偶然の出会い?(1)リアル・ツンダーク
翌日ログインした彼女を待っていたのは、いろんな意味で驚くべきニュースだった。
所属チームの向こう一ヶ月間の活動休止宣言。それと一部プレイヤーの除名、そして昨日の襲撃メンバーが全員、ツンダーク自体から登録抹消された事についてのお知らせだった。彼女のフレンドはほとんどがそこの所属だったので、文字通りの大騒ぎになっていた。
だが、襲撃メンバーなのに自分はここにいる。無事ログインできているし一覧にも名前がない。
なぜ?
不思議に思った彼女はチームリーダーに問い合わせたのだが、こんな答えが返ってきた。
「一緒に現地に向かったっていうのは知ってるよ。でもディーテ、きみ結局、現場にいなかったんだろ?削除対象は現行犯のみらしいんだよ」
「あ……」
それはそうだ。おっぱじめる前に殺されたんだから、現行犯のみというのなら彼女が含まれるわけがない。
「きみが含まれてないのには僕も驚いたんだけど。いや、プレイヤーの私刑なんてしないに越した事はないから本来喜ぶべきなんだけどね、でも、いつもの君なら自分だけ不参加ってありえないと思ったんだよね。だから教えてくれないか。何があった?」
「それが……あたしにもよくわからないけど、現着前に殺されたみたい」
「え?」
リーダーの青年は眉をしかめた。
「殺された?ターゲットのプレイヤーにかい?」
「無関係。別の人だと思う」
「ほかのPKにやられてリタイヤしてたって事?きみが?まさか!」
「まさかって、それはあたしが言いたいよ。とんでもなく鮮やかな手際だったよ。わけもわからないままに殺されて、気がついたらVRMMOマシンのシートで呆然としてたし」
「それはまた……君がそこまで言うって事は、本当にとんでもない手段だったんだな。顔は見た?知ってる奴?」
一瞬だけ躊躇し、そして彼女は答えた。
「ごめん、わからない。声かけられて、振り向いて……その後何が起きたのか、あたしにもさっぱりなんだ」
ゴスロリ着た可愛い女の子、という容姿の話はしなかった。言っても信じてもらえない、という予想もあったからだが、話しても意味がない気がしたからだった。
「君がそこまで言うほどか……。わかった、その情報は警告として掲示板にあげとくよ。ありがとう」
「ううん、こっちこそ話きいてくれてありがとう。それとリーダー」
「ん?」
「すみませんでした」
彼女は思いっきり頭をさげた。
自分たちの考えが間違っていたとは思わない。少なくとも当時の知識と理解の範疇では、自分の考えは正しかったと断言できる。
だが、行動の選択が浅墓で、結果として知人みんなに迷惑をかけてしまった。これは事実であり、謝罪が必要だった。
そんな彼女にリーダーの青年は笑った。
「いい勉強になったじゃないか。僕も昔、PKに立ち向かって問題を起こした。失敗や後悔は誰にでもある事さ。
幸い、アカウント削除にはならなくてすんだんだ。とりあえず、当面はチートプレイヤー対策から足を洗って、攻略に参加するなり、何か楽しみを見つけるというのはどうだい?」
「あ……はい、そうですね」
「おや?もしかして、何かやりたい事があるのかい?」
「はいリーダー、あたし、しばらくのんびり旅行してみたいです」
「旅行?」
「はい。さっき攻略データ見てたんですが、なんか西方にずいぶんとプレイヤーの手が入ったみたいなんで」
「ああ西か。うん、レベリングにいいって動き出してるユーザーがいるようだね。ディーテもそっちに向かうのかい?」
「はい。いちプレイヤーとして当面、地道に知らないとこを旅してみます。まぁその前に準備ですけど」
「なるほど。がんばりなよ」
「はい!」
プレイヤー名『ディーテ』の語源はもちろんギリシャ神話の愛と美の女神アフロディーテだ。以前は単に語感からディータもしくはヴィータと名乗っていたが、アニメヲタクに変なネタと結び付けられてから改名した。今では恥ずかしい名前だと思っているが、ゲーム歴が長いのだから仕方ない。複数のゲームを渡り歩く友達もいるし、名前は重要。簡単に変えるわけにはいかなかった。
ちなみにプレイスタイルだが、軽戦士に属する。
守備力は弱いが軽くて動きやすい鎧をまとい、斧、ダガー、そして弓を使う。もっとも弓はほとんど狩猟用であり、戦闘にはあまり使われない。初期のプレイでは小遣い稼ぎに活躍したが、現在の用途はほぼ撹乱用、あるいは火矢を打ち込んで火事を起こし、巣にこもった敵を燻り出すための道具である。
魔法も使うが、見習い魔道士という職業名が示すように本当に補助的なものである。動物や動物型の魔獣相手だと『催眠』などが使えるのだけど、攻撃魔法となると本当に心もとない。むしろ『見習い魔道士』の万能性……つまり、初級しか使えない代わりに全属性使えるというメリットを使い、生活魔法に重宝していた。特に水まわりはそうで、本当に非常用の飲料水を別にすれば、ディーテはほとんど水を持ち歩く必要がなかったのだ。
