北へいこう(閑話・モスタラー隧道3)
「温泉、ですか」
「うむ」
「よりによって、こんな場所で?」
「まぁ、火山脈は我々のいう事なんぞ聞いてくれんしのう」
「その……ドワーフの皆さんがお風呂好きなんて、はじめて知ったんですが」
「いやぁ、おぬしら異世界人の風呂好きが伝染ってしもうたなぁ、ガハハハハ!」
「……誰だよ、ドワーフにまで入浴文化広めたやつ」
ヒルネルがためいきをついて下を向いた。
「ごめん、わたしちょっと心当たりある」
「ほむちゃんの友達か……だったら仕方ないね」
「何か言った?」
「何も」
ドワーフのおやじたちの話をつきあわせると、つまりこういう事らしかった。
モスタル隧道はドワーフの鉱山の横を走っているのだという。そもそも隧道は彼らの使わなくなった坑道を拡張・強化する形で作成されていて、作業坑と呼ばれる別の予備坑道に至っては、今もそのまま彼らの居住区や鉱山に直結だというのだ。
なるほど、とヒルネルは思った。
山脈の中をぶちぬく大隧道の大規模修理なんて、建設した時代の人たちならともかく、今のツンダーク人には想像もつかない難事業に違いない。それを可能としたのは魔法の存在と、そして、こんなところで鍛冶をしていた彼らがあっての事なのだと。
さて、それはいい。問題は温泉だ。
風呂文化をドワーフに広めたプレイヤーは、温泉についても触れたという。ただしあくまで素人だったから素人なりに、温泉の中には有毒な成分を含むものもあるかもしれない事、そして温泉があるという事は火山脈が近いという事だからその意味でも危ないって事も伝えてあった。つまりリスクをしょいこんで温泉探しをするくらいなら、有害無害の判断ができないうちは自分たちでお湯を沸かしたほうがいいと。
「だがよう。そこまで言われたら解決してみたくなるじゃねえか」
ドワーフたちは職人兼エンジニアみたいな者も多い。だから技術的問題があるというのなら解決してみたくなった、という事らしい。
鉱毒に詳しい錬金術師が呼ばれ調査が行われた。その結果、ここの成分は問題ないという結果が出たという。
「どこの国の話なんだか、だんだんわからなくなってきたわ」
ほむらぶが頭を抱えたのも無理はない。
温泉が出たら専門家を呼び検査をし、安全と確認されたら本格的に利用開始する。それはまさに、日本で温泉を掘り当てた後に行われている事と全然変わらなかった。
「ま、そんなわけでよう。以前掘り当ててそのままにしてあった温泉を拡張しようとしたんだが、ちょーっと想定外に噴出しちまってな。高温の蒸気が一部、隧道本体にかかって炙りまくってるんだなこれが」
「温度はどんな感じです?」
「かなりひどいな。作業坑に強制的に熱気を逃して何とかしのいでいるが、馬車が向こうまで抜けるのは無理だろう。出口に着く前に御者も馬も参っちまうぞ」
「それはまた。侵食の方は?コンクリートって耐熱性はあまりないはずですけど」
これは事実だ。日本には耐熱コンクリートがあるが、さすがにツンダークに導入したプレイヤーはいないだろう。
「そっちはびくともしてねえ。コンクリートとやらと保全魔法の相乗効果だろうな」
「ほう」
ヒルネルの目が丸くなった。
「興味深いですね。耐熱コンクリートも耐水コンクリートもないのに、どうやってるんだろ」
「ほう、異世界には耐水コンクリートなんてもんもありやがるのか」
「はい。すみませんそっちの専門家じゃなくて」
ヒルネルが小さく頭をさげると、ワハハとドワーフは笑った。
「おまえさんのせいじゃないさ。それに『そういうものが存在する』って情報だけでも非常に参考になるんだぜ?こちとら」
「そんなものですか?」
うむ、とドワーフは大きく頷いた。
「しかしまぁ、これで断熱もいけばよかったんだがなぁ。鉛や錫が溶けるほどの温度でもビクともしやがらねえ耐熱性は見事というしかないが、いくらか熱が漏れるだけでも中の人間はたまったもんじゃねえからよ」
