夢界、侵入す!
「これでいいわね」
私は大鏡に写った自分の姿を見た。
艶のある黒いボンテージ姿。
ベルトによって胸の膨らみが強調されているものの、そのボリュームは気にしないことにした。
背中には蝙蝠の羽根をモチーフにした、小振りなアクセサリーが付いている。
「別にボンテージでなくても良いのですが……」
苦笑いを浮かべるリリィに、私は涼しい笑みを浮かべて、
「イメージよ、イメージ」
「では行きましょう」
リリィは私の寝室の窓を開ける。
リリィの紫色の長い髪が夜風に舞い、満月が私たちを迎えていた。
私たちはバルコニーに出ると、魔法で大空へと飛び立った。
まだ見ぬ夜に、私は胸を昂らせながら。
「この辺りにしましょうか」
月明かりに照らされる街を見下ろす私に、星々を背景にしてリリィはそう言った。
なかなかの都会である。
いくつもの屋根から飛び出た教会が美しい。
灯の消えた街の寝息にまぎれて、私たちは大きな時計塔に降り立った。
夜警の姿は見えない。
「いい時間ですね」
「寝てればなんでもいいでしょ?」
リリィの後ろで、大きな時計の針が動いて十二時を指した。
「〝丑三つ刻〟がいいじゃありませんか」
夜に浮かぶ妖艶な笑み。
妖艶な香りを纏う夢魔を瞳に写し、息を呑む私。
「では、これから魔王様を一時的に夢魔に近い存在にさせていただきます。通常ならできませんが、私と魔王様の魔力があればこそ」
そう言ってリリィは紫色の魔力を纏った。
その波動が私を包むのと同時に、全身を熱い何かが奔った。
甘くて切なくて、ゆっくりとした大波のような快感。
それが性感なのだと気付いた時、私を取り巻く世界が表情を変えた。
何が変わったのかと言われれば、答えるのが難しいような変化。
強いて言えば、私の見る目が変わったといえば近いかもしれない。
やけに暗闇がよく見えるし。
「さぁ、ではこちらです」
リリィに言われ、私は民家に降り立つ彼女に着いていく。
リリィが窓に手を翳すと、窓が空間ごと大きな波紋を打ち、周囲の壁ごと溶けた飴のように広がって大きな穴が空いた。
目を見開いて思わず口を半開きにした私に、リリィは微笑む。
「ここは既に夢と現実の狭間です。なので、こんなこともできるのですよ」
「外から見ると、私たちってどうなってるの?」
リリィの後ろをついて家の中に入る私。
「見えませんわ。狭間の世界、と言えばよろしいかしら」
そう言いながら、リリィは部屋の床へと降り立つ。
「じゃあ、ここで私がこの家からお金盗んだらどーなるの?」
悪戯心を含んだ発想を口にする。
「持ち帰れませんわ」
リリィは微笑むと、部屋のベッドに歩み寄る。
「彼にしましょうか」
そこには私と変わらないぐらいの少年が寝息をたてていた。
胸がドキリとする。
食欲に似た衝動が、微かに私の心を襲った。
ピンク色の瞳孔が開き、小さな喉が微かに鳴る。
半夢魔になった影響だろうか。
「リリィ様も召し上がりますか?」
優しく微笑むリリィが美しく、少しだけ怖かった。
「いらないわよっ!」
私は強くそう言い、顔を背けた。
顔に帯びた熱を自覚する。
「そうですか。では参りましょう」
リリィは微笑みを絶やすことなく、その足元から輝く魔法陣を展開する。
「半夢魔になられているとはいえ、魔王様には他人の中に存在する夢の世界に入ることはできません。なので、私が強引に夢の扉をこじ開けましょう」
視界に光が満ちた。
そこは、学び舎の廊下のようだった。
目の前の部屋には窓がたくさんあり、その中で私と同じぐらいの歳の子たちが、ローブに似たお揃いの服を着て騒いでいるのが分かった。
私はふと自分の身体を見下ろした。
ボンテージの上から、やはりお揃いのローブを着ている。
「何なの、この服」
