初仕事へ
朝。
チュンチュンと聞こえてくる鳥の声。ガラスがないため締め切られた窓の内側は薄暗いが、適度にスリットの入れられた窓ゆえに、外が明るい事は感じられた。
「……」
まず、ムクッと顔をあげたのはリトル。周囲の状況を静かに確認すると、傍らに絡みつくように寝ているモフ子を見て、そして長い尻尾を揺らす。
モフ子の寝相はというと最悪なのだが、当人の問題というより、爆睡中に好き勝手に弄くられたように見えるのは何故だろうか。ただでさえ短いキャミソールがまくれあがって胸が露出しているし、ホットパンツも半分ずり落ちている。それ以上は危険なのでコメントしないが。
「……」
ほぼ、むき出しになっているモフ子の臀部に目をやる。
本来そこはふっくらとした尻の形があるはずだ。だが中央よりわずかに上に小さな突起物があり、リトルは目を細めた。
ほんの小さな出っ張り。その部分だけ異様に濃い毛に覆われた、まだ本人も知らない何か。
そう。
それはまるで、生えかけた尾のように見えた。
「……」
リトルはその奇妙な出っ張りを満足気に確認すると、モフ子の身体を静かに自分の身体から引き剥がした。さらに、ズリ落ちているホットパンツを器用に咥えてひきあげた。そしてキャミソールも咥えて引き下げ元に戻した。
そこまでされているのに起きもしないモフ子。安心しきっているようだ。
で、リトルはというと、そこまでの大仕事に満足したかのように首をプルッと振り、そして満足気に再び寝てしまった。
「……はっ!」
しばらくして、ピクッと反応するようにモフ子が起きた。
半分落ちたままの眼で「うーん……」などと意味不明の唸りをあげつつ、ぐるりと周囲を見渡した。
そして、二度寝中のリトルに目がいった。
「よく寝てるなぁ。猫って寝子から来たっていうけど本当なんだねえ」
ふたりを観察している者がいたら全力で突っ込んだろうが、そんな無粋者はここにはいない。
「そういえばここ何日かステータスチェックしてなかったっけ」
平和そうに寝ているリトルを見ていて、ふと思い出した。
「どれどれ」
『モフ子』職業:獣戦士Lv8、兼汎用魔道士Lv4
特記事項:幼獣の保護者
特記事項2:名称強制変換(神の意思)
スキル:獣人化Lv2、隠密行動Lv61、不意打ち、見敵必殺Lv4、忍び早足、戦闘斧、仕掛け弓、限界突破
『リトル』種族:サーベルタイガー(幼獣) Lv49 性別:male
特記事項:飼い主(モフ子)
特記事項2:ラーマ神、蜘蛛神、森の神、風の神の祝福により成長に加速がかかっています。
特記事項3:肉体の成長待ちのためLv49でキャップがかかっています。成長が終われば加速進化を起こします。
スキル:情報連携Lv2、子の鳴き声Lv1、パワーボイスLv2、サーキュレイトボイスLv2
「獣人化がLv2になってる……これ意味わかんないんだけど」
名前からして肉体が変化するような事が起きるのだと思われるが、一度もそんな経験はなかった。にもかかわらずLv2になっているのが謎すぎた。
あとは、狩りをしているおかげで隠密行動や見敵必殺が伸びている。特に見敵必殺があがると奇襲時に大ダメージを出しやすいのでありがたい。獲物が獲りやすくなった。
リトルの方はというと、少し前からLv49で止まっている。どうもLv50になるというのは成獣になる事をも意味するようで、おそらく成長待ちなのだろう。代わりにパワーボイス、サーキュレイトボイスというスキルが得られた。どちらも吠え声を利用するもので、パワーボイスは相手を吹き飛ばし、サーキュレイトボイスは魔法攻撃の妨害用だ。どちらも物理ダメージがないが、多勢に無勢の時に相手を撹乱したり、昨日のサンディ女史のように相手を無力化するのに使われる。
「ん?なにこれ?」
自分のスキルのところに見慣れないものを発見した。
「限界突破?なにこれ?」
ヘルプを開いてチェックをしてみたら、こう書いてあった。
『これはパッシブスキルで、獣人化や竜人化のスキルとセットになっています』
「これだけじゃ意味わかんないんだけど?」
文句を言っても書いてないものは書いてない。
とりあえずパッシブスキルという事は、意図的に何か選べるものではないのだろう。そう考えたモフ子は、とりあえず気にしない事にした。
