氷原の発電所(1)
『ハイ、ソレデハ失礼シマス』
『本当にありがとね。サトル君……あなたたちの大将にもよろしくね』
『ハイ。人参アリガトウゴザイマシタ。クレグレモオ気ヲツケテ』
『ええ、ありがとう』
その日の夜遅く、ピンとグリディアは去っていった。
正しくは、夕刻から臨時に移動したというのが正しい。サトル青年から群れ全体に招集がかかったそうで、ピンたちから「一時私たちの群れに来ませんか?」と相談があったのだ。彼女たちは移動対象ではないが群れが心配だそうで、戻るつもりだった。
ほむらぶたちはその提案を断り、そしてその代わりに、ギリギリのところまで送ってもらったというわけだ。
「本当に洒落にならなくなってきたわね」
「何で嬉しそうなの?」
「そりゃあね。裏だけで動いているより、出てきてくれる方がやりやすいもの」
「相手は危険物なんだけど?」
「なんで?ヒルネル、あんたがいるじゃないの」
「え?」
「なに?女一匹守る気もないの?」
「いや、ある、あるけど!」
「だったらいいじゃないの。もちろん油断する気はないけど、対人戦である限り心配いらないでしょ?」
「……」
露骨に信頼を表明され、ヒルネルは言葉が継げなくなった。
遠い昔のヒルネルの彼女は、ちょっとひねくれた性格だった。だから、こんな風に対等な異性に好意をあからさまにされた事など、ヒルネルはその生涯の中では、ただの一度もなかった。
これは参った。
冗談でなく言葉を失い、本気で困り果てていたヒルネルだったが、先刻から気になっていた事をとりあえず言う事にした。
「ところで、ほむちゃん」
「ん?」
「それ、重くない?」
「ううん、どうして?」
「んー、いや、いいんだけど」
「?」
ほむらぶの頭には、アメデオがしがみついていた。いや、正しくは肩車していたというべきか。
アメデオが小さいので、しがみついているようにしか見えない。それに、なぜか小さな椅子というか補助席のようなものがほむらぶの上半身に固定されていて、そこにアメデオは堂々と鎮座していた。なんというか、ちょっと高い背負子に小さな椅子をつけたみたいというか。
「で、それって何なの?」
「アメデオ専用の背負子。この子を拾ってすぐの頃使ってたの」
「あー……そうかなと思ったけど本当にそうなんだ」
そうだよ、とほむらぶは微笑んだ。
「あの頃は馬を使ってたんだけど、わたし乗馬がうまくなくてね。アメデオもこーんなちっちゃくて、肩から転げ落ちそうでね。でも、リュックに入れたら中で転がっちゃうし、それに、ポケットに入れとくと、今度は前を見たがって背中を這い登ってくるのよね。困っちゃってね。でも、両手は空けときたいでしょ?」
「ふうん。それで買ってきたの?」
「買う?ううん、ちょうどいい背負子がなかったから、採寸して作ったわ」
「その椅子も?」
「ええ。ちょうどゴールデンディアの毛皮があったから」
ゴールデンディアというのは希少種の鹿で、角や毛皮が金貨になるほど価値がある、という逸話からその名がある。要するに高級素材の代名詞である。
ちょうどあったからって、それを平然とペット用のチャイルドシートに使ってしまうとは。
「……すんげー過保護」
「なに?」
「なんでもない」
ほむらぶの頭の後ろにいるという事は、ほむらぶの視界には絶対はいらないという事で。アメデオはこれ幸いと、ヒルネルに対して中指おっ立てたりドヤ顔したり、好き放題の挑発をして遊んでいる。
(こんな甘々の母ちゃんいたら、そりゃあ、甘えん坊に育つわな)
これが、ほむらぶの地なのだろう。
昔から女キャラで一人の時はこんな感じだったのだろう。だからこそアメデオも、女ほむらぶの時には甘えまくっていたのに違いない。ご当人はというと、女キャラの時にアメデオの態度が変、ナメられてるのかなとこぼしてたというけど、そんなものは間違いなく自業自得である。これを見たら、いくらヒルネルだって断言できる。
これで子供の性格がアレだと大変まずいのだが、アメデオは基本がしっかり者だったのだろう。やれやれとヒルネルは内心、肩をすくめた。
「それはそうと話が戻るんだけど」
「うん」
ピンが去る前に言っていた事。そして、ふたりが感じている事。
「この妙な違和感。斥候が遠くないとこにいるって事かしらね」
