閑話『異邦人』
ごく短い閑話です。続きはまた。
「それじゃ、お気をつけて」
「どうもありがとう。このお返しはいつか必ずしますね」
「いえ、お気になさらず。僕たちはいつものパトロールのついで、寄り道みたいなものですから」
ヒルネル・ほむらぶ組を見送ったサトルは、巨大なグリディアの体がゆっくりとちいさくなっていくのを、ふうっとためいきをついて眺めた。
現在、サトルのまわりにいるのは六体のスノービッグ。一体はグリディアに随行していってしまったので、隊列も組み替えたようだ。サトルが騎乗している個体を中心に正五角形のフォーメーションを組んでいる。
「さて、そろそろ本題に戻るかな?」
パトロールのついでというのは嘘ではない。現在のサトルたちの本拠地はこの北部大陸の大平原にあるのだ。本拠地には幼獣も多くいるため特に中心部への異物の侵入は好ましくない。このために若いウサギと北極キツネ、およびシロワシを中心とした探索部隊が活動していて、さらに示威行動をかねてグリディアやサトルたちが不定期巡回する、というのが彼らの日常になっている。
ただし、ぐるり巡回するだけがパトロールではない。特にソーヤに近いこのエリアでは、サトルにはもうひとつやるべき仕事があった。
『やぁ、来たね。お久しぶり』
『あいかわらず敏感ね。うさぎ少年』
視線のはるか向こう。海の反対側、ソーヤの岸辺からその遠話は叩きつけられた。
『あいかわらず、こっちに渡ってくるつもりはない?歓迎するけど』
『あんたに飼われる趣味はないわ。そもそもこっちは人間専門なんだからね』
『いやいや、僕の群れに入らないかってお誘いじゃないから。いつもいつも通信ばかりで、たまにはちゃんと情報のお礼もしたいし』
『結構よ。お駄賃なら巫女さんにもらってるもの』
『あくまで僕がやる事だし、黙ってりゃばれないと思うよ?』
『結構よ。さて、それより本題に移るわね』
遠話の主の『声』は少しだけ止まると、いくつかの情報を流しはじめた。
『各国で異世界人を取り込む動きが活発化しているわ。穏便なものから家族を人質にするようなものまで、タイプは色々だけどね』
『そうか。やっぱりな』
ツンダークサービス中、プレイヤーはいわばお客様だった。それも神の名の元にやってきた、異世界からの来訪者という立場だったわけだ。
だが今は違う。元異邦人とはいえ彼らもツンダークの一部となったのだから、そういう動きが出てもおかしくはない。
『やっぱり、という事はそちらにも何かあったの?』
『うちの群れにはないけど、北部大陸にいるドワーフや学者さんたちには連絡が来てるらしいよ。簡潔にいえば、異世界人がいたら届け出よって感じかな。まずは実態を把握して囲い込みしたいんだろうね』
『なるほど』
遠話にはお互いの心のゆらめきが漏れる事がある。今もそうで、「ふむふむ」と納得げに頷いているのが、通信ごしにもサトルに伝わってきた。
『今のところ、神殿関係以外で人間社会に関わる全ての元プレイヤーに影響が出ている。内政系や一般市民タイプの異世界人にも、改めて国家への忠誠を誓わせる行動に出た国もある。このため一部の国ではこれらのプレイヤーが国家所属から各種専門職ギルドに駆け込む流れも発生、人脈の流動が始まっている』
『内政系や市民タイプ?もともと彼らは地域社会で生きるために住み着いてるんだから、そのままで問題ないんじゃないか?』
『彼らはそうは思わなかったみたい。政治の道具にしたいんじゃないかっていうのが西の国の魔術師ギルド長の見解』
『具体的には?』
『異世界人プレイヤーは「生活」には協力的だけど、決して為政者の言うがままにはならないから。圧政にも従わないし平和主義で侵略にも加担しない』
『なるほど。そりゃそうだろうね』
特に、ツンダークに残ったような元プレイヤーにはその傾向が強いだろう。