「うん。軽戦士けっこう。ひとりで旅立つには助かるよね!」
ツンダークは全てのものがリアルであるため、生活魔法の役割は本当に大きい。特に女性の場合、食事まわりからお花摘み、お化粧まで用途は幅広い。MMORPGのくせに食事や風呂、トイレまで必要とするツンダーク。まぁ、もしなかったら生活魔法だけでも新たに取得する事になったろうが。
そんなわけで、市場にやってきた。生活魔法で補えない消耗品と、それからテントを買うためだったのだが。
「お嬢さん、ちょっとそこのお嬢さん」
「はい?」
呼び声に振り向くと、そこには小さな露店があり、ひとりの老婆がいた。
(ん?こんなとこに露店あったっけか?)
ここも一応は市場の中だったが、武器屋でも防具屋でも食料品店でもない。彼女は寄り付いた事がない店ばかりだったから、何を売っているかも知らない。攻略wikiにも何か出ていたような記憶がないから、本当にどうでもいい店なのだろう。ゲーム的には。
「あたし?」
「ええそうよ、お嬢さん。美味しいミルクはいかがかしら?」
「み、ミルク?」
「ええ。とれたてのカモシのミルクよ?牛のミルクとはまた違った味わいで美味しいのよ?」
「か、カモシのミルク?」
「あら、もしかしてカモシを知らなかったのかしら?」
「いえ、カモシは知ってますが」
カモシとはネコ科の大型肉食獣のひとつだ。ツンダークにはライオンがいないが、ほぼライオンの立ち位置にいる猛獣だと思えばいい。
そのカモシの乳を売るという発想に驚いたのだ。
「えっと、本当にカモシのミルクなの?別のものでなく?」
「ああ、そういう事ね。お嬢さんはもしかして異世界の方かしら?」
「はい」
ツンダークのNPCはプレイヤーを異世界人と呼ぶ。もちろんよく知っていた。
「野生のカモシは恐ろしい猛獣よね。だけどね、お家で子供の頃から飼えばちゃんと慣れるのよ?こうして、お乳がもらえるくらいにはね?
ま、何しろ大量にはとれないものだから、一般には出回っていないのだけどね」
「そうですか。でもそれなら、どうしてあたしに?」
「さて、よくわからないねえ。ただお嬢さん、あんたに売るべきだ。そう思ったのさ」
にこにこと笑う老婆。わけがわからなかった。
「ま、ちょっと飲んでごらんなさいな。とりあえずお代はいらないからね」
「あ、どうも。いただきます」
味見用と思われる大きめの盃にミルクをもらい、飲んでみた。
「……!」
「あら。お気にめしたようね?」
「お……おいしい!!」
絶妙すぎる甘さがちょっとくどいが、激しい運動の後なら本気で美味しいかもしれない。
驚いた。まさか、絞っただけのミルクがこんなに美味しいものだとは、彼女は予想もしてなかったのだ。
「あたし、ミルクがこんな美味しいなんて知らなかった!」
「そうかいそうかい、で、どうするね?」
「おばちゃん、これいくらなの?日持ちはするかな?」
「正直、このままじゃ2日もたないね。だけど、異世界人なら『アイテムボックス』とかいうのを持っているんじゃないのかい?」
「アイテムボックス?……あ、そうか!アイテムボックスなら腐らないわけ?」
「はい、正解。ちなみに、あたしらでもアイテムボックスもちは時々いるのさ。空間魔法になるから、誰もが持てるわけじゃないんだけどね」
「なるほど……で、これいくら?」
「このボトル一本で……こんなもんでどうだい?」
「んー……おばちゃん、八本買うからもう一声!」
「ほほう。じゃあオマケでこれをつけようか。小分けして飲むための小瓶だよ」
「おばちゃん、これ口が細いよね?」
それは小瓶というより急須に近い形だった。しかも注ぎ口が妙に変形している。
「ああ、そこにはワタを結びつけるんだよ。ま、あんたが使う事になるかどうかはわからないがね」
「?」
「赤ん坊に飲ませる時、そうやって口をつけられるようにするわけさ。わかるかい?」
「あ……哺乳瓶!?」
「ほ、ホニュウビン?なんだいそれは?」
日本の哺乳瓶について説明すると「ああ」と納得したように老婆は頷いた。
「ああ、そんなご立派なもんじゃないけどね。確かにそれで間違いないよ。まぁ、普段はこうして普通に飲むために使うわけだが」
「なるほど……」
結局、カモシのミルクは大瓶で9つ買った。もちろんアイテムボックスに入れた。
「ありがとー」
「気をつけてねぇ」
「はーい!」
老婆とにこにこ笑って別れ、さて買い物を続けるぞと襟を正した彼女だったが、
「……ちょっとまって」
ピタ、と足を止めた。
「今、買い物したよね……でも、売買メニューとか出てないよね?」
会話と手操作でお金のやりとりをした。しかも値切る事さえできた。だけどメニュー操作なんかしていない。
どうして気付かなかった?
