第11話 『越の風華』 第一部 前編
第一話からの大和探偵シリーズの集大成作品です。
実際にあった事件を参考にしていますが、すべてフィクションです。小説の中で、実際の事件や神話の隠された面を推理しています。あなたの推理はいかがですか?
推理展開をお楽しみください。
《大和太郎事件簿・第11話/越の風華・第一部》
〜須佐之男復活伝説殺人事件〜
=前編=
『三ぜん世界一同に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世に成りたぞよ。』 (明治25年旧正月、大本教教祖・出口なお 大本神諭・初発の神勅)
※著者注;
三ぜん世界:神霊界(霊界)、幽霊界(仏界)、人間界(現界)の三霊世界のこと。
梅:大本教では「教え」を意味する。
松:大本教では「政治」を意味する。
艮の金神:
出口王仁三郎の言では、日本書記で云うところの国常立尊のことで、地球神界を司る神様とされる。また、艮はハジメ、カタメ、トドメの意味があり、金にはすべてのものを清浄にする気があると述べている。陰陽五行の木、火、土、金、水のうちの金である。
ある霊能者によると、国常立尊は紀州・熊野にいる神でもあるらしい。
運勢暦断での金神:
陰陽師たちが創った[三国相伝陰陽かん轄・??(ほき)内伝金烏玉兎集]と呼ばれる文献では、牛頭天王(スサノオ尊)とその子である八将軍神たちに殺された巨旦大王の精魂が金神とされ、祟り神とされている。大本教の出口王仁三郎や出口なおの云うところの『艮の金神』とは異なる、陰陽師たちが謂うところの『巡り方位金神』のことである。
三国相伝とは天竺、唐国、日本の三つの国に受け継がれてきた、と云う意味である。
陰陽?轄とは陰陽道の基本原理を自由自在に操ることを意味する。
??(ほき)とは、天地の神に供える食物を盛る祭器のことで?(ほ)とは外側が四角、内側が円の形、?(き)は外側が円で内側が四角の形をした祭器である。
金烏は金色に輝く丸い太陽に住む三本足の烏、玉兎は黄色い玉子の様な月に住む神兎のことである。
巨旦大王を殺した後、牛頭天王は巨旦大王の支配地を蘇民将来と云う人物に与えた。
そして、次のような言葉を残している。
『自分は末代になって疫神となり、八将軍神とともに国を乱すために戻って来る。その時、[蘇民将来]と云う名札を出している家は滅ぼさない。』
牛頭天王、すなわち、スサノオは将来に復活することを予言した訳である。
八将軍神とは、大歳、大将軍、大陰、歳刑、歳破、歳殺、黄幡、豹尾の八方位神である。
牛頭天王は、チベットに聳える牛頭山の神であり、疫病神としてチベットの人々の信仰の対象であったらしい。別名、武塔天神とも呼ばれる。日本では平安時代に密教僧・円如が京都祇園感神院の祭神として牛頭天王、その妻の婆利采女、その子の八王子(八将軍神)を祀ったのが始まりらしい。全国の祇園社、八坂神社、天王社の祭神はスサノオ命、クシナダ姫命、八柱御子神であり、疫病除けの守護神とされている。霊を鎮め、疫病を防ぐための御霊会が全国の祇園社で行われる。これが祇園祭りである。
しかし、牛頭天王がスサノオ命の本地、すなわち同一神とされるのは平安時代以降に祇園感神院と祇園八坂神社が神仏習合時代に同居した名残のようである。はたして、本当に、牛頭天王=スサノオ命なのであろうか?
大国主命に出雲王朝を任せて韓国に渡ったスサノオ命は東アジヤと中央アジヤを支配したと大本教教祖・出口王仁三郎は言っている。東・中央アジヤの支配者の牛頭天王がスサノオ命と同一神とされる所以である。過去、東アジヤと中央アジヤを支配した国はジンギス・カンのモンゴル帝国であるが・・・・? かつて、トルコ、シリア、イスラエル、イラク、イラン、アフガニスタンなどのある地域は小アジヤとも呼ばれていた。
※出口王仁三郎;
明治時代に創立された新興宗教・大本教の教祖の一人。天眼通力による透視・霊視、肉体から自分の霊魂を抜けださせ世界を遊泳する幽体離脱などが出来た先天的霊能者。
神示により、霊界に起こった事件をまとめた「霊界物語」81巻・83冊を創作し、発表したが、その内容が難解なため、その神意が理解されないまま今日に至っている。第二次世界大戦後の晩年には3000個以上の楽焼茶碗を創ったとされ、その作品の美しさは世界の美術家から絶賛されていると云う。
※東・中央アジヤ;
『スエズ運河以東のアジヤ大陸、インド、トルキスタン、中国、太平洋に沈んだムー大陸までがスサノオがイザナミから継承した地域であり、神典の謂う葦原の国である。』と出口王仁三郎は述べている。(三鏡・出口王仁三郎聖言集35〜36頁より)
ところで、『牛頭天王と午頭天皇は異なる』と、出口王仁三郎は言っている。王仁三郎が云うには、午頭天皇とはマッソンのことであるらしい。マッソンとはフリーメーソン(mason)を意味しているのかどうかは不明である。王仁三郎は何が言いたかったのだろうか?
そして、角のある牛と角のない午の違いとは何なのか?
越の風華1;プロローグ
2012年5月7日(火) 午前6時ころ 青森県十和田神社境内
白い修験装束に身を包んだ南僧坊・青山深雪が十和田神社拝殿前で両手を合わせて、47文字の日文祝詞を唱えている。
「ひふみよい むなやこともちろ らねしきる ゆえつわぬそを たはくめか うおえにさりえ てのますあせえ ほけれ」
岐阜県垂井にある南宮大社の神職である青山深雪は南宮大社の本殿後方にある七王子社の祭神から神託を受け、十和田湖畔にある十和田神社(祭神;日本武尊)から神業を始めたのであった。青山深雪は神霊が見える霊能者である。
十和田神社は中山半島の東側付け根にある。中山半島の東側には御倉半島がある。
出口王仁三郎は御倉半島を牛角形、中山半島は馬蹄形をした二大半嶋と表現している。(三鏡481ページより)
午の中山半島には十和田神社がある。では、牛の御倉半島には何があるのか?
『御倉棚には十種神宝を鎮め置き、必要ならば一二三四五六七八九十を唱え、疫病を治したり、死者を甦らせよ』
と云った文書が秋田県の唐松神社には残されているらしい。
※著者注;御倉棚とは御座棚であり、神棚のことであろうか?それとも神力が隠されている倉庫であるのか?
なお、南宮大社の七王子社の祭神は大山?神、高?神、闇?神、中山?神、麓山?神、正勝山?神、錐山?神である。高?(たかおかみ)は空に住む龍神、闇?(くらおかみ)神は山地に住む龍神で、いずれも水神である。高?(たかおかみ)は白龍、闇?(くらおかみ)神は黒龍であると謂われている。
推古天皇の言によると、日文祝詞は天照大御神から大己貴命に降ろされた玉歌神勅と謂われているらしい。
意味は不明であるが、古代ヘブライ語の発音であると推測される。大己貴命は大国主命とも呼ばれることがある。
先代旧事記では「日文は言葉を文字に示して神を悟る法の道にそなえたものである。」と解釈しているらしい。
また、竹内文献では、上古20代・惶根天皇が日文祝詞を47音の文字言歌として天日文字で作らせたと書かれているらしい。
神から与えられた詞を人が神に代わって祝べることが祝詞奏上である。すなわち、祝詞とは神の言葉である。
祝詞奏上を終えた青山深雪は拝殿の裏にある小高い丘の上に登り、そこにある『二つの祠』に手を合わせた。
※著者注:二つの祠
一方の祠は八幡大神、もう一方は青龍大神を祀るとされている。
何故に八幡大神がこの場所に祀られているのかは定かではない。
また、青龍大神とは、かつて南祖坊と呼ばれた藤原南祖丸を守護した九頭龍神とされている。
藤原南祖丸は十和田湖の領有権を賭けてマタギであった八朗太郎の化身である大蛇神と争い勝利し、十和田湖の主になったとされる。
そして、昭和3年の秋、南祖坊は十和田湖の主を離れ、現界に生まれ直したと大本教教祖・出口王仁三郎は述べている。
その後、昭和27年ころ、八郎潟に移り住んでいた八朗太郎は田沢湖の主である辰子姫とともに空き池となった十和田湖に戻り住んだのではないかと云う人もいる。
だから、辰子姫を護っていたクニ鱒が田沢湖から絶滅したのだと、その人物は言っているらしい。
それでは、先年、富士五湖で見つかったクニ鱒は何を意味するのであろうか?
なお、十和田神社の主祭神は日本武尊である。
二つの祠のさらに奥には断崖絶壁があり、鉄の梯が掛っており、湖面岸まで降りられる。
湖面岸に降りた場所は『占場』と呼ばれている。
占場に立った青山深雪は湖面の対岸にある御倉半島の先端にある御倉山に向かって呪文を唱え、右手に持っている蛇比礼と朱文字で書かれた熊野牛王神符を左右にゆっくりと振った。
「オン マイタレヤア ソワカ オン マイタレヤア ソワカ オン マイタレヤア ソワカ・・・・。 オン アボキャベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン・・・・・。」と、青山深雪は弥勒菩薩真言と光明真言をそれぞれ11回繰り返した。
そして、御倉山のある御倉半島の後方からオレンジ色に輝く太陽が昇り始めた。
越の風華2;
2012年9月11日(火) 午前10時ころ 毎朝新聞本社の部長会議室
政治部部長の殿山喜一、経済部部長の佐古為治、社会部部長の向山正邦の3人が膝を突き合わせて5日前の9月7日に発生した政治家の自殺について話し合っている。
「本当に金融担当相の松永雅洋は自殺したのか?政治家の首つり自殺は偽装と相場が決まっているぜ。野田女総理と国家真党幹事長、奥様への遺言状が3通あったらしいが、パソコンで打った文字だから筆跡鑑定はできないらしい。」と向山社会部長が問題を提起した。
「それだ、それ。松永金融担当相はアメリカ国債事件の疑惑を調査させていた、と云う噂がある。」と殿山政治部長が言った。
「アメリカ国債の疑惑とは、2年前の事件か?」と佐古経済部長が訊いた。
「ああ。2009年の6月ころ、スーツケースに入ったアメリカ国債などを大量に持った二人の日本人男性がイタリア・ミラノ市の北方にある国境検問所からスイスに入国しようとして旅券法違反容疑でイタリア税関に一時拘束された事件があった。イタリア政府から二人の男の紹介があった話だ。日本銀行がその男たちの身元を保証したと云うことで、無罪放免されたようだが・・・。日銀はアメリカ国債を印刷しているからな。その事件を金融担当相になったばかりの松永大臣は調べさせていたらしい。」と殿山政治部長が言った。
「その件だが、二人の男の身元を保証した人物が誰なのかが不明らしい。一応、日銀総裁名での回答がイタリア政府には出されたらしいとの噂があるが、その手続きが日銀内部でどのように行われたかは判然としていないらしい。イタリア政府からの発表では、他国の偽国債を所持しているだけでは罪に問えないので無罪放免したらしい。子供が国債のおもちゃを持って遊んでいるのと同じような事だからな。しかし、真相は他にあるとか、様々の噂が流れているのが実情だ。日銀総裁には事後報告もなかったらしい。」と向山社会部長が言った。
「なるほど。それで、偽造国債事件の調査を松永大臣が命じた訳だな。」と殿山が言った。
「イタリアで逮捕された二人の男の名前は判っているのか?」と佐古経済部長が訊いた。
「イタリア政府や警察庁から名前は公表されていない。残念ながら、我々も名前は掴んでいない。ただ、二人の所持していたパスポートでは福岡県と神奈川県の出身者で50歳代と60歳代の男だったらしい。」と向山が言った。
「ほんとうに、日銀の関係者だったのか?」
「それも、不明だ。世界的な詐欺師の仕業かもしれない?」
「確か、13兆円相当のアメリカ国債などを持っていたのだったな。1ドルが100円として額面100万円相当額面のドル債だと1300万枚、1000万円額面で130万枚、一億円相当額面だと13万枚、五億円相当額面だと3万枚弱程度だから、スーツケースに隠せる訳だ。」と殿山がいった。
「それで、その偽造された13兆円はどこに行ったのだ?」と佐古経済部長が訊いた。
「たぶん、スイス銀行の貸金庫に預けられたのではないかと云う噂だったな。」
「いや、イタリアの財務当局が押収したのじゃないのか?それとも、偽造国債を使用していないから無罪になった訳だから、日本人に返却されたのじゃないのか?」
「まあ、それはそれとして、詐欺事件として、誰が、13兆円分ものアメリカ国債などを購入する予定だったのだ?また、国債が本物だったとしたら、日本の暴力団か、イタリアのマフィアによるマネーロンダリング(資金洗浄)の可能性も考えられるな。」と佐古が訊いた。
「国債の行方などはアメリカや日銀からは公表されていない。それどころか、その事件に関するコメントも一切ない。イタリア政府も男たちを無罪放免したとしか発表していない。この件を経済部で調べられないか?」と向山が言った。
「判った、調べてみる。二人の男の名前は社会部で追いかけてくれ。」と佐古が言った。
「政治部では遺言状の内容を調べる。しかし、本当に9月10日発売の『週刊真調』に掲載された愛人問題の暴露記事が松永金融担当相の自殺原因なのか?事前に記事内容を知った松永金融相が本当に悲観して自殺したのか?」と殿山が言った。
「70歳を超えた老人である松永金融担当相が、あのようなべたべたした文面の手紙を送るかな?20年前と云えば、大臣も愛人も、共に50歳代と40歳代だぜ。二人とも中年だぜ。20、30歳代のピチピチした女になら判るがなあ・・・。あの記事を書いたフリーのルポ・ライターにも当たってみる必要がありそうだな。松永金融担当相を抹殺したい組織、人物が仕掛けた記事かも知れんからな。それから、4日前の9月8日に発生した、原宿の高級マンションンの母子殺人事件だが、逃走している犯人の男が経営していたレストラングループの店に、松永金融担当相の愛人が出入りしていたという証言をうちの記者が聞き込んでいる。」と向山が言った。
「本当か、それ。高城六郎のレストランに金融担当相の愛人が出入りしていたのか・・。」
「まあ、ガセネタかどうかはこれからの調査で判ってくるだろう。あの記事の内容が正しいかどうかを知っているのは、ルポ・ライター本人と死んだ松永金融担当相、そして、その愛人の3人だ。もしかして、他にもいるかも知れないがな・・・・。」と向山が言った。
「しかし、松永大臣の自殺が偽装であるとすると、調査活動も用心しないとな。事故に見せかけて記者が殺されるような事にならないように注意が必要だな。」と殿山政治部長が言った。
「確かに、命あっての物種だ。」と佐古経済部長が言った。
「しかし、外国人ジャーナリストに『真実を書かない日本の新聞』などと揶揄される現状を打破する必要があるのも確かだからな。今や、新聞社の取材能力、情報収集能力が国民から問われている時代だ。『海外情報は共同の情報通信社や外国の新聞記事などに頼りっぱなしで自前の現地情報収集が貧弱』とか、『謀社の幹部は自社の記者を殺した犯人を知っていながら、自社に不利になるのを避けるために殺人犯人を隠ぺいした』などと云う、あらぬ噂を国民からインターネットにでも流されたら新聞業界は終わり(尾張)名古屋だ。洒落にもならない。致命的なことになる前に、新聞社への信用を回復しなければならない。」と向山社会部長が危機感を表わしながら言った。
「しかし、記者が殺されるような危険なことはなるべく避けたいところだ。」と佐古が言った。
「判っている。危険がありそうな調査には打って付けの人物を知っている。」と向山が言った。
「社会部にそんな人物がいるのか?」と殿山が訊いた。
「いっぱい貸しのある私立探偵を知っている。そいつに頼むことにする。そろそろ、今までの貸しを返してもらわないとな・・・。」と向山が言った。
「そんな奴で秘密厳守は大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。CIAや警察庁、自衛隊の仕事まで請け負っている経験者だからな。」と向山が自信たっぷりに言った。
「この日本にそんな奴がいるのか・・・・。」と殿山が呟いた。
越の風華3;調査依頼
2012年9月11日(火) 午後4時30分ころ 池袋の弁慶寿司
東武東上線池袋駅かJR池袋駅の北口改札を出て地下道を通り池袋西口広場に上がると正面にマクドナルドの看板が目にはいる。そこから、右方向に目を移していくと、極上ネタ・格安会計『弁慶寿司』の看板が掛かる間口4メートルくらいの小さなすし屋がある。このすし屋の看板には、もうひとつの案内が書かれている。
《大和探偵事務所 よろず相談、調査を安価にお請けいたします。当すし屋にお尋ねください。》
私立探偵・大和太郎と毎朝新聞社・向山社会部長がテーブルで寿司を食べながら話をしている。
「報酬は支払わないが、交通費などの調査実費は支払います。ホテルや食堂のレシートや領修書は必ず貰っておいて下さい。」と向山が言った。
「報酬なしですか・・・。まあ、妖刀・村正の事件や宝達奈巳さんの発見には只ならぬ協力を頂きましたから、仕方ないですかね・・。実費を出していただけるのでしたら、ご協力させていただきます。現在は調査などの仕事を持っていませんが、万一、他に仕事が発生した場合には、その仕事を優先することになりますが、よろしいですね。」と太郎が念を押すように言った。
「もちろん、構いません。よろしく頼みます、大和探偵。」と向山が言った。
「それでは、明日から松永金融担当相の愛人について調査を開始いたします。」と太郎が言った。
「愛人の居所は松永金融担当相の記事を書いたルポ・ライターから聞き出して、連絡する。そのルポ・ライターとはちょっとした知り合いなのでね。」と向山が言った。
越の風華4;遺体発見1
2012年9月12日(水) 午前11時ころ 長野県茅野市にある諏訪大社・上社前宮近くの駐車場
そこに駐車していた品川ナンバーのイタリア製の高級外車の中で男性が一酸化炭素中毒で死んでいるのが発見された。排気ガスを社内に引き込むための農業水用ホースが排気管から後部座席のガラス窓にガムテープで装着されていた。車内には死んだ男性の指紋が付いたガムテープの束が残されていた。
また、その高級車は指名手配されている男のものであった。
男の名前は高城六郎、60歳。原宿の高級マンションで内縁の妻と子供を殺害した容疑で指名手配されていた人物である。事業の悪化で借金の返済に窮しての自殺と警察は判断していた。
高級車のダッシュボードの上には朱文字で『蘇民将来』と上書きされた20センチ四方の大きさの牛王神符が置かれていた。
※牛王神符;
黒いカラスが群れている絵が描かれた白い和紙でできている御守り札。真ん中には『日本第一』と文字が白抜きで書かれ、その文字の上には炎をかたどったと思われる赤い朱印が押されている。和歌山県の熊野三山(熊野大社、熊野速玉大社、那智大社)から出されているお守り札である。『牛王』とは熊野大社本宮の主祭神である『素盞鳴尊』のことで、泥棒除けのお守りとして、家庭の玄関などの壁に張っておくと効果があるとされる。『牛王神符』は昔から起請文として用いられ、忠臣蔵の討ち入りに加わる赤穂武士も一時、牛王神符の裏側に記名した連判状を作成していたと云われている。また、源義経も頼朝に提出した嘆願書・誓約文の所謂『腰越状』を『牛王神符』の裏側に記入したと謂われている。
越の風華5;遺体発見2
2012年9月14日(金) 午前7時ころ 兵庫県西宮市内の須佐之男神社近く
大阪から西に向かって大坂湾に並行して国道2号線が延びている。
大阪府の西隣の県が兵庫県である。大阪市に隣接する兵庫県の都市は尼崎市、つづいて阪神甲子園球場がある西宮市、そして、芦屋市、神戸市と西に向かって繋がっている。
西宮市と芦屋市の境に阪神バス・森具バス停留所が国道2号線上にある。
その森具バス停留所近くから須佐之男神社と書かれた大きな文字の看板が見える。
その看板の手前に月極め賃貸駐車場がある。
そこに違法駐車していた姫路ナンバーのT社製の普通乗用車の中で男性が死んでいるのが発見された。睡眠薬を飲み、クーラーを効かせる為に車のエンジンを掛けたままにし、車内で眠っていて一酸化炭素中毒で死亡したと警察は推定した。車は芦屋市内にあるT社系列のレンタカー会社のものであった。
男の名前は風祭武文、48歳。原宿の高級マンションで内縁の妻と子供を殺害した容疑で指名手配されていた高城六郎に資金提供をしていた男であった。
死体の遺留品の中には朱文字で『蘇民将来』と上書きされた牛王神符があった。
※著者注記:西宮市森具にある須佐之男神社の祭神は須佐之男大神、天照大神、建御名方大神である。天照大神は伊勢神宮の神様、建御名方大神は諏訪大社の神様である。
神社境内には、末社として行者社、大国主神社、八幡神社、愛宕神社、伊邪那美神社の祠がある。
伊邪那美神社には、大歳御祖神、市杵島姫命、金山彦神、菅原道真命、事代主命、火産霊神も祀られている。行者社とは何を祀るのか不明である。(役小角を祀っているのかどうか?)
