裏側
サトルとフラッシュが寝室に引っ込んだ後。
道具屋店主ロル・ガラムは、サトルの渡していった金貨をじっと見ていた。
「まだ残っていたとは……知らせないわけにはいかないだろうな」
そうして彼は立ち上がると工房に入っていった。
彼は道具屋だが初期のポーション類も販売している。そもそも彼の本業は錬金術師であり、道具屋も開業当初は薬屋だった。実際、今も薬類は全て彼の作品だし、頼まれれば高度な治療薬を作る。つまり今の道具屋は彼の手抜きの結果だった。自作の薬だけで食いつなぐには高級薬に手を出すしかなく、すると面倒なところに目をつけられる。さりとて安い薬を大量に作るのは退屈で鬱陶しいというわけだ。
工房の奥のはしにはひとつ扉があった。これを開くと薄暗い階段が続いており、さらに降りていくと、この世界の神を示す紋章の描かれた木の扉があった。
扉を無造作にくぐると、そこにはカウンターバーの一室のような空間があった。
「ようロイ、今夜は早いな」
「おう」
何人かの住人が先にいてカウンターに座っていた。
よく見ると、扉はガラムの出てきた扉の他にもいくつかあった。それぞれに刀剣や衣服、さらには王城や騎士団を示す印がついていた。そこから想像できる事は、ここが何かの秘密クラブのような空間であり、その存在は地上には一切……プレイヤーも含めて、知られていないだろう事だった。
ガラムは慣れたしぐさでカウンターに座り「いつものくれ」と言った。はぁいと返答したのはカウンターの中にいる娘だが、これも昼間のランチタイムには地上のレストランにいた顔。ただし、昼間とはがらっと変わって大人の雰囲気を漂わせていた。
「ロイ、テイマー坊主はどうしてる?困った事は起きてないか?」
「今のところ順調だと思う。何より連れのウサギがなかなか優秀らしくてな、あれはいいテイマーになるぞ」
「そうか……」
「魔法の方はどうだね?わしが出張る必要はあるかな?」
ローブ姿の老人が問いかける。おそらくは魔法屋なのだろう。
「今のところは問題ないと思う。じいさん、俺はテイマーの魔法はよくわからないが、あれもモンスターから習うで正しいのか?」
「ああ正しいとも。テイマーはそもそも『操る者』ではなく『共にある者』じゃからの。必要なものはパートナーや、仲間にしたモンスターたちが教えてくれるんじゃよ」
老人はどこか遠くを見る目をして、手元にあるお通しっぽいマメを少しとって食べた。
「むろん普通の魔法も覚えれば使える。使えるが、テイマー魔法の真骨頂は獣魔法や冥魔法のように、人間が扱えないはずのものが使える点にあるんじゃ。ここを外す手はあるまいよ」
「そうか。なら良かった」
うむとロイもうなずいた。
「あとはテイマー狩りってやつ?あれをどうするかだよねえ?」
「そっちは何とかなるだろう。とりあえず寝込みを襲われる心配はないわけだしな」
「ああ、そうだな」
サトル少年はガラム道具店の世話になっているが、この事は大きかった。
宿屋には第三者が入れる。部屋の鍵は盗賊なら破れる。モラルを無視して凶行に走るなら、少年本人はともかくパートナーのモンスター側は危険といえる。防ぐ手段が限られるからだ。
だが道具屋は民家だ。
「専門職の家や普通の民家は宿屋とは違う。異世界人どもは入れないからな」
そう。実はツンダークの場合、一番安全なのは一般民家なのである。
ツンダークを簡単にいうと、既に完成された『世界』の上に『ゲームシステム』を被せる事で実現されている。それが店舗などで出てくるメニューだし、サトルたちの使っているスキルシステムだ。難しい事の手間を省いたり、現状をわかりやすく見せる事でゲーム性を高めているわけだ。
さて、問題はここからだ。
ゲームという形態を保つために、プレイヤーと住人の間にはいくつかの制限が設けられている。その最たるものが進入禁止区画の存在である。今彼らがいる密会所はもちろん、宿屋を除く店舗の個人区画、王城の住人専用エリア等、決して入れない場所がいくつか存在している。そこは『ゲーム』とは別の区画だから入ってもらっては困るのである。これはシステム側で厳格に禁止されており、決して外れる事はない。
ではなぜ、サトルはガラム宅に寝泊まりしているのか?
簡単である。
たとえば、住人と口頭で対話したプレイヤーはメニューシステムの制限から外れる。ミミが一般プレイヤーと違って食堂で普通に食事できたのもそのためだ。システム的には、単に満腹度パラメータが満たされる擬似食でなく、きちんと食事できたという事だ。いつもと違う味だったのはそういうわけなのである。
では、さらにサトルのように住人に気に入られ、招かれた場合はどうなるか?
その場合『ガラムの友人』という属性をキーワードに、メニューどころかゲームシステム自体の軛からも外れてしまうのである。だからこそ、ゲームでは入れないはずのガラムの家に居候できてしまうわけだ。
(この構造を後に聞いたサトルが「スマホの脱獄みたいなもんか」とわけのわからない事をいってガラムたちを困惑させたのは、まぁ余談である)
では、そのサトルやミミを狙って悪意ある人物が追ってきたとしたら、どうなるだろう?
