試練の山へ
少し短いです。
新しい朝がやってきた。
といっても別に何が代わり映えするわけでもない。青空は同じように広がっていた。今日もゴンドル大陸塊西大陸・西の国地方は快晴で、吸い込まれそうな晴天が広がっている。
だけど、朝のキャンプ地をまとう空気は一種独特のものだった。
「おはようございます」
「おはようございますぅ」
たった一晩の出会いだったというのに、テント村の横のつながりは結構強くなったようだった。
無理もない。
ここにある全てのテントにつき一人もしくは二人程度の人間は元プレイヤー、つまり異世界人だ。そして昨夜彼らは、同じ故郷、本来帰るべきだった故郷を永遠に亡くしたのだ。こちらの世界に逃げ込んだ者も、何かの理由があってこちらを選んだ者も、今やもう同じ。ログアウトボタンはもうない。この世界で共に生きるしかないし、たぶん死に戻りもない。
その共通の認識が共感を産んでいた。
そして、彼らの家族たちもまた、はるかな故郷を捨て残ってくれた家族への優しい気持ちに満ちていた。
「それじゃあ、モッちゃんは予定通り、試練の山に行くのね?」
「うん。マナて……」
「モッちゃん?」
「……ああもう、わかったよマナ」
「うんうん」
昔も今もそうだが、どうもモフ子はお気に入りの存在に対して甘い傾向があった。
「マナはお家に帰るのね?」
「もちろん。ただちょっとやる事できたみたいだけど」
「あー……昨夜のあの件?」
「うん。あの腹黒王子のチームだもん、何を残してるかわかってもんじゃないからね」
「大変じゃん。居残り組って戦闘職少ないんでしょ?」
「でも放置はできないと思うの。新住民の問題もあるしね」
「新住民?」
「うん」
マナは大きく頷いた。
「ボコボコが触れてた居残りの話って、正しくは私たちの事じゃないのよ。つまりね、私たちとは別に、高レベルの『新しい住民』がどこかにいるわけ」
「……それって」
「うん。西の国政府の対応次第では、ちょっとこわい事になるかもしれないよ。調査はどうしても必要だよ」
「なるほど」
居残り組は西の国の政府に興味がないか、不信感を抱いている者が多い。これは昨夜マナに聞いた事だったが、理由を聞いてモフ子も納得した。
西の国は、以前からあからさまに異世界人の情報を掴み、取り込もうとしているようだという。
「学校でもウチの子たち、あからさまに異世界人の子だって見られているみたいなのよね。学校がそういう目で見ていると、どうしても子供って敏感でしょう?」
「まさか。いじめとかあるの?」
「ううん。でも上の子の話によると、仲間分けしてゲームとかする時に浮くことがあるんだって」
「……異物扱いってことか」
モフ子は自分の体験でその空気を知っていた。だからおもいっきり眉をしかめた。
「少し前だけど、役場の人間が来たの。子供の情報を把握したがっているのもそうだけど、何が何でも『市民登録』させたいみたいなのよね。あからさまに『異世界人は国にとって諸刃の剣ですので、いざという時に国家の保護下にある方がお子様のためにも安全ですよ?ご両親とも危険なお仕事ですし』とか言い出すわけよ。一番安全じゃないのはどっちだっての」
「それは洒落にならないね。ちなみに市民登録って?」
「西の国の国民としてのサービスを受けるには市民登録が必要なのよ。そして納税義務が発生する代わりに選挙に参加できる。国政に関わる事ができるってわけね」
「ふむ。まっとうなとこだね」
「どこが。異世界人は収入の七割を税金として持っていかれるのよ?」
「うげ、なにそれ。なんでそんな事?」
「もちろん裏があるのよ。納税は簡単に免除できるようになってて、そして免除の方法っていうのが」
「……ああ読めた。国家に忠誠を誓えって事か。徴兵とか政府機関への帰属とか」
「はい正解。納税全て免除のうえにお給料ももらえるよ?月収で金貨二枚って『高給』が基本給だそうで」
「安っ!」
「だよねえ?」
モフ子とマナは大笑いした。そこにマオが口を挟んだ。
「西の国一般では確かに安くないな。それに職能給もつくわけだしな。
でも、マナと長年一緒にハンターやってる身としてはわかる。異世界人にはなんの魅力にもならないよな」
「うんうん。私と旦那様とか、子どもたちが学校行ってる時にちょっとパートタイムで稼ぎに行くだけで充分以上に足りるんだよ?家だって現金で買っちゃったし」
「……そんなに違うもんなの?」
