愛する人へ…。いかないで。
俺には4年間付き合っている女がいる。名前は嘉織という。
頭が良く、かなりの美人顔で、いつも小説を持ち歩いている。
初めて会ったときは絡みにくそうで避けていた。けれど同じ委員会になってしまった。
でもその時俺に優しく微笑みかけて
「よろしくね。」
って言ってくれた。その瞬間に緊張がふわっと溶けて頑張って俺から話した。
とても話しが盛り上がってうるさくしてしまったんだろう、担当の先生から注意されてしまった。
俺の事嫌ったかな…。と思い、彼女を見ると俺を見返し、にかっとまぶしい笑顔を見せてくれた。
「怒られちゃったね。」
彼女はこう言ってまた笑った。嫌われてなかった。それどころかこんな笑顔を…。
刹那俺は彼女に惚れた。本当に心に矢がささった様に・・・。
そして俺は積極的にアプローチして、丁度4年前の今日、告白し了承を得た。
その後も些細な喧嘩はあったものの、順調に過ごしてきた。
今日は4年目の記念日だから、嘉織が前々から欲しがっていたカシミヤのマフラーをサプライズプレゼントする。高かったけど、嘉織の嬉しそうな顔を見れるならお金なんてどうでもいい。
そんな想いを抱きながら、枯葉舞ういつもの公園へと向かった。
その公園は華やかな街とは正反対。桜、モミジが所狭しと公園の端に並び、公園中央には大きなクスノキが堂々と公園を見守っている。
春には桜が、秋には紅葉が踊り舞う季節を楽しめる公園だ。嘉織も本を読むためによく来ているらしい。
しかしこれといった遊具が無いため、子供は来ない。公園、と呼ぶよりは休憩所と言った方が正しいかもしれない。だから人気がないのは日常的だ。人の目を気にせず居られるから問題は無い。
入り口から公園の敷地を見渡す。先程降った不定期な雨の影響でできた大きい水たまりの近く、赤錆びたブランコに彼女は腰掛けていた。
こちらに背を向けているので表情は分からないが、きっと本を読みながら俺を待っているだろう。
艶があり美しい黒髪がかかる肩を優しくたたいた。彼女は振り向く。……事を想像していた。
彼女は振り向かなかった。振り向くどころか、俯いたまま動かない。
「嘉織?」正面に回り、彼女の前にしゃがみ込む。彼女は顔を上げた。俺は彼女の顔を見て驚いた。
端麗な彼女の顔はとめどない涙で濡れていた。無意識に彼女の華奢な肩を強く抱き寄せた。
すぐに俺の肩は嘉織の涙で濡れた。
「どうした?何かあったのか?」
嘉織は黙ったまま微動だにせず、ただ頬を濡らし続けていた。黙って涙を流す嘉織の小さな頭を撫でてやる事しかできない俺は悔しさに駆られた。
――5分はそうしていただろう、彼女がふいに口を開いた。
「別れよう」
俺は耳を疑った。その言葉はこの4年間最も恐れた言葉だったからだ。
「いきなりどうしたんだ?」
「ごめんね、今までありがとう」
頬が濡れたままの嘉織はこれだけ言うと颯爽と公園を立ち去ろうとしたが、俺が彼女の腕を掴み、それを阻止した。
「……何?」
「な、何って…、何でいきなり別れなんて…。俺に何か不満でもあったか?俺の事が嫌いになったのか!?」
「……別に、不満なんて無いわ。ただ飽きたのよ。それだけ。じゃあね。」
嘉織は何の未練も無いように、振り返らず、立ち止まらず、去って行ってしまった。
追いかけられなかった。彼女の態度に俺は愕然としたからだ。悲しくなった。恐怖を覚えた。
……同時にどこからか怒りがこみ上げてきた。あんなに尽くしたのに、あんなにそばにいたのに、
あんなに…愛したのに。こんな突き放し方はないだろ……。
彼女に渡すためだったマフラーを乱暴に取り出す。
「くそッッ!!」
思い切り水たまりに叩きつけようとした。……できなかった。理由は自分でもわかっている。
嘉織がまだ好きだからだ。ついさっき別れを告げられたばかりだから仕方無いか。
マフラーを鞄にいれ、立ち上がり一歩歩いた瞬間、落葉に足をとられ、例の大きい水たまりに、転んだ。