「ですねえ。ないものねだりなのはわかってますけど」
「だな」
ヒルネルのためいきはもっともだった。
三台の馬車は途中の休憩場に止まっていた。これらはもともと、作業場から隧道本体に出てくるための出入口だったのを拡張したもので、日本の長大トンネルなどでも定期的に設置されていたりするものだ。そこだけ少し広くなっていて、最悪の場合はそこで馬車を転回させ、引き返したりするのにも使える。
で、客はとりあえず待機状態というわけだ。
ほむらぶは見た目こそ小娘と大差ないが、狩人ギルドや職人ギルドに顔がきく事、そして情報ブローカーとしての顔もある。そんな事情もあってドワーフたちの話を聞いていたわけだが。
「それで、どういう対策をとられているんですか?」
「うむ」
ドワーフはそこで大きく頷いた。
「間に防壁を入れて断熱するように今、作業中だ。今夜遅くには完了する予定でな。もう少しだけ待っていてもらえるか?」
「なるほど。問題はなにかありますか?」
「今んとこはねえな。ありがとよ、足止めしているのに気までかけてくれて」
「いえ、お気になさらず」
ここは日本ではない。待てば通じるというのなら慌てる必要はないだろう。実際、結構神経質そうな乗客もいるのだが慌てている者は誰もいない。一日くらいですむなら問題ないのだろう。
横で聞いていたヒルネルも「ふむふむ」と頷いていたのだが、
「あ、そうだ」
ほむらぶにはもう一言あるようだ。
「何だ?ちなみに入浴ならできるが男女別にはなってないぞ?」
「あ、やっぱりですか」
昔から風呂の習慣のある国の場合、事実上の混浴の国も多い。明治維新前の日本がいい例だが、あいにくとツンダークで庶民の入浴を導入したのはプレイヤーのためまだ年数が浅い。下の世代から次第にさばけてきたものの、高齢者を中心に男女の同席を嫌悪する風潮が非常に強いのも事実だ。
「何とか女子供だけの時間とれませんか?わたしやこの子だけならいいけど、そうでもないから」
「そうか。うむ、わかった。何とかしてみよう」
そういって、ドワーフはごつい胸をどんと叩いてニヤリと笑った。
「なにこれ?」
かぽーん、という音が響いていた。
強い硫黄臭をどうやって殺しているのか、このあたりだけは快適だった。終始イヤそうな態度を隠しもしなかったアメデオも元気を取り戻し、自分用の小さなリュックから手ぬぐいを取り出してしっかり参戦している。西洋ではどうか知らないが日本人にとって温泉に猿とは奇妙な組み合わせではないし、実際、ほむらぶはよくアメデオを伴って入浴していたからだ。
だが、さすがのほむらぶも湯船に浸かったまま、まわりの光景には絶句していた。
タイルの床と壁。高い木造の天井。奥の壁に描かれた富士山に似た山。
日本人の多くが知る、伝統的な銭湯そのままの姿がそこにあった。
「不思議な風景ねえ。もしかして異世界風なのかしら?」
「え、ええ。故郷にある『銭湯』っていう公衆浴場にそっくりです」
こんなものまで伝わっていたとは。
思えばゲーム時代には、ツンダークに写真をアップロードする機能があった。おそらく「公衆浴場とはこういうもの」の資料として、思いっきりベタな銭湯の写真を持ち込んでしまったのだろう。もっともその人物は、好奇心旺盛で器用なドワーフたちがその写真を面白がり、とことん再現を試みるまでは想像しなかったのだろうが。
ところで。
「……」
なぜか真っ赤な顔をして、あらぬ方向を向いているヒルネルの姿があった。
当然だが風呂の中、しかも女湯状態なのだから全員全裸である。まぁチロ君もいるわけだが彼は日本でも就学以前の年代だし、実際彼の態度に『男』を感じさせるものは全くない。風呂では普通にただの子供だ。
だがヒルネルは困ったように小さくなるだけだった。
「ヒルネル、貴女どうしたの?調子でも悪いの?」
「ううん大丈夫」
もしかして吸血鬼には硫黄がきついとか、やっぱり伝説通りに水はダメとかあるのだろうか?