リリィを見ると、やはりデザインの違うローブに身を包んでいた。
「この夢のシキタリのようなものでしょう。私たちは、この夢では編入生と教師、ということなのでしょうね」
言いながら、リリィは横開き扉に細い指をかけた。
「私たちも、夢の世界の理には逆らえません。というより、逆らわない方がやりやすいのです」
「ふーん」
リリィが扉を開くと、教室は静まり返った。
机と椅子が並んでおり、生徒たちは皆そこに座っている。
「グレンくん、ちょっとこっちにいらっしゃい」
教師役のリリィにそう言われたのは、窓際の席に座る先ほどの少年だ。
寝顔にはなかった表情が新鮮だった。
「はい」
少し戸惑いながらも、席を立つグレン君。
リリィに連れられて、私とグレン君が教室を出て行くのを皆が見つめていた。
(他人の夢ってこんなにリアルなんだ……)
私はそう思いつつ、リリィたちと廊下を歩いていく。
階段を降りながら、横から感じる視線に振り向くと、グレン君と目が合う。
「……何よ!?」
頰に感じる熱に耐えかねて訊くと、グレン君はびっくりしたような顔をして、
「ううん、知らない子だなって思って」
「見すぎよ!」
「ごめん、可愛かったから」
「!」
私の顔の熱がさらにヒートアップする。
(絶対、半夢魔化のせいね……)
そっぽを向いて歩き続ける。
(アンタなんかすぐリリィに精気吸われるんだから……!)
そう考えた私の胸がチクリと痛む。
「名前は?」
グレンが顔色を伺うように聞いてくる。
「……」
私は無視しようとしたが、
「……ロウラよ」
「ロウラ……」
少年は覚えるように繰り返した。
学び舎やかなり大きく、ようやく保健室と書かれた部屋に辿り着く。
「さぁ、入って」
リリィに促されて、グレンは私と保健室に入った。
部屋にはベッドが二つ置かれており、他に机と椅子があった。
リリィが扉を閉めた。
間をおかず、私の隣に立つグレンを見つめる、リリィの瞳がピンク色の光を帯びる。
私も得意とする魅惑の魔法だ。
(待って……!)
なぜかそう叫ぼうとした時、突然天井から黒い影のような染みが広がり、部屋全体の壁を黒く染め上げた。
「「!!」」
私たちはすぐに身構えた。
「いけない! 魔王様!」
そう言ったリリィが私を見て驚く。
私がグレンを庇うように立っていたからだ。
「大事な獲物でしょ!」
そんな言葉が、私の無意識から飛び出した。
その言葉を信じたか否か、リリィはすぐに天井を睨んだ。
「私が夢の世界を無理にこじ開けたせいね――申し訳ありません魔王様、良からぬ存在を呼び寄せてしまったようです」
部屋を染め尽くした闇の向こうから、ただならぬ気配が迫ってくるのを感じる。
「逃げましょう、ここから――この世界で太刀打ちできる相手ではありません」
緊迫感を匂わせるリリィの言葉に、
「ダメ!」
私は思わず叫んでいた。
「魔王様?」
より深みを増していく黒い影を尻目に、リリィが私とグレンを見た。
私は――なぜ、そんなことを言ってしまったのか。
私の背後で不安に固まる同世代の男の子の気配を感じながら、私はローブを脱ぎ捨てて鼻で笑った。
ボンテージに飾られたナイスなバディを強調するようにくびれに手を当て、
「逃げる? 笑わせないでよ。私に逃げろって?」
リリィの瞳が驚くように見開かれ、すぐに陶酔するように緩む。
「……失礼いたしました――迎え討ちましょう、魔王様」
私とリリィは息を合わせたかのように、天井に広がる闇を睨んだ。
こいつがとんでもない相手なのは私にも分かる。
この闇は私たち部外者に敵意を持ち、既にこの世界の一部となっているのだから。
リリィは、肩からローブをずらし脱ぎながら言う。
「魔王様、こいつの名は悪夢――人間の夢を糧とし生きる、正真正銘の悪魔です」
そして、闇が私たちを飲み込んだ。