まるで水たまりに派手に飛び込んでいるような転び方になってしまった。
「うわッ!?最悪だ…。」
かなり大きな水たまりなので、首から腰辺りまで水に浸っていた。
ゆっくりと起き上がり、何故か空を見上げる。今にも雨が降り出しそうな黒い雲が空を覆っている。
「はぁ……。」
思わず大きな溜め息が出た。何で今日はこんなにもついてないのだろう。
「くっそ……。」
俺の心を表すかのように、黒い雲から大粒の水が瞬く間に降ってきた。
―――夜。日も暮れ、暗い空には星の輝きを隠すように黒く分厚い雲が覆っている。そこから落ちる本降りの雨は地面を黒く濡らしていた。
携帯の明かりだけが頼りの薄暗い部屋で俺は思い出に浸るように彼女とのメールを流し読みしていた。
他愛のないメール、「好き」と言い合ったメール、挨拶だけのメール……。
どれも別れてからじゃ何の価値も意味も無いように見えた。
ほんの数時間前だったらそんな風には見えなかったのにな……。これが人間ってものなのか。
ベッドに転がると、涙が出てきた。
雨の音が悲しみを加速させる。このメールも、二人の写真も、お揃いの物も、あのマフラーも、4年の月日も。すべて悲しみになる。
「どうしてだよ……。」
いつまでもこの答えが出ない俺は、涙を枕に滲ませながら、自問自答を繰り返した。
泣き疲れた俺は、いつの間にか朝の光を浴びていた。母さんの声と、朝御飯の匂いで目覚めた。
正直学校に行きたくなかった。嘉織に会いたくないのもそうだし、なんだか外に出たくなかった。でも俺は頭が悪いし、一日でも欠席したらどうなるか分かりきっていた。
内心嫌々しながらも、仕度を整え学校へ向かった。
いつも通り賑やかな教室につき、いつも通り荷物を机に移していると、いつも通り前の席の友達が話しかけてきた。
「おはよ~う!珍しいな、彼女と来ないなんて。」
「おはよ。昨日別れたんだ。」
俺は他人事のように淡々と言った。友達は椅子から転げ落ちるんじゃないかと心配になるほど前のめりになって驚きはじめた。
「えっ!?わ、別れた!?嘘だろ!?昨日!?は!?え!?お前昨日あんなに自慢してきたのに!?え!?」
「うるさい奴だな……。別れたんだってば。お前が気にする必要は無いだろ。」
友達は必要以上の声で俺に話した。
「こんな大事な時に別れちゃっていいのかよ!?お前から別れを告げたのか!?」
なぜコイツは俺から別れを告げると思ったんだろう。昨日自慢しているのに別れを言うはずなかろうが、バーカ。と俺は心の中で叫んだ。
「俺なワケないだろ。あいつからだよ。・・・で、大事な時?なんの事だ?」
「お前聞いてないのか!?あいつ…は言い方悪いな、お前の彼女は明日引っ越すんだよ!!だから俺はてっきりお前は今日は彼女と朝、ベタベタしながらここに来ると思って見てたのに……。」
俺は茫然自失した。そんなこと一度も聞いていない。嘉織のそんな素振り、一度も見なかった。
無意識に嘉織のクラスへ駆け出していた。教師から注意されても足を止めなかった。
嘉織のクラスの扉を乱暴に開け、そこにいた人々を驚かせつつ
「嘉織ッ!?…嘉織は!?」
息切れも含ませつつ、クラスの人々に問うた。クラスの人々は口々に
「嘉織ちゃんはもう学校来ないよ、昨日お別れ会したし。」
と言い始めた。それを聞いた俺は礼を言い、静かに扉を閉め、ゆっくり歩きながら自分のクラスへと戻った。
その日の授業は全く耳に入らなかった。入らないというよりは、受け付けなかったといった方が正しい。
どこに引っ越すかは分からないがこのまま会わなければ、もう一生会えないような気がした。
とにかく今すぐ会いたかった。
学校が終わり、帰りの号令が済むと、学校を誰よりも早く出た。息をするのも忘れるくらい無我夢中で走った。信号を待つ時間が惜しかった。
嘉織の家について、とりあえずインターホンを押した。止まらない息切れを抑えつつ嘉織が出てほしいという淡い期待を抱いた。
その期待はいとも簡単に打ちのめされた。ドアから顔を出したのは嘉織の母親だった。その時少しだけ見えた嘉織の家の玄関には何もなかった。
