新天地へ(3)
どんな動物にも行動基準があるように、モフ子にももちろん明確な行動基準がある。
第一は当然、リトルと自分だ。そしてその次が親しい者。赤の他人となれば、まぁ余裕があればケースバイケースで、という事になろうか。
そんなモフ子の価値観だが、ずっと昔からそうだったわけではない。
たとえば、ペット狩りをしていた頃。当時の彼女は、子供じみた正義の理想と、それを嘲笑うような現実の間で揺れていた。家庭環境やら色々の問題もあり、当時の彼女はある意味メチャクチャでもあった。
善悪も正義も結局は相対的なもの。絶対の正義なぞないと気付かされた時、ひとは大人になるのだが。
モフ子にとって、その変化はむしろ明快でわかりやすいものだった。
リトルにしろマナにしろ、自分が大切に思う存在。それに危害を加えようという輩は全てが敵であり排除対象。それでいいのだから。
「……」
マナは、そんなモフ子の姿をじっと見ていた。
人間が吹っ飛び、破壊され、中身をちらかす。凄惨な光景だったが、マナだって十年以上ハンター生活をしているのだ。時には彼らの獲物や収入源を狙って人間に襲われる事もあったし、うわ、すごいと驚きはしたものの、眉をしかめる事はなかった。
むしろその冷徹なハンターの目は、モフ子の戦闘力を分析している。必要ならいつでも、自分の能力で助力できるように。
(筋力、瞬発力、咄嗟の判断力……すごい)
市街地ですらこれだが、もしこれが巨大な原生林の森の中ならどうなるか?さらに機動も立体的なものになり、手のつけようもなくなるのではないか?
逆にいうとその戦闘力は等しく「人間をやめている」とも言えたが。
(おわりね)
どうやら勝敗は完全に決したようだ。動く者はいなくなった。あれだけいた男たちを、モフ子は一人残らず始末してしまった。
あとは、さすがに疲れたのか動かなくなったモフ子と、まるで屠殺場のようになった現場だけが残された。
さて。
マナは即座に、自分のやるべき仕事にとりかかった。結界を解除するとモフ子に近づいた。
「『洗浄』」
あれほどの死闘を演じたとは思えないほど、モフ子は汚れてなかった。だがマナは一度きちんと洗浄をかけた。血の臭いはどうしたって付くからだ。
スキャンを行い、負傷や状態異常がない事を改めて確認する。
「『休息促進』」
休息効果のある魔法もついでにかけた。そして手を出した。
「おつかれさま、モッちゃん。さ、いこ?」
「……うん」
あの頃とは全く違う姿。
だが人か獣かわからなくなっていた姿も、今や耳や尻尾以外は人間に戻っていた。
戦闘後にちょっと呆けたようになっているモフ子は、マナにとって懐かしさを感じさせた。ふたりっきりで戦っていた頃、うっかりモンスター軍団にはまって長時間戦闘させられた後、ボロボロになって泣き笑いしながら帰った、懐かしい思い出が蘇った。
そうして彼らは家の中に入っていった。
少しして、家の周囲に追手らしき者たちが集まってきた。いかにも今追い付いてきたという感じだが、まわりに散乱している遺体にビビりまくっているのは見え見えだった。
「……おぇぇぇぇぇorz」
「ばか、こんなとこで吐くな!」
ここで、彼ら新住民はその欠点を露呈する事になった。
いくらツンダークだって、常に死と隣合わせという職種は限られる。死に慣れている人であっても、同じ人間だったものが散乱する場所というのは、かなり精神的にくるものがある。そういうのにも耐性が必要なのだ。
だが。スペックが高いだけで精神面がリセットされている新住民には当然、これらへの耐性はまだなかった。
そしてそれゆえに、家の中にある隠し扉を彼らが発見できたのはだいぶ後の事となってしまった。もちろんその頃には、モフ子たちは逃げおおせた後だった。
彼らは、大きな獲物を逃したのだった。
「というわけで、カルカラ王国いきの臨時キャラバンが出るらしい。今ここにいる居残り組一家の二割はそれに便乗するらしい」
「後の人たちは?」
「サイゴン組と、あとは、はじまりの国に行く奴がいるな。ただ、そっちに向かう連中は向こうに知人がいるとか、そういうのが多いみたいだ。はじまりの国も今ちょっと不穏な話があるから、もし行くなら中央神殿のお膝元、はじまりの町に行けって言われたよ。あそこなら絶対安全だからって」
「そう」
マナ一家とモフ子たちは、また先日のキャンプサイトにいた。人数が多いので再び、神殿でも土地解放したようだ。
