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その壱 覚醒

その壱 覚醒


 火だ、火が回りのすべてを焼き尽くす。

「・・さま、・・さま!」何度も何度も自分の名前が慣れ親しんだ声で絶叫される。

全身に激痛が走ると同時に火景色が一瞬にして無限の暗闇へと消えうせ、沸騰する熱気から極冷の水中へと突き落とされた。頭が混沌し、眩しい光が容赦なく両目を刺す。のどから声が出ず、体の感覚は足、腹、胸へと逆さま方向へ徐々に失っていく、続いて鈍い頭痛とほのかに漂う官能的な香りが唯一意識を保つ脳を襲う。頭が膨張し、炸裂した。そして、すべてが無限の暗闇に吸収されていく・・・


フ・・・フン、フン・・・

かすかな甘い香りがする。何処かで嗅いだことのある匂いだ。

少しだけ目を開ける。周りは真っ暗で、何も見えない。そして、寒気が全身を襲う。はっとなって、起き上がろうとしたが、下半身が針千本に刺されるような感覚にとらわれる。長時間麻痺した両足に血液が再び通い始めるときに感じる痺れである。

この状態では当分動けない。少し待とう。

仰向けに全身の力が抜け、空気とひとつになろうと自分に暗示をかける。

時間はどれぐらい過ぎたか、最初は何も見えなかったのだが、徐々に目が慣れてきた。小さな丘の上に横だわっていたようだ。急に神経を刺すような頭痛に襲われ、体がのけぞる。両手で頭を押さえながら、再度動いてみる。何とか足の感覚は戻ってきているようだ。頭痛や寒さに耐えながら、とりあえず、体を起こす。

ここは何処だ?俺は・・・

頭痛がひどく、何も思い出せない。鼻椎のさきからつんと生臭い液体がわき上がり、それを力いっぱい吸い込み、喉を通って地面へ吐き出す。固まった痰と血が大量に混じる液体だった。

のどがひどく渇き、水がほしい。

「オウー、オ・・オ・オ、オウー」

前触れもなく、獣の吼声が聞こえてきた。

本能的に、身がまえをした。

なんとかここは切り抜けないと、隠れる場所はないな、足の感覚はまだ完全に回復できていない、遠くまでは逃げられない。あとは、戦って保身するしかない。なにか武器になりそうなものはないのか。

周りを探る。なぜか、倒れていた場所の周辺に石片が散乱している。小石を幾つか拾い上げる。

何もないよりはマシだ。

このとき初めて着物に気づく、寒いはずである。一枚の黒い布が下体に巻いただけのようだ。履物はない。

獣の暴吼が闇の向こうから近づいてきた。なにかを威嚇しているようにも聞こる。とがった小石を選び、二,三個両手に持ち分け、少し姿勢を低くし、吼声のする方向へ構えた。冷たい風に乗って、殺気と血臭が運ばれてきた。

暗闇の底から突如、やまいぬ二匹が矢のごとく、交差しながら、向かって突進してくる。

はやい!

けっして大きい獣ではないが、牧羊犬より一回り大きく、凶暴そうな面をしている。とても小石で威嚇できる相手じゃないと悟ったとき、右肩が焼けど負うように熱く感じ、すぐさま激痛が走った。

ちくしょう、噛まれた。

無意識のなか、一匹の豺の攻撃をかわし、あと追うようにもう一匹からは右肩をその鋭い歯刃にかかられたようだ。これまでの記憶はないが、今はまさに生死の境にあることは確かだ。

でも、大きな獣じゃなかったことがせめての救い。

全身の気力を左足に込めて蹴りあげる。その毛皮につま先があたり、悲鳴がした。蹴られた一匹は、少し距離を置くようにして、こちらの様子を窺いつつ、下がった。

痛い。

裸足じゃあ蹴ったつま先が折れるという心配をする暇はなく、右肩に噛み付いたもう一匹の目に、左手の持つ小石を刺すようにして、力いっぱい殴りこんだ。

鈍い音がして、暗紅の血しぶきが額にかかった。片目をつぶされた豺は、やっとあごを緩めた。その一瞬を逃さず、両手でその前足を掴み、おもいっきり地面に叩きつけた。あまりの激しい形相に驚いたか、様子を窺っていたもう一匹は仲間をかえりみず、逃げ去った。叩きつけられた方も一瞬気絶したように見えたが、すぐさま身を起こし、低い泣き声をのど奥からゴロゴロと鳴らし、体を震えながら仲間の後を追いかける。

案外と臆病だな。

激痛が走る左肩を押さえ、地面に一度しゃがみ込む。

右肩の傷口を身に包む黒い布の一角で縛り、体勢を整う。

うん?少し離れた丘の下方から人の荒い呼吸する音が聞こえた。俺の他にも誰かが襲われたのか。

先の格闘から目も大部周りの暗さになれてきた。丘は高くなく、降りるのにそれほどの時間はかからないはずだ。行って確認してみよう、なにか手掛かりとなるものが見つかるかもしれない。

豺の逃げ去る方向へすこし追うと、それほど高くない竹の茂みが現れた。茂みの手前に人が倒れていた。そいつが音を発する主である。

近づくと、相手はびっくりして、頭を上げ、俺を睨んだ。

よく見ると、先の二匹の豺もすこし離れたところで、のどを鳴らしながらこちらの様子を凝視している。倒れている人は華奢な体に真っ黒の夜行服で密着され、裏地が朱色の黒いマントを羽織っている。顔は黒い布で覆われ、鋭く光る両目だけが浮かぶ。腹部に怪我をしているようだ。地面にへばりつく下半身から血が大量周りいっぱいに広がる。