ツンダークのプレイヤーは日本人に限られていた。別に外国人を規制しているわけではなかったはずだが、何か大人の事情があったのか、日本人以外がツンダークにいたという話をまず聞かない。いや、正しくは外国人も少しはいたのだけど、それは『元』外国人。つまり、正式に帰化して日本国籍を持っているらしい人しかいなかったともいう。
今にして思えば、それはつまり「そのほうが求める人材を得やすいから」なのだろう。
ツンダークに居着いた人間にはいろんなタイプがいるが、多くに共通するのは「悪い意味でのバカがいない」という事だろう。たとえば、よくいるPK大好きの非常識な輩は誰も残らなかったし、内政で活動している者たちも悪政をしているという話は一切きかない。そういう者たちはおそらくラーマ神が拾い上げなかったためだろう。わざわざ、災いを求めるような者を残す必要はないのだから。
『神殿関係は問題ないっていうのはミミさんにも聞いてたが……この情報は、ほむらぶさんたちには?』
『わからないが、おそらく伝わってない。この情報が出たのは昨夜だけど、彼女らもうソーヤを発っていたはず』
『なるほど』
最寄りのどこかのギルドに入れば知る事になる。
北部大陸にギルド支所はないが、各遺跡で活動しているドワーフたちは職人ギルドと連絡をとっている。生産職であり、しかもギルドとつながりのあるほむらぶ嬢なら間違いなく彼らに問い合わせるはずなので、そこで知る事になるだろう。
サトルは少しだけ考えたが、結局ふたりの後は追わない事にした。
『いい情報をもらったよ、ありがとう。皆さんにもよろしく伝えてくれるかな?』
『わかったわ。じゃあ今回はここまでよ』
『ああ。またね』
そういったきり、声は途絶えた。
しばらく、サトルはもらった情報をあれこれ吟味していた。そしておもむろに顔をあげると、周囲に声をかけた。
「すまないが、もう少し待機していてくれ。念のために今の情報を『竜宮城』にも流しておくから」
ぷう、ぷう、と周囲から声がきこえた。了解、気にすんなとでも言いたいのだろう。
実は彼らスノービッグたちも遠話が使える。しかし彼らは緊急時以外はそれを使おうとしない。サトルは好みの問題だろうと思っているが、実は本当の理由はそうではない。
彼らは、今はなきサトルのウサギ女王『フラッシュ』にあやかっているのだ。
実のところ、サトルのアダ名が『支配者』でなく『大将』なのもそのせいだった。人間と動物だというのに、どこかラブコメ臭いのだ。そのありさまを見た誰かが、ウサギを女の子たちに見立ててサトルをハーレムの大将と揶揄した。そしてこの『大将』がひとり歩きしてしまい、やがて『うさぎの大将』という名前が生まれた。
そんな彼と彼女たちに、無粋な言葉はいらない。
(……)
遠距離の通話を試みようとするサトルに、周囲のウサギたちの目はとても暖かかった。
◇◇◇
「ふう」
ソーヤ側の海辺。領民の使う防波堤の突端で、ひとりの女がためいきをついた。
長い黒髪。これまた黒基調のしなやかなドレス。そして、なぜか赤い瞳。人形のように美しい娘であり、誰もが好みの違いこそあれ、少なくとも美しい娘である事は認めるだろう容姿だった。
だが、そのスカートの下からは……まだら模様の巨大な蜘蛛の脚が何本ものぞいていた。それは手を広げるように八方に広がっていたが、少し離れてみると、まるで女を中心に置いたパラボラアンテナのようにも見えた。
その巨大な脚たちが、するっと一瞬でスカートの下に消える。その瞬間、女の瞳も髪と同じ黒に戻った。
「お疲れ様です」
「ありがと。ハルこそ結界ごくろうさま。もう解除していいわよ」
「はい」
背後から侍女らしき容姿の少女がねぎらいの言葉を投げると、女はにっこりと穏やかに微笑んだ。
そして次の瞬間、周囲の空気が急に明るくなった。おそらくは女の姿を隠す結界が解かれたのだろう。
「アキは戻ったかしら?」
「まだギルドで情報を集めてます。ギルド長に捕まって困っているようで」
「あらら、じゃあ援護射撃といこうかしら。いくわよハル」
「はい、お姉様」
女は侍女と頷き合うと、防波堤を離れた。
後には、冷たい風の吹きすさぶソーヤの海の景色だけが残された。




