遺跡で(8)来訪
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彼がVRMMOに興味を持ったのは、とある技術誌の記事がきっかけだった。
VRでは基本的にリアルの自分と同じモデルを使用する。だがゲームであるVRMMOではその限りではなく、異性、獣人、ロボットなど、本来の自分と大きくかけ離れた「別の自分」で冒険ができるという内容のものだった。
どうして、その記事に自分が興味をもったのか。それは彼本人にもわからない。
ただ、その記事を見た瞬間にひらめいたのだ。「ここで人形を作ってみたい」と。
もともと、彼は器用な人間ではなかった。だがデジタルの世界ではツールの手を借りる事により、美しいものを工夫してつくり上げる事ができた。
それを3Dの仮想世界で、リアルタイムに作れるというのだ。
『よし。とにかくやってみよう』
高性能のPCを使い、VRMMO端末システムを用意した。ゲーム機でも可能なのだが、彼は3Dツールのデータを使うつもりだったから、その場合は汎用のコンピュータの方がすぐれていたためだ。セットアップをし、そして自分の青年期の写真を元にまずアバター『ひるねる』を作成した。職業選択には迷ったが、攻略になど全く興味がなかった事、やろうとしている事を考えるとモノづくり系のほうがいいかと考え、錬金術師を選んだ。
錬金術師として活動しつつツンダーク上でのノウハウを蓄え、作業場としての家を確保。そして、そこで理想の人形作成にとりかかった。
作業には苦労が伴ったが、やがてそれは『ヒルネル』の誕生により結実した。
さて。
リアルの人形趣味ならそこで終わる。だがそこはツンダーク。彼の運命は、そこから始まる。
せっかく作った『ヒルネル』だが、それだけではデザインツールの中の模型でしかない。実際にツンダーク世界の中に実体化させるためには、誰かがログインして『中の人』を務めるしかない。
彼は困った。迂闊な事に、そんな大事な事に気づかないほど、彼は夢中で『ヒルネル』を作っていたのだ。
だけど、丹精こめて異界にこしらえた大切な人形を、見知らぬ誰かに任せられるわけもない。
悩みに悩んだ挙句、自分自身が入ってみる事にした。自分がだんだん泥沼にはまっているような気もしたが、背に腹は変えられなかった。
そして。そこで待っていたのは、想像もつかない異界だった。
子供の頃に戻ったような低い視界。小さな手に触れるすべてのもの。着慣れぬゴスロリドレスの未知の感触。あるはずのものがなく、ないはずのものがある強烈な違和感。
そして、アバターテスト用に用意していた、姿見を見た時の驚愕といったら。
『これが私……い、いや違う、これはアバターであって私ではないわけで!』
そう。確かにそれは彼自身ではない。仮想空間のものにすぎない。
だけど、アバターとはサンスクリット語で『分身』を意味する。つまり『ヒルネル』は彼自身が愛情をそそぎ丹精込めて作り上げた、彼のいわば、もうひとつの肉体だった。たとえそれが、元の彼とどれほど異質な姿であろうとも。
その日から、ひっそりと『ヒルネル』の時間は始まった。
当初、それはツンダーク上の友人たちにも秘密だった。それはそうだろう。女装趣味どころか、中身まで動く人形そのものの超絶美少女になってしまうのだ。もし知られたら変人どころか、正気を疑われかねないと彼は考えていた。
もちろん現実には、ツンダークでもいわゆるネカマ、ネナベはいたわけで、カミングアウトしたところで女装趣味と人形趣味を生暖かい目で見られる以上の事はなかったのだけど、当時の彼にそれがわかるはずがない。彼はVRMMOどころかゲーム初心者であり、『ヒルネル』を作るためにこの仮想世界にやってきた人間だったのだから。
現実でしばしば、女装趣味のある人が誰にも知られない場所に女装用の拠点をこしらえるように『ヒルネル』は作業場中心の活動となった。外見からのイメージだけ考えて職業は幻惑魔法使いにしていたのだが、ヒルネルの時間が長くなるにつれ、小遣い稼ぎ程度の軽い錬金作業もさせるようになり、サブに錬金術師を取得。やがて、襲ってきた盗賊の撃退で幻惑魔法のレベルアップもしたりして、今のヒルネルの基本がだんだんと完成していった。
そして、あの日。
畑の作物がすべて収穫待ちになってしまい、ぽっかりと時間が空いたヒルネル。ここでひるねるに戻すのももったいないと思った彼はペットのコウモリと遊ぼうと思い、小さな洞窟を改造したキノコ栽培所に入っていった。
そしてその奥で、運命の出会いをしてしまった。
