており、角も真っ直ぐ天に伸びている。

 そして、その真っ直ぐな角にオトは見覚えがあった。



「初めましてオト姫様。ご夫君殿もご挨拶が遅くなってしまって申し訳ありません。ぼくは地龍の弟、ミズチだった水龍です」


 そう言って金髪の柔和な青年になった水龍は、正式な礼をする。


「わたくしはもう姫ではありません。貴い身分の方が頭を下げるなど、もってのほかですわ」

「では義姉上様と呼ばせていただきますね。ぼくのことも王族としてでなく、いずれ身内になる者として扱ってください」


 あどけなさの残る顔で微笑まれると、肩の力が抜ける。

 また、妹の縁談が上手くいっているのだとわかってオトはほっとした。

 突然の登場に動揺しながら、タロウも何とか対応する。


「は、初めまして水龍様。オラはタロウと申しますだ」

「急に押しかけてしまって申し訳ありません。義兄上様のお噂は聞いております。とても腕の良い職人だそうですね。もしかして、こちらのタペストリーもあなたが?」

 

「皆に手伝ってもらって、オラが主導で織りますた」

「素晴らしい。ぼくが魅了された海そのもの、いえ、それ以上です」


 水龍は真剣な表情でタロウ夫妻と向き直ると、実は、と本題に入る。


「先日、ぼくはナミ姫に求婚を受け入れてもらいました。式は一年後を予定してるのですが、ナミ姫の花嫁衣装用に亀甲紋様の反物を作ってもらえないか、お願いに来たんです」

「まあ、ナミのために来てくれたの」

「おめでとうごぜぇますだ。昔ナミ姫様には大変お世話になりますた。結婚祝いに是非贈らせてくだせぇ」

 

 ありがとうございます! と水龍があまりにも幸せそうに笑うので、つられてオト達も笑顔になる。


「そうだ。遅くなりましたが、こちらからも結婚祝いです」


 話の流れで、オトはつい受け取ってしまう。

 丁寧に包まれた祝いの品は、手紙と竜宮に置いてきたイヤリング、それに、ナミ姫の輝く鱗の束だった。


「ナミ姫はあなたが竜宮を出た理由も、帰らぬ覚悟をしていることも承知の上で、これを渡してほしいということでした」


 ナミ姫の手紙には、今幸せだという感謝、離れていても姉妹の絆は変わらないとつづられている。

 オトの宝石のような瞳から涙があふれて止まらない。


「……ありがとう、水龍様。あなたは本当はこれを届けに来てくれたのね」

「いいえ、お願いのついでですよ?」


 とぼける水龍も涙を拭ってくれるタロウも、気になるだろうにオト達をそっとしてくれる村人達も、全てが優しい。


「失礼だけど、水龍様はあまり龍らしくないのね。驕ったところがなくて穏やかで……ナミにお似合いだわ」


 率直なオトの感想に水龍は持論を述べる。


「龍は神聖な存在だと幻想を抱く人は多いですが、ぼくからすれば龍こそ不完全で孤独な存在です。

 でも、ぼくらの母やナミ姫のように、姫君たちは寿命も性質も何もかも龍に合わせて変化し、歩み寄ってくれました。少しずつですが、龍も伴侶つがいの影響を受け入れて変わって来ているのだと思います。

 ……差し出がましいとは思いますが、青龍様も反省して変わっている最中です。義姉上様に会って、謝罪するのが目標のようですよ────いつになるかはわかりませんが」

 

「ふふ、期待しないで待ってるわ」


 苦い思い出ばかりの青龍。

 でも、いつか許し合える日が来たらいいと素直に思えた。




 ────青龍の謝罪が実現するのは、これから百年後のことになる。



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