そう。浮かれててつい、現実と同じように応対してしまっただけ。
現実と同じように……。
…………まさか!
「ん?どしたい?お嬢ちゃん?」
「あー、えっとね」
後ろから話しかけられて振り向いた。
目の前には商人がいた。今度はポンと売買メニューが出てきたのだけど、なんとなくそれが邪魔だと思った。
そしたら、
「……え?」
メニューは一瞬でキャンセルされて、普通に会話できるようになった。
「おや、あんた異世界人かい?」
「は、はい」
「ふぅん、普通に話すのは初めてってやつか。びっくりしたかい?」
「うん。普通にお話できるなんて知らなかったから」
だってゲームだよ?いくらリアルだからって普通にお話して買い物できるなんて、そんな馬鹿な。
だが商人は彼女の顔を見て、何か納得したようだった。
「ああそうか。メニュー回避を誰かに教えてもらったんじゃなくて、誰かに誘導され知らずに回避させられたってとこか?ふむ、珍しいな。話には聞くが、わしもはじめて見るぞ?」
「あ、あの?」
「ああすまんな、ひとり勝手に納得してしもうて。
おまえさん、この市場で何を買った?たぶんだが、商人の中に商人でない者が混じっていたのではないかな?」
「あ、はい。入り口横で、物売りのおばあさんからカモシのミルクを」
「……なに?カモシのミルク売り婆さんだと?」
商人は、しばしフリーズした。そして、「へぇ」と驚くような目で彼女を見た。
「おまえさん、神様に注目されてるな?」
「は?」
「は、じゃねえよ。後ろ見てみな?入り口んとこ。そんな婆さんいるか?」
「え?……え?あれ?なんで?」
言われて振り返ってみると、その場所には誰もいなかった。そもそも売り場すらもない。
「この世界の神話の中にな、カモシのミルクを売る婆さんの話がある。婆さんは実はラーマの神様そのものでな。誰かの運命が大きく変わる転機にあらわれて、味見と称してミルクそっくりの『目覚めの雫』ってのを飲ませるんだ。
そいつには新しい感覚が芽生えて、世界の全てが違って見えるようになるんだとよ」
「……」
「信じられねえって顔だな?ま、いいか。
おまえさん、ずっと『メニュー』ってやつで買い物してきたんだろ?俺ら商人は『メニュー』を使う異世界人は当然わかるからよ。どうして使ってるのか、どうやって使ってるのかは知らないがな。
でもおまえさんは今、それなしでわしと話している。そうだろう?」
「はい」
ふむふむと商人はうなずいた。
「わしには『メニュー』とやらの事はわからん。本当は目覚めの雫なんかじゃなくて、婆さんが声をかけた事、それ自体がきっかけなのかもしれないな。そこは好きに信じるといいさ、間違ってたらいつか神様が教えてくれるだろうしな。それより、今大事なのはひとつだけだろう」
そう言うと商人は、にっこりと微笑んだ。
「お嬢ちゃん、お客様向けでない、本当のツンダークへようこそ。さて、旅に必須の携帯食料セットはいらんかね?」
「……あー、お値段いくらかしら?ところで、いちセットいくつ入ってる?」
「おや、しっかり者だなお嬢ちゃん。そうとも。メニュー縛りがないとわしらも中身をごまかせるからよ。ちゃんと確認して買うんだぜ?」
「うわぁ。そんなとこまで変わるんだ。うん、わかった、ありがと」
結局、ひとつひとつ確認しつつ二週間分を購入した。そこまでいらないと思ったが、なんとなく必要な気がしたのだ。
その後も、メニューなど一切ない、普通にリアルな買い物を続けた。
買い物が終わった彼女は、すぐに旅立つ事なく、町の中をうろうろして散策を続けた。
メニューシステムが介在しない町は、今までにもましてリアルそのものだった。彼女は終始驚きの中にいた。食事ひとつ、会話ひとつ、何もかもが違う。今まで自分は何を見ていたのかと、脱力する事しきりだった。
「なまじゲームと思い込んでたって事かな?」
町外れ。喧騒を避けて町を囲む城壁に登った彼女は、そんな事を考えた。
以前、ツンダーク異世界説というのを聞いて大爆笑した事がある。いったいどこのオカルト馬鹿なのかと笑い飛ばした。システムメニューだのスキル設定のある『異世界』など大笑いにもほどがある。脳みそ腐ってんじゃないかと。
だが。今日見る町はどうだ?