よくわからないものはとりあえず放っておく。それでいいのか?いいのか。
「さて、起きよっか。リトルー」
「……」
俺を起こすなよ、と言わんばかりに尻尾だけ振って応え、そのまま寝ようとするリトル。
「あっそ、わかった。朝ごはん、あたしひとりで食べるね?」
「……」
食事を盾にとられては仕方ない。リトルはそう言わんばかりにゆっくりと、だがしっかり起き上がった。
「お、相変わらず寝起きいいね。さ、いこいこ」
「……」
やれやれと、リトルは大あくびをひとつすると、起きだしたモフ子にのんびりとついていった。
「やぁおはよう。良かったら一緒にどうかね?彼のぶんもあるよ?」
「随分と準備がいいわね……」
「ま、昨夜のおわびだよ。こんなもので足りるとは思ってないが」
キリーが肩をすくめた。なんと、ギルドマスター自らの手料理らしい。
パンと卵、肉類中心だが、飽食日本生まれのモフ子の視点でも結構豪華な食事だ。肉が多いのはリトルが食べる事を前提にしているのだろう。もちろんリトル用と人間用は別なわけだが、調理する際にはある程度一緒にやったろうから。
「とりあえず、いただきますー。リトルも食べよ?」
リトルは犬のように待つ習慣がちゃんとついているようで、モフ子の合図とともに食べ始めた。
「さて、食べながらというのは消化によくないかもしれないが、とりあえず聞いてほしい」
「うん」
ふたりが食べ始めたのを見て、キリーも語りはじめた。
「サンディの件だが、現時点ですべてのギルド、すべてのツンダーク国家群で犯罪者指定となった。もちろん重いものではないが、贖罪にはすべての国家、すべての組織に関わるたびに罰金を支払わねばならなくなった」
「うわ、きっつぅ。でもそれで罰則になるの?あの人個人だけでなく、どこかのプレイヤーギルドも関わってるんでしょう?」
プレイヤーギルドは場合にもよるが、国家予算級のお金を持っている事もある。特に攻略チームは宝石なみに高価なモンスター素材も普通に扱うから、文字通り唸るようなお金をキープしている事もあるのだ。
「国関係は罰金ですむだろうが、ギルドの利用は難しいだろう。少なくとも登録はいくら金を積んでも無理だし、素材もどれだけ買い叩かれるかわからないしね」
「ふむ」
「それから、一部のプレイヤーギルド、特に中央大陸の生産者ギルドがサンディと友人のギルドに対し、名指しで敵対表明した。……ちなみにそこのギルドマスターは君も知っているはずだよ。魔織師で名前はミミ。今は中央神殿の巫女の方が本職になっているけどね」
「!」
知らないわけがなかった。モフ子が最後に襲撃しようとしたプレイヤーの名だったからだ。
「ご当人が君個人をどう評価しているかは知らないよ?おそらく彼女が動いたのは、純粋にサンディの行動が許せなかったからだろうし、ちゃんと思惑もあるだろうからね」
「……」
「あとサンディだが、メニュー解除ができなくなっている。解除禁止だそうだ」
「そんなペナルティあるんだ……。裏ワザみたいに思ってたから知らなかったよ」
「ふむ。まぁ、その印象あたりは別にどちらでもいいんだが、ここでひとつ問題が発生する事が懸念されている」
「……あー、つまりそれって、追い詰められたバカがリトルを攻撃してくると?」
「そうだ。それも、攻略チーム級とはいわないが、そこそこの強さの連中が、巨大なボス敵を潰す勢いで彼を殺しに来るだろう」
「……」
ふうむ、とモフ子は食べる手を止めて考え込んだ。
「彼らの動向は把握できてるの?」
「サンディが、今朝この町の入り口でトラブルを起こした。衛兵に逮捕されかけたのを振りきって逃走したらしいが、問題のギルドメンバーの全員が動き出しているとの報告もある。行き先は、はじまりの町の北東すぐ近く。ここからもそう遠くはない」
「町の外?どこかに集結するにしても……」
「サンディが町に入れないからだろう。おそらくどこか、目印になりそうな建物とかあるんじゃないか?」
「はじまりの町近くで?……あのへんって何もないよ?せいぜい、β時代にお家たてた錬金術師の人がいるくらいで」
「ほう?町の外に建てたのかい?」