越の風華6;遺体発見3
2012年9月14日(金) 午後2時ころ 兵庫県神戸市東灘区本山町
JR摂津本山駅の改札を出て、大和太郎は毎朝新聞社会部の向山部長から聞いた住所に向かって地図を見ながら歩いて行った。
神戸市東灘区本山町は神戸市の東端部にある住宅街である。本山町の東隣には森町、そして芦屋市がある。阪神淡路大震災の時には大きな被害があった町である。現在は完全に復興している。
「ここが、松永金融担当相の愛人・寺田純子の居るマンションか。105号室だな。3年前までは東京に住んでいたが、愛人関係が破綻した後、この場所に引っ越してきた訳か・・・。もともと、神戸市東灘区の出身と云う事だったな。」と太郎は寺田純子に関するメモを確認した。
マンションはオートロックではなく誰にでも出入りが出来る3階建ての小さなタイル張りの建物であった。
太郎は105号室の玄関扉の横にあるチャイムのボタンを押した。
「ピンポーン。」と部屋の中で呼び出し音が鳴っている。
数回、チャイムのボタンを押したが返事がないので、太郎は裏にまわった。
そして、太郎は裏のベランダ越しに部屋の中を窺がった。
2m幅のベランダに面してガラスの引き戸があり、部屋側にはカーテンが引かれている。
部屋のカーテンは少し開いており、中が覗けた。
「あれれれ・・・。あれは・・・?眠っているのではないな。テーブルの上のコップは転がり、水がこぼれているぞ・・・。」と、太郎は老人女性が応接テーブルにつぶせに倒れ込んでいる姿を確認した。
そして、ポケットから携帯電話を取り出した太郎は110番通報をした。
越の風華7;
2012年9月14日(金) 午後6時ころ 兵庫県警東灘警察署の応接室
大和太郎は兵庫県警察本部の橘刑事から寺田純子の死体発見の事情を聴かれていた。
守秘義務があるので調査依頼元である毎朝新聞社の名前は出さずに、松永金融担当相の自殺事件に興味を持った人物の調査依頼で寺田純子から話を聞くためにマンションを訪問した旨を太郎は刑事に説明をした。
「本日中に東京へお戻りの予定でお急ぎだそうですが、もう少しお付き合いください。それで、寺田純子さん宅への訪問理由は判りましたが、あなたの身分を証明する親戚などの連絡先をお教え願いますか。」と橘刑事が訊いた。
「私の名刺では信用できないと云うことですか?」と太郎が訊き返した。
「一応、第一発見者の方の身分証明を確認するのが事件捜査の基本ですので、悪しからず思わないで下さい。どなたか、あなたの身元を保証する第3者をご紹介いただけますか?」
「それでは、警察庁の刑事局長補佐である半田警視長にご確認してください。電話番号が判らなければお教えしますが・・・。」
「なるほど、半田警視長ですか・・・。確認して来ますので、ここでお待ちください。」と言って、橘刑事が応接室を出て行った。
太郎には、半田警視長の名前を出せば、寺田純子の遺体状況などを刑事から聞き出せるのではかとの思惑があった。
橘刑事が出て行って5分くらい経った頃、太郎のポケットで携帯電話が鳴った。
携帯電話の液晶画面には半田警視長の文字が浮かんでいる。
「はい、大和です。」
「警察庁の半田です。」
「これは、どうも・・・。」
「今、東灘署に居るそうですね。」
「はい、そうです。」
「それでは、明日に兵庫県警の西宮警察署に行ってもらえないですかね?」
「構いませんが、それは、何か事件ですか?」
「朱文字で『蘇民将来』と書かれた牛王神符を所持した死体が発見されました。神武東征伝説殺人事件と関連するのかどうか、ちょっと気になります。弾武典が生きていて関係しているのかどうかですが・・・。西宮署には私から連絡を入れておきます。大和探偵の今日の宿泊場所は橘刑事が手配してくれるはずです。よろしく、頼みます。西宮署への行き方は橘刑事から聞いて下さい。」
「判りました。」
電話を切った後、しばらくして、橘刑事が応接室に戻ってきた。
「大和探偵はあの神武東征伝説殺人事件で御活躍された探偵さんでしたか。あの事件の噂は聞いていました。弾武典は指名手配されていますが、まだ発見されていません。今回の現場にあった牛王神符にも弾武典が関係しているのかどうかですが・・・・。」と橘刑事が言った。
「半田警視長からお聞きになりましたか。もしかして、弾武典は死んでしまっているかもしれませんが・・・・。」
「弾武典は死んだ?」
「推理ですから、確定ではありません。死体が見つかった訳でもありませんが・・・。」
「そうですか。ところで、芦屋市にある竹園旅館の宿泊予約をしておきました。この近くのJR住吉駅から三つ目の芦屋駅から徒歩で4分くらいのところです。プロ野球の巨人軍が定宿にしている処で、牛肉は絶品です。冬なら、すき焼きで一杯飲むのがいいのですがね。高等学校時代の友人と毎年、忘年会を竹園旅館でしています。竹園旅館には私が車でお送りします。日帰り予定とのことでしたので、着替えの下着と靴下は警察の方で準備いたします。洗面道具は旅館で準備されています。」
「西宮警察署への行き方は?」
「JR芦屋駅から二駅目の西宮駅で降りて徒歩10分くらいのところです。地図をコピーしてきましたので、明朝はこれを見ながら行ってください。」と言いながら、橘刑事は地図を太郎に渡した。
そして、寺田純子の死体現場の状況や遺体の状況を橘刑事から太郎は聞いた。
「どうも、青酸化合物による服毒自殺ではないかと思われます。寺田純子の実兄が東灘区内で板金工場を経営しており、メッキ処理工程などで青酸化合物を使っているようです。そこから、青酸化合物を持ち出したのではないかと思われます。現場に残されていた紙切れに青酸化合物を包んで持ち出して来たものと思われます。鑑識課のテストで紙きれから青酸反応が出ました。実兄の工場では青酸化合物を使った時にはデジタル秤で重量を測定し、使った量はノートに記録を残しているそうで、無断持ち出しはできないと言っていますが、人間ですからな、記録ノートに数字を移し間違えることもあるようですな。」
「それで、自殺の原因は?」と太郎が訊いた。
「遺書はなかったのですが、実兄の話では、100万円の謝礼目当てで、週間雑誌のルポ・ライターに松永金融担当相との愛人関係の話を暴露したことをかなり悔んでいたようです。死んだ松永大臣に申し訳ないことをしたと繰り返し言っていたようです。実兄の話では、寺田純子は松永大臣から手切れ金を貰えなかったようで、生活が苦しかったらしいです。少しは松永金融担当相を恨んでいたのでしょうが、愛してもいたのでしょうね、寺田純子は・・・。」と橘刑事が言った。
「なるほど、自殺ですか・・・。遺書はなかったのですか・・・。ベランダの扉の鍵も玄関ドアーの鍵も掛かっていたのですね。」と太郎は考え込んだ。
「玄関扉のキーは室内の壁に1本掛けてあり、寺田純子のハンドバックの中に1本の合計2本ありました。その他にスペアー鍵があったのかどうかは不明です。このままいけば、自殺として処理することになるでしょう。」と橘刑事が言った。
「寺田純子さんが東京に住んでいた時の住所は判りますか?」と太郎が訊いた。
「杉並区桃井4丁目○○−○○ですね。ロイヤルパレス桃井と云うマンションの301号室です。」と橘刑事が手帳のメモを見ながら言った。
越の風華8;
2012年9月15日(土) 午前10時ころ 兵庫県警西宮警察署の応接室
土井刑事と高坂刑事が大和太郎に事件現場の状況を話している。
太郎は土井刑事から渡された現場写真を一枚づつ見ている。
「現場は芦屋市と西宮市の境界近くで森具地区にある須佐之男神社近くの駐車場です。これがその牛王神符です。」と土井刑事が太郎に朱文字で『蘇民将来』と上書きされている20センチ四方サイズくらいの和紙で出来ている牛王神符を見せた。
「車の排気ガスによる一酸化炭素中毒死ですか・・・。須佐之男神社に牛王神符ですか・・・。何か因縁がありますかね・・・。その森具と云う地名には何か意味があるのですか?」と太郎が訊いた。
「江戸時代には『森』ではなく『守』の字で守具村と呼ばれていた時期があったようです。現在、森具という地名はありませんが、国道2号線の交差点にその名を留めています。森具交差点の近くを流れる川が『夙川』と呼ばれていますが、明治時代には『守具川』と表記されていました。ですから、昔は『守具』と書いて『しゅく』と発音していたと云う人もいます。『守具』が『守具』となり、更に『森具』となったのは神戸〜大阪間を走る路面電車の停車駅名が森具とされた頃になってからだそうです。警察官になって阪急電車の夙川駅前交番勤務の時に勉強した知識です。」と土井刑事が言った。
「もとは森具村ではなく、守具村ですか・・・。」と太郎は呟いた。
「死体が発見された駐車場の現場をご覧になりますか?」と土井刑事が訊いた。
「ええ、是非。それと、車を風祭武文に貸したレンタカーの店にも行きたいのですが。」
「レンタカー屋は芦屋駅近くで、我々もこれから事情聴取に行くところでした。風祭武文に応対した従業員が店で待機しているはずです。先にレンタカー屋へ行ってから、現場をご案内します。それでは駐車場に車がありますから、そちらに行きましょうか。」と土井刑事が言った。
越の風華9;
2012年9月15日(土) 午前10時30分ころ Tレンタカー芦屋支店
従業員が土井刑事と高坂刑事の質問に答えている。
「風祭様がこの営業所に来られたのは9月13日、木曜日の午前9時過ぎでした。お車の貸出予約はされておりませんでした。9時30分から翌14日の9時30分までのご利用契約をされました。行き先は神戸市内となっていますね。観光旅行ではなく、お仕事でのご利用となっています。」と契約書を確認しながら従業員が言った。
「店に来たのは免許証の写真の人物でしたか?」
「ええ。写真の顔と似ていましたので、風祭様ご自身と判断いたしました。まあ、免許証の写真と顔がそっくりの方と云うのは少ないですからね。写真うつりは環境や髪型によって変わりますからね。」
「貸し出したときの車の走行距離はいくらだったのでしょうか?」と高坂刑事が訊いた。
「9548Kmとなっていますね。」と従業員が契約書を見ながら言った。
「死体現場にあった車の走行距離が9599Kmだったから、風祭武文は51Kmを走った訳だな。さて、何処を走ったのか、署に帰ってから走行車両監視システムで調べることにします。それほど遠くまで行っていませんから、見つけるのは早いでしょう。」と土井刑事が太郎に向かって言った。
越の風華10;
2012年9月15日(土) 午前11時過ぎ 西宮市森具地区の須佐之男神社近く
土井刑事と高坂刑事が大和太郎に風祭武文の死体発見現場の駐車場で現場状況を説明している。
駐車場の近くには須佐之男神社と阿弥陀寺がある。
「風祭武文の遺体が乗っていたレンタカーはここに停まっていました。両隣りには月極め契約の車が駐車していました。現在、この駐車位置の契約者は居ません。先月末で解約されており、現在は空きになっています。この駐車場の契約率は80%です。」と高坂刑事が太郎に説明した。
「このオープンスペースで一酸化炭素中毒ですか・・・。密閉された駐車空間なら判るのですが。」
「ええ。排気ガスを車内に引き込んだ形跡はありませんでしたが、死因は一酸化炭素中毒と考えられます。現在、解剖結果を待っているところですがね。死体発見時は車のエンジンは掛ったままでした。風祭氏はクーラーを掛けて寝ていたようです。排気ガスは空気より重いので、車体下に溜まり、クーラーの循環冷気の流れに吸い込まれたと推定しています。木曜日の夜から金曜日の朝にかけては天気も良く、風もなく、レンタカーの両隣りは車が駐車し、車の前方部は駐車場の壁になっていますので、排気ガスは溜まりやすい状況でした。」と土井刑事が言った。
「そうですか。ところで、あそこが須佐之男神社ですか?」と太郎が駐車場近くにある神社を指さしながら訊いた。
「そうです。」
「事件の詳細は理解できました。東京に帰ったら警察庁の半田警視長にご報告いたします。ありがとうございました。この後、ちょっと、須佐之男神社に立ち寄って帰りますので、ここでお別れいたしましょう。」と太郎が二人の刑事に向かって言った。
「そうですか。我々からも半田警視長には報告を入れることになっています。それではお気を付けてお帰り下さい。ここから国道に沿って800mくらい東に行けばJRさくら夙川駅がありますので、そこから大阪駅までは電車に乗って15分くらいです。」と土井刑事が言った。
刑事と別れて太郎は須佐之男神社の方へ歩いて行った。
須佐之男神社の祭神名が書かれた表札を見ながら太郎が呟いた。
「祭神は須佐之男大神と天照大神と建御名方大神か。建御名方命は諏訪大社の祭神だったな。そして、昔は守具村の鎮守様だった訳か・・・。」
そして、太郎は手水舎で手と口を清め、拝殿前に行き三柱の大神様に挨拶をし、境内にある末社にも挨拶参拝に向かった。
※著者注記;
森具の須佐之男神社には末社祠が幾つかある。
行者社、大国主神社、八幡神社、愛宕神社、伊邪那美神社(祭神は大歳御祖神、市杵島比売命、金山毘古神、事代主命、菅原道真命、火産霊神)の5社祠である。
特に、行者社がある点がこの須佐之男神社の特徴であろう。修験道の開祖である役小角か、白山奥宮を開いた泰澄上人を祀ると考えられるが、この神社の真北2Kmに越木岩神社があり、かつて越木岩神社境内には役小角の石像が祀られていた。
「行者社か・・。そういえば、剣先真理修験会副会長の武庫さんは如何しているかな。ここからは、夙川沿いに北に歩けば獅子ヶ口町にある修験会本部に行けるな。まだ、東京へ帰るには時間が早すぎるから、ちょっと寄ってみるか・・・。」と、太郎は国東半島殺人事件の時に出会った修験行者の武庫茂のことを思い出していた。
越の風華11;出会い
2012年9月15日(土) 正午前 西宮市甑岩町の越木岩神社
剣先真理修験会に立ち寄るには昼食時を外した方が良いと考えた大和太郎は、先に越木岩神社へ参拝することにした。
太郎は須佐之男神社を後にして、国道2号線で流しのタクシーを捕まえ乗り込み、越木岩神社の参道入り口でそのタクシーを降りた。石の鳥居をくぐり、左手にある力石を眺めながら、50mくらい先にある拝殿に向かう参道を北に向かって歩いて行った。
手水舎に到達する少し手前の左手に神社の駐車場がある。
その駐車場に停まっている白いスポーツタイプの外国車が目に入った太郎は、その車に近づいて行った。
「横浜ナンバーか。格好いいスポーツ車だなあ。黄色を背景にした黒馬のエンブレムが光っているなあ。と云うことはこの車はイタリア製のフェラーリか・・・。屋根を折り畳んで格納すればオープンカーになるコンバーチブル車だな・・・。」と、太郎は車の周りを歩きながら思った。
「私の車に何か御用でしょうか?」と太郎の後ろから女性の声がした。
「いえ、ちょっと車を拝見させていただいただけです。」と言いながら、太郎は後を振り返った。
「おお、車も格好いいが、この女性も・・・すばらしい・・・。30歳くらいかな・・・?」と太郎は思った。
やや小柄ながら、バランスの取れた体型の女性がそこに立っていた。
うす紫色の夏むきのやや透明な薄い生地で出来た長袖ワンピースを着て、白いハイヒール姿で、目元が涼しげな、きりりと引き締まった顔立ちの美人が太郎を見ていた。
「そうですか。これから車を出しますので、車から離れていただけますか。」と女性が言った。
「これは、どうも。お邪魔ですね・・・。失礼しました。」と言いながら太郎は車から離れた。
「恐れ入ります。」と女性が太郎に向かって軽く会釈してから車に乗り込んだ。
「やさしそうな女性だな・・・。」と思いながら太郎も会釈した。