ただし先日と違っていたのは、多数の神職が巡回しており、神殿自体に結界が張られていた事だ。それは神殿結界のようだが、どういう種類のものなのか、野営している避難民たちに近づこうとする西の国の兵士たちの侵入を阻んでいた。
そして、あちこちで時々、国家に逆らうのか、神のご意思に弓を引くのかという応酬が行われていた。しかし長居する者はなく、多少の応酬だけでひきあげていった。
「すぐ帰っちゃうのね。どこかで待ちぶせするのかしら?」
「どうだろう。この状況で神殿に敵対したら、それってラーマ神と敵対する事に近いだろう?そこまでやるかな?」
「新住民の兵士も引き上げてるね……」
「指示している奴が新住民じゃないからだろう。そりゃあ部下の不始末で神様に嫌われたくないよな」
「そっか。そりゃそうよね」
「それに新住民だって、別に無秩序の暴徒というわけじゃないらしいぞ。さっき聞いたんだが、神殿勤めとかにもいるらしい。まだ勤めだしたばかりで下働きが多いそうだけど、そういうとこの連中は普通に優秀なんだと」
「そっか」
そう。別に新住民の全てがおかしいわけではない。
彼らは真っ白な状態の時に政府関係者などに保護された。そして衣食住など与えられ、仕事に必要な訓練を受けていた。
当然だが、それ自体は別に悪でもなんでもない。強いていえば、そこで国への強い帰属心と、国に仕えない者、優れた能力をもって国に帰依しないのは間違いであり、それを良しとするのは悪であるという価値観を与えられているのが問題ではあるが。
「なるほど……おかしいのは、国に保護されて兵隊になった連中って事なのね」
ふむふむとマナはうなずいた。
「でも、だからってわたしたちが従わなくちゃならないって、おかしいよぅ」
「もちろんだ。しかも学校の子どもたちにまでロクでもない事吹き込むなんてな」
「だよねえ。……まったく、内政プレイやってた人たち、何やってたんだか」
確かにそれは内政プレイヤーの失敗でもあったが、今となってはどうしようもない。彼らはいないのだし、暴走しつつある西の国を個人でどうこうできるわけもない。
ひとは神様ではない。
国ひとつをひっくり返せるヒーローなんて物語の中だけの話だ。
たとえ、結果として全ての居残り組が西の国から逃げ出す羽目になったとしても、できないものはできないのだ。
さて。
モフ子とリトルだが、彼らは会話に参加しつつも、ほぼ寝ていた。モフ子に薬の副作用がくるのが予想外に早く、彼女はここに着いてから眠りっぱなしなのだ。
リトルはちゃんと話を聞いているが、そもそも基本が動物であるリトルは、たとえ人語を解したところで話に参加する事はないし、マナたちもそれを期待してはいない。モフ子はマナを助けに来てくれた功労者であり、当然、マナの一家ではモフ子を保護する気まんまんでもあった。
「もしモフ子さんが起きなかったら、子どもたちと一緒に馬車に乗せてもらおう」
「ええ、そうね」
「あと、何かお礼を考えておいた方がいいな」
「……」
「子どもたちの護衛をしてくれるわ、おまえを助けに行ってくれるわ、すごい奮闘だったからな。彼女には彼女の理由があるっていうのはわかるけど、それとこれとは話が別だ。オレはちゃんと礼をしたい。おまえはどう思う?マナ」
「うん……ただ」
「ただ?」
「わたし、今のモッちゃんが何を欲しがるかわからないの。そこは起きてから尋ねてみるしかないと思う」
「そっか……ふむ」
そんな話をふたりがしていた、その時だった。
『石英ヲ』
「!?」
「今の誰?」
突然に頭の中に響いた声に、ふたりはキョロキョロと周囲を伺った。
『水晶、マタハ石英ヲ。山デ入手デキナカッタノデ失望シテイタ。クチニハ出サナイガ』
「……」
「……」
響いた声の内容から、マオとマナの顔が、リトルの方に向いた。
「えっと……もしかして今のは、リトルちゃん?」
『……』
「えっと、石英とか水晶ってどういう事かな?何かに使うの?」
『……がらすヲ作ル。ソウ言ッテイタ』
「ガラス?……あー、そういう事か」
「何か知ってるのか?マナ?」
「うん。わたしはよく知らないけど、確か石英ってガラスの材料だよ」
「そうなのか。ん、まてよ?原料?加工するって事か?」
「うん。よくしらないけど、たぶん」
「そうか。という事は、くず水晶でも使えるって事か?商隊に相談してみるかな」
「何か伝手があるの?」
「ちょっとだけな。今あるかどうかはわからないが」
『……』
リトルは、そんな彼らの会話を再び無視するかのように、ついと横を向いて丸くなって眠り始めた。
「……」
そんなリトルに包まれるようにして、モフ子はぐっすりと眠り込んでいた。