「まあ、あなた嘉織の彼氏さんじゃない!」
その言葉に少し嫌悪感を抱いた。まだ俺達が別れた事を知らないんだな……。
「お久しぶりです。嘉織いますか?」
「ごめんね、今嘉織出掛けてるの。夜まで戻らないって言ってたから多分友達とご飯食べに行くんじゃないかしら……。会いたければ明日、朝9時に駅できっと会えると思うわ。」
「わかりました、ありがとうございます。」
明日絶対駅に行くという決心がつき、家に帰ろうと振り返ったところでふいに呼び止められた。
「ごめんなさいね……、急に引っ越す事になっちゃって…。せっかくあの子を好きになってもらえたのにね……。」
「いえ……。そういえば……、どこに、何で引っ越すんですか?」
「やっぱり気になるわよね、どうぞ中へ。ゆっくり話しましょう。」
「お邪魔します…。」
嘉織の家は何回か入ったが、一目みて驚いた。絨毯も、小物も、家具も何もないまっさらな家になっていた。もちろん家具もテレビもないため、外の自然な音がよく聞こえた。
「ふふ、何もないでしょ。なんだか清々しく思わない?」
嘉織の母親は何も敷かれていないフローリングに腰を下ろした。俺も微妙な間を空けて静かに座った。
「引っ越す場所は青森よ。」
その言葉は神奈川に住む学生の俺にはとても重く、冷たい言葉だった。
「青森……ですか……。」
「遠いわよね、高校生活のうちは会えないかもしれないわね……。」
嘉織の母親は一瞬悲しそうな表情を浮かべ、つぶやいた。
「引っ越す理由は……離婚よ。」
俺は目を見開いた。理由を聞く前に嘉織の母親が切り出した。
「恥ずかしい話よね。私が浮気したの。それを知った夫は激昂する事もなく、受け入れてくれたわ。私が悪いのはわかっているのに、償いもできず居辛くなってね。あの子はこんな私でもついてきてくれると言ってくれたのよ。優しい子よね、きっと夫に似たんだわ。」
嘉織の母親は目を潤ませながらも言った。俺は目線の行き場が分からなくなり、俯いた。
「だから……、私はあなたに一番謝らなければいけないわ。ごめんなさい……。」
―――夜。日も暮れ、暗幕を垂らしたような空には溢れんばかりの星が瞬いていた。
蛍光灯がつき、十分明るい部屋では再び彼女との思いでに浸った末、机に突っ伏し眠りに落ちた一人の少年がいた。
片手は彼女へのプレゼントのマフラーを柔らかく握りしめ、また片手には彼女との笑顔の写真が入った写真立てを掴んでいた。
瞬く星は彼を夜が明けるまで見つめて…………。
柔らかい日差しと小鳥の高い鳴き声でハッと目覚めた。今は何時!?
焦りを覚えながらぼやける視界で見た時刻は8時6分。ヤバい。9時前には駅につかなきゃいけないのに。今から仕度して……、ここから駅は30分。飯は帰ってから食べよう。とにかく急がなくては。
バス停まで走る俺は、唐突に思い出が甦った。あぁ、嘉織とのデートはいつもこうだったな。俺が寝坊してバス停まで走って……、駅に着くころには息切れが止まんなくて嘉織に心配されたっけ。遅刻する事なんか一切気にせずに。
バスに乗車した俺は一時の休憩に入った。幸いバスは空いていて、難なく座れた。
嘉織がいるかも、と微かな期待を抱いたが嘉織はいなかった。何回期待を壊されるんだ、俺は……。
駅に着き、まだ人気の無い繁華街では24時間営業のファストフード店の受付の女が外を見て客を待ち構えている。目が合わないように前を見る、どこを見てもシャッターが閉まっていた。店がない駅というのはこんなにもつまらないものなのかと落胆しながらも、自販機で温かいコーヒーを買い噴水が水を撒き散らす公園でゆっくり飲み干した。
今日で嘉織とも当分会えなくなるのか……。
あっという間に8時54分になり、空になったコーヒーの缶を律儀にゴミ箱に捨て、バス停が良く見えるホーム沿いの広い道路から怪しいほどバス停や道路を凝視した。
……1分、
……2分、
……3分、
……4分、
……5ふ…!!