女性はハイヒールから靴底の平なサンダルに履き替え、車のエンジンを掛けた。フェラーリが駐車場から出て行くのを見送った後、太郎は手水舎に向かった。
その後、太郎は越木岩神社の蛭子大神拝殿を参拝し、更に奥の大地主の社祠、大きな甑の形をした岩の前に祀られている市杵島姫の社祠に挨拶をした。さらに、天照大神遥拝社、白玉稲荷神社祠、大崎稲荷神社祠に詣で、その後、六甲山菊理姫を遥拝したあと、さらに奥にある龍神貴船社、稚日女尊の磐座にも参拝した。
その後、太郎は越木岩神社の社務所に立ち寄って神職に挨拶した。
「今しがた、うす紫色の衣服を着た女性がこの神社に参拝されていたと思いますが、何方かご存知ですか?」と太郎が神職に訊いた。
「ああ、たぶん、巫女さんにお会いになったのですね。今夜、当神社の境内で剣先真理修験会本部の方々が神業を行われます。そのときの霊媒を務められる巫女さんですよ。神奈川県の鎌倉市から来られたようです。拝殿にお上がりになり、大神様にご挨拶され、『風の舞』を奉納されて御帰りになられました。白山泰子と云う方で、その筋では有名な契約巫女さんです。巫女名は国華と名乗られています。大分県日出市には西の大賀家、神奈川県鎌倉市には東の白山家、と日本全国の神社から呼ばれる、先祖代々の霊媒巫子の家系があります。その、東の白山家の方です。」と神職が説明した。
「なるほど、契約巫女の家系の女性ですか。でも、白山といえば石川県ですよね?その白山家が、なぜ鎌倉市にあるのですか?」と太郎が訊いた。
「ええ。白山家は、江戸時代以前には石川県の鶴来村、現在の白山市に在所されていましたが、明治時代に入って神託があり、鶴岡八幡宮のある鎌倉市に移住されたと聞いています。」と神職が言った。
「神託に従って、鶴来から鶴岡へ移住ですか・・・。」と太郎が呟いた。
※白山比め神社;崇神天皇7年創建
石川県白山市鶴来にある、加賀一の宮の神社。町村合併の前は鶴来町であった。
祭神は菊理媛大神、伊邪那岐尊、伊邪那美尊である。境内には白山奥宮遥拝所がある。
白山頂上・御前峰の奥宮には伊邪那美尊の化身とされる白山妙理権現が祀られている。また、白山頂上・大汝峰には伊邪那美尊の神務を援ける大己貴命が大汝権現として祀られている。また、別山と呼ばれる孤峯には聖観音菩薩が祀られている。
そもそも、718年に白山奥宮を開いたのは修験者・泰澄大師である。泰澄が虚空から現れた白馬に跨った女性の夢を見、その女性が『白山に登り来たれ』と告げたと云う。
白山に登った泰澄が瞑想している時、十一面観音の化身である九頭龍神が山上の池から出現し、自らを『伊邪那美尊の化身である白山妙理権現である』と名乗ったらしい。
※著者注記:古代文献では伊邪那岐と書かれているが、女性なら伊邪那美の間違いではないかと云うことで伊邪那美尊ということになっている。しかし、男神が女性の姿で現れる例はローマ神話(男神・ジュピターが月の女神・ダイアナになって現われる)などでも見られる。真偽は不明。
※フェラーリ;
イタリアのミラノ市にある高級スポーツタイプの自動車メーカー。もともと、ミラノにあるアルファ・ロメオ社のレースドライバーであったエンツォ・フェラーリが独立して創った会社。黒馬が、2本の後脚で立ち上がりながら嘶いている菱形楯の形をしたエンブレムの絵で有名である。
アルファ・ロメオ社はミラノ市章である赤い十字架と緑色の龍(大蛇)が人を飲み込む絵が描かれた円形楯の形のエンブレムで有名である。ミラノ地方には人を飲み込む龍を退治する古代伝説があるらしい。
現在、フェラーリ社、アルファ・ロメオ社ともにイタリアの重工業メーカー・フィアット社の傘下にある。
イタリアのトリノにあるフィアット社は飛行機・船・車を製造し、陸・海・空を制するメーカーを自認している。フィアット社が第二次大戦中に製造した戦闘機はドイツ・ベンツ社のエンジンを搭載していたらしい。
越の風華12;
2012年9月15日(土) 午後1時30分過ぎ 西宮市獅子ヶ口町の剣先真理修験会本部
越木岩神社から坂を下って10分くらい歩いたところに剣先真理修験会本部がある。
剣先真理修験会は修験修行を志す同好の人々の集まりで、全国に3000人くらいの会員を持っている民間団体である。
太郎は、大分県のB大学教授・曽我三郎が行方不明になった時、その捜索のため剣先真理修験会本部を訪問したことがあった。その時に出逢った武庫茂を訪問するため、太郎は剣先真理修験会本部事務所を訪問していた。
「私立探偵の大和太郎と申しますが、副会長の武庫さんはいらっしゃいますか?」と太郎は女性事務員に名刺を差し出しながら訊いた。
「会長の武庫でございますね。」と女性事務員が訊き返した。
「ええ、武庫茂さんですが、会長になられたのですか。」と太郎が言った。
「昨年、前会長がお亡くなりになり、後を武庫さんが継がれました。ここで、しばらくお待ちください。」と言って、女性事務員は奥へ戻って行った。
武庫茂が会長室から受付に出て来た。そして、太郎を応接室に案内し、話を始めている。
「なるほど、森具の須佐之男神社近くで死体が発見された訳ですか。そして、『蘇民将来』と書かれた牛王神符があった訳ですか。これは面白いですね。」と武庫茂が言った。
「面白いですか?」と太郎が訊いた。
「ええ、面白いですね。森具の須佐之男神社は諏訪大社と関係があると私は推理しています。」
「諏訪大社ですか?」
「そうです。特に、長野県茅野市にある諏訪大社・上社前宮と関係があるはずです。」
「茅野市の諏訪大社・上社前宮ですか・・・。その推理とは?」と太郎が訊いた。
「諏訪大社の祭神は建御名方命とその妻神の八坂刀女命です。森具の須佐之男神社の祭神は須佐之男命と建御名方命です。そして、森具地域は、戦国時代には宿火村と呼ばれていたようです。1605年の慶長国絵図には『宿火村』の横を流れる川の名は『シュ比川』と書かれています。江戸時代には守具村とか夙村、明治時代には村合併で大社村森具と呼ばれ、現在の大社町の一部でした。森具須佐乃男神社の祭神が建御名方命である点を考慮すると、大社村の命名は長野県の諏訪大社のある地域の人々が昔からこの地と交流があったことに由来していると考えられます。では、どのような人々が森具地域に移住して来たのかと云えば、第十一代垂仁天皇の皇后である日葉酢媛命が亡くなった時、野見宿禰の奏上で殉死させられる家臣に代えて土偶を埋めることになった。この時、殉死を免れた臣家たちは諏訪地方などの各地に移住した。この時に森具地区に移住してきた家臣たちが村を創ったのが始まりとされています。その当時は殉臣村とか殉身村と呼ばれていて、その後、『ジュンシン』の『ン』が無音化して『ジュシ』と発音され、更に『シュヒ』となったのではないかと思われます。だから、後年の戦国時代には宿火村とよばれ、江戸時代には宿具村になったのでしょう。たぶん、毎年の葉酢媛命の命日には、4本脚の貢物棚の上にお供え物をして日葉酢媛を偲んだのでしょう。一方、諏訪大社・上社前宮にはミシャグ神を祀る風習があります。4本の柱の上に棚板を置き、その上に生贄・貢物をささげる風習の名残とされています。森具の『具』という文字は、4本脚の上に貢物を置いた図柄です。ミシャグ神への生贄にされた人を弔う風習であったのでしょうか。ミシャグジとは『御蛇口神』、『巳守具神』と書き、蛇神への生贄を意味したのではないかと考えられます。蛇族の神・大巳貴こと大国主命を祀っていると云うことです。諏訪地方の旧家である神長官・守矢家の古書では御左口神と書かれています。私は『御守具神』と書けば『守具』との関係も考えられると思っています。」と武庫茂が自分の推理を説明した。
「私の知り合いの藤原と云う大学教授は、御左口というのはユダヤの祖であるアブラハムの息子・イサクの事ではないかと考えています。モリヤ山で父親のアブラハムから神に捧げる生贄にされかけ、天使が止めたので生贄を免れた息子・イサクです。諏訪大社・上社前宮の裏には守屋山が聳えています。」と太郎が言った。
「なるほど、日ユ同祖論ですね。そうすると、神長官・守矢家のご先祖はユダヤ人ですかね・・・。」と武庫茂が言った。
「しかし、建御名方命の妻神である八坂刀女命は森具の須佐之男神社の祭神ではありませんが?」と太郎が訊いた。
「京都の八坂神社の祭神は須佐乃男命ですが、記紀などでは八坂刀女命とはどのような神様なのか不明ですが、八坂刀とは、天照大神と須佐乃男が天の真名井で誓約をした時、須佐乃男が持っていた十挙剣とすれば、天の真名井で天照大神が噛み砕いた須佐乃男の十挙剣から生まれた宗像三女神の一柱であると推理するのが妥当でしょう。そのうちの一柱・奥津嶋姫は大国主の妻神ですが、残りの二柱のうち、市杵島姫が森具の須佐之男神社の末社に祀られています。そして、森具の須佐之男神社の真北2kmにある越木岩神社の甑岩神として市杵島姫命が祀られています。とすると、八坂刀女命とは市杵島姫ではないかと云う事になります。この事を確かめるために、今夜、越木岩神社境内で鎮魂帰神の神事を行います。」と武庫茂が言った。
「霊媒巫女に神を招霊する鎮魂帰神法ですか?」と太郎が訊いた。
「そうです。旨く、神様が現れてくださればいいのですが・・・。妙な動物霊が現れないことを願っています。」
「越木岩神社で契約巫女の女性に会いました。」と太郎が言った。
「そうですか。白山家の巫女さんをお願いしたのは、越木岩神社には菊理姫、すなわち白山比口羊の遥拝祠が市杵島姫命を祀る祠の横にあるからです。」
※鎮魂帰神法;
鎮魂法は霊魂の保全、休養、集中、増力などの人間本能の働きを活性化させるための精神統一方法・精神集中技法である。(一種の無我の境地に入った没頭状態で意識はある。)
人間は一霊四魂が肉体を動かしているとされる。四魂の働きとは、智を司る奇魂、親しみを感じる和魂、勇気を司る荒魂、愛を司る幸魂である。『心』と云う文字は4つの線で構成されており、この四魂を意味している。すなわち、鎮魂とは心を鎮めることである。
帰神法は霊媒となる人物に神憑り(帰神)状態を実現する方法・技法のことで、十種神宝の呪文などを唱えたり、印を切る動作を行ったりする。
霊媒人の精神統一を実現した後に、帰神状態を実現させるのが鎮魂帰神法である。
大宝令(701)、古事記(712)、令義解(833)、などの古文献に鎮魂、帰神の文字が登場するらしい。
この神行法を近代に再現させたのが本田親徳(1822〜1889)で、その後、長沢雄楯(1858〜1940)に引き継がれ、更に大本教の出口王仁三郎(1871〜1948)などに伝授され、浅野和三郎が大本教、心霊科学協会などで多くの人々に伝授して、現在に至っている。
具体的には、神主(霊媒)に懸った神の正体を審神する施術者が、神歌を唱え、琴を弾いたり、石笛を吹いている間に、鎮魂帰神法を受けて無我状態にある神主が震えだした時に帰神したとされる。帰神状態の神主と審神者が会話をしながら、帰神神主から話を聞き出す。場合によっては神託が下される。
また、必ずしも神が憑依するとは限らず、動物霊とされる不審な霊、低級霊が懸かる場合もあるので、審神者には神様に関する豊富な知識や場合によっては、霊能力が必要であるらしい。
古事記では、仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后に住吉三神が神憑りし、建内宿禰が審神したと記されている。
越の風華13;鎮魂帰神
2012年9月15日(土) 午後11時過ぎ 越木岩神社境内の甑岩付近
巫女姿の国華こと白山泰子と武庫茂が甑岩の南側にある市杵島姫社祠の前の空間に敷かれている畳の上で対座している。白山泰子は白装束に朱色の袴を穿き、前頭部に藤の花を模したうす紫色の頭飾りを付けている。
甑岩の東側横の通路で、剣先真理修験会の副会長・藤沢三男、大和太郎、九州大分県にあるB大学教授の曽我健三と越木岩神社の神職の4人が証人として神事に立ち会っている。曽我健三は武庫茂が6年まえに石川県にある白山比口羊神社で鎮魂帰神法を行った時に知りあった仲である。武庫茂が神事を行うことを聞き、九州から出て来たのである。
市杵島姫社祠の前には幅3mくらい、東西10mくらいの細長い空間がある。その空間の東端には伊勢神宮に坐す天照大御神の遥拝社祠が西向きにあり、西端には六甲山菊理媛神の遥拝社祠が東向きにある。六甲山上には菊理媛と呼ばれる白山大神を祀る石宝殿があり、その遥拝所がこの菊理媛神遥拝社祠である。天照大御神の遥拝社祠の右前方には南向きに白玉稲荷社祠と大崎稲荷社祠が並んでいる。
白山泰子は六甲山菊理姫神の遥拝社祠を背にしており、武庫茂の背後には天照大御神の遥拝社祠がある。そして、市杵島姫社祠は白山泰子の左斜め前方、武庫茂の右斜め前方にある。
武庫茂の横には剣先真理修験会副会長・藤沢三男が白の狩衣装束を身にまとい、正座している。そして、琴を弾いている。
白山泰子は白絹の上衣に朱色の袴を穿いて正座し、両手で印を組んでいる。
白山泰子の向かいに居る武庫茂は立烏帽子を頭に被り、紫色の狩衣の上衣を着て、紫色の指貫を穿いた神職の常装姿で正座し、石笛を吹きならしている。
琴と石笛の音色が緩やかに流れ、燭台のろうそくの炎が揺らいで、厳かな雰囲気が空間を支配している。
石笛の音色が止まり、武庫茂は両手を合わせて印を組んだ。左右の手の人差し指が突き伸ばされて合わさっている、俗に太郎房と呼ばれる印である。
武庫茂が中臣祓いの天津祝詞を奏上し、さらに言葉を続けた。
「ひあ、ふあ、み、よっつ、いあ、むあ、なーね、やあ、かへな、たうお。」と武庫茂はゆっくりと数を数えるように祈祷言霊を発した。
「誰が、その麗し女を出すのやら、いざないに、いかなる言葉をかけるやら。・・・か・・・。」と、祈祷言葉を聞いていた太郎は古代ヘブライ語での意味を思い出していた。
さらに、武庫茂は朱文字で『十握剣』と書かれている牛王神符を左右に4度振った。
その時、西方よりそよ風が吹き、神域を覆う木々がサワサワと鳴った。
そして、白山泰子の背筋に一瞬の寒気が走った。
その直後、泰子は自分の体が温かくなるのを感じ、そして、泰子の体はかすかに震えだした。
「体が自由にならない。何かが乗り移ったようだわ。しかし、からだ全体が温かい。体の震えも過去のどの体験よりも小さくて小刻みだわね・・・。これは、初めての感覚だわ・・。」と白山泰子は静かに感じていた。
白山泰子の小さな震えを見て取った武庫茂が言葉をかけた。
「私は武庫茂という者です。今夜、この場所に降臨されます神様のお相手をする役目を仰せつかった者でございます。よろしくお願い申し上げます。さて、これなる女性にお懸かりになられたお方は、何方様でございますか?」と、武庫茂が訊いた。
「大神様のお言葉をお伝えいたしまする役の、風に乗り、風に舞う天女でありまする。」と、白山泰子の口から女性の声がした。
「お答えいただき、ありがとう存じます。ところで、大神様とはどのようなお方であられますでしょうか?」と、武庫茂が訊いた。
「白馬に乗られ、白峰に舞い降りたる、魂を臣民にお与えになられます大神様であられまする。」
「その大神様は、女神様であられますか?」
「菊花の御印をお持ちになられる女神様であられまする。」
「天女であられる貴方様は大神様のお言葉を伝えるためにこの場所に舞い降りられたと、先ほど申されましたが、大神様のお言葉とは如何なることでございますか?」と武庫茂が訊いた。
「この地と白山大神様をお祀りせる六甲山石宝殿を結ぶ影向線上にある神代をヒキの地に移しなさい、との仰せでありまする。」
「ヒキの地とはどのような場所でしょうか。」