それが、彼の第二の人生への転機になったのである。
◇◇◇
薬の作成が終わり、ささやかな食事がすめば、もう寝る時間だった。
今夜から血をあげるといっても、もちろん先刻もらったばかりなのだから必要ない。だから今夜はそういうドタバタも順延という事にして、ふたりはさっさと寝てしまう事にした。
まぁこの時、ほむらぶの方からベッドを一緒にしましょう提言があり、ヒルネルを驚愕させる一幕があったのだが。
ひとが変わったような積極性にヒルネルは本気で驚いたのだが、じっとほむらぶを見て、どうも自分の外観のせいではないかとヒルネルは結論づけた。つまり本来、ヒルネルは警戒される立場のはずだが、何しろ外観がこの通りの女の子である。中のひとか男だといっても人間は見た目に引っ張られる。警戒心を抱けないのではないかと。
ヒルネルは苦労したあげく、ベッドふたつをくっつけるが寝るのは別々という妥協点に落ち着けた。もしそうしなかったら、ベッドが狭いと理屈をつけて抱きまくらにされるのはおそらく間違いなくて、それだけはちょっと勘弁して欲しかった。
そんなこんなで、やっとふたりが寝静まったその後。
『ふふふ。よく寝てるわね』
誰もいないはずのその場所に、見慣れない異国の服装の女性が現れた。
ヒルネルが起きていれば、それがヒルネルのお姉様であるディーナ・デワ・ハル・アマルトリアであるとすぐに気づいたろう。だが、いろいろあったせいなのか、ほむらぶ共々、ぐっすりと眠ってしまっている。
「!」
アメデオがディーナに気づき、即座にダガーをかまえた。だがアメデオの隣でロミが反応し、そしてアメデオも「なに、そうなのか?」と言わんばかりの反応をした後は、少しだけ警戒を解いたようだ。もっともダガーは下げていないし、ディーナはしっかりと彼の攻撃レンジに入っているが。
『ふたりともごめんなさいね。ちょっと用があったのだけど、あなたたちが起きていてはちょっと困るの』
そう言うとディーナは、アメデオの前でしゃがみこんだ。
『こんばんわ、「白くて小さい者」の末裔さん。まさかネルちゃんの大切なひとの側にいる子が貴方だったなんてね。会えて本当に嬉しいわ』
「?」
アメデオはディーナの言葉の意味がわからず、首をかしげた。
『貴方は知らないでしょうけど、遠い昔、帝国の人間は皆、貴方のお仲間を連れていたのよ。特に「白くて小さい者」と「黒くて猛き者」はとても人気でね。ふふ』
何かを思い出したのだろう。ディーナは少し涙目になった。
『小さいけど賢くて強い種族だもの、帝国がなくなってもきっと生き延びてるだろうとは思ってたわ。
でもね、あまりにも人気になりすぎて野生の個体がいなくなる勢いだったからね。本当に、ほんっとうに心配だったのよ?
よかった、貴方たちだけでも生きててくれて。ううん、生きてたばかりか、昔とちっとも変わらない姿で、大切なひとを守っていてくれて。
よかった。本当によかったよ。……ありがとう。元気でいてくれて』
「……」
ぽろぽろと泣き出すディーナをアメデオはじっと見上げて、そして自分のリュックからハンカチを取り出した。
『ありがと、うん、うん……やっぱりいい子』
ナデナデとアメデオの頭をなでると、そして涙をふいた。
『うん、ごめんねありがとう。さて、本題に入らなくちゃね』
そう言うと、ディーナはポケットから指輪をとりだした。
「?」
『この指輪は反神の指輪っていうの。ずっとむかし、魔道具作りの天才がこしらえたものでね……ってこんなお話はどうでもいいか。つまり、一時的に貴方たちにかかっている『メニュー』ってやつの制限を取り外せるものなの。
つまり、今ここで、貴方とロミちゃんを上位種族に進化させる事ができるの』
「!」
アメデオの目が丸くなった。
『ネルちゃんと彼女さんにはこの後、大きな試練が待ってるのよ。おそらくその試練が終わる頃には、今なにもしなくても貴方たちはちゃんと進化できる可能性があるわ。よくしらないけど、ネルちゃんは『メニュー』の不具合を直そうとしているようだし。
でも、それはあくまで可能性にすぎないわ。
それに、ふたりの力をもっと高めないと、ネルちゃんと彼女さんを守りきれないかもしれない』
いつのまにか、アメデオの横にはロミも移動してきていた。小さいうえに羽根も畳んでいるので物音がしなかった。
さて、とディーナは立ち上がった。
『そんなわけだから、ちょっとこっちにいらっしゃい。まさかふたりのベッドサイドでこんな悪企みはできないからね』
「……」
アメデオとロミは顔を見合わせると、ディーナのあとにゆっくりとついていった。