「私にもほむちゃんにも見つけられないって、どう考えても厄介すぎるんだけど」
ここから少し離れた場所に、新住民の部隊がいるらしい。もっともグリディアの足で「少し」なわけで、この雪中に徒歩で動けば丸一日かかるだろうが。
その彼らの斥候か何かが近くに来ているのだろう。
だが、ふたりはもちろん、動物であるアメデオたちですら探知できない。
少なくともトップクラスの隠密持ちという事か。
「正直まずいわね」
ほむらぶは、静かに首をふった。
「それと、ガーディアンが発している空気のせいよねやっぱり。ここまで気配がわかりにくいの」
「たぶん」
ここの東にある大きな丘を超えれば、そこはもう発電所前広場。そこには噂のガーディアンが鎮座しているのだが、見るまでもなく二人には強烈な『何か』が感じられていた。
「魔力?それとも」
「魔力とは違うっぽいね。でもよくわからない。莫大なエネルギーには違いないけど」
「だね」
それだけ言い合うと、ほむらぶたちは準備を開始した。
「わたしが先に武装するね。ヒルネル、アメデオ、あんたたちちょっと警戒してて」
「わかった」
ロミはヒルネルの肩に張り付いたまま動かない。眠っているわけではないのだが、食べている時以外はじっと動かなくなっていた。
どうやら、食事のエネルギーも全てどこかに消えているらしい、とはヒルネルの弁。何が起きているかはわからないが、とりあえず今は何もさせないほうがいいのだろう。
ヒルネルと、それから、ほむらぶから降りたアメデオが周囲の警戒に入った。そしてその間にほむらぶは背負子を外し、アイテムボックスから弓と矢と、それから何故か小さなドングリを四粒取り出した。
「なにそれ?」
「おもちゃ」
たった一言、ヒルネルに返すと、ほむらぶはうっすらと笑った。そしてドングリを手のひらに載せると、
『起動・オプション』
魔力を込めると、ドングリたちはフワッと浮き上がり、勝手にヒルネルたちの頭上を漂いはじめた。
「効用はなに?」
「ただの保険よ」
「具体的には?」
「中身は雷撃よ」
「へ?……あー、そういう事か。なるほど保険ね」
「ええ」
何か納得しあうと、ほむらぶは立ち上がった。
「アメデオ」
アメデオが無言で背中のリュックをおろし、小さな弓矢を取り出した。
「可愛い弓矢だね」
「ええ。でも中身はちょっぴり物騒なの。矢のコストが笑えないけどね」
「なるほど」
小さな矢がいちいち真紅なのを見て、ヒルネルは顔をひきつらせた。どうせ、ろくでもない魔法か猛毒が付加されているのだろう。
アメデオがおわりヒルネルの番になったが、ヒルネルは準備はいらないと言った。
「触媒もいらないのよね。ほんっと、種族特性って凄いわ」
「ほむちゃんも仲間になってみる?」
「わたし?」
ほむらぶは少し考え、そして、
「やめとく。でも」
「でも?」
ヒルネルの言葉にほむらぶはニヤリと笑った。
「そうね。もし今回、運悪くわたしが瀕死になるような事態になったらやっちゃってくれる?意思の確認とかしなくていいから。勝手に変えちゃっても怒らないからね」
「……断言していいの?そういうのって死亡フラグとかっていうんじゃないの?縁起悪いよ?」
「意思表示は必要でしょ?」
そういって、ほむらぶは肩をすくめた。
「当面の事を言うなら、そりゃあ人間の方がいいに決まってるわ。だって、ふたりとも吸血鬼だったら、もし「この先は人間じゃないとダメです」ってところがあったらどうする?困るじゃないの」
「あー……なるほど」
「だけど、死んじゃうくらいなら迷わず助けてよね。わたし、まだやりたい事いっぱいあるんだから」
「なるほど。うん、わかった。その時は迷わず」
「って、何嬉しそうなの。わたしが死にかけるって確定なわけ?」
「あははは、ごめん」
もちろん、それは縁起でもない話だった。
だがまさか本当に今日のうちに、この何気ない会話『意思表示』が意味を持つようになるとは、いくら二人でも予測してはいなかった……。
真っ白な丘を登り切った時、それは目の前にあった。
「うわぁ……本当に仁王像ねえ」
「確かに」
発電所入り口は、岩盤に埋め込まれた巨大な黒い扉だった。