「この地より東方にあり、スサノオ様が治める地のヒツギ祀りを執り行う地なり。」
「さすれば、神代とは、大神様が舞い降りられる御座のことでしょうか?」
「神が宿られる御棚品のこと。中臣の血筋に与えられしミなり。ミとはある大神様のお使いであり、お乗り物なり。」
「左様でございますか。ところで、今、この場所は市杵島姫命様のお社の御前ですが、市杵島姫命様と八坂刀女命様の事をお尋ねいたします。」
「八坂刀女命?何のことでありますか?」
「八坂刀女命様はご存知ですか?」
「判りませぬ。これにて、お役目ごめんさせていただきます。」
「そうですか、ありがとうございました。」
神域を覆う木々がサワサワと鳴り、同時に白山泰子の身体の震えが治まった。
そして、白山泰子の意識は正常に戻り、神業は終了した。
市杵島姫命と八坂刀女命の関係は聞き出せずに儀式は終わった。
その後、社務所で巫女装束から普段着に着替えを終えた白山泰子は宿泊先のホテルに帰るため、神社の駐車場に停めてあるフェラーリに向かって歩いていた。
たまたま、着替えを終えた太郎が、神業に使った道具類をワンボックス車に乗せるために、駐車場に来ていた。
そして、常夜灯の薄明かりの中で、泰子と太郎はお互いに目が合い、軽く会釈をし合った。
「今夜は、御苦労さまでした。」と太郎が言った。
「いえ、こちらこそ有難うございました。」と泰子が言った。
「これからホテルに御戻りですか?」
「ええ。芦屋の駅前にあるホテルまで帰ります。」
「そうですか、芦屋までですか。夜道ですから、くれぐれも、お気を付けてお帰りください。安全をお祈りいたします。」と太郎が心配そうに言った。
「ありがとうございます。それでは、お先に失礼いたします。」と言って、白山泰子は白いフェラーリに乗り込んだ。
下り坂の道を走り去るフェラーリの後ろ姿を見送りながら太郎は思った。
「やはり、あなたは素敵だ・・・。」
越木岩神社を後にした泰子はカーラジオのスイッチを押した。
そして、深夜放送の音楽番組から三人グループBoys Town Gangが歌うディスコ調の曲
『Can’t Take My Eyes Off You』(邦題:君の瞳に恋してる)が流され、
フェラーリの車内に歌曲が響き渡った。
♪You’re just too good to be true♪ (あなたは現実の人とは思えないくらいに素敵だ)
♪Can’t take my eyes off of you♪ (私の眼は、あなたに釘づけになってしまう)
♪You’d be like heaven to touch♪ (あなたは天国から来たのではないかと思える)
♪Oh, I want to hold you so much♪ (おー、あなたをなんとかこの手で抱きしめたい)
♪At long last Love has arrived♪ (とうとう、私の前に愛する人が現れた)
♪And I thank God I’m alive♪ (そして、私は生きている事を神に感謝します)
♪・・・・・・・・・・・・・♪
♪・・・・・・・・・・・・・♪
♪I love you baby and if it’s quite all right ♪ (君を愛している、だから私を受入れておくれ)
♪・・・・・・・・・・・・・♪
♪ I love you baby trust in me when I say ♪ (君を愛している、だから僕が君に言う事は真実だよ)
♪・・・・・・・・・・・・・♪
歌を聞きながら泰子は、先ほどの別れた太郎の心配そうな顔を思い浮かべながら、おもわず呟いた。
「あなたって、いい人ね・・・。うふふふ・・・。」
そして、フェラーリの赤いテールランプが大和太郎の視界から消えて行った。
越の風華14;
2012年9月16日(日) 午前1時ころ 剣先真理修験会本部の応接室
神事に使った畳や燭台などをワンボックス車から降ろし倉庫に片付けた後、会長の武庫茂、副会長の藤沢三男、曽我健三教授、大和太郎の4人が話し合っている。
「帰神である天女が述べた女神とは石川県・白山の菊理姫のことでしょうかね?」と太郎が言った。
「『白馬に乗られ、白峰に舞い降りたる、魂を臣民にお与えになられます大神様』、『菊花の御印をお持ちになられる女神様』と云うことから推理出来る女神は菊理姫大神か天照大御神と云うことでしょうかね。」と武庫茂が言った。
「しかし、菊理姫大神と天照大御神との両方に関係するイザナミ尊と云うことも考えられます。『魂を臣民にお与えになられます大神様』とは誰でしょうかね。古事記によると、国を固め修理める役目を託されたイザナギ尊とイザナミ尊の間に最初に生まれた水蛭子大神と淡島大神は不具合であるとして流され、棄てられました。『先に生まれた水蛭子は芦舟に乗せられて流され、後に生まれた淡島も数に入れられなかった。』水蛭子と淡島は同時に生まれなかった。人間は肉体と魂から出来ていますよね。そして、子は生まれる時は母親の胎内から肉体に魂が入った状態で一気に生まれ出てきます。すなわち、産霊。」と曽我健三が言った。
「金井南龍師によると、菊理姫は人間の肉体に魂を括りつける役目の神様らしいです。これまた、産霊ですかね・・・。」と太郎が言った。
「肉体の70%は水で出来ています。すなわち、肉体が水蛭子。姿形がないので数が数えられない魂が淡島。石に魂が宿る場合があると謂われています。巨大な甑岩の前に祀られている安産の神様である市杵島姫大神。西宮戎神社から越木岩神社の祭神として勧請された蛭子大神。さてさて、如何なる女神様が詔を発せられたのやら・・・?」と武庫茂が言った。
「ところで、帰神が述べられた『ヒキ』とは何処でしょう?」と藤沢三男が言った。
「たぶん、埼玉県比企郡の比企丘陵のことでしょう。」と太郎が言った。
「埼玉県比企郡の比企丘陵ですか。」と武庫茂が言った。
「埼玉県には武蔵国一宮・氷川神社あります。氷川神社は須佐乃王命を祀っています。また、埼玉県内には氷川神社の分社祠が多くあります。比企丘陵にも氷川神社分社祠があります。また、比企の名はもともと日置とも書かれ、火継神事を執り行う豪族・日置部の呼び名だったそうです。」と太郎が言った。
「なるほど。『ヒツギ祀りを執り行う地』ですか・・・。」と曽我健三が言った。
「『この地と白山大神様をお祀りせる石宝殿を結ぶ影向線上にある神代』とは何のことでしょう?」と太郎が訊いた。
「それは、たぶん私の実家にある神棚のことでしょう。実家は西宮市苦楽園町にありますが、越木岩神社と六甲山石宝殿を結ぶ直線上にあります。」と藤沢三男が言った。
「藤沢副会長のご実家ですか?」と太郎が訊いた。
「昨年の9月にお亡くなりになった剣先真理修験会の藤沢勝睦会長の家です。藤沢会長宅の神棚には出雲大社から拝領した白巳のミイラが祀られています。ミイラですから、現在では白ではなく黒くなっていますがね。藤沢会長のご先祖が江戸時代の後期に、大和郡山にある薬園八幡宮の神主に任命された時に出雲大社から贈られたらしいのです。」と武庫茂が言った。
「たしか、『中臣の血筋に与えられし《ミ》なり』でしたね。」と太郎が言った。
「私の江戸時代の先祖である藤沢忠内の神主名は藤原久重で、藤原は中臣の血筋と云うことになります。」と藤沢三男が言った。
「続日本紀によると、薬園八幡宮の由諸は九州豊後の宇佐八幡宮にはじまります。752年の奈良東大寺大仏開眼供養に巫女・大神杜女に憑依して招かれた宇佐八幡大神は、749年に平城京南の朱雀門近くにあった薬園新宮に設けられた御旅所・神殿に鎮座された。当時、平城京の南には疫病に対処するための広大な薬草を栽培する畑があり、薬園と呼ばれていたようです。その後、政治的な動きがあって、大仏開眼供養の前に新しい御旅所である手向山八幡宮に宇佐八幡大神は遷座されました。この巫女・大神杜女を巻き込んだ政治的な動きで宇佐八幡大神は汚されたと云う事になり、九州豊後の宇佐神宮に戻られてから15年間は小椋山の本宮には祭られず、すこし離れた大尾山にある大尾神社に鎮座され、穢れを祓われた。一方、薬園新宮の神殿は後年に数回に亘り遷宮されたのち、現在の大和郡山の地に薬園八幡宮として鎮座したようです。現在は薬園八幡神社と称しているが、江戸時代は薬園八幡宮と呼ばれていたようです。」と曽我健三教授が言った。
越の風華15;
2012年9月17日(月) 午前10時ころ 国会前庭
警察庁の半田警視長と大和太郎が国会前庭の噴水池前のベンチに座り、話しあっている。
「どうでしたか、弾武典の匂いはしましたか?」と半田警視長が太郎に訊いた。
「何ともいえませんね。私の推理では弾武典は死んでいますが・・・。牛王神符に朱文字を書いて呪祖・祈願する手法は修験者にとっては一般的ですからね。死亡現場の近くに須佐乃男神社があり、建御名方命が祭神でした。この神社のある地域は森具と呼ばれており、どうも長野県の諏訪地方と関係がありそうです。」
「そうですか。実は、その森具地区で風祭武文氏の死体が発見された二日前には、長野県茅野市にある諏訪大社・上社の近くで高城六郎という人物が死体で発見されていました。現場を担当する所轄署からの報告では、自殺と云う事です。高城六郎は東京の原宿で自分の妻と子供を殺害した人物です。高城六郎の自殺現場にも朱文字で『蘇民将来』と上書きされた牛王神符がありました。」と半田が言った。
「確か、高城六郎の経営するレストランに松永金融担当大臣の愛人である寺田純子さんが出入りしていたのでしたね。」と太郎が確かめるように言った。
「はっはっはっ。大和探偵は寺田純子を訪問して、その死体の第一発見者になったのでしたね。実は、森具で死んだ風祭武文氏は高城六郎のレストラングループに資金提供をしていた人物です。」
「その風祭武文の死体現場の状況ですが、私には一酸化炭素中毒で事故死するような環境ではないと思われるのですがね・・。」
「西宮署の見解とは異なると言うのですか?」と半田が訊いた。
「ええ。閉鎖された車庫内なら車のエンジンをかけっぱなしにしていれば、換気口から多量の排気ガスが吸引される可能性もありますが、オープンな駐車場では、新鮮な空気が吸引される確率の方が高いと思うのです。車のエンジンは止まっていなかったようですが、車の周辺には一酸化炭素より酸素の方がたくさんあった推定できます。」と太郎が言った。
「誰かが、気絶している風祭武文氏の車内に排気ガスを強制的に送り込み、風祭氏が死亡した後、排気ガス吸引装置を外し、持ち去ったということですか・・・。」
「ええ。車の窓を詳細に調べれば、何か痕跡を発見できるかもしれません。」と太郎が言った。
「風祭武文氏には自殺する理由もなさそうですし、殺されたとなると、寺田純子と高城六郎の自殺も疑問がでてきますね。それに、松永金融担当大臣の自殺もどうなのかですね。厄介な事にならなければいいのですが・・・。風祭武文氏が借りていたレンタカーが寺田純子の住んでいた神戸市東灘区のマンション近くに現れていたかどうかですね。ちょっと、東灘署に調べさせましょう。」と半田が言った。
「それと、風祭武文の資金源がどこかです。単に、銀行融資だけなのか、それとも投資ファンド会社の融資があるのか。また、投資対象はどのような企業や団体、個人であるのかですね。そのあたりから、『蘇民将来』と上書きされた牛王神符の謎が解けるのではないでしょうか。」と太郎が言った。
「風祭武文の資金源を警視庁に調べてもらいますかね・・・。『蘇民将来』ですか・・・。」と半田が考えるように呟いた。
しばらくの間、雑談をしてから太郎と半田は別れ、それぞれに国会前庭を後にした。
越の風華16;
2012年9月17日(月) 午前11時ころ 毎朝新聞東京本社の応接室
向山社会部長と大和太郎が応接ソファで対座して話し合っている。
「警察発表のように、寺田純子は自殺なのか?」と向山が訊いた。
「現場を見ての直感ですが、私は他殺と考えています。警察の云う自殺理由はちょっと弱いとおもいます。」と太郎が言った。
「殺人事件か・・・?」
「寺田純子のお兄さんの工場では、青酸化合物の管理はかなり厳重です。そこから、寺田純子が青酸化合物を持ち出すのは難しいと思います。」
「他のどこかから青酸化合物を手に入れた可能性はないのか?」
「それは、これからの調査です。それで、寺田純子の東京に住んでいた時のマンションを調べてみます。杉並区桃井4丁目にあるロイヤルパレス桃井と云うマンションです。」
「確か、西荻窪の青梅街道の近くだったな。青梅街道沿いに死んだ高城六郎経営のレストラングループ『越路』の荻窪店がある。そこに、寺田純子はよく来ていたそうだ。」と向山が言った。
「『越路』の荻窪店ですね。」と太郎が確認するように言った。
越の風華17;井草八幡宮
2012年9月17日(月) 午後1時ころ 青梅街道の善福寺交差点付近の食事処『越路』
JR中央総武線の西荻窪駅から北に800m行くと、青梅街道の桃井4丁目交差点に出る。
この桃井4丁目交差点を右に曲がって青梅街道沿いに400mくらい行くと荻窪八幡神社がある。また、左に曲がって600mくらい行くと善福寺交差点があり、その交差点の手前に井草八幡宮がある。江戸時代までは遅野井八幡宮と呼ばれていたようである。遅野井は神社近くの善福寺公園内にある湧水池の水源のことを謂っているらしい。八幡宮を称するようになったのは、源頼朝が奥州藤原氏(俵藤太こと藤原秀衡が始祖)を征討する時、この神社に戦勝を祈願して八幡大神を合祀した時に始まるらしい。それ以前には中臣系の藤原氏の氏神である春日大社の祭神を祀る神社であったようである。
遅野井の名の由来は、源頼朝が水を求めて井戸を掘ったが、なかなか水が湧いて出て来ず『遅いのおー』と、言ったので『遅の井』と命名されたとのことである。
ある霊能者が霊視すると、井草八幡宮を取り巻く様に白い大蛇が横たわっているらしい。
善福寺公園の湧水池には鎌倉海岸沖にある江の島弁財天(市杵島姫命)が祀られている浮き島があり、市杵島神社と呼ばれている。この湧水池を水源として善福寺川が流れて行く。
一方、善福寺公園の南方向数キロ離れた場所、JR中央総武線の吉祥寺駅近くには井の頭公園があり、公園内の湧水池から神田川が流れ出し、杉並区永福近くの大宮八幡宮の近くで善福寺川と合流し、新たな神田川となってお茶の水の皇居の外堀に合流し、さらに隅田川に流れ込んで行く。
神田川命名の由来は、お茶の水にある神田明神の地は、江戸時代の初め頃には神田台と呼ばれており、この神田台を堀り開いて、旧名の平川を江戸城の外堀と合流させた時に、平川と云う名を神田川に改めたことに始まる。
なお、大宮八幡宮は源頼朝の祖父にあたる源頼義が奥州の安倍頼時を征討する時に武蔵国に入ったところ、八本の細い白雲が棚引くのを見て八幡神のご加護があると思い、戦勝後の1063年、この地に石清水八幡宮を勧請したのが創建の由来である。また、同じ年の八月、鎌倉由比郷に石清水八幡宮を秘かに勧請し、八幡神宮寺の社殿を創建している。その後、頼義の子・義家が傷んだ社殿を修理し、1180年に源頼朝が現在の鶴岡八幡宮の地に新宮若宮社を新設したのが鶴岡山八幡宮寺の始まりである。
井草八幡宮にお参りした後、寺田純子と死んだ松永大臣の事を訊くため、善福寺交差点近くにある食事処『越路』の荻窪店に大和太郎は入って行った。
テーブルに座って話している二人の中年男性が居る。
片側の顎髭を生やしている男性が話を中断して言った。
「風が入ってきましたね。」
テーブルを挟んで向かい側に座っているもう一人の男性が不思議そうに言った。
「窓は閉じられていますから風は入ってこないですがね・・・?」
