末路
そろそろ、一区切りです。
気がついたら、モフ子は白昼夢の中にいた。
いつそうなったのかはわからない。ひとが居眠りする時、自分がいつ寝たのかなんて本人にわかるはずもないものだ。だからモフ子にはそれがわからない。気づけばそこにいたという感じだった。
メッセージを読んだまでは覚えている。
だけど襲撃者と会話をはじめた時、しゃべっているのは既にモフ子本人ではなく、別の誰かだった。
(神様でしょこれ。どさくさに何やってんのよこの人)
夢の中なのに頭をなでられたような気がした。うれしくない。
ところでこの神様、妙なところで万能ではないようだった。完璧に見えるが、変なところがバカバカしいほどに間が抜けているというか。
今もそうだ。合衆国の発音がやたらと流暢なのが笑えた。当たり前だが、日本生まれの日本人、しかも引きこもりなモフ子にはちょっと無理なきれいな発音だった。もし、この場にモフ子の知人がいたら間違いなく別人と思ったに違いない。
実際、初対面にすぎないはずのメンバーの一人が眉をしかめていた。あのハゲオヤジはおそらく違和感をもったに違いない。
戦い、危機、そして変身。
自分の身体がサーベルタイガーもどきの猛獣に変化したのを見ても、モフ子は驚きはしたが嘆きはしなかった。ひとを別人に変えてしまう神様の力があれば、モンスターにしてしまうのも簡単だろうと思っていたからだ。あーあ、勝手な事やってくれちゃってもう、程度には思ったようだが。
だが。
(ちょっと待てコラ)
リトルが可愛い声をあげて擦り寄ってきたのを見て、なぜかモフ子は激しくムカついた。
(こらリトル、それはあたしじゃない、やめろっていうか神!いいかげんに身体返せ!)
それは客観的にいえば、嫉妬または独占欲だろう。自分の身体を勝手に操られている事より、リトルを取られる事の方にモフ子は眉をつりあげた。
しかも、仲良さそうに二頭は寄り添って山を降りていくではないか。だんだんと雰囲気もよくなってきて、モフ子のイライラはさらに激しくなっていく。
そしてそれは、二頭の鳴き声が親愛から求愛っぽいのに変わり始めたところで頂点に達した。
(いいかげんにしろっっ!!)
またしても頭をなでられたような気がした。
だが次の瞬間、モフ子の意識は、とろけるような眠気の中に霧散してしまった。
「……あ?」
目覚めた時、モフ子がいたのは見知らぬ荒野のど真ん中だった。
見渡すかぎり、何もない。たまに思い出したように小さなブッシュがあるようにも見えるが、それ以外は凹凸すらない平坦そのものの大地が広がっていた。
知らない。こんな場所があるなんて聞いた事もない。
「ここどこ……?ウエッ!?」
自分が全裸なのに気付き、大いにあわてた。そして急いでアイテムボックスから着れるものを取り出そうとしたのだけど。
「……なにこれ?」
自分の尻のあたりに、なんか見覚えのない尻尾が見える。
「……」
激しく嫌な予感がした。で、その尻尾を掴んでみた。
「っつっ!」
めちゃめちゃ敏感だった。自分の手の感触なのに、鳥肌がたつかと思った。
だが、果てしなく奇妙な感じでもあった。
そもそも、今まで存在しなかったに等しい器官である。それが存在し、しかも触るとちゃんと尻尾を触られたとわかる。そして、自分の意思を動かせる。
「おっ……おお?おー……」
自分がすっぽんぽんなのも忘れて、しばらく尻尾遊びに夢中になった。
さて、やがて自分が裸なのを思い出して「いけない!」と、再びアイテムボックスをあさりだしたのだが、
「……尻尾があるとなると」
履けるものがない。
ローブ類はもちろん大丈夫だが、それは裸コートと同じようなものだ。なんていうかエロい感じがするし、根本的な解決になっていない。
「って、あれ?このホットパンツ無事なんだ。なんで?」
変身の瞬間に着ていたはずのチュニック、そしてホットパンツが普通にインベントリに入っていた。驚いた事にグローブもである。まぁ、獣人用となっているので問題ないはずだが。
とにかく、それを再装備した。
