神獣の祭壇(2)
「まて!どこに行く!」
背後から追ってくる神官たちを無視し、リトルは走った。
神獣となったとはいえ、まだリトルは新米だ。モフ子に鍛え上げられた戦闘経験は、そこいらの神獣一般とは比較にならない戦闘力をリトルに与えていたものの、当たり前だが無敵ではない。囲まれたら最後、多勢に無勢で押し切られる可能性だってあった。
あいつはどこだ。
本能とカンに導かれ、リトルは動く。連れ合いの姿を探して。
トン、トン、と軽い足音と共に慣れた気配が近づいてくるのに気づいた。もっとも、向こうも随分と追手がいるようだが。
やがて、その気配の主と出会い頭に対面する事になった。
「……え?」
獣人姿のリトルを見て、呆然とフリーズしたモフ子。それを問答無用で引っ掴む。
「え?え?」
そして、片手を空にかざして──。
次の瞬間、リトルとモフ子は、鬱蒼とした森の中にいた。
「……ここどこ?えっと、たぶん神域だよね?」
『……』
「リトルだよね?」
『……』
「しゃべれないの?」
『……喋レル』
「そう。それ、元に戻れるの?」
『……戻レル』
「……そう。なら良かった」
ほうっと息を吐くモフ子に、リトルは首をかしげた。
この容姿……つまり獣頭人身の獣人がモフ子の好みである事を、リトルはなんとなく知っていた。
にもかかわらず、開口一番で元に戻れるのかと問い、戻れると知ったら安心するモフ子。それがリトルには理解できなかった。
とはいえ、今はどうでもいい事でもあったのだが。
『儀式、ハジメル』
「え?」
唐突なリトルの発言に、今度はモフ子が首をかしげた。
「ここで?さっきのとこ戻らなくていいの?」
『ココデデキル。戻ル、ウザイ』
「ウザいって……まぁ、確かにね。でもいいの?」
『イイ』
「そっか」
神殿の者たちがウザい、鬱陶しいという点については、モフ子も全く同意見だった。
リトルは、先刻もらった紙を広げた。
「うわ。これ何語?」
『黙ッテロ』
「あ、うん」
ゆっくりと、読み上げが始まった。だが、それは人間のそれとは根本的に異質の言語だった。
まず、音にバリエーションがない。少なくともモフ子には全く区別がつかなかった。
だが、どうもその謎の唸り声みたいなものが、ちゃんと言語になっているらしい。らしいというのはリトルの目だ。きちんと紙にある文を追いかけているのが、目の前にいるモフ子にはわかったからだ。
「!」
リトルが何かを唱えた瞬間、モフ子の身体に何か、見えない拘束のようなものがかかったのがわかった。
『ヨシ。オワリダ』
それで全部終了なのか。疲れたようにリトルが告げた。
そして気づけば、何か首輪のようなものをリトルは持っていた。
『ツケル』
「これチョーカー……いや首輪だよね?」
『ツケル』
「……えっと、まさか、あたしにこれ、つけろって?」
『ツケル』
「いやその……首輪は遠慮したいなぁ。ね?」
その首輪を見たモフ子は、ひきつった笑いを浮かべつつ首を横に振った。
無理もない。その首輪はモロに犬の首輪の外見で、しかも金具のところが奇妙なつくりになっていたのだ。一度はめてしまうと、外せそうな気がしないほどに。
だが、リトルは容赦なかった。
『ツケル……ツケロ』
「!?」
リトルの言葉が命令調に変わった瞬間、モフ子の身体にビビっと電流が走った。
「え……ちょ、待って、うそ」
モフ子の身体が勝手に動き出し、リトルから首輪を受け取る。
「ま、待って、ちょっとまって、やだなんで、え、ええぇぇ!」
だが、泣いても喚いても身体は止まらない。受け取った首輪を自分の首にあてがい、そして首輪が微かに光ったかと思うと、
「!!」
次の瞬間、首輪はモフ子の首にぴったりとはまっていた。
「や、やだ、とって、とってぇぇぇっ!!」