その様子から、豺に襲われたようには見えない。

「わが命を取りにきたのか?」震えながら負傷者の口から第一声が放たれた。

「いや・・今そこにいる獣に襲われただけだ」

俺の話す言葉に少し驚いた様子で、一層目の輝きが増し、俺に注ぐ眼差しに興奮すら覚えた。

「あなた!私の言葉を・・・分かるのかい?」

頷いて見せた。言葉が分かるのがそれほど不思議だったのか。

「そうか・・それは申しわけないことをした。あれは飼い犬で、私を守るつもりだった」苦しそうに、体を少し起こす。

「しかし、あなた様はどちらの隊のお方、このあたりには我が軍はまだいないはず。教えて頂けないだろうか、私はこのように、もう長くはない。大事な使命を抱える身でありながら、達成できず、無念・・」

どの隊?我が軍?俺はこいつの仲間だったのか?こんな奇妙な獣使いを見たのは初めてのはず。

一瞬言葉を止め、自分の死期を悟ったゆえんか、俺からの返答がまだ確認できていないうちに、なにか重大な決断を下したようで、懸命に弱った声を高めて続けた「あなた様・・・李朝の人間ではないとお見受けした」話しながら、懐から紫色の巻物を差出した。

李朝って、どういうことだ?李朝の者ではないということは俺にとっていい事なのか?

「これを・・・私の頭領である与次郎ヨウジロウ様にお渡し願いたい。私は小西様に仕える伊賀の風禪坊フウゼンボウと申すもの」

俺にとってすべてがはじめて聞く名前である。

「はー」

俺の戸惑う姿をみて、風禪坊は首にかけていた銀色の輪を取り外し、輪に四個の小さな鈴が付いており、静寂の夜にやんわりと小さな鈴の音が靡く。それを聞くや否や、二匹の豺が異様に興奮した様子で、鈴の付いている銀輪に近づいてきた。

またきやがる。その様子を見て、姿勢を低くし、豺の再度の襲撃に備えた。

「大丈夫・・・この輪は私の証であり、多少の下等動物を操れる道具にもなっている。これの音をうまく操れば、この二匹はあなたを襲うことはない・・・」苦しそうに風禪坊は説明した。

なるほど、それを使って二匹を操っていたのか。

「銀輪を与次郎様に見せ、巻物を届けて頂ければ、謝恩はもちろんのこと、あるいはあなた様の願いを聞いてもらえるはず・・・それと、ここは危険である。李朝の武士がこの近くまで追ってきている」

巻物と銀輪を受け取り「わかった。とりあえず預かろう。ただ・・・困ったことに、俺は自分が何者であるかですらわからないのだ」自分で再確認をするかのように呟いた。

しかし、風禪坊には言葉が届かなかったのか、安堵した眼差しで、巻物を受け取る俺の手を追ったまま息を絶えた。

風禪坊の覆面を外すと、精悍な面が現れ、それほど年をとったようには見えない。

つい先、死力をかけて戦った二匹の豺はうそのように大人しく、静かに歩み寄り、風禪坊の手と顔を舐めた。

緊張がほぐれ、また頭痛が襲う。肩の噛み傷もきちんと手当てをしなくては。

そうだ、風禪坊はほかに何か役に立つものは持ってないか。

風禪坊の持ち物を探ってみる。腰に水を入れた竹筒と一本の脇差を見つけた。すぐさま三口ほど水で咽喉を潤い、脇差を手に取った。ゆっくりと鞘から抜出す。刀身はひどく揺れ、軽く刀先を鞘に当てて見ると、二つ折りになる勢いで弾き返すほど薄い刃である。

変な刀、とにかく軽い。

そのとき、冷風が竹林を吹き通す。裸だった上半身は完全に冷気にさらされ、全身が千万の細針を突かれる感覚に陥る。

なんだ?これは・・・

思い切って、体を包まる黒い布を外し、手で触ってみると、全身に無数の切り傷を発見する。深く切れてはいないが、すべてが、外皮を分裂させるだけの深さ、しかし整った直線の切り口である。けっして、風禪坊の飼い豺との格闘でできたものではない。緊張が一気に解れたいま、冷気によって、細かい痛みが喚起されたのだ。

俺になにがあったのか?

竹筒に残された水を右肩の噛み傷口にかけ、風禪坊の佩刀を使って、体に巻く黒布を切り分ける。しっかりと傷口を縛り直す。切り味のよい短刀であることに驚き、残りの布を大きく二枚に裁いて、下半身と腹に巻いた。

すまん、ちゃんと成仏してくれ。

少し躊躇したが、風禪坊の死体を引っくり返す。

下腹部から胸にかけ深い切り傷があり、そこから大量の血が流れたのだ。

これは長い刃物を腹から突き上げられたのか。

風禪坊の腰帯を外し、自分に着ける。また、風禪坊のマントを外し自分に羽織った。大部身長の差があったようで、少し短いが、風避けには大助かりである。

一連の動作を二匹の豺は終始見守っていた。片目を潰された方は少し弱っている為か、地面にへばりつきながら息を荒くしている。もう一匹の方はいまだに死んだ主人の手を舐め続けている。

身辺を整ってから、風禪坊から預かった巻物を開いてみる。若い女性の正面からの似顔絵である。非常に細やかな曲線で描かれた上品の顔立ち。柳葉のように彎曲する眉、半分開いた目が薄く風韻を漂わせ、髪を高く巻き挙げ、三本の箸簪で止め、流れるように肩まで下ろす。唇は薄く、全体的に緊張した表情であるが、その飾り気のない美貌を少しも色褪せることはない。首元には半分裂かれた星形の首飾りを着けている。似顔絵の最下端には墨で草々と李家の娘と書かれている。

目的は不明だが、この似顔絵のために命を捧げた風禪坊をすこし不憫に思った。

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