「いえ。今、この店の入口ドアーから入ってきました。」
「このレストランの入口は風防室があるから風は入って来ない構造になっていますがね・・・」と言いながら男はドアーの方に振り向いた。
「あの方が風を運んできました。」と顎髭の男が言った。
「なるほど、あの男の人が風ですか。しかし、どのような風ですか?」と振り向いたまま男が訊いた。
「日置の風です。」
「日置の風ですか?」と男が顎髭の男に訊き返した。
「日置部が行う日嗣神事の時に吹く風の匂いがします。」
「なるほど、日嗣神事ですか・・・。しかし、どこかで見かけた顔ですね。」
「ご存じですか?」
「ああ、思い出しました。私立探偵の方ですよ、あの方は。」
「私立探偵ですか。」
「ええ。私の友人の田代真珠の社長が誘拐された時、その捜索をした私立探偵です。名前は確か、大和とか言いましたかね・・・。」
太郎が店内の座席に座り、メニューを見ていると、男の声がした。
「私立探偵の大和さんではありませんか?」と太郎に向かって男が言った。
「はい、そうですが。」と言いながら、太郎は男の顔を見た。
「亀戸にある日本ケーシング社の山川岳雄でございます。」と男が言った。
「ああ、確か、田代真珠の社長さんのご友人でしたね。その節は、お世話になりました。確か、この近くにお住まいでしたね。」と太郎言った。
「ええ、桃井4丁目に自宅があります。今日はまた、何かの事件の調査でこちらに来られたのですか?」と山川が言った。
「まあ、ちょっとした調査で来ました。守秘義務がありますので、詳細な内容はご容赦ください。」と太郎が言った。
「これは、野暮なことお訊きしました。もし、よろしければあちらの席に来られませんか。私の知り合いも座っていますが。」と山川は言って、50歳から60歳くらいの顎髭を生やしている男が座っている席を指差した。
「お邪魔ではありませんか?」と太郎が訊いた。
「いえ、雑談をしているだけですから、一向に構いません。」と山川が言った。
「それでは、お言葉に甘えまして、同席させていただきます。」と太郎は言って、山川の席の方へ歩き始めた。
そして、太郎は給仕に食事の注文をしてから山川たちのテーブルに着席した。
山川岳雄が同席の男性を紹介した。
「こちらは、西荻窪駅の南側の松庵三丁目にある英語塾『五十鈴学園』の塾長をされている青山東雲さんです。」
「私立探偵の大和太郎と申します。」と言いながら、太郎は名刺を差し出した。
「なるほど、埼玉県の東松山市に事務所がおありですか。比企丘陵がある街ですね・・・。」と名刺を見ながら青山が言った。
「比企丘陵がなにか?」と太郎が訊いた。
「いえ、特に・・・。昔は日嗣神事が行われた土地だな、と思っただけです。他意はありません。」と青山が言った。
「青山さんは霊能者でもあり、修験道の行者さんでもあります。」と山川が言った。
「霊能修験者さんですか・・。それで、比企丘陵が火継神事を行った場所であることをご存知でしたか・・・。」と太郎が感心しながら言った。
「いま、東雲さんから面白い話を聞こうとしていたところです。」と山川が太郎に言った。
「面白い話ですか?」と太郎が訊いた。
「ええ。九頭龍大神を目撃した話です。」と山川が言った。
「今年の5月6日の満月の日でした。」と青山東雲が話しはじめた。
「その日は、日本時間の午後0時35分ころに真満月になるのですが、日本ではまだ、月は昇っていません。地球裏側のブラジルのリオ・デ・ジャネイロでは夜中の12時35分ころで、真満月が見られたと思います。リオ・デ・ジャネイロには手を大きく横に広げ、十字架を象った大きなキリスト像が丘の上にありますが・・・。さてさて、うっふっふっふ。」と意味ありげに青山東雲が笑った。
「それで、九頭龍大神のお話は?」と山川が東雲をせかせるように言った。
「まあ、落ち着いてください、山川さん。その日は、私は神業に備えて筑波山に登っておったが、神業のご挨拶で筑波山神社にお参りをした後、筑波女体山頂のイザナミ社祠の近くに居る時であった、上空俄かにかき曇り、竜巻が発生した。竜巻が消えた直後であったが、突然、雲間の天空から九頭一尾の黒龍が現れ、加波山周辺を飛びまわり、霞が浦に頭から舞い降り、沈んで行きおった。この黒龍はかつて白山山頂の翠ケ池に現れ、泰澄上人がご覧になられた九頭龍大神ではないかと私は推察した。」と東雲が言った。
「何故に、そう思われたのですか?」と太郎が訊いた。
「『泰澄和尚伝記』によると、泰澄上人は北陸の平泉寺白山神社のある地で女性の姿をしたイザナギと名乗る神に出会っている。そのイザナギは、日本は神国であると泰澄に告げました。しかし、記紀ではイザナギ命は男神で、女性ではないはず。女神ならイザナミと言うはずです。とすると、どういう事なのかですが・・・?」と考えるように東雲が言った。
「はあ、どういうことですか?」と山川が訊き返した。
「この女性・イザナギは自分の事を妙理大菩薩とも名乗っています。菩薩は母薩でもあります。変性男子と云う言葉があります。姿は女性ですが男の神様がその女性に宿ることをいいます。ローマ神話に登場する天空を支配する男神ジュピターは時として月の女神ダイアナに変身するらしいのです。神様が変性男子、変性女子として現われる時は、神が予言を行う時の姿です。平泉寺にある『泰澄和尚伝記』本では、朱文字でイザナギの字をイザナミと書き直しています。そして、白山山頂の白山妙理権現は泰澄大師の目前で翠ケ池から出現した九頭龍大神でもあり、その玉体は十一面観音でした。国産みをしたイザナギとイザナミを祀る筑波山上空から現れた九頭龍大神は、イザナミの予言に出てきた白山妙理権現であると考えるのが妥当でしょう。」と東雲が言った。
「それでは、霞が浦に舞い降りた九頭龍大神も十一面観音と云うことですか?」と山川が訊いた。
「何故、十一面観音が満月の日に、筑波山上空に現れたのかです。」と東雲が言った。
「何故、ですか?」と山川が訊いた。
「実は、私の義理の従妹に青山深雪と云う者がおります。青山深雪は南宮大社の社殿前に置かれていた捨て子であったのですが、南宮大社の神職をしていた私の伯父さんが養子として育てた女性です。私とは血の繋がりはありません。だから義理の従妹と申しました。そして現在、その青山深雪は岐阜県の南宮大社の神職をしています。その深雪が、南宮大社本殿の後ろにある七王子神社の祭神から託宣を請けました。」
太郎は青山深雪こと宝達奈巳を知っていたが、話の腰を折るのを避けるため、そのことは黙ったまま、話を聞き続けた。
「神託ですか・・・。」と山川社長が呟いた。
「五月の満月の翌朝に、十和田湖と筑波山で神業を行えと云う神託でした。一人の人間が遠く離れた二か所で同時に神業は行えません。そこで、深雪は十和田湖へ行くから、私には筑波山で神業を行ってほしいとの依頼を、深雪がしてきました。それで、私は5月6日から筑波山に入り、5月7日早朝の神業に備えました。神業を開始した直後の5月7日、午前0時ころでした、私は筑波男体山で満月を眺めていましたが、その時、オレンジ色の光が東京方面から鹿島灘に走り、鹿島灘で方向を変えて北に向かうのを目撃しました。あとで、深雪から十和田湖でも不思議なオレンジ色の光が見られたと聞きました。」
「オレンジ色の光が東京から鹿島灘へ、そして十和田湖に走りましたか・・・。」と太郎が考えるように言った。
「大和さん、何か思い当たることでも?」と東雲が訊いた。
「ええ、ちょっと。七王子神社と北斗七星が関係すると仮定し、神業の日に、日本の北斗七星の地にオレンジ色の光が走ったのではないかと想像しただけです。」
「日本の北斗七星の地とは?」と東雲が訊いた。
「天津教・皇祖皇太神宮のある北茨城市、鹿島神宮の海中石座ある鹿島灘の見目浦、大国魂のある東京都府中市、榛名富士、皆神山の長野県松代市の皆神山、天津教・天神人祖一神社のある富山県滑川市、そして、白山比め神社がある白山市を結ぶと北斗七星の柄杓形が日本国土に描けます。」と太郎が言った。
「うーん。日本国の北斗七星ですか・・・。そして、白山比め神社が七つ星のうちの一つの星で、弓矢の神である剣先星ですね。七王子神社と北斗七星ですか。それが、深雪への神託か・・・。北斗七星は『帝王の戦車』とも呼ばれていますね。」と東雲が呟いた。
「ええ。帝王が乗る車部は天津教皇祖皇太神、宮鹿島神宮、大国魂神社、榛名山の4地点が作る部位に当たります。そして、その車部の中には筑波山があります。筑波山が帝王なのかどうかですが・・・。それで、その神業とは、どういった事を為されたのですか?」と太郎が訊いた。
「神業の内容は、その夜に月読尊を筑波山に降臨願うことでした。」
「月読尊とはどのような神様ですか?」と山川が訊いた。
「イザナギ尊が黄泉国にいるイザナミ尊から逃げて帰った時、イザナギ尊は筑紫の橘の日向の小門の阿波岐原で穢れた心身を清めるため禊を行いました。その時、イザナギ尊の左目から天照大御神、鼻から須佐之男尊、右目から月読尊が生まれました。」
「右目から生まれた月読尊ですか・・・。」と山川が言った。
「そして、天照大御神は高天原を、須佐之男尊は海原を、月読尊には夜食国を治めるように命じました。」
「夜食国とは?」
「夜は月の神の世界であり、食は農耕と云うことでしょうが、はっきりとはしていません。人や動物たちが生まれる時、汐の干満が関係します。そして、汐の干満は月の引力の影響で生じます。生命の誕生に関係する神が月読尊と想像できます。ただ、石川県の白山が月神の故郷だと云う神職霊能者がいます。そして、その霊能者が数十年前の5月13日、白山で神業を行うために、世界中に居る月神を白山に集結させました。その神業を行った夜、白山に居る月神たちから北斗七星に向かって世界中の神気が放射され、その神気が北斗七星で凝縮され、再び白山に向けて放たれて来たようです。すなわち、白山に世界中の神気が鎮められたのです。霊能者の目には一条の光が白山から北斗七星に走ったのが見えたらしいです。そして、北斗七星からは地上全体に向けて神波が発せられ、月神たちがその神波に乗って北斗七星へ上って行ったと云うことです。」と東雲が言った。
「その神業の成果は、この現実界にどのように現われるのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「私には判りません。しかし、神様からの指示では、筑波山での私の月読尊降臨神業が北斗七星と関係しているようです。」
「なるほど、白山と北斗七星と月読尊が関連しているわけですか・・・。それで、月読尊降臨神業と九頭龍大神が霞ケ浦に沈んで行った事と関係するのでしょうか?」と太郎が訊いた。
「それも、判りません。ただ、神託で青山深雪が十和田湖で行った神業と私が筑波山で行った神業には関連があるはずです。神業の詳細内容はまだ明かせませんので、ご容赦ください。」と青山東雲が言った。
そして、テーブルには松花堂弁当が3食運ばれて着た。
松花堂弁当は京都府八幡市にある石清水八幡宮の境内にあった松花堂という食事茶屋が江戸時代か明治時代に創ったのが始まりであるらしい。
江戸時代、有名な神仏習合神社の周辺には花街やお茶屋があり神社参拝客の遊び場や休憩所となっていたようである。京都の八坂神社近くには祇園花街がある。
先に青山東雲と山川岳雄がレジで支払いを済ませ越路から出て行った。
後に残った太郎は従業員や店長から寺田純子と松永金融担当相が店に来た時の状況などを聞き取り調査し、その後、越路を出て行った。
越の風華18;
2012年9月18日(火) 午後1時ころ 毎朝新聞本社の応接室
「それで、寺田純子と松永金融担当相の西荻窪時代の話ですが・・・。」と太郎が向山社会部長に話し始めた。
「時々、寺田純子、松永金融担当相、レストラングループ『越路』のオーナー社長である高城六郎の3人が個室で食事をしながら話し合っていたそうで。」と太郎が言った。
「死んでしまっている3人が会っていた訳ですな。それで、話の内容は?」と向山が訊いた。
「芸能界の話やTVタレント、スポーツ選手などについての世間話が多かったようです。しかし、一度だけ松永金融担当相と高城社長が口喧嘩をしたことがあったそうです。その頃には、寺田純子と松永金融担当相はすでに別れており、松永金融担当相と高城社長の二人だけで食事をしていた時のことだそうです。まだ、松永氏が金融担当相に任命される前のことだったようですが。」と太郎が言った。
「口喧嘩をね?その理由は判っているのですか?」と向山が訊いた。
「どうも、カソリック教会の総本山であるバチカンの話をしていたようですが、詳しい内容は不明です。」と太郎が越路の店長から聞いた内容を説明した。
「バチカンの話ね・・・。何かな・・・?」
「金融に関係すると推定すれば、俗に云うバチカン銀行に関する話かもしれません。」と太郎が言った。
「バチカン銀行か。なるほど、イタリアからスイスに入国しようとした、13兆円相当のアメリカ国債を持っていた日本人旅行者に繋がる訳か?」と向山が言った。
「1345億ドル、すなわち13兆円相当の国債はバチカンのお金かも知れませんね。」
「13兆円の国債がバチカンの物と仮定して、なぜ、そんな大金をバチカンがスイスに持ち込む必要があったのだ?スイス銀行の貸し金庫にでも預けるつもりだったのか?」
「日本人が運搬役を務めた国債移動事件を調べようとした松永金融担当相が殺されたと考えると、国際的な事件と云う事になりますかね・・・?」と太郎が考え込んだ。
「ほんとうにバチカン銀行が関係しているのかな・・・?事実確認をどうやって調べれば良いのだ?」と向山も考え込んだ。
「変に動いて殺されないように注意しないと、危険ですかね・・・。松永金融担当相や高城社長が殺された、とすればの話ですが・・・。」と太郎が言った。
「そんな危険な話になるのか・・・。松永金融担当相の死亡事件が・・・?」と向山が呟いた。
今後の事件調査の危険性を考えて、太郎と向山の二人は暗い気持ちになった。
そして、しばらくの間、沈黙が続いた。
「ところで、運搬役の日本人の名前や居場所は判りましたか?」と太郎が訊いた。
「いや、まだ追いかけているところだが、出入国管理局からの情報が何もない。日本に住んでいるのかどうか。また本物の日本人であったのかどうかだ。追いかけきれないかもしれん。」
「中国人か韓国人、あるいはK国人であったかも知れないのですかね・・・。やはり、難しいですか・・・。うーん。」と太郎は考え込んだ。
「もしかして、バチカン銀行の職員と云うことでは?」と向山が言った。
「バチカン銀行の職員をしている日本人ですか・・・。なるほど・・・。」
※バチカン銀行;
正式には『宗教事業協会』と云う組織で世界各国の投資銀行を通じて資金運用・調達を行うカソリック教会総本山バチカン市国の国家財政管理機関である。
1982年ころ、宗教事業協会の大司教と民間銀行やマフィア、秘密結社などが絡んだマネーロンダリング事件が発生している。この時、民間銀行が破綻して、頭取などの関係者が暗殺された。
2009年6月3日に1345億ドル(13兆円)相当の偽造米国債を運搬していた二人の日本人がイタリア・ミラノ北方のキアッソ自治区でキアッソ当局とイタリア財務警察に拘束されるキアッソ事件があった。この偽造米国債はイタリア警察とアメリカ合衆国シークレットサービスの見解ではイタリアマフィアによって製造されたものらしい。
イタリアの法律では偽国債を所持しているだけではおもちゃのお金を持っているのと同じで罰則がないため、二人の日本人は無罪釈放された。(著者注;本当に偽国債だったのか真偽は不明?)
