氷原の発電所(5)
その部屋は、旧帝国の発電所施設の奥にあった。
いかにも帝国っぽい廊下が続いていたのが、何やら警告っぽい文字のついた扉をくぐった瞬間に変わった。その先からはツンダークっぽさは一ミリもなく、リノリウムやコンクリート等に象徴される、いかにも地球の現代建築っぽい内装に変わってしまったのだった。
天井などもLEDっぽい照明になっている。もちろんファンタジーっぽさはカケラもなく、ほむらぶは呆然と、その嫌味なんだか皮肉なんだかわからない風景を見ていた。
「……なにこれ?」
「元作業者区画だって。今は誰も来ないからって隔壁も開けっ放しらしいけど」
「隔壁……さっきのドアの事?」
「うん、そうだよ」
後ろを振り返ると、ツンダークの遺跡風景。
そして目の前には、日本でおなじみだった風景。まぁ、あえて言えば病院っぽい雰囲気だったが。
「ここ、本当に進んでいいの?」
足が震える。
それは得体のしれない不安だった。
ほむらぶは、今のツンダーク生活がとても気に入っていた。だからこそ、それを根こそぎ破壊してしまうかもしれない、元の世界の風景そのものの中に入っていく事をとても恐れた。入ってしまえば二度と元の暮らしに戻れないような気がしたから。
「大丈夫だよ。許可はとってる」
「許可?誰に?」
「ここに駐在してるスタッフが一人いるんだよ。彼も居残り組だそうだけど」
「……ねえ」
「ん?」
「アメデオやロミちゃんは大丈夫なの?入った途端にどうにかなっちゃったりとか、そういう可能性はないの?」
「心配ないよ」
ヒルネルは、きっぱりと否定した。
「見た目がこれだから気持ち悪いと思うけど、ここは間違いなくツンダークの中だから。大丈夫」
「……」
ヒルネルはさらに言葉を継ごうとしたが、その前にアメデオが動いた。いつものようにほむらぶの身体によじのぼると、背中のリュックに収まったのだ。
さぁ、いこうぜと言わんばかりに。
「アメデオ?」
「行こうってさ。ほら」
「……」
ヒルネルの肩にも、いつものようにロミがしがみついている。
「大丈夫。ほら、みんなを信じて」
「……うん」
ほむらぶは、アメデオのぬくもりと重さを背中に感じつつ、やっとの事で勇気を出して中に踏み込んだ。
もちろん、突如として彼らが消えるような事も結界に阻まれるような事もなかった。
だけど、彼らに何かが起きてしまう事を非常に恐れたほむらぶはひどく動揺して震えており、落ち着いた瞬間に座り込んでしまった。
結局、再出発には10分あまりの時間を必要としたのだった。
「やあ、君がほむらぶさんだね?はじめまして、僕は野崎輝夫と言います。ツンダークメニューシステムの管理人といえば聞こえはイイけど、まぁ、世界一暇人の駐車係といった方が近いかもしれないね?」
「はぁ、どうも。ほむらぶです」
ほむらぶの目の前には、フリーサイズのTシャツとよれよれのスラックスを履いた、いかにもな汚いヲタ男がいた。髪の毛は寝癖だらけのヨレヨレ。デブで、タバコの臭い混じりの異臭をプンプンさせており、掃除もしてないメガネはレンズが手垢で汚れている。なんともアレというか、夢も希望もないって感じの容姿だった。
これで、目の光が穏やかで人畜無害そうでなかったら、絶対ほむらぶは近づかなかったろう。
「野崎さん。ほむちゃん来る前に風呂に入れって言ったよね?」
「ん?入ったよ?ああ、服の洗濯忘れてたか……」
「ダメだこの人」
「まぁまぁ」
のほほんとした野崎の応答に、ヒルネルは脱力していた。
「さっそくだけど、お話は聞いてるよ。種族の問題でメニューがおかしいんだって?」
「あ、はい。あと、フレンド同士でチャットできない事を何とかしたいんですけど」
「ああなるほど。それは確かに不便だね。ちょっと待って」
そう言うと野崎はコンソールに向かい、何やら調べ始めた。
「しかし、ほんっとツンダークとは思えない風景ねえ。機材は誰が作ったのかしら」