その横を、高さ20mはあろうかという岩、または金属めいた巨人がふたり守っていた。巨人たちの外見は確かに日本の仁王像によく似ていて、人間よりはるかに巨大な片手剣をもち、剣を持たない方の手は、こちらに来るなと言わんばかりに広げられている。
そして……。
「いかにも、こっち来るなと言わんばかりよね」
「あー……これ実際、来るなって言ってるんだと思うよ」
「そうなの?」
「うん。たぶん旧帝国の魔術だと思う。関係者以外が近づくと重圧を感じるんだよ」
「へぇ」
「もうちょっと近づこうか」
「大丈夫なの?」
「探知って意味なら、もう探知されてるよ。だったら話できる場所まで近づかないとね」
「そうなの?」
「もちろん」
遺跡に詳しいヒルネルがいうのなら、きっとそうなのだろう。
「それに近づいた方が安全だよ。隠れてる奴らだってこの重圧は感じてる、いや彼らの方が強いかもしれないから」
「強い?なんて?」
「悪意に反応するからだよ。私たちはこの中のものを取ろうとか、自分たちのものにしようとか考えてないでしょ?」
「なるほど」
ヒルネルの説明はいちいち論理的で、そしてわかりやすかった。ほむらぶはフムフムと納得してうなずいた。
丘を降りて行く。そしてそれは当然、巨人たちや入り口に近づいているという事でもあった。
巨人たちが反応をはじめた。ヒルネルたちの方に巨大な顔がゆっくりと向いていくさまは、かなり不気味ではあった。
「『止まれ』」
巨人たちが旧帝国語で話しかけてきた。ヒルネルが即座に合図し、皆止まった。
「『それ以上近づいてはならない。我々は積極的に攻撃はしないが、近づく者は問答無用で排除する』」
「『発電所の付加設備に用があって来た。発電所本体には用がない。通してもらえないか?』」
「『付加設備?具体的にはどこに用がある?』」
「『ツンダークと異世界と接続するための制御システムプラントに。あと、もし居るなら、その施設の管理者に相談したい事がある』」
「『ふむ。おまえの名を告げよ。資格の有無を確認する』」
「『ヒルネル・ラニャ・ディーナ・エム・アマルトリア』」
「『……』」
仁王のひとつがじっと、ヒルネルを見ていた。まるで何かを探査するかのように。
「『貴殿がディーナ姫の義妹である事を確かに確認した。ようこそいらっしゃった』」
言葉遣いを若干、変更した仁王が、小さく会釈をした。
「『ご存知と思うが、この施設は重要度が高い。そのため、申し訳ないが王族関係者以外は入れない。たとえ従者であっても』」
「『そうか』」
ヒルネルにとっては計算のうちらしい。一瞬悩んだようだが迷う事なく言葉を続けた。
「『しかし正面ロビーまでは入れさせてほしい。この寒さ、それと暴漢から皆を遮断したいので』」
「『よろしい、では正面ロビーの中に入れるがよかろう。ただちにロビーの暖房機構を作動させるので、最初寒いがすぐに温まる。落ち着いて待つがいい。
ただしトイレ以外の内部設備に入れてはならない。たとえ従者たちでも排除対象となる』」
「『わかった。任務外の気遣いに感謝する』」
「『問題ない、義妹殿』」
そんな会話をしたかと思うと、入り口の巨大な扉が、ギシッと音をたてた。ロックが外れたのだろう。
「すご……開いた」
「いくよ、ほむちゃん。アメデオも。正面のロビーまで入っていいって。そこから先はまだ入れないけど、まず入るよ?」
「わ、わかった」
二人と二匹は、ちょっとだけ浮き足立っていた。
巨大な仁王が自分たちを迎え入れた。それは異常な、ある意味すさまじい光景で、そして、何か自分たちが特別であるような、不思議な錯覚ももたらすものだった。それは、遺跡慣れしているヒルネルですら滅多にある事ではなかったから、やはり例外ではなかった。
そして、その僅かな油断が、その最悪の事態の引き金となってしまった。
シュッという風の音。ストン、と何かに刺さるような音。
聞き慣れた、だが自分たち以外が発する音としては、決して聞くべきではない音。
「……あ?」
「ほむちゃん!?」
『!!』
ほむらぶの背中に、矢が刺さっていた。
「い……ぎ……」
たちまちのうちに、ほむらぶの顔色が変わり、そして苦悶にもがきつつ前のめりに倒れた。
その背中で、矢が付呪の発動を意味する、不気味な紫色の光を発していた。