モフ子にしてみれば、ツンダーク人の常識的な狩人基準があまりわからない。マナの旦那であるマオの意見は貴重だった。
「まずテンポが段違いだ。
普通は警戒しつつソロソロ入らなくちゃならない場面で、上級魔法の防御スクリーンつきでドーンと入れちまうだけでも全然違うよ。普通なら地道に何日も、何週間もかけて追跡するところが二時間で終わったりするんだよな。
で、その空いた余裕を本番の大物狙いに全部回せるってわけさ。これで余裕がなかったら嘘だぜ」
「なるほど」
「もちろん安全第一だぞ?子供もいるしな。
でも、ここいらにいるようなモンスター相手に上級回復師がついてて、致命的な怪我って負うと思うか?」
「……モンスター側に同情したい気分ね」
「まぁ、そういう事さ。むろん現場ではここまでお気楽じゃないけどね」
思わずモフ子はためいきをついた。
家庭持ちなのに冒険者もどきの仕事を続けているのかと言いたかったが、ちゃんと家庭向けに安全牌を確保したうえでの仕事らしい。とりあえずは安堵すべきか。
「話を戻すよ。
そんなわけで、私たちは西の国政府を信用してないわ。最悪の場合は動く可能性も考えてる」
「動く、ね。行くならどこ?」
「カルカラ王国ね。モッちゃんの話を聞く限りシネセツカも悪くないけど、ちょっと自然界が厳しい気がするの。子どもたちがまだ小さいし、慣れない土地で無理はしたくないから」
「カルカラかぁ。あたし行ったことないけど、いいとこなの?」
「うん。国土が狭くて都が半分海の上っていう凄いとこだけど。村のほとんどが水の上ってとこもあるよ」
「ひえー。大丈夫なのそれ?」
「土地柄、水のモンスターや魚介類が半端無く豊富なのよね。私、お魚食べたいから」
「あ、お魚かぁ。……いいね」
「でしょ?」
にひひ、うふふと笑い合うふたり。
「オレも魚は嫌いじゃないが……異世界人ってのはどうしてそんな魚好きが多いんだ?」
「異世界人がみんなそうってわけじゃないよ。ただ、あたしたちの故郷、日本っていう国は島国なんだよ」
「……なるほど。当然、魚好きの比率が高いってわけか」
「うんそう」
「だねえ。さて」
やがてモフ子は立ち上がった。空気が変わったのに気づいたのか、リトルも静かに移動してきた。
「よし、そろそろあたし行くよ。そんじゃマオさん、マナて……マナをよろしくね。みんなも元気でね!」
「またー」
「……また」
「うー」
「……」
思い思いの見送りを受けて、モフ子とリトルはスタスタとテント村の出口に向けて歩き出したのだが、
「あー悪いちょっと」
「?」
マオがなぜか追いかけてきた。
「何かしら?」
「ちょっと忘れ物。ひとつ聞くの忘れててね」
「はぁ」
なんだろう?
ちょっと首をかしげたところで、マオがちょっといたずらっぽく笑った。
「マナティってどういう意味なの?なんでマナティだったの?」
「ああ、それ」
モフ子は少しだけ苦笑いすると「ないしょだよ?」といいつつ耳打ちした。
「あの子が泳ぎのスキル持ってるの知ってるよね?
マナティっていうのは異世界の海に住んでるレレナみたいな動物なんだけど、草食でずんぐりむっくりしてて可愛いのよね」
「ふむふむ」
「あの子とはじめて会った時、あの子武装もしないで『はじまりの川』で泳いでたんだよ。あたしたちってメニューシステムを有効にすると全部脱いでも下着姿になるんだけどさ、いくらなんでも異世界初日に、何がいるかもわからない川で裸で泳ぐとか、どんだけ不用j」
「ねえ。なんの話をしてるの?」
「!!」
「!!」
モフ子の言葉は、音もなく近寄ってきたマナに遮られた。
「ん?おまえが不用心な子だから気をつけてあげてって言われてたんだが?」
「違うでしょ。ひとが嫌がるアダ名の由来を聞いてたんでしょう?旦那様?」
「表面だけ聞けばそうだろうな。でもオレは『マナティ』って言葉を彼女が妙に気に入っているようだから、特別な意味があるんじゃないかと思った。だから、おまえと離れたところで、わざわざ聞いてみたんだぞ?」
「む……」
理路整然と言い返すマオに、モフ子は内心「すげー」と思っていた。
そう。マナはその、普段のぽややんとした態度とは裏腹に理論派であり論客で、ナメてかかるとボロボロにされる。おそらく子育てのおりにはその能力を遺憾なく発揮していたに違いない。
そのマナをやりこめる。
さすがは旦那だとモフ子は舌を巻いた。
ようやく動きます。
ちなみにレレナっていうのは誤記ではなく、アザラシみたいな動物の事です。