そんな事を考えたり、あるいはチロ君がいるのがイヤなのかな?などとも思ったりするわけだが、最も可能性の高い事にほむらぶは気づいていない。いや、正しくは考えようとしていない。
そう。ヒルネルはほむらぶの裸体をまともに見られないのだ。
一番身近な同郷者であり、ツンダークでは長年つるんでいた相棒。女と知ったのはそう遠い昔ではないし、その頃には自分自身も女の子になってしまっていたのだけど。
身も心も女の子になっていくのを恐れた事はない。吸血鬼化の事があるとはいえ最終的に選んだのはヒルネル自身だし、世界の謎という大きなライフワークの前には性別などどうでもいい事だ。
だが今、ヒルネルはほむらぶの一糸まとわぬ姿に『異性』を感じてしまっている。それも事実だった。
『たぶん、知らずに昔から意識してたんだろうなぁ』
ヒルネルは後にそう語る事になる。
男と女とは単純に割り切れる存在ではない。たとえば性自認、つまり自分の性別が男女どちらかという認識と、異性観、つまり相手を恋愛対象と考える感覚はリンクしていないのだ。だから同性愛だのバイセクシャルなんて面倒な事態がしばしば起きるわけだが、ヒルネルはその意味でもさらに厄介だった。
念の為にいえばヒルネルには同性愛趣味はない。それどころか、今の彼女は性愛に対する感覚自体が希薄だった。
この世界で得た姉的存在にも性的な興味はなかった。男が近寄れば元々男性だった意識が拒絶するし、女が近寄れば、女になってから得られた感性が邪魔をする。もちろん未来の事はわからないが、今のところは誰かと恋愛ごととか絶対ありえないと思っていたヒルネルだった。チロくんのように小さな子どもと遊ぶのとは話が違うのだから。
なのに。
ではなぜ、ほむらぶに対してそうなのかというと……未だにほむらぶの前でのみ、自分の無意識が男であり続けているためなのではないかとヒルネルは推測する。ほむらぶが女である事をヒルネルはカミングアウト以前から薄々知っていたわけで、その頃から内心惹かれていたのに違いない。
だけどいま、ヒルネル自身は女だ。ああなんてややこしい。
「ネル」
そして、悩んでいると当然のようにチロがやってくるわけで。
風呂の中には今、ヒルネル、ほむらぶ、老女の順番に並んで浸かっている。ほむらぶの前はなぜかアメデオが占拠しているのだが、これはアメデオがチロを警戒しているためである。小さい子とはいえ男、オスであるから、ほむらぶに近寄らせたくないのだろう。
もっとも、アメデオが警戒しなくともチロの興味はヒルネルに向いているのだが。
このへん、さすがにチロは小さくとも男の子である。実はこの中で最もおっぱいが大きく、いい形なのはヒルネルであった。もちろんこれもかつてのヒルネルのデザインの賜物で、一見幼女、でも脱いだらちょっとすごいという感じに綺麗にまとまっていた。まさに隙のないデザインというか。
ちなみに、ほむらぶのおっぱいは……彼女が愛してやまないアニメキャラにあわせてあった。つまり小さい。とはいえこれまた美乳だし老女が「あら」と微笑んだほどに美しい肢体なのだけど、女性視点で作った同性の肉体である影響は大きかった。つまり、男の子へのアピール度はヒルネルにはどうしても負けてしまう。
まぁそんなわけで、結果としてはこうなってしまうのである。
「てい」
むにゅ。
なにせ日本的観点でも間違いなく就学前のお子様、遠慮なんぞあるわけがない。ヒルネルがもぞもぞと大人しいのをこれ幸いと、いきなりそのおっぱいをむんずと両手で掴みにきてしまった。