このキアッソ事件の背後関係は不明のままであったが、その年の11月と2010年9月にバチカン銀行が絡んだ多額のマネーロンダリング疑惑があり、イタリア司法当局が2300万ユーロの大金を押収したとされている。
また、2013年7月1日には、マネーロンダリング(資金洗浄)疑惑との関わりを指摘され、その責任を問われたバチカン銀行の事務局長と副局長が辞任に追い込まれた。その辞任の背景は、4000万ユーロ(約52億円)を無申告でスイスからイタリアに運ぼうとしてイタリア当局に逮捕された法王庁の上級会計士が事務局長と連絡を取り合っていたのを当局に盗聴されていたようである。
なお、キアッソ事件の二人の日本人は神奈川県と福岡県の出身であったらしいが、その根拠がパスポートだったのかどうかの情報はない。
越の風華19;
2012年9月19日(水) 午前11時ころ 国会前庭
太郎と半田警視長が噴水池近くのベンチに座って話している。
太郎は、西荻窪の『越路』従業員から得た情報を半田に伝え、自分の推理を説明した。
「バチカンのお金ですか・・・。」と半田が呟いた。
「警察では何か事実関係をご存じないのですか?」と太郎が訊いた。
「いや、バチカン銀行と松永金融担当相が繋がっているとの情報はないですね。」と半田が答えた。
「本当ですか?」と太郎が突っ込んで訊いた。
「まっ、そう云うことです・・・。」と半田が歯切れの悪い返事をした。
「ところで、西宮市の須佐之男神社近くで死んでいた投資会社社長の風祭武文の資金源は判明しましたか?」と太郎が訊いた。
「まだ、調査を始めたばかりで何も報告は入っていません。」
「そうですか・・・。」と、太郎は半田からは必要な情報を引き出すことはできないなと思いながら小声で呟いた。
そして、会話はしっくりしないまま、二人は国会前庭で別れた。
越の風華20;
2012年9月20日(木) 午後5時ころ 池袋西口広場前のすし屋『弁慶寿司』
北辰会館での組手稽古を終えた太郎が弁慶寿司に入って、カウンターに座った。
まだ宵の口で、他に客はいない。
「らっしゃい。旦那、久しぶりっすね。」と板前が言った。
「ちょっと、関西方面に行っていましたから。」と太郎が言った。
「また、殺人事件でもあったんすか?」
「判りますか?」
「まあ、旦那が調査活動を始めると、殺人事件に出くわすのが常ですからね。旦那の宿命ですかね。」
「私の宿命?」
「あっはっはっは。冗談っすよ。でも、何か因縁でもあるんっすかね。」
「因縁ですか・・・。」
「深い意味はありませんがね・・・。」
「深い意味ですか・・・。」
「また・・・。旦那、今日は何かおかしいっすね。何か、悩みでもあるんっすか?」と板前が訊いた。
「悩みね・・・。板さんには判りますか。」
「やはり、悩んでますか。」
「悩みではありませんが、調査に行き詰まっていましてね。」
「なるほど。あっしには難しい話は判りませんが、まあ、警察の刑事が捜査に行き詰った時は『現場百篇』とか言って、殺人現場に何回も足を運ぶらしいっすね。TVの推理番組の受け売りですがね。」
「なるほど、現場百篇ですか。良いことを言いますね、板さん。現場百篇ね・・・。」と太郎が考えるように言った。
「まっ、その為には腹ごしらえが大切ですがね。いつもの特上2人前でいいっすか?」と言いながら、板前がお茶を太郎の前に置いた。
「ええ、いつものでお願いします。」と太郎が言った。
その時、太郎の携帯電話が鳴った。京都にあるD大学の藤原教授からであった。
「はい、大和です。」
「もしもし、藤原です。」
「教授、なにか?」と太郎が訊いた。
「ちょっと、面白いことが判りました。君の意見を聞きたいのですが、近々に、京都に来ることはありますか?」
「ええ。明日にでも神戸市と西宮市に行こうかと思っています。」
「それでは、その後で研究室に寄れそうですね。」
「ええ。京都に宿を取ろうと思いますから、先に研究室に行きます。」
「そうですか。それでは、明日の午後3時ころに研究室で待っています。ああ、鞍地君も一緒に参加しますから。」
「判りました。それでは明日。」と言って、太郎は電話を切った。
越の風華21;
2012年9月21日(金) 午後3時ころ 京都D大学の藤原研究室
藤原教授、鞍地大悟、大和太郎の3人が会議テーブルを前にして話している。
テーブル上にはA0サイズの日本地図が開いて置かれている。
「石川県の宝達山にある奴奈宜波比売を祀る手速比売神社と白山頂上にある白山比口羊神社奥宮と伊勢神宮を結ぶ霊ライン上に愛知県津島市にある津島神社と天津教天神人祖一神宮の岐阜分社があります。また、石川県白山市鶴来にある白山比口羊神社と伊勢神宮を結ぶ直線上に菊花石が採取される岐阜県本巣市根尾村初鹿谷があります。菊花石とは菊の花を模した図柄が断面に現れる奇石のことで、2億年前くらいの火山泥流が凝固した際に炭酸石灰が結晶化してできた紋様と考えられています。これが、その菊花石の写真です。」と言いながら鞍地大悟が太郎に写真を見せた。
「なるほど、美しい紋様ですね。なんとなく、伊勢神宮の16弁菊花紋を連想させますね。」と太郎がいった。
「この菊花石が白山比口羊神社の祭神である菊理姫と関係が有るとすると、伊勢神宮の意味は何になるのかを考えたいのです。」と藤原教授が言った。
「そういう事ですか。須佐乃男命を祀る津島神社。須佐乃男命の子孫である大国主命の妻神である奴奈宜波比売を祀る宝達山麓の手速比売神社。菊理姫を祀る白山比口羊神社。そして、天照大御神を祀る伊勢神宮。それらを結ぶ霊ライン上にある日光川とは何を意味するのかですね。16弁菊花紋を神紋とする伊勢神宮と霊石・菊花石を産んだのが菊理姫とした場合の関係ですか・・・。」と太郎が言った。
「大和さん、日光川とは何ですか?」と鞍地が訊いた。
「愛知県津島市にある津島神社の真東4.5kmのところに神守町の憶感神社があります。津島神社の北には日光川が南北に流れていますが、その川は曲がりくねって津島神社と憶感神社の中間点を南北に流れています。神功皇后の時代、津島神社には『真珠の宝剣』、憶感神社には『志摩の神珠』と呼ばれる水晶玉が祀られました。水晶玉には龍神『新羅神』の霊が封じ込められたと謂われています。その龍神は日光川の上空にも現われたようです。」と太郎は『真珠の宝剣伝説殺人事件』の時に聞いた話を思い出しながら言った。
「なるほど、日光川ですか・・・。実は、今年の5月7日午前0時頃、満月の月から鞍馬寺に不思議な閃光が降下し、その光が白山方面に大きな光の玉が尾引くように走って行ったようです。左手のひらに十字の痣が現れた姉の麗子と石田咲子さんが、その左手を合わせた時に突然、オレンジ色の閃光が鞍馬山に降りて来て、その光が玉となって彗星の如くに尾を引いて北東方向に走り去ったと姉から聞きました。」と鞍地大悟が言った。
「十字の痣がある手のひらを合わせた時ですか。確か、その日のその時刻頃に、東京方面から鹿島灘へ、そして、鹿島灘から北に向かってオレンジ色の閃光が走るのを筑波山上から見た人物がいます。そして、その閃光は十和田湖まで届いたようです。」と太郎が言った。
「オレンジ色の閃光が京都の鞍馬山から白山へ走り、更に東京、鹿島神宮、十和田湖へ走ったのですか・・・。東京とは府中市にある大国魂神社とすると、石川県鶴来の白山比口羊神社、富山県滑川市の天津教・天神人祖一神社、長野県松代市の皆神山、群馬県の榛名山、大国魂神社、鹿島灘、北茨城市にある天津教・皇祖皇太神宮が作る北斗七星をオレンジ色の光が結んだ訳ですね。」と藤原教授が言った。
「鹿島神宮と皇祖皇太神宮を結ぶ線の延長線上にある十和田湖まで閃光が走ったとすれば、西向きには天神人祖一神社と白山比口羊神社を結ぶ線の延長線上にある九州大分県にある宇佐神宮まで閃光は届いている可能性がありますね。」と太郎が言った。
「宇佐、鶴来、滑川、松代、榛名、府中、鹿島、北茨城、十和田の九つの都市を結ぶ線ですか・・・。」と鞍地が日本地図を眺めながら言った。
「何か思い浮かびましたか、鞍地君。」と教授が訊いた。
「九と云う数字から、九頭龍大神が思い浮かんだのですが。出雲でスサノオ命に退治された八俣大蛇の霊系を継いだ十和田湖の八郎太郎を破った藤原南祖坊を助けたのが九頭龍神であったなあと思っただけです。」と鞍地が言った。
「なるほど、九つの頭を持つ九頭龍ですか・・・。」と太郎が呟いた。
「大和君、何か思い当たりますか?」と教授が訊いた。
「いえね、筑波山上でオレンジ色の閃光をみた人物が、霞が浦に九頭龍大神が降臨したのを見たようです。満月の5月6日に竜巻が筑波地方に発生し、その時に九頭龍が天空から現れ霞が浦の湖面に沈んでいったらしいのです。青山東雲と云う霊能者の方ですが。」と太郎が言った。
「筑波山で霊能者が九頭龍神を見たのですか・・・。」と鞍地が呟いた。
「九州の宇佐から青森の十和田までの九都市が、日本を縦断する九つの頭ですか・・・。」と太郎が言った。
「九頭龍大神と云えば、泰澄上人が白山頂上にある翠が池で見たのも九頭龍神でありましたね。」と教授が言った。
「たしか、泰澄上人が見た九頭龍大神は十一面観音の化身でしたね。」と鞍地が言った。
「と云う事は、筑波に十一面観音が現れると云う事ですかね・・・。」と教授が言った。
「霊能者の青山東雲氏も何故に十一面観音が現れたのか判らないとおっしゃっていました。ただ、青山東雲氏の従妹である青山深雪さんと東雲氏は5月7日に神業を行ったそうで、それが十一面観音と関係があるのかも知れないと云う事でした。東雲氏は筑波山、深雪さんは十和田湖で行ったそうです。」と太郎が言った。
「神業ですか。」と鞍地が呟いた。
「とすると、5月7日には、他の都市でも同じような神業を行った人物がいるのかも知れませんね。しかし、青山深雪さんとは不思議な人物ですね。たしか、富山県にあるT大学の宝達教授の実の妹さんでしたね。南宮大社の神職である青山深雪さんは修験仲間からは南僧坊とか男装坊と呼ばれ、生家で付けられた名前は宝達奈巳でしたね。」と教授がいった。
「他の場所でも、神業ですか・・・。」と太郎が呟いた。
「十一面観音立像には頭に10個の顔を乗せているものと11個の顔を乗せているものの2種類があるそうです。十一面観音立像本体のお顔を一つと数える場合と数えない場合があるそうです。」と鞍地が言った。
「そうですか。九頭龍神が十一面観音すると、大分県の宇佐神宮と青森県の十和田神社を結ぶ九つの神社の他にあと一つか二つの神社がオレンジ色の光が走った線上にあると云うことでしょうか?」と太郎が言った。
「十和田とは十の都市、あるいは神社を和すると出来る田と謂うことだと考えることができますね。そして、田と云う文字は十字を内蔵した口と書きますね。十字を内蔵する口が何を意味するのかはさて置いて、不明の一つの神社は北斗七星を形成する七つの神社の間には無いでしょうから、白山比口羊神社と宇佐神宮の間に一社。あるいは、北茨城市の皇祖皇太神宮と青森県の十和田神社の間に一社ですかね。さて、そのような神社があるのでしょうかね・・・。そして、その神社が何を意味するのか・・・?」と教授が日本地図を眺めながら、考えるように言った。
「また、藤原教授の大担な推理が始まったなあ・・・。」と太郎は心の中で思った。
※十一面観音;インドのバラモン教の荒ぶる神々の変化身としての仏教における菩薩とされている。バラモンとは司祭階級を意味し、神々と話が出来る能力を備えた人々の教えである。仏教が広まる以前から存在していた神々を祀る神官が伝える神の言葉がバラモンの教えと云うことであろう。荒ぶる神々が仏教によって慈悲をもつ大菩薩に変化したとされる。
本体の顔以外に頭上に11面の顔を持つ観音菩薩。前後左右の10面の顔は修行の階位を表している。頭頂部の一面はその修行の成果を表すとされ、菩薩面(1面)。そのほか、正面に阿弥陀如来の慈悲面(3面)、憤怒面(右3面)、狗牙上出面(左3面)、大笑面(後1面)がある。
越の風華22;
2012年9月22日(土) 午前10時ころ 兵庫県JR芦屋駅近くのレンタカー店
「盗難した場合に備え、レンタカー車のナビにはGPS発信器が付いており、弊社の本部データセンターで走行場所が記録保存されています。1分ごとの走行場所記録ですが、レンタカーが何処を走ったかは判断できます。」と店員が太郎に説明した。
「停車中の場所も記録されていますか?」と太郎が訊いた。
「もちろんです。車のエンジンを切り、ナビの画面が消えても、バッテリーからナビには電源供給されており、GPSだけは動作しており、車の位置情報を発信するようになっています。」と店員が言った。
「それでは、9月14日に西宮市の須佐之男神社近くの駐車場で発見された、風祭武文氏が借りたレンタカーの走行全工程の記録も残っている訳ですね。」と太郎が語気を強めて訊いた。
「ええ。西宮警察署の刑事さんにも数日前に、走行記録のコピーをお渡しいたしました。」と店員が言った。
「その記録はこの店にもありますか?」と太郎が訊いた。
「ええ、記録のコピーを保管してあります。ご覧になりますか?」
「ええ、是非見せてください。」と太郎が意気込んで言った。
越の風華23;
2012年9月22日(土) 午前11時ころ 神戸市東灘区本山町の寺田純子のマンション105号室前
JR摂津本山駅の改札を出て芦屋方面に向かって10分ほど徒歩で戻ったところに寺田純子が住んでいたマンションがある。
太郎がマンションの前から死んだ寺田純子が住んでいた部屋をのぞくと、中で兵庫県警察本部の橘刑事の姿が見えた。
そして、太郎は寺田純子の部屋のチャイムを鳴らした。
橘刑事がドアーを開けた。
「やあ、大和探偵ですか。」と橘刑事が言った。
「お忙しいですか?」と太郎が訊いた。
「現場百篇ですか?」と橘が言った。
「ええ。橘刑事も?」
「まあ、何か見つかるかな、と思いましてね。玄関先で話すのも何ですから、部屋の中へ入りますか?」と橘が太郎を迎え入れ、ドアーを閉めた。
「半田刑事局長補佐からは何か聞いていますか?」と太郎が訊いた。
「ええ。兵庫県警本部に他殺の可能性があるかどうかの判断を求められています。」
「他殺の可能性の証拠さがしですか・・・。」
「まあ、現在のところ、自殺とも他殺とも、何とも言えません。県警としては自殺で処理したいのですがね。新聞や週間誌の記者がうるさくてね。」
「金融担当相の松永雅洋氏の死亡事件との関係ですね。」
「まあ、そう謂うところで記事を書いて金儲けをしようと云う輩ですからね。うるさい事、この上ないですよ。」と橘刑事が言った。
「それで、何か判りましたか?」と太郎が訊いた。
「何も出てきませんね。骨折り損ですわ。」
「ご近所の方への聞き込みからは何も判っていないのですか?」と太郎が訊いた。
「何もね・・・。」
「寺田純子さんの行動範囲などは判らないのですか?」
「特に何もね。まあ、散歩で、保久良神社には毎日夕方に登って行っていたようですね。」
「保久良神社に登るとは?」
「ああ、保久良神社は六甲山系の保久良山の中腹にある神社で、標高185mのところにありますので、山に登ることになります。このマンションからは30〜40分くらいで登れますかね。寺田純子のお兄さんの話では、小学校の夏休みの頃は早朝のラジオ体操が保久良神社境内で行われていたらしく、兄弟で毎日登り降りした経験があるらしいです。」と橘が言った。
「寺田純子さんは小学校の頃に登っていたのですか、その保久良神社にね。」と太郎が呟いた。
そして、太郎は、風祭武文が9月13日の夕方4時ころから5時ころまでJR摂津本山駅近くにレンタカーを駐車していたことを示すGPSナビの記録を思い出していた。
「摂津本山駅近くには時間貸しの駐車場がありますかね?」と太郎が訊いた。
「ああ、本山駅の北側を走っている道路沿いに、いくつかの24時間無人のコインパーキングがありますね。それが何か?」と橘刑事が訊いた。
「西宮の須佐之男神社で死体が発見された風祭武文氏が借りていたレンタカーが9月13日の午後4時ころから午後6時ころまで、摂津本山駅近くで駐車していた記録がレンタカー会社のナビ記録に残されていました。」
「寺田純子が散歩で保久良神社へ散歩していた時間帯ですね。しかし、寺田純子と風祭武文は知り合いだったのですか?」と橘が訊いた。
「寺田純子さんと愛人関係にあった松永雅洋金融担当大臣の二人がよく通っていた東京のレストランチェーンに融資していたのが風祭武文氏です。」
「そのレストランチェーンとは『越路』で、長野県茅野市で死体が発見された高城六郎がオーナー社長だった会社ですか?」と橘が訊いた。
「そうです。」
「ははあ・・・。これは、これは・・・。厄介な事になりそうだな・・・。」と橘が考え込んだ。
「レンタカーが駐車していた場所の住所は判っていますか?」と橘が訊いた。
「ええ。本山町岡本○○−○○です。」と芦屋のレンタカー店で書いたメモを見ながら太郎が言った。
「岡本か・・・。これからそこへ行きましょうか、大和探偵。」と橘刑事が言った。
越の風華24;
2012年9月22日(土) 午後2時ころ 神戸市東灘区本山町北畑の保久良神社
西宮警察署へ行く橘刑事と摂津本山駅近くで別れた大和太郎は、近くの食堂『王将』で昼食を取った後、橘から聞いた道順に従って海抜185メートルの保久良神社まで登って来ていた。
まだ、夏の暑さが残っている季節でもあり、太郎は汗をぐっしょりと掻いていた。
「ここが保久良神社か。大坂湾が一望に見渡せるな。なるほど、江戸時代にはこの石灯籠が『灘の一ツ火』と船人に呼ばれ、灯台の役目をしたのか。」と石灯籠の横に立った太郎は眼下に広がる大坂湾を眺めながら思った。
そして、太郎の背後には保久良神社の石鳥居が建っている。
涼しい風が太郎の汗を蒸発させる様にサワサワと吹いた。
「おお。涼しいな。」と、太郎は気持ち良い心地に浸った。
そして、振りかえり、神社の鳥居をくぐり拝殿に向かって歩き始めた。
拝殿の正面軒下には『保久良神社』と書かれた扁額が掛けられており、その左側には『御祭神 須佐之男命 大歳御祖命 大国主命 』と書かれた表札が掲げられ、右側には『御祭神 椎根津彦命』の表札が掲げてある。
