遺跡で(2)残されたもの
雪に閉じ込められそう。これアップしたらコンビニいってみよう。
『モンダイ、ハッセイ。コッチニキテ』
ちょっと困ったようなピンのメッセージが脳裏に響き、ヒルネルとほむらぶは顔を見合わせるとピンのいる頭の方に移動した。
「何、どうしたの?」
ピンの横に並ぶと、目の前の景色が見えた。
グリディアの視界は高さ十メートルを超える。陸上を自走する乗り物でこの高さに達するものは地球にも少ない。少なくとも一般的な乗り物では皆無といえるだろう。
その異様な視界にちょっと目を細めて、そして眼前の光景を見た。
目の前には大きな川があった。周囲は完全な雪景色になっているが、まだ川が凍結するほどの寒さではないようだった。川はゆっくりと、しかし確かに流れており、その中には生き物の気配もある。おそらくは通常の魚類もいて、また川のモンスターもいるのだろう。
そして、その中央には大きな橋。もちろん海にかかるような巨大なものではないが、地球にもあるような、大型貨物車なども通れそうな随分と立派な橋だ。その向こうには対岸と、そして……。
「なに、あれ」
橋の反対側。対岸のところに、巨大な樹が立っていた。
寒く、風の強いこの地域の植物という事か、背はあまり高くなかった。だがそれでもグリディアの体高を本体の幹の部分だけで楽々追い越す代物で、さらに横にも広がっている。しかも、その状態で枝もたくさん張り出しているのだ。こんな土地にあるのが不自然としかいいようもない、とんでもない巨木だった。
「まさか吸血樹?でも、なにこの化物サイズ」
しかも橋の出口を塞いでしまっている。
穏便な通過はできないだろう。だがしかし、
「ねえピンちゃん、橋を通らずに向こうに渡る事は」
『ムリ』
たったひとこと、ピンに両断された。
『ぐりニ攻撃サセル、ノモ、ムリ。ハシ、コワレル』
「そう。さすがに、あれを攻撃しつつ橋を守るのは無理なのね?」
ふむ、とほむらぶが頷いた。
グリディアの武器は重力魔法と自分の重さそのものだ。だが、海峡にかかる巨大橋を余波でグラグラ揺らすほどのエネルギーをこんな場所で使えば、こんな川にかかる橋なぞ破壊しかねないだろう。
そして、川を渡るのを拒否されたという事は……言うまでもないだろう。厄介なモンスターがいるか、川自体に問題があるに違いない。
『ソレニ、アレ、チガウ』
「違う?」
何が違うのか、とほむらぶが聞こうとした瞬間だった。
「……まさか」
「え?」
ヒルネルが突然、ギョッとした顔で樹を見た。軋むような、悲痛な声を絞り出して。
「ヒルネル?」
「ほむちゃん……あれ見て、幹の中央付近!」
「え……!?」
ほむらぶもその方を見て、そして一瞬フリーズした。
樹の中央に、ひとりの女の子が取り込まれていた。
女の子は樹の中に半分ほど取り込まれていた。見えている裸の上半身もおそらく樹皮に覆われていて、唯一完全にむき出しの顔の部分は巨大な樹液の水玉らしきもので包まれていた。どう見ても呼吸ができる状態ではない。おそらくは樹の方から何らかの形でエネルギーが送り込まれ、生かされているのだと思われた。
女の子の顔は、必死に何かを叫んでいる。液体の中なのでもちろん声は出ていないのだが、ほむらぶたちに明らかに気づいているのだろう。遠いのでよくわからないが、何かを必死に訴えているように見える。
「ヒルネル、解析」
「もうやってる、ちょっとまっ……!!」
グリディアの時のように、樹のスペックチェックをしていたヒルネルの顔が、悲痛に歪んだ。
「……ほむちゃん」
「何?」
「これ見て」
「え?」
ほむらぶが返事をする前に、その共有ウインドウは表示された。
『???』種族:ヴァムツリー Lv?? (植物生命体)
特記事項: 元プレイヤー(ニシナ・マコト 性別:女)
サービス停止の瞬間、吸血樹に喰われている最中だったプレイヤーの成れの果て。残存データの形で、吸血樹と融合を起こした状態でツンダークに取り残された。同じパーテイの仲間は全員、サービス終了で帰還ずみ。
「サービス停止の瞬間に喰われてたって……どういう事?」
「魔の30秒だと思う」
「死に戻りバグの事?」
「うん」
「それって最初期のバグでしょ。そんなのとっくに対処されてるはずで」
「ううん、バグ自体は残ってたよ。再現はないようにフタされてたけど」
「それほんと?」
「うん。半年くらい前かな、お姉様と強引に再現実験した事あるから間違いない。まだ残ってるよ」
「なにそれ。再現てどうやって?」