「うん。生産職はよくわからないから詳細は知らないんだけど、畑つきの家が欲しいって外に買い求めたらしいの」
「ほほう、はじまりの町近くなら強いモンスターもいないだろうが……ん?」
キリーは何かに気づいたように一瞬だけ目を開いた。そして、苦笑いしながらパンの一枚に手をつけた。
「どうしたの?何かあった?」
「いや……そこのオーナーに心当たりがあるかもしれん」
「へ。錬金術師に?あ、でもギルドマスターなんだから当たり前ってやつ?」
「いや、とんでもない。さすがに一人ひとりの工房までは範疇外だが……記憶違いでなきゃ、そこのオーナーはある意味有名人でな」
「へ?」
「知らないか?そうか、知らないか……どうしたもんかな?うーん」
「えっと、なんだかよくわからないけど、そこまで言ったんなら話してくれない?気になるんだけど?」
「あー、それもそうか」
もっともなモフ子のツッコミに頭をかいて、そしてキリーは言った。
「そこの錬金術師については噂があってな。……その、吸血鬼に殺されたっていう」
「!?」
今度はモフ子の目が点になる番だった。
「なんだ。君も吸血鬼の噂を聞いたクチかい?」
「いや、噂じゃないよ。あたし吸血鬼に殺されたんだもの。むしろ当事者、それも被害者だよ」
「ほほう…………なに!?」
キリーの方も目を剥いた。
「そもそも、あたしが例の襲撃事件の現場にいなかったのってさ、途中で吸血鬼に殺されたせいなんだよ?あたしたちは死に戻りっていって、死んでもペナルティつきで神様が何とか生き返らせてくれるんだけど……」
「そ、そうか。死んでたんじゃ襲撃に参加なんかできねえもんな。ふむ……なるほどな。
ちなみに念の為に聞くが、どんな吸血鬼だった?容姿とかはわかってるのか?」
「そりゃあもう、ようっく覚えてるよ。ゴスロリ衣装っていってね、ヒラヒラの黒いドレスまとった小さめの女の子で……」
「……」
キリーは特徴を聞いた途端、ピタッとフリーズした。なんだか顔色も悪くなってきたようだ。
「なに?どうしたの?」
「いや、間違いないと思ってな」
「間違いない?何が?」
「だから、一致すんだよ」
「一致って?」
「だから……あくまで噂なんだけどな。その」
「うん」
「館のまわりに出るって噂の吸血鬼、君のいった特徴と完全に一致するんだが」
「……うわぁ」
モフ子とキリーの両方の顔に、明らかに冷や汗が浮かんでいた。
「あくまで噂、君らが都市伝説とかって呼んでる奴だと思ってたんだがな……」
「都市伝説じゃないよ。めっちゃリアルだよ……」
「これはさすがに笑えないな。どうする?確認するか?」
「……やめとく」
「そうか?もしかしたら再会できるかもしれんぞ?」
「絶っっっっ対に、遠慮しとく!」
ぶるぶると大きく震えて、モフ子は首を横に振った。
「トラウマってるんだなぁ」
「当たり前でしょ!見たと思ったら為すすべもなく操られて血を吸われて、最後は笑いながら自分で自分の首、ダガーで掻っ捌かされたんだよ?自分の頸動脈を切って血が吹き出した感触とか、まだ覚えてて……」
「うげ、わかったわかった、それ以上言わんでいい。……そっか、そりゃ追求して悪かった」
「うぅ……食欲なくなっちゃったよもう」
だが、そういうモフ子の目の前にあった大量の朝食は、すでにあらかた食い尽くされていた。
「……フゥ」
床の方では、すでにリトルが我関せずと満足そうにしていた。
こちらももちろん、皿の肉塊はほぼ無くなっていた。
「それでどうする?危険が増えたわけだから、俺としては少し町で時間を稼ぐ事をおすすめしたいが」
「そうだね……んー」
モフ子は少し、考えこむようにした後、
「ううん、やっぱり行くよ。ま、ちょっと予定は変わるかもしれないけど」
「……君、まさかわざと釣りだすつもりか?」
「うん」
「まてまて、相手は一人や二人じゃないんだぞ!それに彼一匹だけじゃ……」
「うん、わかってる。でも」
「でも?」
キリーの問いかけに対して、モフ子は小さくためいきをついて。そして、
「それが一番いいって気がするの。よくわからないけど」
「一番いい?」
「うん。根拠も何もないけど」
そういって、静かに笑ったのだった。