椎根津彦は神武東征の際、速吸の門(瀬戸内海の淡路島と兵庫県明石市との間にある明石海峡のこと)で神武天皇一行を待ち受け、協力を申し出た人物である。元の名を珍彦と言ったらしいが、神武から椎根津彦の名を賜わったとある。大和平定後は倭国造に任命されて信濃・越後の開発に尽力した人物であるらしい。西宮市の夙川西岸から神戸市三宮の生田川東岸までを統治したとされる。自分の領地が見渡せ、東から昇る日輪(太陽)が見られる場所をさがした椎根津彦は、この保久良山に祭祀場所として大きな石群を運び『磐座』を形成したようである。
江戸時代までは『天王宮』と呼ばれていた保久良神社は天王講の人々によって維持管理されてきたようである。天王とは牛頭天王、すなわち須佐之男命のことと思われる。
拝殿にて祭神に挨拶をした大和太郎は天照皇大神と春日大神を祀る小さな社祠・祓御神社にも参拝し、さらに八大龍王の石祠にも挨拶をした。
太郎が八大龍王を祀る石祠の赤い鳥居をくぐり出た時、横から歩いてきた人物が声を掛けてきた。
「大和探偵ではありませんか?」
「はい? ああ、武庫さん。」と太郎が声を上げた。
「また、稀寓な処でお会いしますね。」と武庫茂が言った。
「いえ、ちょっとした事件調査の関連でここに来ました。」と太郎が言った。
「事件の調査で保久良山に?」と武庫が不思議そうに訊いた。
「ええ。先日、本山町の自宅マンションで死亡した女性が保久良神社まで散歩するのを日課にしていたらしいのです。寺田純子という方で政治家の愛人だったひとです。」
「ええっ、寺田純子ちゃんが死んだ?」と武庫が驚いて叫んだ。
「寺田純子さんを知っているのですか?」と太郎が訊いた。
「純子ちゃんは私の小学校の同級生です。本山DS小学校のころは、早朝に夏休みのラジオ体操でこの保久良神社まで来たものです。28日間休まずにラジオ体操に通えば、最後の日に鉛筆とノートがもらえるのが楽しみでした。私の実家と純子ちゃんの実家は少し離れていましたが、帰りには途中まで一緒に山を降りたものです。2年前に東京から戻ってきた純子ちゃんと神戸市内にある三宮センター街でばったりと会いました。なんとなく面影は残っているものですね。高等学校時代までは通学途中の摂津本山駅でよく顔を会わせたものです。学校は違いましたが、ちょっぴり恋心を抱いた時期もありましたがね・・・。2年前から時々、この保久良神社に来た時に出会いましたね。その時には、鳥居の前にある石のベンチに座って大坂湾を眺めながらしばらくは昔のことなど、他愛のない話をしましたね。子供のころの実家の近くで一人暮らしをしていると聞いていましたが、お亡くなりになったのですか・・・。」と武庫がガッカリしたように言った。
「寺田純子さんの事をもう少しお聞きしてもよろしいですか?」と太郎が申し訳なさそうに訊いた。
「ええ、構いませんよ。ここで立ち話も何ですから、鳥居の前にある石のベンチにでも座って話しましょうか。」と武庫が言い、二人は神社境内への入り口近くにあるベンチに向かって歩いて行った。
「寺田純子さんの死亡原因は青酸化合物を服毒した為なのですが、遺書が無かったので、自殺なのか他殺なのかは判明していません。何か心当たりはありますか?」
「確かに、元気はなかったですね。昔の若いころは明るい女の子でしたが、その面影はなかったですね。私の記憶に残っていた純子ちゃんは本当に明るい女の子でした。根は明るい方だと思いますから自殺するとは思えないですがね・・・。」と昔を懐かしむように武庫が言った。
「自殺するようなタイプの人間ではないと云うことですね。」と太郎が言った。
「ええ、そうです。一年くらい前ですかね、ここに座りながら保久良神社の祭神の話をしたことがありました。」
「須佐之男命のことですか?」
「ええ、そうです。陰陽師が創った金烏玉兎集の話を純子ちゃんにしてあげたことがありました。その話の内容は、『須佐之男命は末代になって疫神となり、八将軍神とともに国を乱すために戻って来る。その時、[蘇民将来]と云う名札を出している家は滅ぼさない。』と云うことでした。すると、その後に純子ちゃんに会って話した時、泥棒除けのために熊野大社で授かった牛王神符をすでに持っていたらしく、玄関ドアーを入った横側の壁にそれを貼ったと言っていました。確か、その牛王神符に[蘇民将来]と書いたとか言っていましたね。ですから、自分が死ぬのは恐ろしかったのではないでしょうかね。自殺はしないとおもいますよ。」と武庫茂が言った。
「玄関ドアーを入った横側の壁に[蘇民将来]と書いた牛王神符の紙を貼っていたのですね、寺田純子さんは。朱文字を使って文字を書いたとかは言っていなかったでしょうか?」
「朱文字で書いたかどうかは聞きませんでした。今も貼ってあるのかどうかは判りませんが。」
太郎は、寺田純子のマンションの玄関を入ったところの横壁には牛王神符は貼られていなかったのを思い出していた。
「[蘇民将来]の牛王神符はなかったな。以前はあったが、純子さんが死亡した時点では貼られていなかったのかどうか。それとも、誰かがその牛王神符の紙を持ち去った可能性もあるかな・・・?風祭武文の死体があったレンタカーで見つかった[蘇民将来]と朱文字で書かれた牛王神符の和紙は寺田純子のマンションにあったものだろうか?もし、そうだとして、何がどうなっているのだろうか?寺田純子と風祭武文はJR摂津本山駅近くで会っていたのかどうか。第3の人物が存在し、その人物が牛王神符を何処かに持ち去ったのかどうか?」と太郎は考えを巡らした。
寺田純子の子供のころの種々の話を太郎に話した後で武庫茂が太郎に訊いた。
「大和探偵、絵馬の納め場所は見ましたか?」
「いえ、まだ見ていませんが、何か?」と太郎が訊いた。
「それでは、社務所裏にある大きな磐座石は見ましたか?」
「いえ、それも見ていませんが・・・。」
「それでは、まず絵馬を見に行きましょう。」と武庫は言った。
絵馬掛け納所には26枚の絵馬が掛っている。その中の一つの小さな木の絵馬の裏側には地面に蹲った態勢の何か不思議な動物が黒い鉛筆で描かれている。
顔は団子鼻をした人間の様であり、頭や肩には渦巻くような瘤が大小合計11個〜13個程度描かれている。瘤の個数ははっきりとは数えられない。二つの大きな目は、伏し目がちに地面を見ているように描かれている。更に、頭にあるのか背中にあるのかは判然としないが、顔の後方の上側の左右には毛の生えた大きな耳か小さな羽根と思えるものが二つ生えており、4本指の大きな前足には円錐形に尖った大きな爪がある。摩訶不思議な生き物の絵である。
太郎はベルトのホルダーから携帯電話を取り出し、その絵馬の絵をカメラ撮影した。
「この絵は私の知り合いの霊能者が書いたものです。社務所裏にある大きな磐座石の上に乗っていた怪物を描いたらしいのですが、霊能者にしか見えない霊的な怪物です。私は実際に見たことはありません。その磐座石は神が生まれると書いて『神生岩』と呼ばれており、この絵に描かれている生き物とおなじような外形をしています。」と武庫が言った。
「神が生まれる神生岩ですか。この絵は・・・、何か西洋の伝説に出てくる怪物スフィンクスを思い起こさせますね。」と太郎は絵馬に描かれている不思議な生き物の絵をシゲシゲと見ながら言った。
「あっはっはっは。B大学の曽我教授も同じことを仰いましたね。」
「大分県の曽我教授もその様に感じたのですか・・・。」と太郎が考えるように言った。
「ええ。それから、筑後国風土記に書かれている山に住む麁猛神は旅人を取り殺したらしい。その麁猛神は西洋の伝説に登場するスフィンクスと同じではないかと曽我教授はお考えのようでした。」と武庫が言った。
「この絵の怪物は人間を食べる厄神ですかね・・・。須佐之男の化身である厄神が生まれたわけですか・・・。これが生まれたばかりの生き物なら、まだ赤子が童子と云うことになるか・・・。とすると、あの毛の生えた二つの部分は耳ではなく、背中の羽根と云うことになるな。そして、この生き物が成長すると空を飛べるくらいの大きな羽根に成り変わると云うことか・・・。」と太郎はその霊的な怪物の赤子が大きく成長して羽ばたいている姿を思い浮かべながら呟いた。
霊視画の描かれた絵馬を見た後、ふたりは社務所裏にある神生岩の方へ歩いて行った。
保久良山から金鳥山に向かう歩道沿いの金網の内側に『神生岩』と書かれた木の立札があり、金網から20mくらい離れた場所に高さ3m、長さ6m、幅4mくらいのズングリした大岩がドッシリとして居座っている。
「私が小学生のころにはこの金網はありませんでしたが、そのころから何か近寄りがたい雰囲気があり、この岩では遊ばなかったですね。もう少し先に行った所にはこれより少し大きめの岩があるのですが、その岩では上に登ったりしてよく遊びましたがね。」と武庫が言った。
「武庫さんが先ほど言われた様に、外形が先ほど見た絵馬に描かれていた生き物の外形に似ていますね。」と太郎が言った。
「やはり、大和探偵にもそのように見えますか。」と武庫が答えた。
『神生岩』の西側を北に向かって遊歩山道があり、その参道の西側には保久良梅林がある。保久良梅林の梅は保久良山麓にある岡本梅林の梅を移植したものである。
岡本梅林は江戸時大以前から有名な大梅林であったが昭和13年の神戸大水害によって壊滅的打撃を受け、神戸大空襲で焼けて消滅したようである。昭和の初めころ、文豪・谷崎潤一郎は岡本梅林の近くに住んでいて、梅林を散策しながら小説の構想を練ったと謂われている。地元の有志によって昭和56年に岡本梅林公園として再元された。
岡本梅林には太宰府天満宮から飛び梅が株分けされ植えられている。さらに、岡本梅林から保久良梅林へも株分けされたようである。
「あちらに見えるのは梅林ですね。」と太郎は『神生岩』から振り返った時に見えた景色に目がいった。
「そうです。この山の麓にある岡本梅林から移植された梅林です。九州の太宰府天満宮から岡本梅林に株分けされた梅から更に株分けされた梅も、春には花を咲かせるようです。」と武庫が言った。
「太宰府天満宮の梅の孫になる梅ですか・・・。そして、その梅の東側に『神生岩』がある訳ですか・・・。」と言いながら、太郎は十訓抄に書かれている菅原道真が詠んだとされる歌を思い出していた。
『東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ』
越の風華25;
2012年9月22日(土) 午後4時ころ 西宮市獅子ヶ口町の剣先真理修験会本部応接室
会長の武庫茂から相談したい事があると云う事で、太郎は剣先真理修験会本部に来ていた。
応接室には武庫から電話連絡を受けた藤沢三男副会長が待ち受けていた。
「先ほども申し上げましたが、藤沢家の神棚を遷す場所がまだ決まっていません。比企丘陵のある東松山に事務所をお持ちの大和探偵のご意見を伺いたいのです。」と武庫が太郎に言った。
「神託を実行する訳ですね。」と太郎が言った。
「先日、仕事で東京へ出向いた時に比企丘陵をレンタカーで走って見たのですが、どうも良さそうな場所が見つかりませんでした。大和探偵は何処が良いと思われますか?」と藤沢三男が訊いた。
「確か、藤沢家の神棚に祀られているご神体は出雲大社から贈られた白蛇のミイラでしたね。」
「そうです。他に、芦屋神社の祭神・天穂日命、伏見稲荷様、母恩寺弁財天様を祀っています。母恩寺とは大阪市都島区にあるお寺で、後白河法皇の生母であり鳥羽天皇のお后きであった藤原璋子の菩提を弔うために後白河法皇が創建したお寺です。弁財天様は白龍となって現われるとも謂われています。これら、4柱の神様を比企の地にお遷ししたいのです。」
「芦屋神社の天穂日命とは?」と太郎が訊いた。
「芦屋神社のある場所は天神山と呼ばれており、出雲の大国主命に国譲りを勧める為に天神山に舞い降りられた神様です。しかし、大国主命の人柄に惚れた天穂日命は大国主命のために尽くすことになりました。天穂日命が大国主命の国津神側にまわった為、天照大神の天津神側は改めて国譲りを勧める必要が発生しました。そこで、鹿島神宮に祀られている建御雷命が天から舞い降りて来られて、大国主命は天津神に国譲りをすることになりました。大国主命は出雲大社に祀られ、天穂日命はその大国主命を祀り守られました。なお、奈良大和の三輪神社には大国主命の霊魂である大物主命が祀られ、三輪神社の御身体である御諸山にはご眷属の大白蛇神霊が眠っていると謂われています。」と藤原三男が神棚の祭神について説明した。
「確か、大国主命は須佐之男命の義理の息子神ですね。」と太郎が言った。
「そうです。大国主命は須佐之男命の娘である須勢理比売命と結婚しました。それが何か?」と藤沢三男が訊いた。
「いえね、比企丘陵は武蔵国にあり、武蔵国を治める一の神様は須佐之男命ですから、須佐之男命に関係する土地が良いのかと思いました。」と太郎が言った。
「そのような場所がありますか?」
「ええ。比企丘陵の一部に鳩山町があります。」
「そこには、良さそうな住宅ありますか?」
「ニュータウンなどがありますから、不動産屋にでも当たってみましょう。少し時間を頂ければ、探してみますが・・・。」
「ぜひ、お願いします。吉報を待っています。」
越の風華26;
2012年9月22日(土) 午後5時ころ 神戸市東灘区本山町の寺田純子のマンション105号室
太郎は剣先真理修験会本部の場所から東灘署に電話を掛け、橘刑事に寺田純子のマンションまで来てもらうように伝言をし、そこで待ち合わせていた。
そして、太郎と橘刑事はマンションの前で会い、橘刑事が玄関扉の鍵を開け、二人は中に入って行った。
「玄関を入った横壁はここですが、何も貼られていませんね。」と橘刑事が言った。
「でも、押しピンの痕が壁のボードに残っていますね。それも4つ。丁度、牛王神符の大きさの紙が貼られていたような寸法間隔に押しピンの痕穴が残っています。」と壁をマジマジと見ていた太郎が言った。
「なるほど、確かに何か紙でも張ってあったようですな。」
「西宮署で風祭氏の死体があったレンタカーに残されていた牛王神符はご覧になりましたか?」と太郎が訊いた。
「見ましたが、朱文字で[蘇民将来]と書かれた牛王神符の4隅には押しピンの痕などなかったですよ。きれいな真新しい和紙に黒い烏の絵がたくさん描かれ、その烏絵の上に朱文字で[蘇民将来]と書かれていましたね。」と橘刑事が言った。
「そうすると、この部屋にあった牛王神符は何処に行ってしまったのでしょうかね・・・?」
「寺田純子は殺され、その殺人犯が牛王神符を持ち去ったのですかね。何のために・・・?」
「その牛王神符には何かが隠されていたのかもしれませんね・・・?」
「何が隠されていたと云うのですか、大和探偵?」と橘が訊いた。
「さあ、判りません。何もないなら持ち去る必要もないと思うのですが・・・。」と太郎は考えを巡らせながら言った。
その後、何の発見もなく、太郎と橘刑事はマンションで別れた。
そして、太郎はJR摂津本山駅から宿泊先である京都駅前の京都Tホテルへ戻って行った。
越の風華27;
2012年9月23日(日) 午前10時ころ 京都・修学院の藤原教授宅応接間
大和太郎は[蘇民将来]の意味を聞くために藤原教授を訪問していた。
「巨旦大王を殺した後、牛頭天王は蘇民将来と云う人物に巨旦大王の支配地を与えた。巨旦大王の支配地とは何処なのかですが、三国相伝と云う意味を考えると仏教が広まっている地域として中央アジアから極東の日本までと考えるのが普通です。しかし、陰陽師たちは星占いを学んでいますので、星占いを発明したとされるカルデア人が住んでいた中近東までも含んでいるとも考えられます。」と藤原教授が言った。
「とすると、イスラエルやイランも含まれる訳ですか・・・。」
「イスラエルのユダヤ人たちの祭に『過越の祭』と云う行事が1月14日にあります。」
「それは教綬の授業で教わったので知っています。『過越の祭』と云うのはエジプトで奴隷になっていたユダヤ人たちが主であるヤハウェ神の命令に従って満月の夜に一歳の雄の子羊の血を自分の家の鴨居や柱に塗り、主がエジプトに振り撒いた災いがその家を通り過ぎて行ったことを感謝した祭でしたね。その災いとは、子羊の血を塗っていなかったすべてのエジプト人の家では長男である子供が即死したと旧約聖書の出エジプト記には記されていましたね。」と太郎が言った。
「そうです。この『過越の祭』の話と『蘇民将来』の話は災いが家を通り過ぎて行くと云う点で似ています。スサノオである牛頭天王は『自分は末代になって疫神となり、八将軍神とともに国を乱すために戻って来る。その時、[蘇民将来]と云う名札を出している家は滅ぼさない。』と言いました。[蘇民将来]とは[将に来たらんとする時、民が蘇える]と云う意味です。スサノオが災いをまき散らしに再び戻ってくる時、人民は蘇る訳ですが、何が蘇えるのかです。死人が蘇えるのか?神を信じる心が蘇えるのか?それとも、霊的な能力が蘇えるのか?何が蘇えるのか不明です。」と教授が言った。
「エジプト人にとっては災いでもユダヤ人にとっては救いの神であったと云うことですか・・・。」
「[蘇民将来]では『過越の祭』で災いを被るエジプト人として表象されるのが支配者であると云っている訳ではありません。[蘇民将来]の名札を掲げている家を救うと言っているだけです。たぶん、何かを悟り、悔いあらためて、何かが蘇えった人が救われると謂っているのでしょう。」
「難しい話ですね・・・。ところで、朱文字で[蘇民将来]と書かれた牛王神符を掲げていた人物が死んでしまった、としたら、それはどう云う意味になるでしょうかね、教授?」と太郎が訊いた。
「何ですか、それは?」と教授が意味を訊き返した。
「実は、数日前に車の中で死んでいた人物がいます。その車の中に朱文字で[蘇民将来]と書かれた牛王神符が残されていました。また、自宅で死んでいた女性の家には朱文字で[蘇民将来]と書かれた牛王神符が壁に貼られていたはずなのですが、その牛王神符が無くなっていました。」「なるほど、殺人事件の被害者ですか・・・。」
「その被害者は須佐之男を祭神とする神社に関係しているのかも知れないのですが・・・。」
「須佐之男を祭神とする神社と関係があるのですか。面白そうですね。その神社の名前は?」と教授が訊いた。
「一つは西宮市の森具にある須佐之男神社。もう一つは神戸市東灘区にある保久良神社です。」
「ほほう。森具の須佐之男神社と保久良神社ですか。これは面白いですね。」
「この神社を御存じでしたか。」と太郎が言った。
