北へいこう(閑話・モスタラー隧道2)
短いですが、長くなりそうなので先にこちらを投下します。
馬車はゆっくりとモスタル隧道に入っていく。
当然といえば当然だが、中は真っ暗だ。電力の行き渡っている日本ですら真っ暗なトンネルは無数にあるので仕方ないところだが、星明かりすらない真の闇である。しかもこのモスタル隧道はキロ単位の長大隧道であり、そのままでは当然馬車は通行できない。
中に入る少し前、何やら魔術の気配がしたと思ったら、馬車や馬の周囲にいくつもの灯りが灯った。どうやら前照灯の代わりのようだ。
「……」
チロ少年は言葉もなく、滅多に見られない隧道の景色を見ている。灯りがともった事で恐怖は薄れたらしい。
ただし、隧道が馬車用というには妙に広いので、すべてを明るく照らしているとは言いがたいのだが。
「ずいぶんゆっくりなのね」
ほむらぶが不思議そうに言った。
「灯火がただのランプだもの。照らせる範囲に限度がね」
ヒルネルの指摘に「ああ」とほむらぶもうなずいた。
「障害物を避けられるスピードって事ね。もっと明るくはできないの?」
「だめ」
ほむらぶの当然の疑問をヒルネルは引き取った。
「ただ光量を増しちゃったら、眩しすぎて逆に困るんだよ。しかもエネルギーもバカ食いしちゃうし」
「そうなの?だってほら、ダンジョンとかでは」
「徒歩と馬じゃ速度が違うでしょう?照らしたい範囲が段違いだからね」
「あー……」
「ほむちゃん、懐中電灯とかサーチライトってさ、後ろに鏡つけてて光を反射するでしょう?あれは前に光を向ける事と同時に、本人が眩しさに困らないって意味もあるんだよ?それとエネルギーの節約もね」
「そっか。うん、わかった」
この世界には、まだサーチライトはない。灯台が存在するのだから、遠からず現れるだろうが。
「異世界では、ランプの灯りに鏡を?」
後ろで聞いていた老女が突っ込んできた。
「わたしは専門外だけど『鏡っぽい何か』だったのは間違いない。あと形状や材質も色々工夫されてたと思う」
「なるほど」
他にも聞きたそうだったが空気を読んでか、それ以上は尋ねてこなかった。
馬車の灯りに照らされる隧道の内壁は、特に何も描かれない「のっぺり」したものだった。だが、その「何もない」きっちりと作られた感がむしろ高度なテクノロジーを感じさせるものでもあった。ほむらぶもヒルネルも、わずかの証拠も逃すまいと真剣な顔で観察している。
まぁ、外見的にはチロ少年を挟んだ女子供三人が、じっと窓の外を見ているようにしか見えないのも事実だが。ヒルネルの目がまるで野生動物のように輝いていたりするのを見れば話は別だが、この場にいてそれを指摘する者はいないのでこれもスルー。
「少なくとも改装はされてるみたいね。しかもプレイヤーの手で」
「さっきの銘板ってやつ?」
「うん」
隧道に入ってすぐのところで、目立たないところに四角い石版があったのだ。そこには意匠や施工元、施工年月日等が西暦で記されていた。日本のトンネルなどでもよく見られるものだ。
「この内壁、やっぱりコンクリートの一種だと思う。乾くのに時間がかかるけど耐久性の高いものを使ってるみたい」
「へえ。じゃあ鉄筋コンクリートってやつなの?」
「鉄筋は違う」
「えっと、そうなの?」
「うん」
一般人に馴染みのあるコンクリートというと鉄筋コンクリートの建物だろう。ただ『鉄筋コンクリート』という言葉だけが先走り、その意味まで理解していないも多い。その場合『鉄筋』という言葉はただの枕詞として使われている。
ちなみにほむらぶもその一人だった。
だが当然ヒルネルは首をふった。この隧道に鉄筋は使われていないからだ。
「誤解を承知でざっくりまとめると、鉄筋コンクリートっていうのは中を金属で支えているからそう言うんだよ。ここには金属は使われてないね」
「へぇ。じゃあこのトンネルは『コンクリート』だけでできてるわけ?」
違うよ、とヒルネルはまた首をふる。
「本体は天然石でがっちり固めてあるみたい。コンクリートは外側だけだね」
「そうなんだ。でもどうして石なの?コスト?」
