第一章:魔法社会の成立とその問題意識 第一節
現代社会は魔法に依存した社会である。五百年ほど前の社会には今日のような魔法はなく、王宮の治療師や占い師、あるいは村の呪い師が伝承していた特定分野の技術を除いて、全ての魔法を用いた行為は個人の感覚に依っていた。
この時代にも魔術師と呼ばれるものがいてその一人が私なのだが、現代の魔術師、あるいは魔法使いと呼ばれるものとは全く違うものだった。山にこもっては自分の技術をひたすらに磨く、あるいは高名な魔術師に師事して教えを乞う。そのような魔術師を人々は一種の世捨て人とみなした。魔術師は危険だ、といった古くからある言い伝えはここに端を発している。そういった世間の態度に対して答えるように、魔術師は自分の技術を隠匿した。神秘主義に傾倒し優越感に浸っていたのだ。
この時代の人々にとって魔法というのは、力持ちであることや速く走れること、計算ができることや文字が書けることと同列に語られる個人的な技能だった。魔法は個人の体内から出てくるという誤った考えが広く浸透していたのだ。
魔力は個人の体内にあるというこの世界観が大きく転換したのは、エルフの魔術師シレーヌの発見からであった。シレーヌは魔晶石を再発見し、魔晶石そのものが魔力の一種の形態であることを突き止めた。これにより魔力は個人に依存するのではなく、魔力という不可視の物質に媒介される力であることが示された。
歴史学者のテリルが『シレーヌの大転換』とまで称したこの出来事は、エルフの王国に『魔法研究』という概念をもたらした。そう、現在当たり前のように行われている魔法の研究というものは、意外に思われるかもしれないが、この時になるまで行われていなかったのだ。
こうして、経験論でしか語らない『個人の魔法』の時代は終焉を迎えた。そして、『国家としての魔法』の時代へと推移していく。
1000年代中盤になると魔法研究は『魔術師』という専門家によって各国の王立研究所で盛んに行われるようになった。ここで注意して欲しいのは、この『魔術師』とシレーヌの大転換以前の私のような魔術師は別物だということである。便宜のために、ここから先『魔術師』と言えば現代的な研究者としての魔法取扱者のことを指すことにして、それと対比させて古い意味の魔術師を『旧魔術師』と呼称することにする。
話を戻そう。国家間、種族間の競争が激化した1100年代になると、魔法は技術として洗練されることによってこの競争の重要な戦力へと成長を始める。広範囲の魔力の流れを制御して天候などを操作する大規模魔法は、この時代に誕生した魔法の最たるもので、農耕を基本とした生活に革命を引き起こした。そして、三度にわたる蛮族戦争、二度の諸国大戦によって、魔法の国家戦略上の位置付けが決定的なっていったのである。
第三次蛮族戦争以後、魔法研究の重要性はますます増している。経済学者のキサイトの統計によれば、魔法研究が国家に要請する投資額は年を経るごとに増えていて、多くの王国の国家財政の一割以上を占めているという。現代の魔法は、旧魔術師が活躍していた時代の個人的な技術としての性格を失い、諸王国の体制を維持するために必要不可欠な一種の装置となってきている。
もちろん、魔法に対する高い適正によって、一人の天才魔術師の火炎魔法が最先端の魔導器や儀式魔法に勝る威力を誇ることもあるが、そのような天才も諸王国の魔法教育の結果として誕生していることを考えると、旧魔術師とは違い、『国家としての魔法』に組み込まれた存在と言える。
戦況を変える大魔術師も、社会を変える革命的な魔法も、国力を増大させる種々の魔法も、全ては国家戦略上に置かれるようになっていった。
このような状況下で『もっと魔法を』といった素朴なスローガンが王国全体として掲げられるようになるのは、実に自然なことであった。全ての営みは魔法へと帰する、現在にも残るそういった感覚はこの頃から形成されていくことになる。
この『もっと魔法を』という感覚を最もよく具現化した人物としてあげられるのは、初代魔法連盟会長のゲリッヒ・ソルテルだろう。