ブーツもあったが、それは完全に破壊されていた。履けやしないだろう。
それに、そもそも別の理由から、もうブーツは履けなかった。
「……これは」
両足が途中から変わっている。膝から下が毛皮に覆われたままで、足のサイズも変わってしまっている。そもそも頑丈さが全然違う。
そして、足の裏の感触が奇妙だ。しかもちょっと肉球チックで見た目にもグロい。
「なんていうか……獣の足を人間風にしたって感じ?」
これでは何も履けない、というか履く意味もほとんどないだろう。
「むう……」
ところでリトルだが、そんな痴態を繰り広げるモフ子の隣で普通に寝ていた。あたりまえだが服装問題には興味がないらしい。
モフ子は、そんなリトルの事もちらっと見た。明らかに成獣になってる彼のステータスも調べる必要があったのだけど、寝ているならまぁいいかと自分に意識を戻す。
とりあえず、装備はすんだので立ち上がった。後ろに尻尾があるせいか、今までよりずっと安定度が増した気がした。
「『幻想鏡』」
鏡の魔法を使って自分を写してみた。そして、
「うわぁ……なにこの獣耳女」
そこにいたのは、褐色の肌で何故か不安そうにしている、獣耳と尻尾つきの女だった。
耳は頭頂部でなく人間同様に側頭部にあるが、明らかに耳の形が霊長類のそれではなかった。先の方はフサフサになっていて、なんとなくファンタジーゲームに登場する、ユーザーに日和った『自称・獣人』の、その実ただの長耳族ってやつを連想させる。あるいは某社のエロゲに出てきたアイヌっぽい民族社会の人間たちか。
んで、尻尾はいっちょまえに猫族のロングテイル。一部の変な日本人に萌えとか言われそうで、頭痛がしてきた。
「どうせなら、カジー○みたいにしてくれたらよかったのに……」
昔遊んだ洋ゲーの猫人族の名を思い出し、ちょっと切ないモフ子だった。豹頭のカッコいいイケメン男で自信過剰ぎみの同族のウイザードと共に漫才みたいな冒険を繰り広げた、あの懐かしい日々が脳裏をかすめた。
実にどうでもいい話だが、モフ子は獣人萌えだったようだ。
「さて、とりあえず身の回りは確認したとして……ここはどこかな?」
マップ画面は近距離しか写さない。開いてみたけど『現在地不明』となっている。町も村も近くにはないようだ。
「ふむ……とりあえず腹ごしらえして、それから移動かな?」
備蓄食糧はまだある。水もどうにかなる。
ならば、食べ物が尽きる前に何か見つけて仕留めればいいだろう。
ここで、真っ先に人里にいこうと考えないのがモフ子らしいところだった。
斥候兵として単独行が多かった事もあるが、モフ子はサバイバル技術の持ち主だった。生活魔法のあるツンダーク上限定ではあるが。で、だから何がなんでも人里にという概念が希薄だった。
「……ニャ」
腹ごしらえ、のところに反応したらしい。リトルもゆっくりと起きだした。
「おはよ。あんたも立派になった事だし、どれくらい食べるかとか、ちゃんと把握しなきゃね」
「ニャ……」
リトルは、好きにしろと言わんばかりに、のんびりと大きなあくびをした。
とんでもない状況でのとんでもない目覚めにも関わらず、ちっとも動じていないお気楽すぎるモフ子。そして、全くもって通常営業のリトル。
ツッコミ役がいないのもあって、どこまでもズレている一人と一匹だった。
◇ ◇ ◇
何だか知らない場所に逝ってしまったモフ子はとりあえず強く生き抜くとして。問題は今回の件に参加したサンディと、彼女の仲間のギルドであった。
実のところ、彼らの動きに注目している者は多かった。モフ子に私怨を抱いている者はほとんどツンダークに残っちゃいなかったが、元ペット排斥過激派という一点において、その結末に注目しているプレイヤーは意外に多かったのだ。特に本来、中立派であるが今回その中から離反者を出してしまったボコボコ王子のグループは、当たり前だが非常に注目していた。
だが結果は意外なものとなった。つまり「我々としてはこれ以上の追求をしない」という声明がギルドの名前で出されたからだ。また、いくつかの事情が明らかになった。