「……」
ヒルネルはまったくの想定外だったのだろう。その瞬間、完全無欠にフリーズした。
「……え?」
むにゅ、むにゅ、むにゅ。
「……」
ヒルネルは固まっている。
無理もない事だが、ヒルネルは誰かに冗談でも胸をもまれた事などなかった。生粋の女性ではないから、若い女の子がしばしばぶつかる同性間のコミュニケーションすらも未経験だったのだから無理もない。
そして、それをいい事にチロのいたずらは加速していく。
チロはそのままヒルネルの脚の間に割り込んだ。もちろん意味なんてわかっちゃいない。どこで見聞きしたのかは知らないが、たちの悪い悪戯を見せた者がいるようだ。
しかし、それが更にとんでもなくエスカレートしかけたところで、
「!!」
ようやく我に返ったヒルネルは突然、強烈な拒否を示した。チロの両手をむんずと掴むとぶっ飛ばそうとしたのだが、
「はい、そこまで」
見かねたほむらぶが介入してきた。ふたりの手を掴み、引き離したのだ。
「チロくん、女の子のおっぱい触るのはダメ。嫌われるよ?」
「えー……」
ほむらぶは強くは言わない。笑みも浮かべたままだ。
だが、
「……」
じっとまっすぐにチロを見るほむらぶの目線に、その顔がだんだんとひきつってきた。にらめっこに耐えられなくなってきたのだろう。
やがて、ついっと顔をそむけたのだが、
「……ブ○」
「!」
その捨て台詞は何?とほむらぶが反応するよりも早く、
「ちょっと待ちなさい」
いつのまにか近づいていた老女が、いきなりチロの頬を掴んで引っ張った。
「いたい、いたい痛い痛い痛いおばぁちゃん痛い!」
「女の子相手にブ○とは何ですかブ○とは。そんな事を言うのはこの口?これかしら?」
ここだけの話だが、老女の体力は日本の一般的年寄りより数段上である。便利な文明もないし車もない世界だから当然といえば当然だが。
その力で幼児に近い男の子の頬を、ぎゅうっと音がしそうなほどに引っ張ったのである。これは痛い。
「……」
「……」
当然、ヒルネルとほむらぶは引いていた。毒気を抜かれた感じだった。
「ほんと、ごめんなさいね」
しばらくたち。少なくとも表面上はおとなしくなったチロを横におき、老女が謝ってきた。
「いえいえ。とりあえず本人も謝ったようですし」
不本意そうに、それでもちゃんと謝ってきたのだ。ならば初犯だし、少なくとも今回はそれでいいだろう。
「それに、この娘本人が拒めばもっと穏便にすんだはずでもありますから」
「すみません」
「固まっちゃってたわねえ。もしかして、イタズラされた事とか今までなかったの?」
「はい」
「断言するんだ。それはそれでちょっとさびしい人生よねヒルネル」
「わかってて言ってるでしょ、ほむちゃん?」
「もちろん」
じろっとヒルネルが睨むと、うふふと楽しげにほむらぶは笑った。
皆無とは言わないが、男の子同士の子供時代のイタズラで乳揉みはちょっとレアケースだろう。ほむらぶがそのへんを知らないわけがないので、もちろん意図的にからかっているわけだ。
だが。ほむらぶは気づいていない。
「……」
ヒルネルがほむらぶを見つめる視線に、隠し切れない情念のほとばしりが見え隠れしている事に。
「……」
そして、それに気づいているアメデオは、しっかりとヒルネルを妨害する位置に移動して動かず。
「あらあら」
そして、そのありさま全部に気づいている老女は、面白そうにそれを見物しているのだった。