答えは簡単である。彼らが食堂に入っても、ガラムの店に入っても、そこにはミミもサトルも見出す事はできない。それどころか店に入った瞬間、コンパスに出ていた表示も消えてしまうのである。サトルの場合はもっと極端で、たとえサトルとフレンドしていたとしても、サトルがガラムの居住区画に入った瞬間、オフライン表示に切り替わってしまうのである。
つまり、ガラムの家にいる限り、プレイヤーがサトルたちに近づく術はないわけだ。
閑話休題。
「ロイ。気持ちはわかるが異世界人という言い方はやめておけ。プレイヤーと言った方がいいぞ」
「うんうん。それで今日、怪訝な顔されちゃったんですよね。やっぱりプレイヤーで統一したほうがいいね」
「そうはいってもなぁ」
彼らにとり、メニューを使う客は「その他大勢の異邦人」にすぎない。手間がかからずお金も入るから邪険にはする事はないが、何しろ目の前にいるのに会話もなければガン無視同然の対応をされては気分も悪くなろうというもの。愛着が沸かないのはどうしようもない。
そして、それゆえに普通に口頭で語りかけてくるプレイヤーにはどうしても甘くなる。
「そういや、工房ギルドのお嬢ちゃんがとうとう落ちたって?ほら、あのウサギ連れの」
落ちたというのは彼らの隠語である。まぁ意味はお察しくださいなのだが。
「あ、それ本当ですよ。ロイさんのとこを紹介したんだけど、ロイさんどうでした?」
「ん?ああ来たとも」
「ロイさん?まさか何かあったの?も、もしかしてあの娘、例のテイマー君のコレだとか?」
ガラムの微妙な反応にカウンターの娘が反応する。何か恋バナ的なニオイを感じたのだろう。
「それはないだろう。多少は気があるようだが……接近しようとしても妨害されるだろうしな」
「妨害?誰?ひとの恋路を邪魔する人がいるって事?」
「ひとじゃないさ。ウサギだ」
「?」
ガラムの言葉に、周囲の者は首をかしげた。
「サトルのウサギはメスだ。あの娘のウサギは……ありゃあオスだろう。あの娘と話してる間中、うさんくさそうに俺の事を見ていたからな」
「うわぁ……」
娘が苦笑を貼り付けた顔で嘆いた。
「ウサギって町の近くまで来るから仲間にもペットにもしやすいってのはわかるけど……どうして異世界の人はウサギにあんな無警戒なのかしら?」
「うちの常連君の話じゃ、彼らの世界のウサギは小さいそうだよ。だから問題になる事はないらしい」
「なる。ま、そうだよねえ」
「教えてあげたほうがいいんじゃないか?特に女の子の方はな」
「いや、まて」
皆の会話を老人が遮った。
「もしかしたら、それも神様の導きなのかもしれんぞ」
「どういうこと?」
「知らんのか?マリエ」
「?」
カウンターの娘……マリエは首をかしげた。
「実はの」
その答えはガラムでなく、魔法使いの老人が語った。
「今回の異世界との接続じゃが、こんな話を小耳に挟んだんじゃよ。
いわく、現金収入や世界の活性化は建前にすぎないというんじゃな。つまり、ラーマ神様の真の目的は『客人』ではなく、新しい住人そのものなんだとな」
「住人!?」
うむ、と老人はうなずいた。
「しかしそれは無理でしょう?彼らは、いわば夢を見るような感じでこの世界に来訪しているのだといいます。かりに彼らがこの世界を気に入ったとしても……そんなものが住人といえますか?」
「さてな、わしにもわからんよ。何せ相手は神様じゃ、確認してみるわけにもいかぬ」
「……」
「じゃが、あの娘を覚えておろう?やってきた最初の異世界人を」
「……」
みんなの言葉が詰まった。
そう。誰も忘れていない。まだわずか数ヶ月前の話なのだ。
「思えばテイマーというのは随分と特殊な業種じゃ。システムによると全ての生きる者は自分の『所属』や『属性』を持っているという事じゃが、テイマーはその『所属』を書き換えてしまうんじゃからな。ペットの親戚のように考える者もいるがとんでもない。そんな単純なものではない。
じゃが、だからこそじゃ。
テイマーが、おのれの所属先を書き換える力を持つというのなら……かりにテイマーを極めた者が『この世界にずっといたい』と願ってしまったら……何が起こるんじゃろうな?」
「……」
皆、完全に黙ってしまった。
しばらくしてから、
「すまん、なんか話題の途中で悪いが、これも関係ありそうなんで出しておく」
うん?と、思い思いの顔をガラムに向ける面々。
「これだ。サトルが森で拾ったらしい。帝国金貨だ」
「!」
ガラムがポケットから出した金貨に、皆がギョッとした顔をする。
「異世界側の『ゲーム』の設定には旧帝国なんて存在しないんだろう?なのに、なんでこんなもんが落ちてる?まずくないか?」
「それは……」
「それは仕方ないじゃろう」
老人が苦笑ぎみに笑う。
「そもそも、あの『ゲーム』とやらは、この世界で客人たちを遊ばせるために神がお作りになった仕掛けにすぎぬ。遊びの枠組みの中で、遊びの歴史を見て、遊びのクエストを楽しみ、そして満足して帰る。ぶっちゃけいえば、そういうものじゃ。
じゃが、所詮つくりものはつくりものじゃ。細部にはボロも出るって事じゃろうて」
「しかし、サトルはテイマーだ。じいさんの言うようにテイマーがそういう危険な要素をもつっていうんなら」
「ありうるのう。いやむしろ、その金貨を森に配置したのが、他ならぬラーマ神様そのものという可能性もありうるかもしれぬ」
そこまで言うと老人は、ふっと表情を和らげた。
「ロイ。まさかの時は、少年の力になってやれ。もちろん我らの手を借りてくれてもかまわん」
「言われるまでもねえよ」
うむうむと老人は、ガラムの返事にうなずいた。