「こいつらは地球製だよ。ほら、そこにシスコのルーターあるでしょ?」
「野崎さん、ほむちゃん普通の子だからCisco知らないと思うよ?」
「あ、そうか悪い。ネルちゃんが普通にシスコとかATTとかベル研とかの会話についてくるもんだから、つい」
「野崎さん……言ったでしょ、私を女カテゴリに入れないでって。ったくロリコンはもう!」
「いやいや、そこは否定させてもらうよ。そもそもネルちゃんは『幼女』であって『女』じゃないわけで」
「やめんか変態!」
「……」
ああ。見た目通りのヲタ男なのね、とほむらぶは逆に納得した。
納得してしまえば後は早かった。ほむらぶは、ほむ愛関係でヲタ男どもと多少はつきあいがあったわけで、「そういうナマモノ」と割り切ってしまえば別に問題ない。スパッと心のチャンネルを切り替えるだけの話だった。
まぁ、ある意味モンスター扱いと同じなのだが。
「話を戻すけど、ここにある機材は全部地球製だよ。
ただ、どうやってここに運び込んだのかは僕も知らないんだ。僕も元々はプレイヤーでね、ただ遊んでたら運営側から連絡がきたんだよ。メニューシステムの管理人をやらないかって」
「え?プレイヤーなんですか?」
「いやまぁ……うん、何を言いたいかはわかるんだけど」
この部屋といい野崎の容姿といい、どう見てもプレイヤーには見えない。
「僕のプレイヤーとしての本職は鍛冶師、兼付呪師なんだよ。ふたりとも錬金術をやるみたいだけど、錬金の付呪と付呪師の付呪には共通点があるのは知ってるよね?」
「はい。錬金付呪は付呪師の付呪のサブセットなんですよね?」
「正解」
ウンウンと野崎は頷いた。
「ツンダークの付呪師って、つまるところプログラミングなんだよ。対象に呪文という名のコードを埋め込み、魔力という名の電源を与えて作動させるわけだね。だから鍛冶と組み合わせるのが一般的なわけだけど、さらに僕は地球での職もこの通りだからね。
ほむらぶさん、錬金術でカンストしたんだよね?だったら、このへんの理屈はわかるよね?」
「ええ、まぁ。複雑なプログラミングは苦手ですけど」
「なに、必要に足りれば充分さ」
にっこりと野崎は微笑むと、ふたたびコンソールに戻った。
「さて、まずはメニューの方だが……これはひどいな。メニューに不具合を抱えてる居残り組、結構いるっぽい」
「え、そうなんですか?」
「ああ」
ほむらぶの言葉に、野崎は頷いた。
「まずツンダークメニューでは、人間やドワーフ、エルフ、せいぜい獣人くらいまでしかサポートされてないんだよ。吸血鬼、自然神や神獣との融合や異種婚姻による種族転換、それからリッチ。これらはサポートされてないわけで、最低でも表示にバグが出るし、最悪ならネルちゃんみたいに何も触れないままにポイントだけが蓄積されてしまうわけだ。
うん、ではここいらを何とかしてみようか」
そう言いつつ、何やらコードのようなものをあれこれいじり始めた。
「ひとつ質問いいですか?」
「何かな?」
「メニューシステム自体から居残り組を開放する事は可能ですか?」
「それはダメ」
野崎は二つ返事で否定した。
「ツンダークは本来、異界なんだよ。メニューはプレイヤーを制限しているけど、同時に守ってもいてね。うまく説明できないけど、メニューシステムからプレイヤーを完全開放しちゃったら、とってもまずい事になると思うよ」
「具体的には?」
「知らない方がいいと思う。たとえば、こわい話だけどさ、空気が猛毒に変わったとしたら生き延びられると思う?」
「……それは」
「空気だけじゃないよ。風土病だの食事に含まれる毒素だの、ツンダーク人には何でもないような事が僕ら異世界人には、いちいち死をもたらす危険要素なんだ。まぁ、タンパク質の構成すら違う異世界なんだから仕方ないけどね。
もしメニューシステムを開放したら、たぶん多くのプレイヤーが生きていけないだろうね。