『王国ごとに魔法を研究するというのは、魔法という世界真理の現象を国家間競争という低俗な形而下的条件によって愚弄する行為に他ならない。純粋魔法原理を追求することこそが、真の魔術師として世界から与えられた義務である。』(ゲリッヒ著『純粋魔法の追求』)
『国家としての魔法』ですら、真の魔法には程遠いと考えたゲリッヒは、『人間としての魔法』とでもいうほどに魔法を追い求め、国家を超えた魔法研究機関である魔法連盟を設立した。諸王国の王立魔法研究所とも広くつながりを持つこの集団は、現在においても魔術師の間に大きな影響力を持っている。
彼らが開発した種々の魔法は、国家の枠組みにとらわれないものであったがために、その多くが洗濯、料理、掃除、狩り、食料保存、娯楽などといった市民生活に直に関わるものであり、多くの王国の国民に支持された。このおかげで魔法連盟は現在のような巨大かつ影響力のある組織に成長したのだが、詳しくは記述しない。興味を持たれた読者は、拙著『魔法連盟の誕生』に詳しく書かれているので読んでみると良い。
さて、このような経緯を経て市民の間にまで『もっと魔法を』という感覚が刷り込まれていったのだが、1100年代も後半に入ると、魔法は世界の根源をなす最も価値のあるものだという一元論的な神話は脆く崩れ去る。そして、魔法というものがアンビバレントなものとして認識されるようになっていく。現代の魔術は、王国民の生活の改善のための魔法研究という初期の素朴な営みから、いかにして世界へ大きな影響を及ぼせるか、いかにして最強の武具を作るのか、といった日常生活から乖離した魔法開発へと重心を移している。日常を研究していたはずの魔法連盟の研究も、現在ではもっぱら世界真理の魔法といった非常に抽象的で、専門的なものになってきている。その結果、病気の原因の根本的な解決や自然災害を完全に制御するなど、世界自体の制御という全ての国家の夢へと近づいてはいるが、同時に、人工的で強力な魔法自体の存在が、私たち自身に様々な災いをもたらし始めてもいるのである。
第三次蛮族戦争の決着をつけた新型魔法『インフィーノ・フラム』は、小国カルサッソの魔術師たった52人でゴブリン、トロール、コボルトなどを含む蛮族の一万五千の部隊を焼き払ったことで悪名高いが、この魔法の行使によって大気中の魔力の流れがかき乱され、シーシル山の眠れるドラゴンが目覚めたことは記憶に新しい。
あるいは、極北の国であるシュリンキル王国が、寒がりな国王が大規模な天候操作魔法を行使したがために、暑さに弱かった土着の穀類が全滅し、農民の間に多くの失業者と餓死者を出してしまい、穀物を回復させようと逆の魔法をかけることによって、他の農作物にまでもダメージを与えることで事態を深刻化させ、ついには王国自体の滅亡を引き起こしたというのは、全ての王国を震撼させた。このようにして『もっと魔法を』という国家のスローガンに対して『魔法は十分だ』という意識が全ての国家の国民の間において蔓延することになったのである。
しかし、王宮や魔術師の間では依然として『もっと魔法を』という思想が根付いていて、『魔法は十分だ』という市民の感覚を、魔法に対する無理解からくる情緒的な反発に過ぎないとでも考えている節がある。魔法というのは無条件に良いものであり、それによって何らかの障害が起きたとしても、それは使用者の魔法への理解不足によって生じるものであるという考え方は、魔法教育の強化や魔法の啓発活動といった解決方法しか生み出さない。今の時代に必要な思考というのは、魔法自体に根本的な問題がないかを問いただすことなのだ。
しかし、私は魔法が危険なものであり即刻禁止にすべきだといっているのではない。『もっと魔法を』という言葉をあまりにも過信しすぎている全ての王族と魔術師たちに警告したいのだ。魔法を無条件に信奉する態度は、市民の感覚と乖離しているがために国民感情を逆撫でするだけでなく、魔法自体の有益性をも貶めることになりかねないことに気づかなければならないと考えているのだ。