「あっっ…!」
無意識に口から漏れた言葉は嘉織の到着を示すものだった。
黒い髪は今日も艶を失わず、白いトレンチコートを羽織った嘉織はキャリーケースの音を響かせながら母親とともにバスからゆっくり降りてきた。まだこちらには気づいていないようだが。
俺は嘉織が通るであろう場所に足早に近づいて行った。
嘉織は公園で時間を確認するのか、母親といったん別れ、俺のそばの公園に向かって歩いてきた。
だんだん嘉織と俺の距離が縮まっていく。俺は足早に、嘉織を見失わないように。嘉織はゆっくり、トレンチコートと黒髪を揺らしながら歩く。
だんだん俺の心臓の音が大きくなっていく。ドクン、ドクン、ドクン。
嘉織がふいにこちらを見た。油断していた俺と目が合う。初対面ではないのに何故か俺は緊張して、体を小さく震わせた。
俺も嘉織も目を大きく開いた。特に嘉織。
「な…んで……?」
嘉織が俺に話しかけてくれた。俺は必死で言葉を探したが馬鹿という能力はこういう時に発動するものだ、まったく言葉が見つからない。
誤魔化すかのように、俺は人の目なんか気にせず、嘉織を抱きしめた。強く、強く。
「やっ……!」
嘉織は抵抗したが俺はものともせず、強く抱きしめた。
「嘉織のお母さんから聞いた。全部……。やっぱり嘉織は優しかった。強かった……。」
嘉織の耳元で囁いた。嘉織は俺の腕の中で小さく首を横に振る。
「俺…、嘉織の事全然わかってなかった。ごめん、ごめん……。」
「ち…がう」
嘉織は声を震わせながらも澄んだ声で言った。
俺の胸から顔を離した嘉織は今にも涙がこぼれなそうな目だった。
「謝るのは私の方だよ、私……、ばかだった。大好きなあなたを傷つけてしまった。ホントの事言えばよかったってあのあとからずっと後悔してたの。本当に……ごめんなさい。ホントは別れたくない、離れたくない、引っ越したくないよ……!!」
涙を流しながらも嘉織は本音を口に出した。
「俺の事……、好き?」
「うん、好き、大すきっ……ん……」
嘉織が台詞を言い終わる前に、俺は嘉織の唇に口づけをした。
温かい唇は今日の寒さに乱反射していた。嘉織の温かさに俺はすぐに包まれた。
ほんの数秒のキスだった。口を離すと嘉織は林檎のように顔を真っ赤にしてそれでいて涙が光っていた。
嘉織は微笑み、自分から再びキスを求めてきた。身長差があるので、嘉織は頑張って背伸びをしていた。微笑ましく思った。
俺はそれに応え、嘉織の驚くほど柔らかい唇に、とろけるようなキスをした。この4年間で一番長く、一番上手いキスだった。と、思う。
このキスを終えたら嘉織は行ってしまう。いつまでもこのままでいたい。けどそんな訳にもいかない。
嘉織もそんな事を思ったのか同時にゆっくり唇を離し、ぷはぁっと声を出し呼吸をした。
「ありがとう……。ありがとう……!大好きだよ……!!」
また泣きそうだったので、俺は渡しそびれたカシミヤのマフラーを嘉織の白い首にぐるぐる巻いた。
「これ…、私が欲しかった……!」
俺はフッと微笑み、
「これから寒くなるだろ、これは俺の分身だと思って、元気良く行って来い!!」
嘉織は泣きそうになるのをぐっと堪えて、
「ありがと……、うん、行ってくるね……!!」
最後に嘉織の華奢な体をギュッと抱きしめた。
「じゃあな。」
嘉織は深く頷き、
「またね!!行って来ます!!」
と、元気よく答え、駅へ走って行ってしまった。
途端に熱いものがこみあげてきた。いつのまにか俺の目から水が流れていた。
目頭を押さえ、涙を止めようとしたが、抵抗すればするほど水は溢れ、頭で描く思い出が鮮明になる。
そんな時、ついに口から本音が流れ出た。
「いかないで……。」
嘉織との別れを告げる新幹線の走行音が大きく聞こえていた。
―――2年後。
嘉織から大きい段ボールとともに、林檎の切手が貼ってある手紙が届いた。
…元気にしていますか。私はあなたと会えない寂しさがありますが、なんとか元気にやっています。
今年で大学2年生ですね、何か将来の夢は見つかりましたか?私はあります。
きっともうすぐ叶う夢です。きっと。
…PS
来週そちらを訪れます。あなたに会えるのでとても楽しみです。
あの公園で待っています。
嘉織
きっともうすぐ叶う夢、と書いてある部分、「あなたと結」という字が消した跡があった。
俺は耳まで赤くなった。あの日の嘉織のように、林檎のように。
段ボールにはたくさんの林檎と、手編みのマフラーが入っていた。
最後まで読んでくれてありがとうございます(^^*
文才の欠片も無いので読みにくかったと思います、すいません(^_^;)
こんなものでよろしければこれからも読んでやって下さい(^v^)