当たり前といえば当たり前だが、モフ子はパニックになった。自分の身体が自分の意思に反して、勝手に首輪をつけてしまったのだから無理もない。当然の反応だった。
だが。
『ダマレ』
「!」
リトルがモフ子の頭をつかまえ、両手でその顔を左右からはさみこんだ。そして顔を近づけ、モフ子の瞳を至近距離で覗きこんだ。
「!?」
モフ子の目が大きく開かれた。
「……」
『……』
「……」
そのまま、至近距離でふたりの顔は見つめ合っていたが、そのうち根負けしたのか、モフ子の目線が力なく横にそれた。どうやら、逆らっても無駄だと悟ったらしい。
しばらくの沈黙の後、リトルが言った。
『ソレ、神獣ノ首輪』
「……神獣の首輪?」
『ソウダ』
言われてモフ子も気づいた。ステータスを見ろという事なのだろう。
果たして、モフ子の見てデータは以下のようになっていた。
『神獣の首輪』
神獣形態を制御するための、訓練用の首輪。
半獣人が神獣形態を与えられると、その変身を自由に制御できない状態に陥ってしまう。これを何とかしようという趣旨の首輪である。ただし装着するだけではダメで、実際に頻繁に変身を繰り返し、なじませなくてはならない。
また、装備してしまうと完全な神獣にしか外せない。
「……これで訓練するの?」
『ソウダ』
「でも、変身ってどうするの?」
『コウスル……変身シロ』
「!」
リトルが命じた途端、モフ子の身体が勝手に変身を開始した。
「え……あ」
モフ子が何か言おうとしたが、もう言葉にならない。いつもの変身より数倍の速さのようだ。
またたくまにモフ子は変化し、そこには一頭のメスの獣がいた。
『フム』
リトルはモフ子を見て満足そうにうなずくと、自分もサーベルタイガーの姿に戻った。
「ニャー」
「うにゃー」
そしてモフ子の背後にまわりこむと、後ろからのしかかろうとした。
「にゃーあぁぁぁぁあああっ!」
「ニャ」
モフ子が拒否の鳴き声をあげそうになったので、後ろから首の根元に噛み付いた。
首の後ろは、母猫が子を運ぶ時に噛むところだが、交尾の際、メスを落ち着けるためにも噛む事がある。今もそうで、首の根元を押さえられたモフ子は次第に動きが鈍くなり、そしてとうとう落ち着いた。
それを確認し、モフ子が拒まなくなった事を読み取ったところで、リトルは上からモフ子にのしかかった。
「!」
今度はモフ子は逆らわなかった。のしかかられたところでビクッと反応したが、やがて身を任せてきた。
◇ ◇ ◇
「……!」
モフ子が我に返ったのは、なぜか山の麓だった。
いつ下山したのか、そもそも、いつ神域から出たのか、全然覚えがなかった。わけのわからない状況で、モフ子は周囲を見渡した。
時刻は、どうやら深夜だった。だが月が出ていないのに、モフ子は眉をしかめた。
「どういう事?……あら?」
メニューの時計を見てみるに、どうやら派手に時間がずれているらしい事にモフ子は気づいた。山に入った日からすると、半月以上は経過している。
そして、モフ子はその時間経過の意味する事をも知っていた。
「えっと、神域って確か、時間経過が現実と違うんだっけ。じゃあ実際の時間経過は……あ、ログ見たらわかるかな?」
メニューにはログが残っている。そして、そこには常に主観時間、つまり実際にモフ子自身が経験した時間の長さが記録されているはずだった。本人が寝ていようがどうだろうが。
はたして。
「……二年と八ヶ月経過って……?」
主観時間の方は、さらに意味不明だった。
リトルはというと、いつものように丸くなって寝ている。いつもの事なのだが、モフ子ひとりで寝たはずでも、いつのまにかリトルにくるまれて団子状態になっている事が多いのだ。理由はわからないが。
「……とりあえず、朝になったら帰ろっか」
どうやら、あまり考えない事にしたらしい。
リトルにくっつき直し、そのまま寝てしまったのだった。
帰ります。