私と同じこのような思考によって、現代の魔術師に大きな影響を与えた人物がいる。シレー山脈のエルフの国の王、アイン・スーリオンだ。個人的な話ではあるが、彼は私の友人でもあり、私が山に篭っていた時代には共に一晩中魔術について語り明かしたこともある。
ところでここで、一応エルフについての説明を挟もう。エルフと外交を持っている王国が増えていて、エルフが隣人であるということも珍しいことではなくなってはいるが、それでもエルフ自身の排他的な性質のせいで多くの人がエルフを見たことがなく、伝え聞いたことぐらいしか知らないという人間が多いのも現状だからだ。
簡単な身体的特徴は誰でも知っているだろう。まず目を引くのはその尖った耳。森の民である彼らが、狩猟採集生活の中でそのような特性を手に入れたのだというのは容易に想像ができるだろう。そして、たとえ耳が髪に隠れていて見えなくとも彼らを一目で見分ける特徴。一際目を惹くのは、やはり、その美貌だろう。
『エルフの生き血を飲めば永遠の美貌を手に入れられる』中世に蔓延したおぞましい迷信だが、このような発想が出て来た由来は人間離れした容姿の美しさと、そして、五百年を優に越す寿命にあるのだろう。この人間によるエルフ狩りが、現在のエルフの排他性を形成してしまったと言われるほどだが、逆説的にそれはエルフ自身の美しさと人間の羨望の眼差しの証左なのだ。
エルフという種族のルーツは、東方の幻の大陸『マークレイ大陸』にあると言われている。この大陸はどんな古文献にも載っておらず、エルフの伝承の中にのみ登場するために、多くの人々がその存在を信じていなかったが、近代的な魔法研究の一分野である魔力解析によって、エルフの魔力の流れの源流が我々が住んでいるローレン大陸由来のものでなく、より強力な魔力に起源を持っているということが確認されている。このことによって、東の大陸という伝承はにわかに真実味を帯びて来たわけだが、エルフの民の中にもその存在を信じていないものも多い。伝承が正しくとも数万年前の出来事であるので致し方ないのであろう。まあ、幻の大陸が事実であろうと、ただの伝説であろうとも、エルフの魔力の高さは伝説を信じたくなるほどに目を見張るものがある。
シレーヌの大転換がエルフによってなされたというのも偶然と言うことはできまい。その魔力適性の高さが故か、もともと魔術をただの技術としてではなく、世界と生活の根幹をなす存在であると認識する哲学ーー古エルフ語で『フィロンスキア・ソル』、直訳で『魂の源』と言ったところだろうーーが受け入れられていたために、人間よりも魔術への関心が非常に高かったのだ。人間が醜い権力闘争に単なる手段として魔法を駆り出している頃、エルフの多くの国では魔術鍛錬が社会の重要な位置を占めていた。魔術をいかにうまく使えるかが、そのまま部落における社会的地位に寄与していたのだ。
そういった意味で、魔法歴の前半は人間よりもむしろエルフとともにある。実際、人間が魔法を使うようになった背景には、エルフによる啓蒙活動があり、それまでの人間は魔法を役立つものというよりもむしろ、気味の悪いものや神の祟りなどと考えて疎んでいた。海の向こうからやって来た美しい種族が教えてくれた素晴らしい未知の技術、生活の知恵。そう捉えて受け入れた地域もあるのであろうが、多くの人間はエルフが示す魔法を悪魔の技として考え、エルフを美しき悪魔と断じた。そう推測される表現が様々な文献に現れてくる。
これが御伽噺に度々登場する、海からやってくる悪魔のモチーフになっているのだと主張する文学者もいるのだが、このあたりの歴史は諸説入り乱れているために、人間側の視点から語ろうとするとどうしても曖昧になってしまう。だからこそエルフの視点が必要であるのだ。
さて、少しエルフについての前口上が長かったかもしれない。この程度の情報なら賢明なる読者諸君は既知のことであり、退屈な時間を過ごさせてしまったかもしれない。次節では、我が友アイン・スーリオンが私に語った言葉も踏まえて、エルフの迫害と繁栄、そしてエルフの初期の魔法研究について詳細に触れたいと思う。さらにその次の節では、アインの先鋭的な思想についてできる限り平易な言葉に直して語りたいと思っている。