「ツンダークのゲーム仕様って吸血鬼を想定してないでしょう?だから『吸血鬼に吸血されて死亡』をやってみたわけ。まぁ、瀕死にしてから吸血してもらったんだけどね」
「うわ……そんなやりこみプレイみたいな事もしてたんだ」
「一応、これも探求の範疇だよ。……まじで大変だったけど」
「ふむ。で、どうなったの?」
「魔の30秒が再現したよ。30秒後にしっかり拾ってくれて、無事死に戻りしたけどね」
「へぇ……そんな仕様だったんだ」
魔の30秒というのは、本来なら死に戻るはずのところで死ぬ事もログアウトもできない状態に陥るバグの事をいう。約30秒後に無事に死に戻るのだけど、もちろんこれはバグ。速攻で対処されたのだが、ログアウトもできなくなる事、待たされる時間がきっかり30秒って事で有名になったものだ。
「そっか。……ちょつと待って」
そこまで考えたところで、ほむらぶは事態の深刻さに気づいた。
「もしかして、あの子って居残り組でも新住民でもないって事?本来、あの日にログアウトするはずがデスゲーム状態でそのままになっちゃってるって事?」
「……たぶん、そうだと思う。吸血樹って動き鈍いし、あんな風に取り込むのは虫系のモンスターって言われてて、人間を取り込む事があるなんて事自体が初耳だし」
「誰も、あれに取り込まれてバグが再現するなんて知らなかったってこと?」
「たぶん」
ふたりは顔を見合わせて、そして女の子の方を見た。
大きな川の向こう側であり、女の子の細かい表情はわからない。もちろん何を訴えようとしているかも。
だが。
「助ける方法って……あるかしら?」
「吸血樹を倒すしかないと思う。だけど」
そう。それはつまり女の子を殺すって事。
しかもツンダークサービスはもう終わっている。だからここでの死は死に戻りではなく、おそらく本当の死亡になる。
少しだけ躊躇したが、ほむらぶは大きく頷いた。
「アメデオ、紅のツボ……ああごめん、やっぱりいい。そこにいて」
いつのまにか横に来ていた相棒に指示しようとしたが、それを途中でとりやめた。
命令を途中キャンセルされたアメデオは少し考え込んだようだが、何を思ったのかほむらぶの背中によじ登り、リュックに飛び込んだ。普段ならほむらぶはこういう場面でリュックに入ろうとすると怒るものなのだが、なぜかアメデオの行動を咎める事なく、むしろ自分の手を回してアメデオの小さな手をポンポンと叩いた。
「弓を射るから、気をつけなさい」
それだけ言うと左手を空に掲げた。
次の瞬間、ほむらぶの手には木の枝のような不思議な弓が握られていた。そこに在るはずなのに存在感が希薄、そんな不可思議な弓だった。
そう。いつぞやに使用した精霊の弓、晴天弓だ。
弓の先端の花が開き、飾り枝が開いた。花に静かな光の炎がともった瞬間、同じ色の薄い光が弓の弦となった。
上体をあげて、弓を吸血樹の女の子に向ける。
手に光の矢が現れた。そして、
『塞がれしものを放つとき、垂れこめしものを払うとき、精霊の御霊を呼びしとき。光の矢、奔る。そは無垢、そは白、そは拒絶、そは……』
そう真言のようなものを唱えつつも引き絞り、
『そは、…………輝き!』
そう言いつつ、矢を放った。
矢は樹に向かってまっすぐ飛んでいった。いつか空に向かった時のように曲がる事も歪む事もなく、ただ、ひたすらまっすぐに樹に向かって突き進み、
そして、女の子の顔にまっすぐ命中した。
「!」
その瞬間、吸血樹全体がぐらりと揺れ、虹のような光に包まれた。
さらにそこから光が溢れ、一瞬、ほむらぶたちの視界も完全に埋め尽くした。
◇◇◇
それはもう十年以上も前のこと。
とある町の片隅で、家がお隣どうしの小さな男の子と女の子がいた。ふたりはとても仲良しで、いつも一緒に遊んでいた。
やがて時が流れ、男の子は同年代の男の子と遊ぶようになった。おとなしい女の子はおいとけぼりになり、ただ、お隣の家を時々見つめるだけの毎日になった。
いつしか、女の子は男の子に恋をした。
だけど、思春期になった男の子はよその可愛い女の子ばかりを見ていた。女の子は満たされぬ思いを抱えたまま一人遊びをするようになり、そして暇な時はゲームでストレス発散もするようになった。
そして、ツンダークで運命の再会を果たした。
「君、戦士なの?うちのパーティー、前衛がひとり欲しいんだけど入らない?」
「ええ」
お互い、見た目も名前も全く違う。リアルと同じなのは性別だけ。
だけど女の子は、その子が彼だとすぐに気づいた。