でも逆にいうと、そうさせないためのアバターであり、メニューシステムなのさ」
「なるほど」
「まぁ、付加価値で僕らの作ったスキルシステムがこのありさまで、そっちは申し訳ないんだけどさ。みんなを守るっていう本来の目的はちゃんと今も果たし続けてる。そこだけはわかってほしいんだ」
「ええ。わかりました」
ほむらぶはその全てを理解できたわけではない。ただ、メニューシステムがプレイヤーを保護しているというのは理解できたようだった。
「そんなわけで……と、よし、できた」
「できたんですか?もう?」
「ああ、できたとも。反映するには一度ログアウトして……」
「……」
「……ログアウト?」
「……野崎さん。あんたアホだろ?」
「はは、すまん。もちょっと待ってくれ」
頭をかきつつ、再び野崎は作業に戻った。
「ヒルネル。この人大丈夫なの?」
「とりあえず」
背後で身も蓋もない会話をされて野崎が脱力するが、ふと思い直したようにポンと手を打った。
「ああ、そうだ。ほむらぶさんの『ほむらぶ』って、やっぱりアニメの、あの、ほむちゃんの事?」
「そうだけど、なんで?」
「いや。その外見と名前でやっぱりそうなのかと思ったんだけどね。でも、だったらいい暇つぶしがそこにあるよ」
「暇つぶし?」
「そこの棚にDVD入ってるんだけど。まぁ見て」
「え?あ、うん」
首をかしげつつも、ほむらぶは言われるままに棚をあけ、そしてフリーズした。
「……」
「気に入った?さすがに貴重品だからあげられないけど、今見るならどう……」
「見る!見る見る見る見るぅっ!すごい!劇場版もあるっ!」
いきなりのほむらぶの豹変に、野崎はちょっとたじろいでいた。
「……その横のパソコン、スタンドアロンのお遊び用だからかまわないよ。DVDに傷はつけないでね」
「わかった!あぁぁ、最後の劇場版あるし……ツンダークサービス終わるから見れないなぁって思ってたのに!」
「あはは、どうぞどうぞ。終わる頃にはこっちもすませとくからね」
「ありがとうっ!!」
ほむらぶは別人のようにDVDをひっ掴み、指定されたパソコンの前に座った。
「ん?アメデオも見る?こっちいらっしゃい、うん、一緒に見よ?」
「……」
あまりの豹変ぶりに背後で苦笑するヒルネルだったが、当然ふたりは気づいていない。
で、ほむらぶたちがアニメを見始めたのを確認してから、ヒルネルは野崎にこっそり話しかけた。
「ほむちゃんの質問の続きだけど、一ついいかな?」
「何だい?」
「メニューシステムを開放したら、多くのプレイヤーは死ぬって言ったよね。死なない人もいるの?」
「ああ。僕の目の前に二人ほどね」
「吸血鬼は死なないって事?」
「ああ。おそらく九割がた間違いない」
野崎はヒルネルに向って断言した。
「猛毒に耐性のある者、水中や土壌から酸素だけ受け取って生きられる者は即死を免れると思うよ。だけど食べ物でも影響受けるし、長期的視点で生き延びるのは難しいかもしれない。
で、これらの条件を全部満たす種族はいくつかあるけど、中でも吸血鬼は最高なんだよ。
何しろ、万が一環境があわなくても、その土地の生き物の血を吸えば耐性獲得可能だし」
「そっか……」
「ちなみに、神種や神獣も死なないよ。でも彼らは単に耐久性が高いだけだからね。弱ってる時に開放喰らったら普通に死ぬかもしれない。
その意味で、文字通りびくともしない君らは最高だと思うよ」
「なるほど。でも微妙だな」
「微妙?」
「私は平気だけど、ほむちゃん。友達も身内もみんな死んじゃって、それでも生き延びたいって言うかな?」
「さて。それは僕には何とも。でも君しだいじゃないの?彼女なんでしょ?」
「まぁね」
「ち、リア充だったか」
「何か?」
「いやいや何でも」
ふたりの背後で切ないメロディーが流れ始め、アニメの主題歌が始まっていた。