メニューを介さない人々との会話には機械的な部分などカケラもない。普通にそこいらへんのおじさん、おばさんだった。服装が異世界で地球製の常識とか知識がないが、それだけ。どう見ても自分と同じ、普通の人間だった。
正直わけがわからない。だが、これだけは言える。
「間違ってたのは……あたしの方だったんだ」
テイマーやペット問題をあざ笑うかのように、闇に潜んで同じプレイヤーから血を吸う女の子。
メニューなんて馬鹿げたものとは無関係に、普通に笑い、嘆き、怒る普通の人たち。
攻略組を豪語し、あらゆる情報を集め、ツンダークの事で知らない情報などほとんどない、と豪語してた自分はただの大間抜けで。
そしてこの世界は、自分たちみたいな馬鹿とは無関係に、普通に回っている。
「馬鹿すぎる……最っっっ低だよ」
この先、本当にどうしようか?
今まで傷つけた人に謝る?いや、それは何か違うような気もする。
ペット殺しをした人に謝ったって、そのペットは戻らない。それに、もうツンダークにいない人も多い。
先日の件みたいに本人をも傷つけた場合は別だけど、そんな行動に出ようとしたのは今回が初めてだった。その意味では犠牲者はいない。
それに、リーダーも言っていた。別に楽しみをみつけろと。
「はぁ……ん?」
そんな事を考えていたその時だった。
「あれは……戦闘光か?」
何かの魔法が光ったような気がした。
かなり遠い。それにメニューシステム側の索敵ツールの方は反応していない。
だけど、あの地を這うような雷光は、あれは雷撃魔法の光だ。おそらく間違いない。
「こんな時間に、あんなとこで戦闘ねえ……ん?こんな時間に?」
何かがおかしい、そう思った。
かなり遠いといっても、そこはまだ町の近くだ。こんな場所で魔法を使って戦うようなモンスターがいるとは思えない。他のゲームならともかく、ツンダークでは町のすぐ近くなんて、泥蟹とか低レベルのウサギとか、そんなレベルの敵しかいないのだから。
「……うん、いってみよう」
そうつぶやくと、彼女は立ち上がった。
「どれ、加速剤でも使ってみるか……って、いい!?」
インベントリから加速剤を取り出してみて、その姿に目が点になった。
薬の利用は普通、インベントリで直接クリックして行う。わざわざ取り出して手にとるなんて事をする間抜けなんぞ攻略プレイヤーにはいないし、操作マニュアルにもそんなバカな使い方は出てこない。
だけど、インベントリからアイテムとしてお金を取り出す事に新鮮さを感じていた彼女は、一度、アイテムとしてその薬を取り出してみたのだが。
「……なにこのデザイン」
薬はピンク色の可愛いパッケージに入っていた。しかも、とても見覚えのあるアニメキャラの女の子の顔がバーンと描かれており、その下に『ほむらぶ印の超加速剤。服用には一時間以上間隔をおいてね♪』と、やたら可愛らしく書いてある。
「確かこの『ほむらぶ』って、プレイヤーの錬金術師だよね……。勘弁してよもう」
こんなアホなパッケージの薬をずっと使っていたのかと思うと、ちょっと泣きたい。
だが、パッケージを開いて中の錠剤を取り出したところで、さらに彼女はフリーズする事になった。
なぜなら、錠剤のひとつひとつにデフォルメされた女の子の顔が描かれ、さらに「あっかんべー」をしていたからだった。