幼なじみとしての自分を隠したまま、女の子は男の子と仲良くなっていった。女の子は男の子の好みをある程度とはいえ把握していたし、そもそもツンダークのキャラメイクの時も、何も考えずに彼の好きそうな外見を選んでいたのだから当然といえば当然だったろう。そうして、リアルの立ち位置を知らぬまま、ふたりはネトゲ上限定とはいえ、なかよしに戻った。
だが。
「……」
彼のパーティには彼のリアル取り巻きの女の子が混じっていた。女の子は他のメンバーに失礼にならないようきちんと気を使ってはいたのだけど、最初から敵意を持っている子までどうこうできるわけがない。しばしば嫌がらせがあったり、倒しかけた獲物を横取りされる等の事も同時に起きていた。
そして、あの時。事件は起きた。
そう。
時間ぎりぎりになって遭遇した巨大な吸血樹。その戦いの中、ラストギリギリのところで、彼女の後ろで中衛をしていた子が、わざと転んだふりをして後ろから女の子を吸血樹に突き飛ばした。ゲームの最後に女の子が見たのは、ぶざまに一人だけ吸血樹にとりつかれて死に戻る彼女を指さしてゲラゲラ笑う、その子の顔になるはずだった。
『なんで?』
なのに、女の子は死に戻れなかった。死ぬ事もログアウトもできないまま、吸血樹に飲み込まれてしまったのだ。
『どうして。なんでログアウトできないの?』
ログアウトも非常停止もできない。GMも呼べない。そしてログには『ツンダークサービスを終了しました。皆様、長らくのご愛顧ありがとうございました』の文字が。
『閉じ込められた?そんな!?』
動けないまま、じわりじわりと吸血樹に吸収されている我が身。声を出そうにも首から上を樹液のようなもので包み込まれてしまっていて、どうにもならない。なぜか息苦しくはないのだが、これではどうしようもない。
『助けて、誰か!ターくん!いやぁぁぁぁぁっ!!』
◇◇◇
「!」
ほむらぶが我に帰った時、吸血樹は動きを止め、急速に枯れ始めていた。
「今のは……」
「わたしが見たのと同じなら、あの子の記憶の一部だと思う」
「そうなの?」
「うん。遠話のうんと強いやつって感じだった。強すぎて風景とか、その時の本人の気持ちとかまで追体験されられて参ったけど」
「そうなの?」
「ほむちゃんはそこまで見えなかった?どんな感じだった?」
「強制的にドラマ見せられたみたいな感じ、かな。最後が悲しかったけど」
「うん……」
ヒルネルは敏感すぎて、余計な情報まで受け取らされてしまったらしい。
「で、あれどうする?枯れるの待つのもなんだけど」
「焼き払いましょ。今さら供養もないと思うけど、せめて綺麗に焼いてあげたい。貴女はどう思う、ヒルネル?」
「ん、わたしも同意見かな」
「わかった」
ほむらぶはうなずくと、背中のリュックに入っているアメデオに声をかけた。
「アメデオ、紅のツボ出してちょうだい」
この吸血樹事件は一瞬の事だったが、ふたりの心に大きな衝撃を与えた。
居残りでも新住民でもないのに、ログアウトも、そして死ぬ事すらできずに囚われていた女の子。彼女の存在はこのツンダークの立ち位置とか、いろいろな事についてふたりの想いをかきたてずにはいられなかった。
たとえば今この瞬間、ふたりの肉体は今も地球で目覚めぬままなのか、という問題。
かりに女の子が接続中のまま閉じ込められていた状態だったとすれば、今ので目覚めたのかもしれない。時間がたっているので病院の隔離病棟かどこかかもしれないが、それでも「戻る」事はできたのではないかと思う。まぁ、肝心の彼氏や、最後の最後に吸血樹にぶちこんでくれた者をどうするかとか、そういう話を別にしてだが。
そして、サービス終了時点で、地球側とこちらが独立した別のものとなっていたら?
その場合、このツンダークがどこぞの異世界だろうと、ゲームサーバーの中の閉鎖空間だろうと事態は変わらないだろう。つまり、ほむらぶの矢によって女の子は吸血樹から切り離されて本来あるべき結末、つまり死を迎えたと。で、女の子を生かしつつエネルギーを吸い上げる方向に変質していた吸血樹は支えを失い、一気に枯れたという事になる。この場合はまぁ、女の子を苦痛から開放してあげられたという事で、冥福を祈る事となろう。
さて。事実はどちらなのか?
「まぁ、発電所まで行ければある程度はわかるんじゃないかと期待してるんだけど」
「期待なんだ。確証はない?」
「あるかどうかというと、ないね。非常に疑わしいけど断言はできない。
まぁ、探索とか研究ってそんなものだと思うけど」
「なるほど。ごくろうさま」
「何いってるの。ほむちゃんも手伝ってくれるんでしょ?」
「いやいやとんでもない、今回は興味があったから同行させてもらってるだけだから」
「えー」
「えーじゃないの」