「大和君の知っている大分県B大学の曽我教授の論文にこの二つの神社のことが書かれてありました。」
「曽我教授の論文ですか・・・。」
「森具の須佐之男神社は諏訪大社の祭神である建御名方大神も祀っています。諏訪大社は4本の御柱を祀るので有名です。これは、ユダヤ人の祖であるアブラハムが自分の息子であるイサクを神への生贄に捧げようとした祭檀が4本の木で支えられていた話と関係するらしいのです。諏訪大社の背後には神体山とされる守屋山があり、イサクはモリヤの丘で生贄に捧げられかけました。天使が現れて生贄は中止されましたがね。森具の地は宿火村と呼ばれていた時代もあったようです。そして、保久良神社の保久良は火倉とも考えられています。」と藤原教授が論文で読んだ内容を解説した。
「共通は火ですか・・。」
「火は日でもあり霊でもあります。」
「死んだ人物は生贄にされたと云うことですか?」
「そうは断言しませんが、可能性ですね・・・。」と教授が言った。
「二人は生贄で殺されたのですか・・・。いつもながら、大担な推理ですね。しかし、何のための生贄なのでしょうかね・・・?」と太郎が考えながら言った。
「大担な推理ではなく、仮説です。大和君が言うように、人間を生贄にする理由が判っていませんからね。その理由が判って、はじめて推理と云えるでしょう。その理由、目的を調べなければなりません。」と教授が言った。
「生贄と仮定して、その目的が何かですか・・・?」と太郎が呟いた。
「ああ、それから、曽我教授の論文では金鳥山にも言及しています。」と藤原教授が付け加えた。
「金鳥山?」
「保久良神社のある保久良山の背後には金鳥山が繋がっています。と云うより、保久良山は金鳥山の一部と考えられます。神仏習合時代には保久良神社はお寺として保久良山を名乗っていたのが明治の神仏分離によって神社に改名したのでしょう。そして、社寺・保久良山の名前が山の名前として残されたと考えられます。そして、金鳥山はカタカムナ文献が関係しています。」
「あの、○と一と十を組み合わせた上津文字で書かれたカタカムナ文字の古代文献巻物を持った、カタカムナ神社宮司の子孫であると名のった猟師・平十字が現れたという金鳥山ですか。カタカムナ神社とは保久良神社のことですか?」と太郎が言った。
「いえ、ちがいます。昭和24年にカタカムナ文献を筆写した物理学者・楢崎皐月の話から推理すると、カタカムナ神社は金鳥山の近くにはなさそうです。カタカムナ神社の存在自体が不明です。しかし、カタカムナ文字を見た楢崎皐月は上古代日本には高い技術を持ったアシヤ族がいて八鏡化美津文字を使っていたという台湾の中国人老師から聞いた秘話を思い出したようです。それで、カタカムナ文献を筆写する気になったそうです。」
「アシヤ族ですか。神戸市東灘区と西宮市の間にある芦屋市には芦屋神社があり、天穂日命が祀られていますね。」と太郎が藤沢三男から聞いた話を思い出しながら言った。
「天照大神から命じられて降臨した天の穂日を祀る天神山の芦屋神社ですか。大国主命に仕えた神様ですね。そして、保久良神社の祭神・大国主命の義理の父神が須佐之男命で、これまた保久良神社の祭神でもありますね。はてさて、アシヤ族とは天孫・天穂日命の霊系ですかね・・・。神武天皇が奈良大和国の長髄彦を攻撃した時に太陽のように輝く金鳥が現れて勝利した故事にちなみ、神武天皇の大和東征に協力した椎根津彦が太陽である日輪が見える山に保久良神社を祀り、その山を金鳥山と呼ぶのには何か意味がありますかね・・・。」と教授が考え込んだ。
「保久良神社と芦屋神社の関係は大国主命と天穂日命の関係ですか・・・。」と太郎が呟いた。
しばらくの沈黙の後で藤原教授が思い出したように言った。
「ところで、先日の十和田の意味から考えられる十の神社の残りの一つですが、いろいろと調べてみました。十和田神社、天津教皇祖皇太神宮、鹿島神宮海中磐座、大国魂神社、榛名山神社、皆神山神社、天津教天神人祖一神社、白山比口羊神社、宇佐神宮の九神社のほかの残りの一つの神社は、昭和十年(1935年)に祠が創られたサムハラ神社ではないかと考えられます。大阪市西区の立売堀にサムハラ神社がありますが、その神社の奥の院は岡山県津山市賀茂町にあるサムハラ神社です。津山市と言ってもJR美作加茂駅の近くですから津山市街からかなり北に在りますがね。このサムハラ神社奥の院が白山比め神社と宇佐神宮を結ぶ霊ライン上にあります。賀茂町金毘羅神社の隣にある神社だそうです。無病無傷、延命長寿の神様とされています。サムハラとの四文字は漢字に似た神字で書かれ、御守りの呪文として用いる寺社もある。九鬼一族では『九鬼武産』と書いて『さむはら』と読むらしい。気の根元神であるとも謂われています。十転化の功徳をもたらす神様とされています。十転化とは『悪を善に転じる』、『邪を正に』、『愚を賢に』、『乱を治に』、『賤を貴に』、『貧を富に』、『危を安に』、『禍を福に』、『迷を悟に』、『痴を仏に』転じることです。」
「祭神は?」と太郎が訊いた。
「天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神の三柱です。造化三神とも呼ばれています。」
「造化三神と呼ばれている神様ですか。岡山県津山市のサムハラ神社奥宮が旧約聖書に示された『輪を描いて回る火の剣』を意味する十神社の残り一社ですか・・・。」と太郎が言った。
「合気道の祖・植芝盛平は『宇宙森羅万象の気を整えて、世の歪みを正道に戻す』のがサムハラの意味であると考えていたらしい。」と藤原教授が言った。
「しかし、どのようにしたら宇宙森羅万象の気を整えられるのでしょうかね?現在はこの地球上の世界の気が乱れているとでも云うのでしょうかね・・・。サムハラですか・・・。」と太郎が呟いた。
「それが問題だね、確かに。」と言いながら、藤原教授は腕組みをした。
その後、藤原教授邸を辞した大和太郎は白川通りに出て流しのタクシーを拾い、京都駅に向かった。
そして、11時30分頃の新幹線で東京に戻って行った。
越の風華28;
2012年9月23日(日) 午後3時ころ 東武東上線・池袋駅ホーム
新幹線を降りた東京駅からJR山手線で池袋に戻り、大和太郎は東武東上線に乗り換えていた。
太郎は東松山駅前の探偵事務所に戻るため、森林公園行きの急行電車の座席に座って、電車の出発を待っている。日曜日の午後であるが、列車は出発前で、まだそれほど車内は混み合っていなかった。
その時、太郎の乗っている列車の横のホーム上を歩いて行く一人の白人男性が太郎の目に止まった。そして、太郎はその白人男性の動きを目で追った。
その白人は太郎の座っている列車の一つ前の列車に乗り込み、空いている座席に座った。
そして、もう一人の白人男性が太郎の目の前を通り過ぎて、前の列車の連結部近くに立ち、前の列車内を窓ガラス越しに眺めている。
「前の列車の座席に座っているのは、CIAのジョージ・ハンコック。そして、この列車の連結部横端に立っているのはFBIのジョージ・ギャリソン。ふたりのジョージは何をしているのだろう?CIAは対外国の情報部門、FBI日本支部はアメリカ国内治安関連で日本駐留のアメリカ軍基地などに関する治安維持捜査・国内防諜職務を担当しているのだったな。CIAとFBIのどちらもアメリカ大使館内に事務所を持っていたな。」と太郎は思い、それとなく二人の白人の動きを観察するため、それとなく座席を移動した。
「二人は同じ場所を見ているようだな。前の列車の中央付近に座っているあの男だな。あれは日本人かな?同じ人物を尾行しているのか。確か、ハンコックとギャリソンは顔見知りだったな。と云う事は共同作業か・・・。CIA規則では事務所外で仲間と出会っても知らない振りをすること、だったな。」と太郎は考えを巡らした。
その後、列車は池袋駅を出発し、50分くらいで東松山駅に到着した。
ハンコックとギャリソンは日本人と思える東洋人男性を尾行して東松山駅で降りた。
太郎も当然、東松山駅で降りた。
東洋人男性はGパークタウン行きのバスに乗った。
ハンコックはタクシーに乗り込みバスの出発を待っている。ギャリソンは東洋人男性と同じバスに乗り込んで行った。
太郎はバスが出発するのを見届けて、線路の反対側にある探偵事務所に戻って行った。
そして、風祭武文が借りたレンタカーのナビ記録を見ながらパソコンを操作し、風祭が走った場所の解析を始めた。
越の風華29;
2012年10月3日(水) 午後3時ころ 東京都内の溜池・アメリカ大使館
太郎はアメリカ大使館の入門口受付で来訪の意図を告げた。
「大和太郎と申します。海外防衛協力部のジョージ・ハンッコック様に面会で来訪いたしました。」と名刺を差し出しながら太郎が受付ガードマンに言った。
「大和様ですね。はい、伺っております。連絡を取りますから、そこの待合室に入ってお待ちください。」とガードマンが告げた。
アメリカ大使館内の会議室
CIA海外防衛協力部のジョージ・ハンッコックとFBI東京支局のジョージ・ギャリソン、そして大和太郎の3人が英語で話し合っている。
「この人物の素姓を調査してほしいのです。」と言いながら、ハンコックが対象人物の英文資料と男の顔写真をテーブルに拡げた。
写真は望遠レンズを通して撮影されたもので少しぼやけているが、顔形は認識できた。
「ナカムラ・リュウ(中村 竜)と云う名前ですが、本名かどうかは不明です。中国人のようですが日本人風の名前を使っています。中国語訛りの日本語を喋ります。」とハンコックが言った。
「中国人ですか?」と太郎が訊いた。
「日本への入国時のパスポートでは中国籍ですが、中国名・徐恩平での中国国内での住所などをCIAの中国支部が調査しましたが偽装されていると思われました。中国人で徐恩平と云う人物を知っている者は見つかりませんでした。日本での住所は埼玉県東松山市G町にあるGパークタウン住宅6号棟503号室です。しかし、この場所は時々帰るだけです。ほとんどは東京都内の企業事務所に詰めていて、そこを起点にして日本全国の各所を渡り歩いて何かを調査しています。企業の名前は『夜来香貿易有限公司』で、その東京事務所にナカムラ・リュウは居ます。本社は中国本土の上海にあり、3人くらいが事務を行っている小さな事務所です。日本事務所の方が大きく、15人くらいが仕事をしています。日本語的には夜来香貿易株式会社・東京支社と云ったところです。事務所は東京都板橋区高島平にあります。Gパークタウン住宅6号棟503号室に関して法務局で登記簿謄本を取って調べましたが、所有者は中村竜で住所もGパークタウンで登記されていました。」
「中村 竜は貿易会社で働いている訳ですね。」と太郎が言った。
「表向きは貿易会社ですが、実体は不明です。」
「中国の情報機関支配下の企業ですか?」
「CIAで調査しましたが判りませんでした。なかなか尻尾をつかませてくれません。用心深い会社です。取引先は上海の食料品製造販売会社5社です。その食料品会社は特に怪しいところはないです。輸入した食品は日本の食料品販売会社の数社に納入しているようです。日本の食料品販売会社も特に不審な点はありません。」
「通常の貿易業務を行っている中国資本の企業と云うことですか・・・。」と太郎は腕を組んだ。
「ナカムラ・リュウは日本全国を歩きながら何かを調べているのは確かです。原子力発電所や企業の製造工場、造船会社、アメリカ軍基地などの写真を撮っている姿をFBIやCIA職員が目撃しています。神奈川県横須賀市の軍港巡り船にはたびたび乗船して、自衛隊の護衛艦や潜水艦、アメリカ第7艦隊の司令艦である空母ジョージ・ワシントンを望遠レンズを装着したデジタルカメラを使って撮影しています。単なる趣味とも思えません。」とギャリソンが言った。
「横須賀軍港巡りですか・・・。」と太郎が呟いた。
「大和探偵には、ナカムラ・リュウが訪問する日本企業の動向やナカムラ・リュウ本人の動きを調べ、正体を探ってほしいのです。質問の仕方が悪いのか、我々アメリカ人がナカムラ・リュウの立ち廻った企業や場所の日本人職員などに質問しても、用心されて詳細な情報を話してくれません。日本人である大和探偵なら詳しい話を聞き出せると思っています。単なる貿易商社員かも知れませんが、ナカムラ・リュウが情報機関員、あるいは秘密結社情報員であった場合には大和探偵にも生命の危険が及ぶ可能性もありますが、なんとか引き受けて頂けませんか?」とハンコックが言った。
「判りました。やってみましょう。」と太郎が返事した。
「例によって、本件の危険度はレベル2ですので、月額200万円の報酬です。調査期間は今日から2か月間です。その間にナカムラ・リュウの正体や関係している組織名称などを掴んで下さい。いつもの銀行口座に振り込みますが、目的が達成できなかった場合は半額になります。したがって、手付として半額を明日に振り込みます。旅費などは実費支給します。調査報告は事件発生の都度、速やかにお願いします。東京都板橋区にある夜来香貿易の事務所はCIAとFBIで監視していますから、こちらには姿をみせないでください。必要に応じて夜来香貿易の動向などの情報は大和探偵にお知らせします。」とハンコックが言った。
「ちょっと訊きたいのですが、よろしいですか?」と太郎が言った。
「何でしょう?」
「本件に関して、FBIとCIAが共同で情報収集している意味は何ですか?」
「基本的にはアメリカ本土へのテロ計画に関する情報収集の一環ですが、世界に展開しているアメリカ軍基地へのテロ防衛活動の一環で協力し合っています。それ以上、詳細にはお教えできません。」とハンコックが言った。
越の風華30;
2012年10月4日(木) 午前11時ころ 埼玉県東松山市G町のGパークタウン
Gパークタウンは4階建ての団地型分譲マンションが30棟以上ある団地型住宅地域である。
各部屋の大きさ、形状は同じで2LDKである。
大和太郎はGパークタウン住宅管理事務所を訪問していた。
管理事務所は5m×10mくらいの大きさの平屋の単独棟で、住居棟とは別棟になっている。
「私立探偵の大和太郎と申します。」と言いながら、探偵証を管理事務員に示した。
「大和探偵さんですか。それで、ご用件は?」と男性事務員が言った。
「6号棟503号室の中村 竜さんのことですが、ご結婚の話があり、素行調査を依頼されております。お話しいただいた情報源は秘密にいたしますから、ご質問にお答えいただければ有り難いのですが・・。」と太郎が言った。
「結婚相手の素行調査ですね。判りました。守秘すべき個人情報に関すること以外ならお答えいたします。」
「お願い致します。それでは、管理組合費などの滞納金はありますか?」
「いいえ、今まで滞納されたことはありません。」
「ご近所の方と何か問題を起こしたと云うことはありましたか?」
「特にありません。」
「女性関係とかの情報は何かお持ちですか?」
「いいえ。特にありませんね。と、云うよりも、中村様のお姿を見たことはありません。また、一度、この事務所で見ただけですので、どこかですれ違ったとしても中村様かどうかは判断できません。1年半くらい前、入居される際に管理事務所に書類を提出にこられた以外、この事務所に姿を見せられたことはありません。管理組合費などは銀行口座から自動引落としで納入されますので事務所に来る必要はありません。事務所とは別棟にお住まいですから、姿を見ることはありません。水道料金や電気料金なども滞納されたと云う情報はありませね。」
「同じ棟に住んでいる方の話でもほとんど姿を見たことはないようです。ふた月に一回、棟会議をこの事務所棟の集会室で開催されますが、出席されたことはないそうです。」
「時々、夜に電気が点いているのを見かけるそうですが、ここには住んでいないのではないかと思われます。」
「ここに来る以前はどちらに住んでいたのかはご存じですか?」
「東京都だったそうですがはっきりとは判りません。」
「中村さんに事務所が連絡を取られる場合はどのようにされるのですか?」
「携帯電話の番号を聞いています。しかし、先日、用事で電話したのですが、その電話番号はすでに使われていませんでした。管理事務所も連絡を取りたいのですが、行方不明の状態です。数カ月前から玄関扉には連絡してほしい旨の張り紙をしているのですが、現在まで連絡はありません。張り紙もそのままです。組合管理費などはきちんと銀行振り込みで支払われていますから問題はないのですがね。」
「そうですか。」と言いながら、太郎は中村竜が9月23日の日曜日には戻って来ていたのを思い出していた。
「日曜日とかは事務所に来られないのですか?」
「日曜日、事務所は閉鎖しています。土曜日も隔週の午前中のみ開いています。平日の9時から5時までが事務所の開所時間です。」
「なるほど。その中村さんの使われていない携帯電話の番号を教えていただけますか?」
「現在は使われていないので中村様の個人情報ではなくなっていますから、お教えしてもいいでしょうかね。しばらくお待ちください。」と言って、男性事務員は書棚にある居住者情報ファイルを調べ始めた。
そして、太郎は事務員が読み上げた中村竜が使っていた携帯電話の番号をメモした。
そのほか、中村竜について管理事務所から特に有用な情報は得られなかった。
「しかし、中村竜は何のためにこのマンションの部屋を購入したのだろう?ほとんど、住居としては使っていない。部屋の中に何か物でも隠しているのだろうか?」と太郎は疑問に思った。
越の風華・第一部〜須佐之男復活伝説殺人事件〜
前編 完 (2013年6月23日)
中編に続く
目賀見勝利
参考文献:
増補三鏡 出口王仁三郎聖言集 八幡書店 2010年4月 初版発行
新訂 三神の秘義 高良容像 富士見書房 昭和54年4月 初版発行
大本 出口なお・出口王仁三郎の生涯 伊藤栄蔵 講談社 昭和59年4月
出口王仁三郎の大降臨 武田崇元 光文社 昭和61年2月
日本・ユダヤ封印の古代史 マーヴィン・トケイヤー 久保有政[訳] 徳間書店 1999年1月
神々の黙示録 金井南龍ほか 徳間書店 1980年4月 初版
陰陽五行 稲田義行 日本実業出版社 2003年3月 初版発行
パワースポットガイド富士・箱根 深見東州 たちばな出版 平成23年5月 初版発行
『越の風華 第2部』では新たなる展開を用意しています。ご期待ください。