「ううん違う。金属より石の方が長持ちだからだね。ほら、鉄は錆びるし曲がるでしょ?」
「あー、そういう事」
「うん」
ヒルネルはそれ以上の説明をしなかった。ほむらぶがそういう土木的知識に関心がないのに目ざとく気づいていたためだ。
ちなみに余談だが、コストを言うと金属より天然石の方が高い。良質の天然石を使ってトンネルのようなものを作るには、専門の石切職人をはじめとする、職人系の熟練技術者が欠かせないからだ。
さて。
「あくまで素人の推測だけど、これってコーティングに使ってるんじゃないかな?」
「コーティング?」
「うん。コンクリートとこちらの魔法技術を組み合わせて、強い撥水性をもたせてるんじゃないかな?」
「んー、つまりどういう事?」
「簡単にいうと、このトンネル全体を防水加工ってとこかな?」
「トンネル全体を?なんでまた?」
ふむ、とヒルネルは少し目線をさげた。そして老女の方に目を向けた。
「何かしら?」
「この山脈付近って、もしかして雨が多い?」
「雨?ええ多いって聞いた事があるわ。中央側は雨が多くて北部側は雪が多いそうだけど?」
老女の言葉に、ヒルネルは大きく頷いた。
「専門家じゃないからあくまで推測なんだけど、ここいらの土地に湿気が多すぎるんだと思う。
トンネルに使うような天然石は水を受け付けないものを使うんだけど、長い年月の間にはやっぱり侵食しちゃう事があるんだよ。ここで手抜きすると最悪の場合、百年単位で使えるものが二十年くらいで崩落しちゃったりするんだよ」
「それで防水?」
「うん」
「ずいぶんとトンネルに詳しいプレイヤーがいたのね」
そしてそのプレイヤーは、ここの修復に関わったのだろう。
「たぶん経緯は想像がつくけど」
「え?」
「たぶん、職人さんたちが困ってたんじゃないかな。ここのトンネルを修復したい、でもかなり長大だし水や崩落対策をしないと同じ事の繰り返しになるって」
「なるほど。そこに多少知識のある子が通りかかったってわけね」
「うん」
ツンダークで時々見られるコラボレーションの風景だった。ただし巫女と同様におそらく、プレイヤーの参加には『神様』の息がかかっているのだろうとヒルネルは考えたが。
土木工事はモンスター狩りや単純なモノづくりとは違う。この世界そのものに関わるという事だろうから。
「ん?」
ふと、馬車の向かう先……トンネルの奥の方を見て眉をしかめた。
「どうしたの?」
「誰か人がいる。先頭の馬車に合図出してるね。とまれ、かな?」
「え?」
三台の馬車はある程度の間隔をとっている。トンネル内でもその距離を詰めてはいないため、前の馬車のそのさらに向こうというと、暗さもあってわかりにくいのだ。
だが。
「確かにいるね。……ドワーフ族かしら?」
ほむらぶも気づいたようだ。
「いやな予感しかしないなぁ」
「事故か落盤か。確かにね」
幸いなのは、このトンネルが存外に広い事だ。日本でいえば二車線分というか。馬車利用しか行われておらず、しかもトンネル内でスレ違いなんてまずない今の交通量には明らかに見合っていない。
それはつまり、この隧道自体が現代ツンダークの設計ではないという事なのだろう。
あるいは、そもそもの目的は道路用ではなかったか。
「あら?起きたのアメデオ?ってこら、あたまに登るんじゃ……」
ふと見ると、ほむらぶの白猿が起きだしていた。ほむらぶの頭によじのぼり、皆と同様に前方に注目して何か言っている。
「え?硫黄の臭いがするの?まさか」
「どうしたの、ほむちゃん?」
「アメデオの反応なんだけどね、前に硫黄の臭い嗅がせた時と一緒なのよ。これだけは苦手みたいでね」
「硫黄?でも」
そんな臭いは感じられない。トンネルのような閉鎖空間でそんなものが漂えば当然臭うはずだ。
だが。
「……風の魔法を感じる。強制換気か何か?」
「え?でも」
「北部側に流してるんだと思う。もしかして臭いが来ないのもそのせい?」
なるほど。臭いは風に乗るもの、ならばその風が制御されていれば?
「これは確定かしら」
「たぶん」
明かりやらドワーフらしき影やらがはっきり見えてきて、ふたりは思いっきりため息をついた。