まず、今回の騒動の直接の引き金になったプレイヤー『サンディ』のツンダーク引退。
彼女はそもそもネトゲに癒やしを求めていた。彼女なりにモフ子の現実には納得したようだが、それとこれとは話が違う。完璧なVRMMO世界での癒やしを捨てるのは心引かれるようだったが、そのうち待てばいいネトゲができるでしょうと、未来に期待を込めていたという。まぁ本人は「卒業」をやたらと強調して周囲に苦笑されていたようだが。
次に、彼女のギルドの運営健全化宣言。
今回、中立派に埋没しながらペット殺しをしていたメンバーがいる事が発覚したと、彼らは自分たちで自己申告した。そしてそのうえで、モフ子なる元過激派プレイヤーに接触した事を告げ、そして「我々が間違っていたと確信した。迷惑をかけた関係者にはおわび申し上げる」と言った。そして「彼女が自分のペットを非常にかわいがっているのを見て、ただ陳謝するより、自分たちも行動で示すのがよいのではないかと考えた。一度初心に帰り、自分なりのプレイスタイルを見直そうという意見で一致した」という言葉で結んだ。
これらの報告は賛否両論となった。
当初「あまりにも美辞麗句すぎる」という穿ったような批判も吹き出した。だがメンバーのひとりが記録していた映像……残念ながら動画が残っていなかったのだが、それが流された事により、新たなる謎がプレイヤーたちを激しく賑わせたのだ。なぜなら、そこにはサーベルタイガーに似たモンスターに変身していくモフ子と変身後のスペックという、ツンダークでは未だ誰も見たこともないデータの塊だったからだ。
たちまち、最初とは別の意味での賛否両論となった。
まず、モフ子とリトルのコンビのありようが、従来のペットと飼い主とも、テイマーとその仲間たちとも違っていた事。
そして変身前のモフ子の職種が不明だった事。
通常戦闘の時のデータは軽戦士となっていたが、おそらくそれは見せかけだろうというのが解析派のプレイヤーの結論だった。動画ではないから断言はしなかったが、明らかに軽戦士のスペックをオーバーしているというのだ。また証言を信じるならツンダークで初めて確認された変身型のライカンスロープであり、種族系を調査しているプレイヤーは大騒ぎになった。当のモフ子の行方がさっぱりわからない事も含め、謎と憶測を呼びまくった。
それらの事は先のサトル青年の事件も含め、人々の関心を「動物と共に生きる」というプレイスタイルに大きく傾倒させた。そしてこれが後に、獣戦士のようなタイプの職業の数々がプレイヤー社会に知られるようになる、最初のきっかけともなったのである。
そして、時は過ぎていく。
日本の暦で『ひと回り』というと、ふたつの意味がある。十二年と六十年だ。後者については知っている者が少ないだろうが、空間を現す十干と、時間を現す十二支の組み合わせがちょうど一周するのにかかるのが六十年で、これがいわゆる還暦の元になっている。昔は年号なんて時代でバラバラだったから「昭和の四十二年・丁未の生まれにございます」なんて干支を組み合わせて紹介したわけだ。六十年で一回りだから、それだけで生きている人の歳を表現するには充分足りたので、太陽暦が採用される明治までは少なくとも、そういう言い方がなされたと思われる。
とはいえ、ネットやコンピュータの世界では六十年どころか十二年でも十分に長い。
ツンダークの中でも十年を越える時間はさすがに長かった。巨大すぎる世界は今もなお冒険者を魅了しつづけ、今や老舗のVRMMORPGでありながら多くのユーザーを抱えてきたツンダークだったが、そろそろ次のフェーズに進みたいのか運営上の何かがあったのか、サービス終了を告げる時がとうとうやってきた。
そんな中。
まったりと野良生活をしていた一人と一匹にも、ひとつの転機がやってきたのだった。
もちろんですが、昭和四十二年頃にはもう、丁未なんていい方はしなかった。ただ明治より前だと手元に資料がなかったので。
寅年や丙午は女の子を避けるとか、そういう習慣は最近はどうなのかな?




